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寛永の遊魔
未知との遭遇
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「……む」
正雪が茶屋の入口に目を向けた。
七郎もつられて振り返れば、店先の床几に國松が腰かけている。
「大旦那、いらっしゃい」
「団子も頼む」
おまつと國松のやり取りを正雪は眺めている。
すぐに國松も正雪に気づいた。が、一瞥するや否や床几に腰かけ背を向けた。
「あれは誰だ七郎、知っているか」
「あ、あれは染物屋の風磨の大旦那、國松様だ」
七郎は冷汗をかいていた。國松がこの茶屋を訪れることは知っていたが、まさか鉢合わせするとは。
「なるほど、そうか…… やはりというか、あの方の視線を浴びた時、震えたぞ」
正雪の方でも國松の名は知っていたようだ。だが國松が七郎の上役であり、ましてや張孔堂を探れと命じたとは思うまい。
後日、國松の方でも七郎に尋ねてきた。
「茶屋で七郎といたのは何者だ」
「彼の者が張孔堂の由井正雪であります」
七郎は無表情で答えた。今の彼は感情も理性も、そして個すらも消していた。
あるのは、江戸を守るという使命だけだ。
「そうか、やはりな。噂通りの名士だ」
と國松は正雪に感心している様子だった。七郎は内心ホッとした。いきなり「斬れ」という展開にはならないようだ。
だが國松も正雪も互いに認めあいつつも、警戒していることに七郎は気づかなかった。
いや、気づきたくなかった。
國松と正雪が衝突するなど、あってはならぬことだ。
七郎は江戸城内の道場にこもり、愛刀の三池典太で素振りを繰り返す。
心の恐れと迷いを――
無明を断つためだ。
やがて心が整理できた七郎は、ぼんやりと考えた。
(おかしいなあ)
正雪の側には半兵衛という者がいて、彼の身の回りを世話している。
(張孔堂は女人禁制じゃなかったか)
子どもは例外として、張孔堂は女人禁制だという。だが、七郎は半兵衛が男装した少女だということに気づいていた。
(まあいいか、俺にはわからんさ……)
七郎は隻眼を閉じ、苦笑する。
半兵衛が男装して正雪と一緒に住んでいる理由は何か。
天より高く、海より深い女心だ。
その女心を、七郎が知る由もない。
そして、そんなことよりも七郎を悩ませるのは江戸のことだ。
今の江戸は混沌に満ちている。
武士と町民、大名に浪人。
江戸には将軍家光がいるというのに、城下町には参勤交代でやってきた全国各地の大名が住んでいる。
当然、大名たちは面白くない。城下では大名たちが問題を起こしてばかりいる。
大名の間に格差があることも大きな原因だろう。格上の大名は格下の大名を嘲笑い、格下の大名は江戸旗本を虐げる。
旗本は町民へ八つ当たりし、町民は腹を空かせた浪人に石を投げつける……
ここは如何なる苦界なのかと七郎は考える。生きながら地獄へ落ちたのかと疑いたくなる。
地獄とは餓鬼・畜生・修羅の住まう人界のことだと、七郎は沢庵禅師から教えを受けていた。
戦乱の世を生きてきた沢庵禅師は、槍を手にして戦場に臨んだこともあったという。
(地獄とは、この世のこと……)
七郎の意識は底へ深く沈みこんだ。
道場の外はすでに夜だ。彼は一人、暗い道場の中にいる。
三池典太もすでに鞘に納めていた。左手に三池典太を鞘ごと握り、七郎は立禅をしているのだ。
兵法の錬磨を通じて七郎の意識は迷いを遠く離|れ、天地宇宙と調和する……
――ふわ
その時、七郎は道場内の空気が僅かに揺れるのを察知した。
隻眼を見開き、道場内を見回す。格子窓から差しこむ、淡く微かな月光が道場内を照らし出している。
その光の中に七郎は麗しい人影を見た。
長く白い髪に白い肌、白装束に似た衣服。
更に両の瞳は深紅の輝きを放っている。
道場内には、いつの間にか儚げな女が姿を現していたのだ。
その女は七郎を見つめて妖艶に微笑んでいる。
「――出たな魔性!」
叫んで七郎は三池典太を抜いた。精神的な動揺は数秒だが、それは命取りになりかねなかった。
未熟!と七郎は自責するが、次の行動は早かった。
女に向かって踏みこみ、三池典太を打ちこんだ。
切っ先が空を斬り、道場の床をも裂く。
見る者を身震いさせる無心の一手だ。
「これは……」
七郎は視線を移した。女はいつの間にか道場の入口付近に立っていた。
正雪が茶屋の入口に目を向けた。
七郎もつられて振り返れば、店先の床几に國松が腰かけている。
「大旦那、いらっしゃい」
「団子も頼む」
おまつと國松のやり取りを正雪は眺めている。
すぐに國松も正雪に気づいた。が、一瞥するや否や床几に腰かけ背を向けた。
「あれは誰だ七郎、知っているか」
「あ、あれは染物屋の風磨の大旦那、國松様だ」
七郎は冷汗をかいていた。國松がこの茶屋を訪れることは知っていたが、まさか鉢合わせするとは。
「なるほど、そうか…… やはりというか、あの方の視線を浴びた時、震えたぞ」
正雪の方でも國松の名は知っていたようだ。だが國松が七郎の上役であり、ましてや張孔堂を探れと命じたとは思うまい。
後日、國松の方でも七郎に尋ねてきた。
「茶屋で七郎といたのは何者だ」
「彼の者が張孔堂の由井正雪であります」
七郎は無表情で答えた。今の彼は感情も理性も、そして個すらも消していた。
あるのは、江戸を守るという使命だけだ。
「そうか、やはりな。噂通りの名士だ」
と國松は正雪に感心している様子だった。七郎は内心ホッとした。いきなり「斬れ」という展開にはならないようだ。
だが國松も正雪も互いに認めあいつつも、警戒していることに七郎は気づかなかった。
いや、気づきたくなかった。
國松と正雪が衝突するなど、あってはならぬことだ。
七郎は江戸城内の道場にこもり、愛刀の三池典太で素振りを繰り返す。
心の恐れと迷いを――
無明を断つためだ。
やがて心が整理できた七郎は、ぼんやりと考えた。
(おかしいなあ)
正雪の側には半兵衛という者がいて、彼の身の回りを世話している。
(張孔堂は女人禁制じゃなかったか)
子どもは例外として、張孔堂は女人禁制だという。だが、七郎は半兵衛が男装した少女だということに気づいていた。
(まあいいか、俺にはわからんさ……)
七郎は隻眼を閉じ、苦笑する。
半兵衛が男装して正雪と一緒に住んでいる理由は何か。
天より高く、海より深い女心だ。
その女心を、七郎が知る由もない。
そして、そんなことよりも七郎を悩ませるのは江戸のことだ。
今の江戸は混沌に満ちている。
武士と町民、大名に浪人。
江戸には将軍家光がいるというのに、城下町には参勤交代でやってきた全国各地の大名が住んでいる。
当然、大名たちは面白くない。城下では大名たちが問題を起こしてばかりいる。
大名の間に格差があることも大きな原因だろう。格上の大名は格下の大名を嘲笑い、格下の大名は江戸旗本を虐げる。
旗本は町民へ八つ当たりし、町民は腹を空かせた浪人に石を投げつける……
ここは如何なる苦界なのかと七郎は考える。生きながら地獄へ落ちたのかと疑いたくなる。
地獄とは餓鬼・畜生・修羅の住まう人界のことだと、七郎は沢庵禅師から教えを受けていた。
戦乱の世を生きてきた沢庵禅師は、槍を手にして戦場に臨んだこともあったという。
(地獄とは、この世のこと……)
七郎の意識は底へ深く沈みこんだ。
道場の外はすでに夜だ。彼は一人、暗い道場の中にいる。
三池典太もすでに鞘に納めていた。左手に三池典太を鞘ごと握り、七郎は立禅をしているのだ。
兵法の錬磨を通じて七郎の意識は迷いを遠く離|れ、天地宇宙と調和する……
――ふわ
その時、七郎は道場内の空気が僅かに揺れるのを察知した。
隻眼を見開き、道場内を見回す。格子窓から差しこむ、淡く微かな月光が道場内を照らし出している。
その光の中に七郎は麗しい人影を見た。
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更に両の瞳は深紅の輝きを放っている。
道場内には、いつの間にか儚げな女が姿を現していたのだ。
その女は七郎を見つめて妖艶に微笑んでいる。
「――出たな魔性!」
叫んで七郎は三池典太を抜いた。精神的な動揺は数秒だが、それは命取りになりかねなかった。
未熟!と七郎は自責するが、次の行動は早かった。
女に向かって踏みこみ、三池典太を打ちこんだ。
切っ先が空を斬り、道場の床をも裂く。
見る者を身震いさせる無心の一手だ。
「これは……」
七郎は視線を移した。女はいつの間にか道場の入口付近に立っていた。
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