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王族の姫
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王宮の正面に伸びる大きな道にはすでに人が溢れかえっていた。
この向こうに大きな広場があり、そこで新しい王と親族たちのお披露目があるはずだった。ハルカは地理を熟知しているらしく、大通りを外して草の中をかき分けていった。護衛の見張りの目を上手に盗んで二人は進んでいく。シュウトは墓の警備でわりと慣れていたが、ハルカもかなりの動きだった。遊んでばかりというテルスの言葉が蘇った。彼はこうして、時間を見つけてはここに通っているのだろうか。
広場の中央を護衛が一列になって囲み、その周りに市民が群がっていた。正面にそびえる王宮の右脇の大きな木に、二人はこそこそと登っていた。混雑とは無縁の、涼しい風が感じられる場所だった。よく目を凝らせば、他の木にも何人か人らしき姿が見られた。いつも登っている高台の眺めとは比べ物にならないが、居心地は悪くなかった。押し合いへし合いしている人々を、不思議な表情で眺めた。
「皆そんなに新しい王が見たいのか?」
「まあ、顔を見られたら一年ほどは自慢できるだろうな。俺は男には興味ない。王なんて、あっという間に代わるしな」
いくつもの太鼓の音が鳴り出した。それぞれは好きなように叩いているようだったが、徐々に重なり合って大きな振動を生み出していく。シュウトにはどこか胸騒ぎのする音だった。熱気に包まれた広場を、さらに乱していく。広場の奥の王宮の門から神輿が現れ、その上には次期王の姿があった。中央で止まると、神官の長が現れて冠をかぶせた。太陽の光をちかちかと反射させ、彼の地位を言葉にせずとも表していた。この国の頂点に立つ人間。シュウトが思っていた何倍も、まだ幼く子供のように見えた。手足は折れそうに細く、この砂の大地に負けてしまうほど肌が青白かった。ぼんやりとした表情で、決められた台詞を述べていく。背後には険しい顔をしている男がいて、王が言葉につまる度に、そっと口添えをしていた。彼はただの操り人形にしか見えなかった。
奥から列を作って人々が広場に並んでいった。格好からして王族たちだろう。年寄りから子供まで幅広かったが、皆きらびやかな衣装をまとって、きりっとした顔をしていた。市民とはどこか違う、気高さ、美しさが、シュウトにも理解できる気がした。
「あの子だ!」
ハルカが嬉しそうに、身を乗り出して声を上げた。シュウトはハルカの視線の先を追ったが、王族の娘たちは二十人ほどおり、誰か判別がつかなかった。
「二列目の右端から三番目の子だよ。長い黒髪のウェーブがかった子」
視力は非常に優れているシュウトだった。場所を教えられたら、誰を指していたのかすぐわかった。確かに、納得がいった。この国で一番の美女。多少好みはあったとしても、王族の中では飛び抜けて綺麗だった。透き通った白い肌に、ふわふわと黒髪がかかる。切れ長な青い瞳と高い鼻、薄い唇。可愛らしいというよりは、冷たい水のように澄んだ端麗さがあった。
「なるほど」シュウトは小さくこぼした。隣でハルカはにんまりとするのだった。
王が最後の挨拶をすると、王族一同頭を下げた。それと同時に、地が唸るほどの歓声と拍手が沸き起こった。颯爽と王の神輿はその場をあとにし、王族たちもそれに続いた。彼らの姿が全く見えなくなっても、拍手は続いた。人々はまだそこに王が見えているかのように、じっと動かなかった。ハルカもただまっすぐ、美女の居た場所をぼんやりと眺めていた。シュウトにも見て取れるくらい、切なく悲しげだった。見ることしかできないもどかしさがあるのだろう。明るく楽天的な彼でも、こんな表情をすることがあると知った。シュウトからかけられる言葉など何もなかった。
「今日はほんの顔見せだ。メインは明日の夕刻。王族みんなのパレードがある。もっと近くで見られるよ」
「そうなのか」
人が少なくなり警備が散らばっていくのを確認してから、二人はゆっくりと木から下りた。ハルカの目は懐かしそうで、どこか遠くを見ていた。聞かれる前に自ら話し始める。
「もう十年も前からだよ。彼女が初めて王族の一員として人前に立って以来、俺はずっと彼女のファンだ。絶対、誰よりも長いあいだ片思いしてるね、俺は」
「王族と話す機会はあるのか?」
ハルカはがっくり肩を落として、転がっていた石ころを蹴った。
「ないよ。王族は俺なんかじゃ手に届かない、遠いところにいる。実際のところ、名前すら知らないし、あの子も俺なんかただの庶民の一人だろうよ」
太陽が地平線に近づこうとしていた。都一帯はオレンジ色に染まって、燃えているようだった。広場をあとにして、目的もなくぶらりと並んで歩いていた。「しかも去年結婚しちまった」
ぼそっと喋ったハルカだったが、シュウトの心に一番ずっしりときた。結婚することがどういうことなのか、知らないわけではなかった。できれば応援したいところだが、望みのない恋を叶える力は持ち合わせていなかった。
「おいおい、お前まで落ち込んでどうすんだよ。余計へこむだろ」
ハルカは笑って思いきりシュウトの肩を叩いた。
「俺の諦めの悪さは世界一だからな。安心しろ。それより、このこと話すのシュウトが初めてなんだ。内緒にしとけよ。さすがに親父の耳に入れば勘当される」
あっけにとられて何度も頷いた。可能性はゼロに等しい。ハルカが落ち着かないのは、王族の姫にずっと片思いしているからなのか。名前を知らない女性をずっと追い続けられる精神は、さすがハルカならではのものかもしれなかった。
「俺にできることは?」
「いや、気持ちだけで十分だよ。まさかシュウトの知り合いじゃないだろう?」
「残念ながら、全く知らない」
「だろうな」
ハルカはにんまりとした。あっという間にいつもの調子に戻った様子で、シュウトはほっとした。落ち込んでいる彼は見たくなかった。
辺りはみるみるうちに暗くなっていった。そこかしこで火を焚き始めて、人々はそれを囲んで踊っていた。人々は全く疲れる様子を見せず、それどころか夜の不思議な空気で可笑しくなっていた。意味もなく人々は笑い転げて、肩を組んではしゃいでいた。日頃強いられている労働から抜け出せた幸福感でいっぱいなのだろう。その気持ちはシュウトには到底理解できない。酒を片手に騒いでいる人々を、物珍しそうに眺めた。
二人は広場で空いている場所を見つけて腰を下ろした。ハルカは隣でうずうずしていて、シュウトに一声かけるなり、踊りの輪の中へ飛び込んでいった。見ず知らずの男たちに話しかけ、楽しそうに笑い合っている。彼の行動には慣れてきているため、驚きはせず面白そうに見守った。シュウトの正反対にいる人間。もし見失って離れてしまったら二度と会うことがないのではないかという不安から、ハルカから顔を背けることができなかった。結局、置いていかれるのが怖かった。そんな感情を抱いてしまう自分自身にも嫌気がさすばかりだった。それでも月はどんどん傾いていく。昼間飲んだ酒のせいもあり、気が付けばシュウトは深い眠りに落ちていた。太鼓の音と叫ぶような歌声たちが、どこか遠くで鳴っていた。
急に現実の世界へ落とされた気がして、はっとなって起き上がった。太陽は真上からシュウトを照らし、熱を与えていた。知らない世界に迷い込んだような不思議な気分だった。大勢の人々は行き交いながら言葉を交わし、聞き取れないごちゃごちゃした音を生み出していく。しばらくぽかんとしていたが、何故ここにいるか記憶が戻ってくると、辺りをきょろきょろし始めた。不覚にも、かなり眠り込んでしまったようだった。普段ならいつ襲われてもいいように気を張って寝ている。しかし、今日はあまりにも無防備すぎて、酒の力を恐ろしく感じた。何人かは疲れて眠っている人もいたが、年寄りがほとんどだった。ハルカの姿も見当たらず、ますます不安になるばかりだった。この人ごみの中で人を探し出す自信はなかった。かと言って勝手に帰ってしまうわけにもいかない。途方に暮れていると、馴染みの声がかかった。
「起きたか、シュウト」
元気そうなハルカが、パンを片手に歩み寄ってきた。隣に腰を下ろすと、パンを半分ちぎってシュウトに差し出した。「ありがとう」とかすれた声で礼を言ってから受け取る。
「よく寝てたな。酒は飲まない主義だったか?」
「初めて飲んだかもしれない」
「そうだったのか、気をつけるよ」
反省しているというよりは、むしろ面白そうだった。
「お前が完璧な人間じゃなくてよかったよ」
シュウトもふっと笑った。少しほっとしてパンをかじる。
「ずっと起きてたのか?」
「俺ももう若くないからな。ちゃんと寝たさ。シュウトほどじゃないけど」
ハルカは軽くパンをたいらげると、すっくと立ち上がった。
「本番は夕刻からだ。しっかり寝といて正解だぜ」
「今日は何があるんだ?」
「王族たちのパレードがある。俺は場所取りしなきゃならないから先に行くけど、お前はどうする?」
「行くよ、他にすることもないし」
「じゃあ行こう」
ハルカは嬉しそうだった。やはり一人より相棒がいる方がいいのだろう。
二人は王宮に背を向けて歩き出した。人々は逆に、徐々に王宮の方へ流れているようだった。
「どこで見るんだ?」
「一番いいのは、神殿の近くだ。あの辺りは王宮から遠いから人が少ない。パレードで王族たちは、神殿へ参ってから王宮へと引き返していくんだ」
「へえ」と感心して頷いた。ここまで調べあげるのは、西に暮らしているだけでは相当難しいはずだ。彼の友好的な性格のおかげで、情報をかき集められるのだろう。そして、神殿という言葉がどことなく耳にとまった。現実離れしている記憶であり、忘れかけてはいるのだが、消し去ることはできないのだ。
青い光が落ちてきたあの夜。激しい痛み。“西の王墓の魔物”と突き刺さった言葉は、深い胸の内に眠っていた。 何を言われようと気にはしないが、ハルカが隣にいるとなると別だった。酷い言葉をハルカは決して聞き流さないだろう。
「もし何かあったら、俺が一発ぶん殴ってやるよ」
冗談めかして言っていたが、瞳は真剣だった。彼には何でも見透かされているようだった。そして彼自身も、あの夜の日のことを忘れていないのだ。シュウトにはそれだけで十分だった。礼を言うかわりに微笑んで頷いた。ハルカが好戦的そうなのは、ここまで付き合ってこればだいたい予想がついた。ただ、頭は良いため、分の悪い賭けはしないはずだった。シュウトは基本的には、悪人にしか手を出さない。護衛に絡まれても、馬鹿らしいと相手にしないだけだ。人と出会う機会はそれくらいしかなく、喧嘩の一つもしたことはなかった。それほどの感情の起伏を持ち合わせていなかった。
王宮から伸びる道では、護衛が両脇を固め、準備を整えていた。見物客が押し合い道へはみ出そうとするのを、懸命に抑えていた。シュウトたちは神殿の入り口付近の場所を押さえた。やはりここも人気が全くないわけではなく、徐々に集まり始めていた。護衛たちも最初はただ立っているだけだったが、人々が押し合うほど集まってくると、紐で規制し始めた。二人は最前列を確保していたため、どれだけ人が来ようとも余裕の表情で眺めていた。「王宮の方はもっとひどいぜ、きっと」ハルカがこぼす。神殿から王宮へ伸びる道の左右には、蟻が群がるように人の頭が溢れていた。
辺りが赤く染まり始めていた。人々は徐々に興奮し始めていたが、隣にいるハルカはどんどん口数が少なくなっていた。顔を見れば様子が違うのがすぐにわかった。彼ばかりは、ただの祭りではなかった。所々に松明の明りが灯り、人々は手に小さな蝋燭の火を灯した。道は明るく幻想的だった。遠くから王族たちがゆっくりと近づいてくる。大体は歩いて進んでいるが、王や、位の高い者は神輿に乗せられていて、上から手を振っていた。ハルカは言うまでもなく、シュウトも同じように例の女性を待った。歓声が飛び交うのをよそに、二人は静かに王宮の方を眺めた。先に歩いてきた王族たちは神殿へ入っていくと、少しして戻ってきて、別の道へ折り返していった。王族の女性たちは、どちらかといえばメインに近いのだろう。最初の方は男性ばかりだった。それでも人々は、通っていく王族一人一人に手を振り、顔を向けられると嬉しそうに黄色い声を上げた。
「来た」
何人かの女性が過ぎていったあと、遠くからやって来るのをハルカは見逃さなかった。艶やかなうねる黒髪と、彼女が生み出す身体の曲線は、他の者には真似できない、唯一の形を作り上げていた。透き通った青色の衣に装飾が炎を浴びて、きらりと光を放っていた。歩き方も表情も、間違いなく誰よりも王族にふさわしかった。「綺麗だ」ハルカが思わずこぼしてしまうのも、無理はないと思った。彼女はゆっくりと、堂々と道を進む。前後の女性になど目もくれず、二人は彼女ただ一人を見つめた。
彼女がちょうどハルカたちの目の前、神殿の中にさしかかろうとした時だった。
歓声に似つかわしくない、男の太い叫び声がどこからか上がった。
人々がはっとするのと同時に、剣を手にした男たちが人ごみの中と神殿の中から突如として現れた。数はざっと二十人ほど。目以外の顔と全身を黒い布で覆った怪しい者たちだった。彼らの半分はすぐに護衛と剣を交わしていた。人々は金切り声を上げて逃げまどい、なだれのように左右へ散っていく。
護衛を躱した半分ほどの男たちは、俊敏な動きで一人の女性を囲った。
この向こうに大きな広場があり、そこで新しい王と親族たちのお披露目があるはずだった。ハルカは地理を熟知しているらしく、大通りを外して草の中をかき分けていった。護衛の見張りの目を上手に盗んで二人は進んでいく。シュウトは墓の警備でわりと慣れていたが、ハルカもかなりの動きだった。遊んでばかりというテルスの言葉が蘇った。彼はこうして、時間を見つけてはここに通っているのだろうか。
広場の中央を護衛が一列になって囲み、その周りに市民が群がっていた。正面にそびえる王宮の右脇の大きな木に、二人はこそこそと登っていた。混雑とは無縁の、涼しい風が感じられる場所だった。よく目を凝らせば、他の木にも何人か人らしき姿が見られた。いつも登っている高台の眺めとは比べ物にならないが、居心地は悪くなかった。押し合いへし合いしている人々を、不思議な表情で眺めた。
「皆そんなに新しい王が見たいのか?」
「まあ、顔を見られたら一年ほどは自慢できるだろうな。俺は男には興味ない。王なんて、あっという間に代わるしな」
いくつもの太鼓の音が鳴り出した。それぞれは好きなように叩いているようだったが、徐々に重なり合って大きな振動を生み出していく。シュウトにはどこか胸騒ぎのする音だった。熱気に包まれた広場を、さらに乱していく。広場の奥の王宮の門から神輿が現れ、その上には次期王の姿があった。中央で止まると、神官の長が現れて冠をかぶせた。太陽の光をちかちかと反射させ、彼の地位を言葉にせずとも表していた。この国の頂点に立つ人間。シュウトが思っていた何倍も、まだ幼く子供のように見えた。手足は折れそうに細く、この砂の大地に負けてしまうほど肌が青白かった。ぼんやりとした表情で、決められた台詞を述べていく。背後には険しい顔をしている男がいて、王が言葉につまる度に、そっと口添えをしていた。彼はただの操り人形にしか見えなかった。
奥から列を作って人々が広場に並んでいった。格好からして王族たちだろう。年寄りから子供まで幅広かったが、皆きらびやかな衣装をまとって、きりっとした顔をしていた。市民とはどこか違う、気高さ、美しさが、シュウトにも理解できる気がした。
「あの子だ!」
ハルカが嬉しそうに、身を乗り出して声を上げた。シュウトはハルカの視線の先を追ったが、王族の娘たちは二十人ほどおり、誰か判別がつかなかった。
「二列目の右端から三番目の子だよ。長い黒髪のウェーブがかった子」
視力は非常に優れているシュウトだった。場所を教えられたら、誰を指していたのかすぐわかった。確かに、納得がいった。この国で一番の美女。多少好みはあったとしても、王族の中では飛び抜けて綺麗だった。透き通った白い肌に、ふわふわと黒髪がかかる。切れ長な青い瞳と高い鼻、薄い唇。可愛らしいというよりは、冷たい水のように澄んだ端麗さがあった。
「なるほど」シュウトは小さくこぼした。隣でハルカはにんまりとするのだった。
王が最後の挨拶をすると、王族一同頭を下げた。それと同時に、地が唸るほどの歓声と拍手が沸き起こった。颯爽と王の神輿はその場をあとにし、王族たちもそれに続いた。彼らの姿が全く見えなくなっても、拍手は続いた。人々はまだそこに王が見えているかのように、じっと動かなかった。ハルカもただまっすぐ、美女の居た場所をぼんやりと眺めていた。シュウトにも見て取れるくらい、切なく悲しげだった。見ることしかできないもどかしさがあるのだろう。明るく楽天的な彼でも、こんな表情をすることがあると知った。シュウトからかけられる言葉など何もなかった。
「今日はほんの顔見せだ。メインは明日の夕刻。王族みんなのパレードがある。もっと近くで見られるよ」
「そうなのか」
人が少なくなり警備が散らばっていくのを確認してから、二人はゆっくりと木から下りた。ハルカの目は懐かしそうで、どこか遠くを見ていた。聞かれる前に自ら話し始める。
「もう十年も前からだよ。彼女が初めて王族の一員として人前に立って以来、俺はずっと彼女のファンだ。絶対、誰よりも長いあいだ片思いしてるね、俺は」
「王族と話す機会はあるのか?」
ハルカはがっくり肩を落として、転がっていた石ころを蹴った。
「ないよ。王族は俺なんかじゃ手に届かない、遠いところにいる。実際のところ、名前すら知らないし、あの子も俺なんかただの庶民の一人だろうよ」
太陽が地平線に近づこうとしていた。都一帯はオレンジ色に染まって、燃えているようだった。広場をあとにして、目的もなくぶらりと並んで歩いていた。「しかも去年結婚しちまった」
ぼそっと喋ったハルカだったが、シュウトの心に一番ずっしりときた。結婚することがどういうことなのか、知らないわけではなかった。できれば応援したいところだが、望みのない恋を叶える力は持ち合わせていなかった。
「おいおい、お前まで落ち込んでどうすんだよ。余計へこむだろ」
ハルカは笑って思いきりシュウトの肩を叩いた。
「俺の諦めの悪さは世界一だからな。安心しろ。それより、このこと話すのシュウトが初めてなんだ。内緒にしとけよ。さすがに親父の耳に入れば勘当される」
あっけにとられて何度も頷いた。可能性はゼロに等しい。ハルカが落ち着かないのは、王族の姫にずっと片思いしているからなのか。名前を知らない女性をずっと追い続けられる精神は、さすがハルカならではのものかもしれなかった。
「俺にできることは?」
「いや、気持ちだけで十分だよ。まさかシュウトの知り合いじゃないだろう?」
「残念ながら、全く知らない」
「だろうな」
ハルカはにんまりとした。あっという間にいつもの調子に戻った様子で、シュウトはほっとした。落ち込んでいる彼は見たくなかった。
辺りはみるみるうちに暗くなっていった。そこかしこで火を焚き始めて、人々はそれを囲んで踊っていた。人々は全く疲れる様子を見せず、それどころか夜の不思議な空気で可笑しくなっていた。意味もなく人々は笑い転げて、肩を組んではしゃいでいた。日頃強いられている労働から抜け出せた幸福感でいっぱいなのだろう。その気持ちはシュウトには到底理解できない。酒を片手に騒いでいる人々を、物珍しそうに眺めた。
二人は広場で空いている場所を見つけて腰を下ろした。ハルカは隣でうずうずしていて、シュウトに一声かけるなり、踊りの輪の中へ飛び込んでいった。見ず知らずの男たちに話しかけ、楽しそうに笑い合っている。彼の行動には慣れてきているため、驚きはせず面白そうに見守った。シュウトの正反対にいる人間。もし見失って離れてしまったら二度と会うことがないのではないかという不安から、ハルカから顔を背けることができなかった。結局、置いていかれるのが怖かった。そんな感情を抱いてしまう自分自身にも嫌気がさすばかりだった。それでも月はどんどん傾いていく。昼間飲んだ酒のせいもあり、気が付けばシュウトは深い眠りに落ちていた。太鼓の音と叫ぶような歌声たちが、どこか遠くで鳴っていた。
急に現実の世界へ落とされた気がして、はっとなって起き上がった。太陽は真上からシュウトを照らし、熱を与えていた。知らない世界に迷い込んだような不思議な気分だった。大勢の人々は行き交いながら言葉を交わし、聞き取れないごちゃごちゃした音を生み出していく。しばらくぽかんとしていたが、何故ここにいるか記憶が戻ってくると、辺りをきょろきょろし始めた。不覚にも、かなり眠り込んでしまったようだった。普段ならいつ襲われてもいいように気を張って寝ている。しかし、今日はあまりにも無防備すぎて、酒の力を恐ろしく感じた。何人かは疲れて眠っている人もいたが、年寄りがほとんどだった。ハルカの姿も見当たらず、ますます不安になるばかりだった。この人ごみの中で人を探し出す自信はなかった。かと言って勝手に帰ってしまうわけにもいかない。途方に暮れていると、馴染みの声がかかった。
「起きたか、シュウト」
元気そうなハルカが、パンを片手に歩み寄ってきた。隣に腰を下ろすと、パンを半分ちぎってシュウトに差し出した。「ありがとう」とかすれた声で礼を言ってから受け取る。
「よく寝てたな。酒は飲まない主義だったか?」
「初めて飲んだかもしれない」
「そうだったのか、気をつけるよ」
反省しているというよりは、むしろ面白そうだった。
「お前が完璧な人間じゃなくてよかったよ」
シュウトもふっと笑った。少しほっとしてパンをかじる。
「ずっと起きてたのか?」
「俺ももう若くないからな。ちゃんと寝たさ。シュウトほどじゃないけど」
ハルカは軽くパンをたいらげると、すっくと立ち上がった。
「本番は夕刻からだ。しっかり寝といて正解だぜ」
「今日は何があるんだ?」
「王族たちのパレードがある。俺は場所取りしなきゃならないから先に行くけど、お前はどうする?」
「行くよ、他にすることもないし」
「じゃあ行こう」
ハルカは嬉しそうだった。やはり一人より相棒がいる方がいいのだろう。
二人は王宮に背を向けて歩き出した。人々は逆に、徐々に王宮の方へ流れているようだった。
「どこで見るんだ?」
「一番いいのは、神殿の近くだ。あの辺りは王宮から遠いから人が少ない。パレードで王族たちは、神殿へ参ってから王宮へと引き返していくんだ」
「へえ」と感心して頷いた。ここまで調べあげるのは、西に暮らしているだけでは相当難しいはずだ。彼の友好的な性格のおかげで、情報をかき集められるのだろう。そして、神殿という言葉がどことなく耳にとまった。現実離れしている記憶であり、忘れかけてはいるのだが、消し去ることはできないのだ。
青い光が落ちてきたあの夜。激しい痛み。“西の王墓の魔物”と突き刺さった言葉は、深い胸の内に眠っていた。 何を言われようと気にはしないが、ハルカが隣にいるとなると別だった。酷い言葉をハルカは決して聞き流さないだろう。
「もし何かあったら、俺が一発ぶん殴ってやるよ」
冗談めかして言っていたが、瞳は真剣だった。彼には何でも見透かされているようだった。そして彼自身も、あの夜の日のことを忘れていないのだ。シュウトにはそれだけで十分だった。礼を言うかわりに微笑んで頷いた。ハルカが好戦的そうなのは、ここまで付き合ってこればだいたい予想がついた。ただ、頭は良いため、分の悪い賭けはしないはずだった。シュウトは基本的には、悪人にしか手を出さない。護衛に絡まれても、馬鹿らしいと相手にしないだけだ。人と出会う機会はそれくらいしかなく、喧嘩の一つもしたことはなかった。それほどの感情の起伏を持ち合わせていなかった。
王宮から伸びる道では、護衛が両脇を固め、準備を整えていた。見物客が押し合い道へはみ出そうとするのを、懸命に抑えていた。シュウトたちは神殿の入り口付近の場所を押さえた。やはりここも人気が全くないわけではなく、徐々に集まり始めていた。護衛たちも最初はただ立っているだけだったが、人々が押し合うほど集まってくると、紐で規制し始めた。二人は最前列を確保していたため、どれだけ人が来ようとも余裕の表情で眺めていた。「王宮の方はもっとひどいぜ、きっと」ハルカがこぼす。神殿から王宮へ伸びる道の左右には、蟻が群がるように人の頭が溢れていた。
辺りが赤く染まり始めていた。人々は徐々に興奮し始めていたが、隣にいるハルカはどんどん口数が少なくなっていた。顔を見れば様子が違うのがすぐにわかった。彼ばかりは、ただの祭りではなかった。所々に松明の明りが灯り、人々は手に小さな蝋燭の火を灯した。道は明るく幻想的だった。遠くから王族たちがゆっくりと近づいてくる。大体は歩いて進んでいるが、王や、位の高い者は神輿に乗せられていて、上から手を振っていた。ハルカは言うまでもなく、シュウトも同じように例の女性を待った。歓声が飛び交うのをよそに、二人は静かに王宮の方を眺めた。先に歩いてきた王族たちは神殿へ入っていくと、少しして戻ってきて、別の道へ折り返していった。王族の女性たちは、どちらかといえばメインに近いのだろう。最初の方は男性ばかりだった。それでも人々は、通っていく王族一人一人に手を振り、顔を向けられると嬉しそうに黄色い声を上げた。
「来た」
何人かの女性が過ぎていったあと、遠くからやって来るのをハルカは見逃さなかった。艶やかなうねる黒髪と、彼女が生み出す身体の曲線は、他の者には真似できない、唯一の形を作り上げていた。透き通った青色の衣に装飾が炎を浴びて、きらりと光を放っていた。歩き方も表情も、間違いなく誰よりも王族にふさわしかった。「綺麗だ」ハルカが思わずこぼしてしまうのも、無理はないと思った。彼女はゆっくりと、堂々と道を進む。前後の女性になど目もくれず、二人は彼女ただ一人を見つめた。
彼女がちょうどハルカたちの目の前、神殿の中にさしかかろうとした時だった。
歓声に似つかわしくない、男の太い叫び声がどこからか上がった。
人々がはっとするのと同時に、剣を手にした男たちが人ごみの中と神殿の中から突如として現れた。数はざっと二十人ほど。目以外の顔と全身を黒い布で覆った怪しい者たちだった。彼らの半分はすぐに護衛と剣を交わしていた。人々は金切り声を上げて逃げまどい、なだれのように左右へ散っていく。
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