太陽の猫と戦いの神

中安子

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祭りの日

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「おはよう」
 陽気な声が飛び込んできた。ぼんやりとした視界が徐々に定まり、澄んだ青空と、にかっと笑うハルカがそこにいた。シュウトは起き上がって辺りを見回した。どうやらあれから高台でそのまま寝てしまったようだ。右手には笛を持っていた。昨日の出来事が思い出された。
「大丈夫か?」
 ハルカはしゃがんで様子を窺う。シュウトは我に返ってこくりと頷く。
「ああ。そうか、今日は祭の日だったな」
「舟はもう用意してるんだ。一緒に行かないか?」
 高揚感が溢れていた。感情に素直な彼らしかった。しばらく口を結んでハルカを眺める。
「行くよ」
「本当か。やっぱ一人じゃつまらないからな」
 ハルカは心底嬉しそうだった。シュウトはつられて下手な笑顔を浮かべた。
「ちなみに、川を渡ってすぐ、見張りに検査される。剣は返してもらえないだろうから、置いていく方が利口だぜ」
「そうか」
 思い返せば、この墓に来てから剣を手離したことがなかった。たいして深い意味はなかった。盗賊退治を始めた時は何も持っていなかったが、やはり剣で戦った方が効率が良かったからだ。この剣は、当初盗賊が携えていたものだった。剣を抜けば刃はぼろぼろで、鞘だけはこの三百年で傷んできては作りかえていた。人の命を奪う切っ先は必要なかった。
 シュウトはいつもの寝床の辺りに、剣を隠した。身が軽くなって、逆に気分が良かった。
「それともう一つ」
 後ろをついてきていたハルカが、声をかけた。
「その格好じゃどうしたって怪しまれる」
 シュウトはハルカを見てから、自分自身を眺めた。洗っても洗っても汚れがしみついている、体中の布、ズボン、マント。衣服だけは盗賊たちの物を奪う気にはなれなかったのだ。ハルカはいつも綺麗な白い布を腰に巻いていた。
「どうしたらいいんだ?」
「舟に積んである。川を渡るあいだに着替えるといい」
 川へ向かう道は賑わっていた。意気揚々と、男たちは舟をかつぎ、女たちは花を飾ってそれに続いた。先日の葬儀の雰囲気とは比べ物にならなかった。太陽がぎらりと照らし、人々の心を燃やしていた。
 見慣れた顔があった。テルスと、ハルカの妹弟たちだった。全部で十人くらいだった。子供たちと何人かの大人は先に進んでいたようで、水面の上から元気に手を振っていた。
「さあ、俺らも行こうぜ」
 待ちきれない様子でハルカが急き立てた。
 順番に舟に飛び乗ると、勢いで向こう岸へと進んでいた。若い男たちは榧を手に左右に別れて元気に漕ぎ始めた。水面を滑る音が心地良かった。ただ、耳を澄ます前に子供のはしゃぎ声が飛んでくるため、滅多に耳にしない音が台無しではあった。ハルカはすぐにシュウトに服を手渡した。服というよりは大きな一枚の白い布だった。今の薄汚れたマントを外し、ふわりと肩からかぶった。すっぽりと布に包まれ、丈はひざ下くらいでちょうど良かった。さらさらと肌触りがよい。自分には程遠いくらい綺麗な白さだった。
「…いいのか?」
「婆さんに頼んで作ってもらったんだよ。シュウトにやるよ」
 ハルカは少し照れながら笑っていた。
 舟は少し流されながらも東の岸へ到着した。たくさんの舟が岸に上げられていた。降りるなり、川を護衛する兵隊たちが集まってきて、危険物がないか確認をした。シュウトは内心どきりとしながらも、彼らに身を委ねた。だいぶ歳を重ねた男が鋭く光る目でシュウトを見た。「失礼」と言って身体を触る。彼らには、ハルカたちの一員として見られているようだ。
 兵隊の一人が舟を置く場所を指示して、ハルカたちは言われた通りに運んでロープで固定させた。道は探さずとも、人々の流れがすでに教えてくれていた。祭りが行われている都へ行くには、ここから少し歩かなければならなかった。先に渡っていた子供たちと合流して、実に賑やかに進むこととなった。ハルカは予想通り大人気で、右へ左へ子供に引っ張られ大変そうだった。シュウトは一番後ろを、静かに歩いていた。どうしてここにいるんだろうと疑問が浮かんできては、首を振ってかき消していた。自分で選んだ道のはずだった。後悔してはいけないと、自分自身に言い聞かせた。人と関わることで何か得することがあるのか。一人きりで暮らしてきたために、これほど長生きしてしまったのか。答えは誰にもわからないだろう。
「このまま流れに乗れば、王宮に続く大通りに通じるんだ。だけど、すごい混雑だから俺たちは抜けて、別の道を行こう」
 いつの間にかハルカが横にいて、何事もなかったかのように喋っていた。シュウトは我に返って身体をびくっとさせた。いつも神経を研ぎ澄まして生きていたはずなのに、ハルカが居るとどうも狂ってしまう。もし敵なら、一太刀浴びていたことだろう。そんな自分に身震いしたのだった。大きく息を吐く。
「目的地は?」
「自由だよ。だけど、とりあえず腹減ったから、なんか食いに行こうぜ」
 広場では、太鼓や笛を演奏しながら歩く者たち、輪になって踊る者たち、それを見物する者たちで溢れていた。大通りでは両端で料理人が食べ物を振舞っていた。彼らが客を招く活気ある声と、楽しそうにはしゃぐ若者たちの声が飛び交っていた。シュウトはそれらとはできるだけ離れた、広場の隅で座り込んでいた。笛吹きを見ていると真似したくなるのだが、彼らのように陽気な音楽を奏でる術を持っていなかった。器用に指がばらばらに動いていたのだ。すぐに見て同じようにできるものではなかった。通り過ぎていく人々はほとんど職人たちと何ら変わらない出で立ちだった。たまに貴族と思われるきらびやかな装飾をつけた人や、かなりみすぼらしい格好の老人もいた。貧富の差はどうあれ、昼日中から酒を片手にご機嫌に過ごしているようだった。神官や職人ばかり見かけるシュウトにとっては、物珍しく新鮮なものだった。ただ、特別興味があるわけではなく、彼らをぼんやり眺めるだけだった。等しく生まれてきたはずなのに、彼らと同じ人間であると、どうしても感じることができなかった。
「待たせたな」
 ハルカが駆けて戻ってきた。手にはぶどう酒と焼いた肉、野菜を煮込んだスープ、とうもろこしと、持てるだけのものを持ってきていた。彼の行動の速さと、たいていのことをセンス良くこなしてしまうところは、見上げるものがあった。長く生きていても、彼より先輩だとは思えなかった。はるかに場数を踏んでいる。
 ハルカはシュウトの隣に座りながら、大きな葉っぱにくるんであった食べ物を地面に広げた。
「食べようぜ」
 ハルカが手を伸ばして食べ始める様を、ただ何気なく目で追っていた。食べ物はどれも二つずつ並べられていた。恐らくはシュウトのために用意してくれたのだろう。自分以外のために何かをする。一切の見返りもないのに。シュウトには全く理解できなかった。善人というものを、信じたことがなかった。必ず裏の顔、企みがある。今まで出会ってきたのはそういう人間ばかりだった。拾ってくれた王を除いては。
「どうした?美味いぞ」
 シュウトの様子を不思議に思ってハルカは首をかしげた。
「食べていいのか?」
「当たり前だろ。一人で食べてもつまらん」
 シュウトは小さく頷いて、近くにあったスープに手を伸ばした。あまり食欲というものを感じない体質だったが、なぜか手が次から次へと食べ物を口に運んでいた。ハルカのペースに乗ってしまっているのと、料理が思っていた以上に美味しかったからだろう。
「都の飯は美味いだろ。俺たちの暮らしとは格が違うぜ」
 二人で顔を見合わせると、自然と笑みがこぼれた。馬鹿らしいと思いつつも、祭りの陽気な雰囲気はシュウトの心を少なからずはやし立てていた。楽しそうにしているハルカにつられてしまっている。
 ぺろりと食事をたいらげると、腹ごなしに散歩をすることにした。ハルカは気を利かせて、混んでいる大通りを避けて道を選んだ。大きな家々が並び、前方には巨大な王宮がそびえていた。昔住んでいた風景とはがらっと変わっていた。懐かしさが蘇ることはない。シュウトは珍しいものを見るような目で巨大な土の壁を眺めた。ハルカもあまり見る機会がないらしく、二人して首を王宮の方へ向けていた。
「この地で最上の暮らしがあそこにはある。羨ましいよなあ、まったく」
「貴族になりたいのか?」
「誰でもなりたいだろう。何をしなくても美味い飯が出てきて、煙草をふかして酒を飲んで。身の回りの雑用は全部使用人がしてくれる」
「なるほど」
 シュウトには想像するのも難しかった。人々の上に立つ優越感。真似できないほどきれいな絹をまとって、市民の目を釘付けにする女性たち。それがこの世に生きる上での真の目的なのか。
「ハルカは贅沢をするのが夢なのか?」
「そうだな、一つの手段ではあるかもな。俺の夢は、昔から決まってる。この国で一番の美女と結婚することだ」
 純粋に、心から述べている様子だった。シュウトはぽかんとしてしまった。理想で語ることはあっても、ここまで本気で言える人を見たことがなかった。付き合いの少ないシュウトでも、珍しいだろうと予想がついた。ハルカが職人の村で大人しくしていないのは、この夢みたいな願いを強く抱いているからなのか。この地のはみ出し者に声をかけるくらいの、変わり者ではあるのかもしれない。
「ハルカの目にかなう女はいるのか?」
 一番聞いて欲しかった質問のようだった。ハルカは嬉しそうににんまりとした。
「さすが俺の相棒だな。実はいるよ。王宮にね」
「この祭りに?」
「ああ、多分ね。今日は新しい王の就任式と、明日は王族たちのパレードがあるよ。だいぶ混雑すると思うから、待っててもいいぜ」
 へえ、とシュウトは頷いた。自分の中で情報をゆっくり処理してから「どんなものか興味があるから行くよ」とさらっと言った。
「じゃあ決まりだな」
 ハルカは愉快そうにシュウトの肩を叩いて笑い、王宮の方へと進路を変えた。
「お前はいないのか?気になる子」
 シュウトは口をつぐんで考え込んでしまった。今まで人と関わらずに生きてきたシュウトにとって、男も女もどちらも同じことだった。一瞬、白猫の姿が頭をよぎったが、首を振ってすぐにかき消した。あの生き物もまた、性別を超越している存在のはずだった。
「いないな。当に興味も無くなっている」
「王宮には美人がいっぱいいるぜ。俺が結婚した暁には紹介してやる」
 前向きすぎる発言に、思わず笑ってしまった。ハルカと居ると、悩む時間も作らせてくれない。そこが居心地のいい理由の一つなのだろう。
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