太陽の猫と戦いの神

中安子

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別れ

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 気がつけば墓は静まり返り、太陽はぎらぎらと大地を照らしていた。
 暑さから逃れるため、高台をおりていつもの寝床へ向かった。無数の足跡は、風に吹かれてかき消えそうになっていた。人がいる気配は全く感じられない。一夜の心身の疲れを癒しに帰っていったのだろう。
 シュウトは大きく深呼吸をした。空気がまだ荒れていた。人々の持つ様々な気持ちが吐息となり、一帯を満たすのだ。シュウトは眠る気にもなれず、歩くことにした。珍しく川の方へ足が向く。昨日の夕焼けに染まった美しい川が、頭から離れなかったのだ。川は嫌いではなかった。何か大きな意思を持っているように流れ続け、時に膨らみ地を潤す。不思議な存在であった。せせらぎは心地よく、心を洗ってくれるようだ。ただ、シュウトにとっては悪人の行く末を委ねる場所であり、用のない時以外は来なかった。水面から死人の顔が浮かんでくるような気がするのだ。墓に来て盗賊狩りを始めた時から、何度か夢に見ることがあった。長年生きていると、夢と現実の区別がつかなくなる時がある。今はいい天気であり悪夢とはかけ離れていたため、自然と足が向いたのだった。
 川岸に腰を下ろし、東を眺める。宮殿や神殿が対岸には広がっていた。人々が暮らす栄えた地だった。船を持たないシュウトには行く術も目的もなかった。ずいぶん昔に捨てた土地だった。王に育てられた思い出と共に。
 日没の前に墓へ引き返した。もうすぐ神官たちが夕刻の捧げ物を運ぶはずだった。わざわざ出くわして、軽蔑の言葉をかけられる必要はなかった。
 遠くでシュウトの名を呼ぶ声がした。西日に向かっていたため、小さい影はぼやけて見えた。声は馴染みあるハルカの声だった。彼は駆け足でやって来る。
「珍しいな、墓にいないなんて。探したんだぜ」
「すまない」
 シュウトは小さな声で返した。二人は並んで歩き始める。
「もしかして東の都へ行ってたのか?」
「いや」
 ただ川を眺めていたなどと言えず、首を振るにとどめた。
「よかった。明日、都で新たな王のお披露目会がある。三日間続く、盛大な祭りなんだ。一緒に行かないか?」
「祭り…」
 シュウトには、はるか昔の記憶一回きりだった。育ててくれた王が亡くなった後の祭りだ。誰からも構われず、窓の外から一人で様子を眺めただけだった。遠くで聞こえる太鼓の音、歓声。耳を澄ませば、蘇って聞こえてきそうだった。
「シュウト?」
 様子を不思議に思って、ハルカが小さく声をかけた。いつも読み取りにくい表情をしているシュウトだったが、この時だけは不快さを表していた。しかし、すぐに我に返ったようで、「いや、なんでもない」とごまかした。ハルカは心情を読み取ろうとしたが諦めて、肩をぽんと叩いた。
「べつに強制じゃねぇよ。来たかったら来ればいい。明日、日が昇ってから船に乗って川を渡る。行く時声かけるから、気が向いたら来いよ」
 じゃあな、と言ってあっさりとその場を去っていった。深追いしないのがハルカのいいところだった。シュウトはため息と共に肩の力を抜いた。

 いつもより夜空が明るい気がした。月が大きいからかもしれない。空気がかすかに青白く染まっていて、幻想的な景色を浮かべていた。どこかシュウトの心を悲しくさせた。理由がわからないことに苛立って、墓の見回りに集中できずにいた。駆けつけるのが遅くはなるが、今夜は高台へ早めに登った。気分が乗らなかったのだ。笛に手をかけたが、こんな気分で吹いても綺麗な音色が生まれるわけがなかった。吐息は心から生まれる。音は誰よりも正直に、乱れた心を表現する。
 風がざっと吹き抜けた。シュウトに衝撃を与えた。頬を叩かれたようだった。この風には覚えがあった。自然が生み出す単なるものではなかった。“あの人”がやってきたのだ。シュウトは落ち着こうと深呼吸をした。目を閉じて、風が収まるのを待つ。見えなくても優しい光が感じられた。瞳がかすかに湿った気がした。
「久しぶりだな、シュウト」
 いつもと変わらぬ話しぶりだった。思わず心に染みる。何故ずっと現れなかったのかずっと聞きたかったはずだが、それももうどうでもよかった。まじまじと青白く光る猫を見た。
「もう二度と現れないかと思った」
 思ったことを素直に口にした。ただ、言葉に抑揚がなく無表情なため、喜んでいるようにも悲しんでいるようにもとれる。それでも、白猫には十分なようだった。
「今日で最後になる。私は帰らなければならない」
 青い瞳は少し沈んでいるように見えた。からかって言っているのではなさそうだった。シュウトは静かに、その横顔を眺めた。
「どこへ行くんだ?」
 今すぐにでも去って行ってしまいそうで、無理やり言葉を生み出した。猫はすぐに反応はせず、ゆっくりと首を上げて空を見た。
「寂しくなったら、上を見るといい。夜は地下にいるが。昼はまばゆい光でそなたの道しるべとなろう」
「太陽…?」
 白猫は優しい目をして頷いた。
「そなたが目をそらさずに目的を果たしたのなら、私が最期迎えに来よう」
「目的?」
「これから起こる全てのことを受け入れるなら、必ず目的を果たす時がくる。そなたは私に会いたいはずだ」
 白猫はくすくすと笑っていた。シュウトは何かを言おうとして、言葉が浮かばずもどかしくなって髪をかきむしった。この気持ちは一体なんなのか。考えている暇はなかった。全身で優しい光を浴びていると、ためらいや恥じらいはどこかへ消えてしまっていた。
「俺が死ぬ時には、また会えるんだな」
「約束しよう。頑張って生きる気になっただろう」
「…そうだな」
 シュウトはどこかでほっとして、表情を緩めた。この猫の言うことに間違いはないだろう。しばらくの沈黙のあと、おもむろに白猫が口を開いた。
「お別れだ、シュウト。最後に、笛の音を聞かせてくれないか」
 口調がいつもと違った。声が淋しそうだった。言葉で何とかできるほど器用でないシュウトは、そっと笛を奏でた。音色は辺り一帯の空気に溶け込んで、綺麗なレースの帯が漂ってそっと包み込むように優しい。シュウトは目を閉じた。消えていくところを見てしまっては、音が動揺してしまう。余計なことは考えず、ありったけの思いを音に込めた。別れの切なさと、また会えるであろう期待感。悲しいばかりではない。シュウトと白猫。はっきりと言葉にはせずとも、二人の思いは確かに通っていたのだった。
 さっと風が吹き抜ける。
「ありがとう、シュウト」
 どこか遠くで、ぼんやりと聞こえた気がした。しばらくは目を開けるのが怖くて、笛を吹き続けていた。知らず知らず、頬に一筋涙がつたった。
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