太陽の猫と戦いの神

中安子

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危篤

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 シュウトとハルカはあの襲撃後、別々に川を渡って西へと戻っていた。
 それからしばらく二人が顔を合わせることはなかった。
 どちらかといえば、シュウトの方が望んでいなかった。ハルカを助けたのはいいが、あの彼の驚ききった顔が胸に突き刺さっていた。予想できないわけではなかった。自分はこの世の誰よりも超越していると、知らないわけではない。こうなることを承知していながらも、ハルカの命を優先したのだ。
 後悔はしていなかった。だが、ハルカに拒まれてしまうのが一番怖かった。異常だ、と見限られてしまったら傷つかずにはいられないはずだ。罵りの一言をかけられるくらいなら、会わない方がましだった。
 シュウトは通常業務に戻り、また墓の護衛を始めた。ハルカがくれた白い布の上から、今までの薄汚れたマントを羽織った。脱ぎ捨てることはどうしてもできなかった。彼の好意をこちらから踏みにじることになる。
 下げた刀がいつもより重たく感じられた。高台に登って笛を吹き始めるのだが、何かが足りない感覚に襲われるばかりだった。浮かぶ姿は白猫だった。別れの挨拶をしっかりしたはずなのに、声がどこからか聞こえてきそうなのだ。そんな気分を紛らわしたくて、笛の音に集中する。遠く遠くまで澄んでいって、彼女に届けばいいと思った。

 しばらく時が過ぎて、徐々に一人に慣れてきた頃だった。ハルカのことも白猫のことも、非現実であると思いかけていた。忘れていけば、心が少しずつ軽くなっていく気がする。ただ、上手くいきそうなところで邪魔は入るのだった。職人たちがまた、慌ただしく墓の造営を始めたのだ。
 葬儀が立て続けに行われたあと、ある日の午後久しぶりにハルカが現れた。少しばかり暑さが増す時期だった。体が汗ばんでうっとうしく、深く眠れずに苛立っていた時だった。ふらっとやって来たハルカをきょとんとした目で見た。シュウトにとっては瞬きするほどの時間だったが、実際の月日で言えば一年ほどが経っていた。王が早くに入れ替わること、職人たちが始終忙しそうにしていることは知っていた。いつ終わるのだろうと思いもしたが、それよりも時間がシュウトを一人に戻そうとしていた。結局は独りなのだと実感していた。そのため、久しぶりにハルカの人懐っこい笑顔を見ても、戸惑った反応しかできなかった。
「久しぶりだな、シュウト。元気だったか」
 いつも通りの調子だった。人と人とのつながりは時間の問題ではないのだと、新しい発見をした。しばらく離れていようとも、それで関係がなくなってしまうわけではなかった。それはシュウトの心をどこか強くした。
「忙しそうだったな」
 何かが押さえ込んでいるせいか、再び会えた喜びを表すことはできなかった。表情も作れず、そっと呟く。それでもハルカにとっては、言葉が返ってくるだけで十分だった。
「王がころころ代わったからな。今度はたくましい若い王だから、しばらくは落ち着くよ」
 王の披露は情勢を考慮して一日だけ行われた。ただ、メリアメ王という名は市民の間では有名で、大勢が祭りに参加していた。背が高く体格もよく、明るい人柄に、仕事も戦もできる。近頃の王の中では珍しかった。
「見に行ったのか?」
「いいや、仕事が片付かなくてな。親父がぶっ倒れて、代わりに雑務に追われてばかりだ」
 シュウトはハルカの心情を読み取ろうと様子を窺ったが、細く笑っている目からは何も感じられなかった。
「テルスは大丈夫なのか」
「どうだろうな。ここ最近ずっと寝込んでるよ。もう親父もいい歳だしな」
 言葉に力はなかった。どこか上の空で話しているようだった。どうしようもできないと、途方に暮れている。  シュウトにはどう声をかければいいのか浮かばなかった。ただ黙ってハルカを見つめると、彼はころっと明るい口調で言った。
「もしよかったら、一度見舞いに来てやってくれ。親父もシュウトに会いたいはずだ」
 頷くことが唯一シュウトにできることだった。それを確認したハルカは、満足そうに微笑んだ。
「ありがとう。今からいいか?早いほうがいいだろ」
「わかった」
 体は重たかったが、何かがシュウトを急かした。鼓動がやけに大きく聞こえる。ハルカが見せた一瞬の沈んだ表情が、頭から離れなかった。彼に調子を合わせないといけないと思いつつも、簡単にそれができるほど器用ではなかった。せめてもと歩調を揃え、まっすぐ前を見て歩いた。
 職人の村は、皆休暇の期間なのか、のんびりと過ごしていた。ただ、彼らはハルカの姿を見るなり顔を下げた。テルスの様態が良くないことは、すでに知れ渡っているようだ。急に監督の仕事を任されることになった長男に同情している顔だった。
 ハルカの家は静まり返っていて、自分の足音がうるさかった。部屋の暗さは前と同じはずなのに、どんよりと闇が漂っているように感じた。家族たちは各々部屋の隅で、無言のまま座っていた。子供たちも倣って大人しくしている。シュウトの姿を見ようともせず、全てを遮断しているようだった。ただひたすら、神に祈っているのだろう。
 一番奥に大きな部屋があり、そこにテルスは寝かされていた。三人ほどの娘がついて看病している。苦しがっているというよりは、顔が青白く今にも熱が失われそうだった。記憶の中のテルスとは程遠い、やせ細って生気のない、見るに耐えない姿だった。かすかに荒い息が聞こえる。テルスは目を閉じていたが、訪問客に気付いたようだった。細く目を開けて、シュウトを捉えた。
「シュウトくん、来てくれたのか」
 消え入りそうな声だった。吐く息と共に、少し口を動かしているだけだった。シュウトは彼の声をしっかり聞くために、寝床へ近づいた。
「大丈夫なのか」
「いやいや、心配無用じゃ。少し気分が優れないだけなのだよ」
 さすがハルカの父だった。状態に似合わない前向きな発言だった。これ以上、心配も同調もできなかった。「よかった」とひとり言のようにこぼした。
 テルスはふと首をシュウトの方に向け、瞳をしっかりと交わした。
「シュウトくんにお願いがある。ハルカのことを、よろしく頼む。あいつはあれでも、寂しがりだからな」
 黒い瞳の奥に、茶目っ気がきらりと光った気がした。シュウトはそれを受け取って、崩れた笑顔を浮かべて「わかった」と返事をした。部屋の入口付近で、ハルカも静かにその言葉を聞いた。
 あまり長居するとテルスの様態を悪化させてしまうため、早めに退散した。村の出口まで、いつものようにハルカが送ってくれていた。
「ありがとな」
 明るく礼を述べていたが、心からのものだと感じられた。何もしていないのに、と思う反面、少しでも力になれたことが嬉しかった。テルスがシュウトに会いたがっていたかどうかはわからないが、少なくとも言い残したことは伝えられたようだ。一人でふらふらしている長男が気がかりだったのだろう。シュウトにそれをどうすることもできないが、彼との付き合いを続けていくことはできる。テルスにそれを認めてもらえて、どこかでほっとした。野蛮な不審者だと、思われていてもおかしくないのだ。ましてやあの日の夜、不思議な光でうなされていたシュウトをまじまじと見ているのだ。さすが、職人の頂点に立つ者だ。受け入れる器が大きかった。少なくともこの世で、テルスとハルカだけはシュウトの存在を肯定してくれたのだ。
 ただ、一人は既にこの世を去ろうとしていた。シュウトの行けない場所へ、先に旅立ってしまう。悔しかった。彼の代わりに行けるものなら行ってしまいたい。一人取り残されてしまう、心細さ。きっと、ハルカも感じるはずだった。
 何も言えないかわりにそっと横笛を取り出し、歩きながらも奏で始めた。ハルカは隣で一瞬驚いた顔をしたが、前を向いて調べに耳を傾けた。音色は村の端々まで届き、人々の手を止めた。細い音色だったが、ゆっくりと調を変えて、命が終わってしまうどうしようもない切なさを唄っていた。心の奥に流れ込み、そっと涙を誘う。悲しいときは泣きなさい、と生み出された音が言う。ハルカの目は熱く潤んでいた。ただ、隣で泣くのは格好がつかないため、唇を噛んで留めていた。
 シュウトは淡々と笛を吹いていたが、ハルカのために気持ちを乗せていた。村の出口に辿り着き、そっと消え入るように笛を吹きやめた。かわりに風がさっと吹き抜けた。
「言葉は少なすぎて、全ての気持ちを表せない」
 向き合ってから、シュウトがそっと呟いた。ハルカは俯き、納得したというように何回か頷く。
「いい調べだった。お前はすごいな」
「長く生きているから。練習する時間はいくらでもある」
 二人は顔を見合わせて笑った。
「親父の分の仕事と、看病でしばらくは忙しいけど、暇を見つけて会いに行くよ。親父と約束したこと、忘れんなよ」
 ハルカはにかっと笑い、手を振って村へ戻っていった。
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