太陽の猫と戦いの神

中安子

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背中

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「…怪我はなさそうだな。良かった」
 そう言いながらも、ハルカは心配そうな表情を変えなかった。
 姫二人が、青白い顔をしていたからだった。ハルカは問うようにレイの顔を見るが、彼は静かに首を振るだけだった。
 いつの間にかシュウトも横に居た。
「ありがとな、姫さん達助けてくれて」
 ハルカは心底感謝して頭を下げた。「大したことじゃない」と彼は無愛想に応える。レイがそっと会話に入った。
「シュウト様、危ないところをありがとうございました」
 彼は申し訳なさそうに続ける。
「心苦しいのですが、出来るだけ追手がかからないためにも、今すぐにこの場を離れようと思います」
 レイは姉妹の顔を窺った。アマネは泣くのを懸命に堪えているようだった。これほど危険な目に遭ったのは初めてだった。さすがのアンリも、夫を真正面から裏切った罪悪感でいっぱいで、妹の事を慰める余裕もなさそうだった。
「背負っていきましょうか」ユウも調子を取り戻したわけではなかったが、姫君達を励まそうと出来るだけ平静に努めた。
「それなら、俺がアンリちゃんを運ぶよ」
 ハルカが抜かりなくにっこり微笑んで言った。
「今までどおり、レイが先頭を、シュウトが後ろを見張ってくれるのが一番だろ」
「悪いわ。私は歩けますから」
 アンリは慌てて首を振った。彼女がそういう反応をするだろうと予想がついていたため、ハルカは動揺もせず他の案を考え始めた。頭の切れる姉姫に何と言えば納得してもらえるのか、そう簡単に浮かぶものではなかった。意外にも助け舟を出したのはレイだった。
「アンリ様。今夜は休まず、夜通し歩こうと思います。姫様方の体のためと、急ぎ足で進むために、僕からもお願いします。これ以上無理をさせてしまうわけにはいかないので」
 若さに似合わない、説得力のある話しぶりだった。押しつけがましくなく、嫌味とも思えない、気遣いに溢れた口調。何より言葉の選び方が上手かった。アンリは疲れのせいもあって何も言えず、仕方なく一度頷いた。
「重いと思いますけど…」
 小さな声には申し訳なさと、少しばかりの恥ずかしさが込められていた。ハルカは満面の笑みで応える。
「いやいや、軽いよ。大丈夫、絶対に落とさないから。安心して休んでよ」
 何も根拠はないのに、不安を全てさらって行ってしまう。アンリも自然と笑みがこぼれるのだった。彼の醸し出す空気の中では、深く悩む事は出来なかった。
 ユウとハルカは荷物を二人に預け、それぞれ姫をおぶった。いつもなら騒ぐアマネも、大人しく言うとおりにしていた。物心ついてからは、自分の足で歩いてきた姫達だった。行事の時には輿に乗せられたりもしたが、直接他人に運ばれた記憶はなかった。歩く振動は思いのほか大きく、しばらくは緊張して強ばっていたが、これも徐々に慣れてしまうものだった。触れている背中から熱が伝わってくる。母親に抱かれる子供の気持ちが分かった気がした。いつの間にか幼い頃に戻ったようで、今だけは姫という立場を忘れられそうだった。
 四人はいつもよりも重い荷物を抱えていながら、足並みは上々だった。出来るだけ岩場の間を選び、姿がさらされないように気を配っていた。平坦な道ではなかったが、ゆっくり歩いている場合ではなかった。レイは時々後ろの様子を窺いながらも、黙々と歩を進める。ユウとハルカは少しくすぐったい気持ちを隠しながらも、それに続いた。そして、少し間を空けてシュウトが居た。顔を見ずとも、相棒が喜んでいるのが分かっていた。自分でも意識しないまま、彼らと距離を取っていた。邪魔したくないから、と思いながらも何故だかすっきりせずにいた。正面からは目を逸らし、空を見上げた。半月が凛と輝き、闇を明るく照らしていた。シュウトが何万日も見上げてきたものだった。一人で見上げてきた月と、今こうして見上げる月は、どこか違うのだろうか。見る場所を変えても、月はいつも美しく、そして悲しげだった。
「重たそうね」
 ずっと黙っていたアマネが突然、ぼそっと呟いた。冗談でもなく、真剣でもなく、どこか上の空のような一言だった。ユウはふっと笑った。
「アマネ様、泣き疲れて寝ていたかと思ってました」
 ユウからは絶対に見えないのに、アマネは思いきり背後から彼を睨んだ。
「泣いてないし寝てもいないわ」
 すぐに馬鹿らしくなって、力なく否定しただけだった。どこか投げやりな彼女の声音に、思わず後ろをちらと振り返る。いつもの明るい調子は全くなく、疲れているのに懸命に考え事をしている様だった。
「寝たらいいのに」
 ユウは前に向き直り、不思議そうに独り言のように言った。アマネの言葉を引き出すためのものだったが、彼女もすぐには釣られなかった。しばらく自分の頭の中で考えているらしかった。ユウはただ静かに待った。
「よかったの?キヌンに背いて」
「珍しい。アマネ様が僕の心配をしてくれるだなんて」
「真面目に聞いてるんだけど」
 妹姫はぴしゃりと言った。
 ユウは彼女の気が収まる頃合を見計らってから口を開いた。
「キヌン様には、お世話になりました。今でも、お慕いしています。武術も統率力も、機転も利く素晴らしい方です」
 嘘偽りのない、すっきりとした話しぶりだった。
「ただ、キヌン様には、周りにいくらでも優れた武人が仕えています。僕一人いなくても、大してお困りにならないでしょう。それに比べ、アマネ様の護衛は、残念ながら僕にしかできませんからね」
「残念ながら?」
 再び後ろから睨みつけたが、ふっとすぐに真顔に戻った。いつものアマネの相槌の一つでもあった。
「僕は王宮に仕える者です。キヌン様じゃない。王を守るのが、僕の仕事であり使命です。そして、王の愛娘であるアンリ様、アマネ様を守る事。正しいのは、この道ですよ」
 ユウは声に力を込めた。背負われている姫にも、深く沁みたようだった。わがままなおてんば娘の影に、不安で寂しがり屋の一面が隠れていた。ユウには当に見つけられていたようだった。知らぬ振りをしながらも、彼女を励ます術を心得ていた。
「そっか。それならよかった」
 口調はあっさりしていたが、迷いが無くなった証拠でもあった。「眠たくなってきたわ」そう言うとすぐに大きく欠伸をした。
 ユウは目尻を下げて声に出さず笑った。
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