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第七章 ロンシャン撤退戦ー前編ー

二八二話 期待

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 大きいとは言えない浴室に、四人の元奴隷達が生まれたままの姿でお湯を掛け合っていた。

「プル姉はどう思う?」

「どうって……何が?」

 お湯を肩に掛け、残っていた石鹸で背中を洗われながらシロンが言った。
 シロンの背中を洗っていたプルが、シロンの問いに疑問符で返した。

「あの小さい辺境伯様のこと。信じられると思う?」

「うーん……悪い人では無いみたいだけど、何を考えているかは分からないわね。でもミロクの所にいた時よりかは何倍も良さそう」

「同感だわー。それにあの子、多分めちゃくちゃ強いと思うんだわ。あたしの勘がそう言ってる」

 一人で頭を洗っていたハンヴィーが、ここぞとばかりに口を突っ込んだ。
 ハンヴィーのフサフサの尻尾は水に濡れ、萎びたウリのように細くなっている。

「なんにせよ……お風呂ちょー気持ちいい……一ヶ月ぶりくらいだっけね?」

 アハトが体の隅々を念入りに洗いながら感嘆の声を上げた。
 浴槽の縁までいっぱいに溜められたお湯は、四人の体に次々と掛けられていき、その量は三分の二ほどに減っていた。
 
「だねぇ。洗えど洗えど垢が落ちてくれないや」

 今度はシロンがプルの背中を洗いながら口を尖らせて言った。

「フィガロ様がやった水をお湯に変える方法、あたしの村でもよくやってたんだわ。まさかあの人、獣人じゃないよね?」

 ハンヴィーが頭をプルプルと振り、その振動が肩から下に降りていき尻尾の先まで震わせて体の水分を飛ばし、飛んだ水滴は緩んだ顔のアハトにビシャビシャと降りかかった。
 「ちょっとぉー」とアハトは目だけを細め、お返しとばかりに浴槽のお湯を手ですくい、ハンヴィーへと投げかけた。 

「あの方法はサバイバル術の一つよ。普通は焚き火とかの火で洗った石を使うんだけど……両方魔法でやっちゃうとは恐れ入るわね」

「なんだ、通常人種でも似たような事やるのな。魔法と言えばそういやあの人、浴槽洗うためだけに魔法使ったよ?」

「でも……魔法のコントロールが弱いような気がする……ってあれ? あの人魔法使う時詠唱してた?」

「私は聞いてないわよ?」

「あたしもだ」

「わたしもー」

 アハトが提示したふとした疑問は、ここにいる誰もが失念していた事柄だった。
 そして満場一致で詠唱を聞いていない。
 
「無詠唱……だったよね」

 アハトがもう一度確かめるように三人に問い掛けても、帰ってくる言葉は同じ。
 
「無詠唱で魔法をポンポン発動するくせに魔法の、魔力のコントロールが余りにも拙すぎる……なんなのあの人……」

「おーい」

 アハトが首を九〇度に曲げて、ポツリと呟いたその時、浴室の扉の向こう側からフィガロの声が聞こえた。

「は、はい! 如何しましたか!」

 突然訪れたフィガロは、浴室へ繋がる扉の外で何やらゴソゴソしている。

「辺境伯様も男って事だわ」

「こら! 聞こえるわよ!」

 しゃがみ込んだままの四人は腕と掌で隠すべき所を隠し、体を出来るだけ縮めてフィガロの言葉を待った。
 プルやシロン、ハンヴィーとアハトの考えている事は大体似通ったもの。
 浴室に入ってきて、私達に自分の体を洗わせた後、卑猥な事を要求してくるのだろう、と。
 彼女達はミロクに奴隷として買われてからの数ヶ月、毎晩毎晩夜の相手をさせられていた。
 一人の時もあるし、二、三人で相手をさせられた時もあった。
 男という生き物は所詮同じ事に行き着くのだな、とプルが少し気を落とした時、ゴソゴソとやっていたフィガロが言葉を発した。

「ちょっと漁ってみたら使えそうな服が結構あったから適当に持ってきました。使って下さい」

「……は? あ、はい!」

 女性達は、予期せぬフィガロの言葉に拍子抜けした声を上げた。

「私達ったら何を考えてるのかしらね」

「そうだわね」

 フィガロの気配が消えてからウルが言うと、他の三人も頷いて同意を示した。

「見た感じ一三歳くらいだものね、考えるわけないか……私の邪智が過ぎたわね」

「仕方ないよ。そんな生活ばかりしてたんだもの」

 プルの誰に対してでもない呟きに、アハトがフォローを入れた。
 一般的な女性の奴隷は、慰みものや夜伽の共として多用される面も持つ。
 ミロク達にされた仕打ちを思い出したのか、シロンとハンヴィーが肩を抱いて小さく震えている。
 削痩した体を寄せ合い震える姿を見たらフィガロは一体どう思うのだろうか、とアハトは考える。
 見た目通りの年齢だとしたら、彼は一三歳から一六歳くらいだろう。
 成人したてかそれ以前の年齢で辺境伯という地位に収まる、普通は考えられない事だった。
 少なくとも、アハトが生きてきた二四年間の常識の範囲内では聞いた事も見た事も無かった。
 辺境伯といえば大公に次ぐ権力者であり、国の主要人物でもある。
 きっとフィガロの傍には、多数の見目麗しい女性が多くいるのだろう、そんな人が小汚いやせ細った自分達のどこに魅力を感じるというのか。
 少しばかり自意識過剰だった自分を恥じ、顔にお湯を掛けてゴシゴシと擦る。
 あの地獄のような生活から助け出してくれたリッチモンドと、幼い権力者は仲が良さそうに見えた。
 もしリッチモンドがフィガロに口添えしてくれたのなら、自分達がこうして温かいお湯で体を綺麗に出来ている事を感謝すべきだ。
 恩は返さねばならない。
 それがアハトの中に芽生えた小さな決意だった。
 仮にフィガロやリッチモンドがこの体を求めて来るのなら、応えるべきなのかもしれない。
 
「肥えなきゃ、ね」

 女性らしい体付きとは程遠い自分の体を擦りながら漏れ出たアハトの呟きは、湯気とともに溶けて消えたのだった。
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