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2巻
2-3
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「うむ……構わんぞ……しつこいようだが本当に良いのか? 地下室では非人道的な行いがあったと報告を受けている。そのような場所をお主に与えるというのは褒美と言えるのか」
「あ、そういうの、私気にしないタイプなんで大丈夫です。もしトラブルがあればご相談させていただきますよ。あとはリフォームの件とか、ね」
二十七区画の端にある幽霊屋敷だが、実はかなり利便性が高い場所にあるのが分かったのだ。
トワイライトとは直線道路で繋がっているし、王宮へのアクセスも良い、街の外へもすぐ出られるし、おまけに商店区画が近いのも良い。
あそこを住処に出来ればトワイライトに居候する事も無くなるし。
「ふむ……分かった。そこまで言うなら手続きをしておこう。明日にでも不動産の業者が出向くであろう。場所はトワイライトで良いのか?」
「はい、大丈夫です。ご面倒をおかけしますが委細よろしく御願いいたします」
話しながらも、テーブルの上の料理が次々と減っていく。
一国の王と王女と三人で卓を囲むなんて、昔は夢にも思っていなかった。
しかも王が話しているのに食べ続ける俺も相当に無礼だと思う。
食事のはじめに「一切の遠慮は無用、家族と思って食せよ」と厳命されていなければ、俺は未だに前菜すら口に入れていないだろう。
家族か……アルウィン家の人達は今頃何をしているのだろうか。
勉学のため、単身王都へ行ったヴァルキュリア姉様はどうしているのだろうか。敵無しの剣聖と謳われたルシウス兄様は無事なのだろうか。
父様と母様は仲良くやっているのだろうか。
子供の頃、仲良く卓を囲んだ記憶が脳裏を過る。
戻れないと分かっていても、いずれは会いに行きたいと思う。
立派になって、自分を誇れるようになったらいつか……という程度の思いなのだけれど。
今の俺を父様は褒めてくれるだろうか? 二言三言しか言葉を交わさずに出てきてしまったのが少しだけ心に引っかかる。
「フィガロどしたの? 暗い顔して」
シャルルがデザートであるケーキの盛り合わせに手を伸ばしながら聞いてくる。
「ん、あぁ。なんでもないよ、少し昔を思い出してた」
フォークに刺したルーベリーチの実を眺めながら答える。
「フィガロの過去か……私も気になるぞ。話せるのなら話して欲しいものだな。シャルルを娶るのだ、一切の過去を語らないのも、な?」
確かにドライゼン王の言い分は正しい。
逆に今まで聞かれなかったのが不思議と言ってもいいだろう。
だが……父様からはアルウィンの名を出すなと言われている。
アルウィン家とフィガロは何の関係も無いのだ。勘当された事実を話せば、実家を探られる可能性もある。
下手な話は出来ないし……んー……あの線でいこう。
「まず私に、家族はおりません、私は捨て子でした。ヴェイロン皇国領内にあるサーベイト大森林の中で捨てられていたのを、クライシスという老人に拾われ、今まで育てられて来ました。ですが私は人間として欠陥品だったのです」
テーブルに置かれた空いた皿を見つめながら、要所要所を端折って俺の体の事、どのようにして魔法を使えるようになったのか、シャルルを助けた経緯などを話した。
一通り話し終えて、ふと二人を見ると、なぜか涙目になっていた。
「ぞんなぁ……ぞんなごどっでぇ……じらながっだわああ……」
「大変だったのだな……よし! 今後は私をパパと呼ぶ事を許そう!」
「ぞうよぉぞれがいいわよぉ……ぐずっ」
「いやそれは駄目だと思います」
なし崩し的にシャルルとの婚姻を取り付けようとするドライゼン王に、それに乗っかってくるシャルル。
ドライゼン王をパパと呼べば義理の父という扱いになる。
それは必然的にシャルルとの婚姻を俺が認めるという事。認めたくないわけじゃないが、それは今じゃない。
父といい娘といい、どうしてこうグイグイ来るのだろうか。困ったものだ。
話の内容的に、多少の脚色やフィクションも混ぜてはいるが、九割は真実を話している。
さめざめと涙を流す二人を横目に、窓へと視線を移すと日は暮れ始めている。
そろそろお暇させてもらうとするかな。
◇ ◇ ◇
二人との食事を終えて王宮を後にし、黄昏に染まりかけている市街地を歩く。
会食を終えたら帰るつもりだったが、屋敷がもらえるのならば再度見てみたくなるのは自然な流れだと思う。
碁盤の目のように、百の区画に整備されたランチア中央市街地は、大きな曲がり角の全てに行く先の記載された看板が立てられている。
王宮から跳ね橋を抜けると、中央大路と呼ばれる大きな道が一本真っ直ぐに伸びている。
大勢の人や馬車が行き交う道だけあって、道幅はかなり広い。
中央大路を挟んで左右に五区画ずつ、横一列に十区画が並んでいる。
東の端にある第一区画から西端の第十区画までは、貴族達が住まいを構える特級住宅地。
東の端に戻り、一列城から離れた十一区画から西端の二十区画までが、上級軍人の人々が住まう区画。
そして、二十一区画から三十区画までが富裕層や豪商、役人などが住む上流区画となり、目的の屋敷はその中の、二十七区画にある。
区画を一つ越えれば中央大路で、比較的近い三十一区画から四十区画までが商店や工房、図書館や学院などが集まる産業区画のため、何かと利便性が良い。
区画はさらに小路で分割され、番地や枝番がナンバリングされていて、その番号で住所の判別を行っている。
「まだ立ち入り禁止か……」
屋敷の前に辿り着いたが、門の周辺にはこの前の衛兵が立っており、正面から入るのは難しい。
屋敷は高さ三メートルほどの大きな柵で囲われており、入り口はこの門しかない。
ならば、と隣の家屋の路地へ回り、壁を足場にして柵を飛び越える。
誰かに見られている様子もないので、こっそりと裏手の庭へ回る。
屋敷への出入口を見つけ、ドアノブに手をかける。
ゆっくり回してみると鍵はかかっておらず、小さく開けた扉の隙間から内部へ静かに滑り込んだ。
薄暗い室内を抜け、以前探索出来なかった上階への階段を上る。
階段は所々腐食しており、踏み抜かないよう慎重に上っていく。
目指すは最上階、そこから順繰りに探索していく予定なのだ。
最上階である三階には、先日見た揺れるカーテンがある。
とりあえず先にそこを見てみようと思う。
三階の廊下は左右に分かれており、それぞれに部屋が二つずつ。
一部屋目、何も無い。
二部屋目、家具に白いシーツがかけられているが、そのどれもが朽ちていて、触るだけでパラパラと粉になってしまう。
三部屋目、床板が割れ、二階部分が丸見えになっていて、この部屋にあったであろう家具などの残骸が階下に散らばっていた。
四部屋目、確かここが例のカーテンの部屋のはず。扉の前には不自然な量の木の板や木片が散らばっている。
扉に手をかけようとした時、部屋の中からキィ、キィ、とリズミカルに軋む音が聞こえるのに気付いた。
誰か居るのかも知れないが、人ではないのは確実だ。
なるべく音を立てないよう、ボロボロの扉を静かに開ける。
「なんだ……あれ……」
扉の隙間から覗いてみると、部屋の中央には揺り椅子が置かれていて、それ以外の家具が見当たらない。
そして揺り椅子の上には、全体的に青い光を纏い、椅子を揺らして外を眺める青年の姿があった。
『やぁ、こんばんは。やはり君か』
「話せるのか」
青年はこちらを向きもせずに口を開いた。
心臓が飛び出そうなぐらい驚いたが、冷静を装って切り返す。
『そりゃね。君がこの家に来るのは二回目だろ? 前回は君が地下で暴れてくれて助かった。あいつら勝手に人の家の地下を改装しちゃうんだもんさ、失礼しちゃうよね』
「全部知ってるのか。お前は……何だ?」
剣に手をかけながらゆっくりと室内へ入っていく。
『僕かい? 僕はこの家の元住人さ。今はリッチになってしまったけどね。ああ、敵対するつもりはないよ。見た感じ君には勝てそうにないし、僕自身、もう疲れてしまった』
そう言うリッチの視線は未だに外へ向いている。
リッチ、上級アンデッドの中のさらに上位種として、モンスター図鑑に名を連ねる有名なアンデッドだ。
生半可な魔法は通じず、物理攻撃は完全に無効化する存在。
リッチは光以外の属性であれば、全ての魔法を行使でき、魔法の多重展開もお手の物という恐るべき存在。
そんな存在がなぜ市街地のど真ん中に居座っているのか。
『君は今、なぜこんな所に僕みたいな存在がいるのか、と思っているだろう?』
「まぁ、な。自覚はあるみたいだな」
『簡単に言ってしまうと、この家の呪いは僕のせいなのさ。ちょっと語らせてもらってもいいかい? なんせ人と話すのは実に二百年振りなんだ』
そう言ってギシリと椅子を軋ませたリッチは、椅子ごとこちらを向いた。
本来白目である部分は黒く染まり、金色の虹彩がキラリと光る。鼻と唇はそげ落ちていて骨や歯が剥き出しになっている。
頭部から首にかけては白骨化しており、ボロ布のような黒いローブの端からは白骨化した四肢が覗いている。
ローブは経年劣化のためか、違う理由なのかは分からないが全体的に色褪せてしまっている。
『僕は元々この家の次男でさ、僕の親は当時とても有名な豪商だったんだ。長男は父と共に事業に励み、父母は僕もそうなるだろうと期待していた。けど僕は違った。商人ではなく魔法を使う職業に就きたかったのさ、かの有名な十三英雄の一人、絶壁の焔雷帝クライスラー・ウインテッドボルトのような偉大な魔導師にね』
「クライスラー・ウインテッドボルト……か」
思わず反応してしまったがリッチは聞いていないようだった。
しかしクライスラー・ウインテッドボルトに憧れていて、なぜアンデッドに変異してしまったのだろうか。
『ある日僕は古美術商の所で古い魔導書を見つけたのさ。二束三文で売られていたそれを、僕はすぐに買い取った。けどそれが事故のきっかけになるんだ……商人としての勉強をせず、魔法の研究ばかり行っていた僕を見かねた父が、ある日、僕をこの部屋に閉じ込めたのさ。扉に板を打ち付けて、ね』
それは酷い話だ。
扉の前に散らばっていたあの不自然な量の木の板、あれが打ち付けられていた木材だろう。
『僕は怒った。怒ったし絶望したし悲しんだ。なんで分かってくれないのかと慟哭したよ。悲しみに暮れた僕の手は古い魔導書に伸びていた。魔導書にはある術式が書いてあったんだよ……この屋敷の敷地丸々を覆うほどの広範囲な呪いの術式がね』
「それを……使ったのか」
『そう、僕は使ってしまった。使用者も死に至らしめる禁忌の術式だとも知らずにね……呪いの効果で程なくして僕達家族は死んだ。でもその呪いの真骨頂はここからでね、呪いの使用者を死に至らしめただけでなく、永遠の命、アンデッドとしての命を吹き込む邪法だったのさ。呪いは敷地の生命力を強制的に吸い上げ、術者――僕の事だね、に還元する。呪いは敷地内に足を踏み入れた生命体全てに作用する。そして還元した生命力を源に僕はゾンビ、マジックスケルトン、スケルトンソーサラー、カースドマジシャン、そして今から百年前に立派なリッチへと進化を遂げた。馬鹿な話だと笑ってくれて構わない。でも僕はアンデッドになりたかったわけじゃない、人っ子一人入れないこの場所で二百年の間、何もせずただ屋敷を徘徊するだけの日々は僕の心を殺すのに充分だった。だから……君に頼みがあるのさ』
リッチは椅子から立ち上がり、まるで懇願するような瞳で俺を見た。
「頼み……?」
『そう。君なら叶えてくれる、そう思った。だからお願いだ、僕を……僕を滅ぼしてくれ。少年よ』
◇ ◇ ◇
アンデッドとは、生者への妬み憎しみを本能的に抱く存在だと言われている。
しかし目の前のリッチは襲って来ることも無く、自身を滅ぼしてくれと言う。
「一つ聞かせて欲しいんだけど……なぜこの家から出ようとしない? 別に縛られているわけじゃないんだろ?」
『君の言う通りこの家から出るのは可能だろう。けど僕はリッチだ。ここから出てしまったら生者の敵になってしまう。どういうわけか僕は生者への憎しみや妬みが皆無なのさ。だが周りはそんな事信じない。徒党を組み僕を倒そうとするだろう。そうなればアンデッドと生者の戦いになる』
リッチは懐から古びた魔導書を取り出し、眺めながら続ける。
『リッチになって自分がどういう存在なのかは本能的に分かった。リッチは魔導の探求、知識への渇望、深淵への到達、生者に対する侮蔑感、そういうのが根底にあるし……自身の弱点や耐性なども分かったし、人では使う事が出来ない魔法を使える。使えるのなら使ってみたいと思うのが性と言うものだろ?』
「戦いになったら大人しく討伐されればいいじゃないか。それじゃ駄目なのか?」
『矛盾しているのは分かっているよ。けど多分そうなったら僕は本能的に抵抗してしまう。人を殺してしまう。人を殺してしまったら……殺す喜びを知ってしまったら完全にリッチとして覚醒してしまう。分かるんだよ、何となくね』
「人として死にたい、って事か?」
『そうかも知れない。僕はひと時の感情で呪いを使い家族を殺してしまった。それは許されざる行為だ。しかも呪いの影響で、間接的とはいえ、たくさんの人の生を奪った。僕はこれ以上、殺したくない』
そう言うと、リッチは再び椅子に深く腰掛けて黙ってしまった。
アンデッドになりきれないアンデッドの背中からは、どこと無く哀愁が漂っている気がした。
滅ぼしてくれと言われても、会話してしまった事で少なからず情が湧いてしまう。
文殊の力を使えばリッチを倒すのは可能なのかも知れない。
「でも……」
『同情してくれてるのかい? でも僕は人殺しだ。居てはいけない存在なんだよ』
リッチがやった事は、カッとなって人を殺してしまったようなものだ、許される事では無いかもしれない。けど救いたいと思ってしまう。
我ながら甘い考えだとは思う。
人であるからこそ反省して後悔し、後悔の果てに死を選ぶ者もいる。
人として自我のあるアンデッドなんて希少な存在だ。可能性を信じたい気持ちが大きい。
それに、リッチは二百年という気が遠くなる時間を、一人孤独に過ごしてきた。
言うなれば、二百年の牢獄刑と同義ではないのだろうか。
「クライスラー・ウインテッドボルトに会いたいか?」
気付けばそんな言葉が口から出ていた。
『会えるなら会ってみたいよ。僕が滅ぼされたとしても行先は冥府、あの世で会う事もないだろうしね』
「会わせてやると言ったら?」
『どうやって、と返すだろうね』
仮にクライシスに会わせたとしても、彼ならばリッチなど瞬殺出来るはずだ。
なら人としての可能性を信じ、道を提示してやりたい。
悲しみを背負ったまま死ぬのは見ていられない。
「会わせてやるよ。その代わりと言っちゃなんだけど……この家を譲って欲しい」
『はぁ? 本気で言ってるのかい? クライスラーは千年も前の人物だよ?』
「生きてるんだよ。信じられないと思うけど彼なりの方法でな」
日は既に落ち切り、窓からは闇夜を照らす街灯の光が差し込んでいる。
薄暗い部屋の中、窓から入る街灯の逆光でリッチの表情は窺い知れないが、思案しているのが分かった。
『その目は嘘を言っている目じゃないね……信じ難い事だけど……分かったよ、君を信じよう。この家はもう誰の物でも無いんだ。好きに使ってくれて構わない。呪いは既に何者かが持ち込んだ禍々しい存在によって断ち切られているしね』
椅子から立ち上がって話すリッチの声は弾み、喜びの色が見て取れた。あとは導くだけだ。
禍々しい存在というのは、恐らく黒剣デモンズソウルの事だろう。
あの剣がこの屋敷の敷地内に持ち込まれた事で、リッチがかけた呪いが無くなった。
だからあの邪教の祭司や邪教徒、コブラや俺が呪いの影響を受けなかったのか。
不幸中の幸いってやつなのかな。
「そっか。よし。なら行こう、今すぐ」
『分かった』
リッチが軽く手を振ると窓が音もなく開いた。
ここから出るという事だろう。
窓枠に足をかけ、隣の屋根へ一気に飛ぶ。
『父さん母さん兄ちゃん、さようなら。そしてごめんなさい』
背後からリッチの声が聞こえた。
とても悲哀に満ちた別れの言葉。二百年という長大な時間を罪の意識に苛まれ、死ぬ事も出来ず孤独に過ごしたリッチ。
俺としては充分罪は償ったのではないかと思うほどの長い時間だ。
満月の放つ淡い光に照らされながら屋根を駆ける俺の後ろで、リッチは宙に浮きながら音もなくついてくる。
「なぁ、それ俺にも出来るか?」
『【フライ】の事? 上級魔法だけど君なら出来ると思うよ。はい』
「あばばばば」
唐突に骨の指で後頭部を突かれた途端、魔法の詳細が頭になだれ込んでくる。
【フライ】――風属性の上級魔法であり、複数の術式を組み合わせた魔法でコントロールが非常に難しいようだ。
頭に流れる術式とイメージをトレースして文殊を発動、風の文殊が緑光を発すると同時に、体の周囲に風の膜が張られていくのが分かる。
『うん、上手上手。さすがだね……って君は魔力を使うそばから補充しているのかい⁉ すごい体だ! 君が纏う強力な気配はその膨大な魔力によるものか! 肉体改造でもしたのかい? 君の体は魔力枯渇とは無縁そうだね!』
「はは……どうも……」
風力のコントロールにいっぱいいっぱいで、細かい話をする余裕が無い。
傍から見たら、顔の引きつり具合は相当なものだろう。
体は既に宙に浮いているのだけど、コントロールが難しい。
ガックンガックンと、激しく上下左右に揺れる視界に酔い始め、喉に酸っぱいものがこみ上げそうになる。
やがて、風の流れと一体化するような感覚を掴んだ所で、ようやく視界が安定した。
姿勢を安定させ、少しずつ上昇を試みると体がぐんぐんと空に上がっていき、街が遠くなり、雲が近付く。
「これは……気持ちいいな……」
『そうだね……街の様子もすっかり変わっている……もう、僕の知っているランチアでは無いんだね』
街の上空で一度止まり眼下を眺めると、王宮と街の全てが一望出来た。街灯や家の明かりが不規則に灯っていて、とても綺麗だ。
『行こう、少年』
「ああ、そうだな。それと俺の名はフィガロだ、よろしくな」
高度はそのままにサーベイト大森林へ向けて加速する。
その日の夜、死神に連れられて空を飛ぶ少年の姿が話題になったのはまた、別のお話。
◇ ◇ ◇
サーベイト大森林にいる千年前の英雄、クライスラー・ウインテッドボルト改めクライシスの元へリッチを送り届けた。
顔合わせした二人はお互いに仰天し、見ていてとても面白かった。
リッチは最初少し疑っていたが、クライシスの実力を見て納得してくれた。
『千年生きるとかアンデッドみたいですね』と、アンデッドのリッチに言われてクライシスが凹んでいたのはご愛嬌だ。
クライシスが魔法でリッチの外見を生前の姿に戻した時は驚いたが、彼の事だからそんなもんだろうと妙に納得した。
感極まり泣き崩れるリッチというのも、この先見ることはないだろう。
クライシスも語り合う仲間が出来たと喜んでいたのでウィンウィンだと思う。
歓談を終え、俺は覚えたての【フライ】で一路ランチアへと戻り、トワイライトへ来ていた。
「え、コブラ居ないんですか」
「まぁあの子も忙しいみたいよぉ? フィガロちゃんが来たらこれを渡してくれって頼まれたわん。はいどーぞ」
「手紙……? っていうかどこに挟んでるんですか……普通に渡してください、フツーに」
杖なしでも歩ける程に回復したアルピナは、コブラからの手紙を胸の谷間に挟んで差し出して来た。
開けると、トロイのアジトへの道順が記載されていた。
コブラは出来る女幹部のようなイメージだったのだが、手紙は少女のような可愛らしい丸文字で書かれていて少し驚いた。
しかもちょっとしたイラスト入り。これはデフォルメされた俺の似顔絵だろうか?
「ちょっと行ってきますね」
「はーい。気を付けるのよぅ? なーんかさっき、『死神だぁ! 死神が俺の命を取りにきたぁ!』とか、客が世迷言を叫んでたのん。フィガロちゃんなら大丈夫だと思うけど、一応ね」
「はは……死神ですか……怖いですね。ちなみにその方は?」
「酔い潰れてしっかりくたばってるさね」
どうやらリッチの姿をバッチリしっかり見られていたらしい。
あの出で立ちでは死神に見えても仕方ないだろうな。
特に悪い事はしていないのだが、背中に変な汗がじんわりと浮いてくる。
「あ、そういうの、私気にしないタイプなんで大丈夫です。もしトラブルがあればご相談させていただきますよ。あとはリフォームの件とか、ね」
二十七区画の端にある幽霊屋敷だが、実はかなり利便性が高い場所にあるのが分かったのだ。
トワイライトとは直線道路で繋がっているし、王宮へのアクセスも良い、街の外へもすぐ出られるし、おまけに商店区画が近いのも良い。
あそこを住処に出来ればトワイライトに居候する事も無くなるし。
「ふむ……分かった。そこまで言うなら手続きをしておこう。明日にでも不動産の業者が出向くであろう。場所はトワイライトで良いのか?」
「はい、大丈夫です。ご面倒をおかけしますが委細よろしく御願いいたします」
話しながらも、テーブルの上の料理が次々と減っていく。
一国の王と王女と三人で卓を囲むなんて、昔は夢にも思っていなかった。
しかも王が話しているのに食べ続ける俺も相当に無礼だと思う。
食事のはじめに「一切の遠慮は無用、家族と思って食せよ」と厳命されていなければ、俺は未だに前菜すら口に入れていないだろう。
家族か……アルウィン家の人達は今頃何をしているのだろうか。
勉学のため、単身王都へ行ったヴァルキュリア姉様はどうしているのだろうか。敵無しの剣聖と謳われたルシウス兄様は無事なのだろうか。
父様と母様は仲良くやっているのだろうか。
子供の頃、仲良く卓を囲んだ記憶が脳裏を過る。
戻れないと分かっていても、いずれは会いに行きたいと思う。
立派になって、自分を誇れるようになったらいつか……という程度の思いなのだけれど。
今の俺を父様は褒めてくれるだろうか? 二言三言しか言葉を交わさずに出てきてしまったのが少しだけ心に引っかかる。
「フィガロどしたの? 暗い顔して」
シャルルがデザートであるケーキの盛り合わせに手を伸ばしながら聞いてくる。
「ん、あぁ。なんでもないよ、少し昔を思い出してた」
フォークに刺したルーベリーチの実を眺めながら答える。
「フィガロの過去か……私も気になるぞ。話せるのなら話して欲しいものだな。シャルルを娶るのだ、一切の過去を語らないのも、な?」
確かにドライゼン王の言い分は正しい。
逆に今まで聞かれなかったのが不思議と言ってもいいだろう。
だが……父様からはアルウィンの名を出すなと言われている。
アルウィン家とフィガロは何の関係も無いのだ。勘当された事実を話せば、実家を探られる可能性もある。
下手な話は出来ないし……んー……あの線でいこう。
「まず私に、家族はおりません、私は捨て子でした。ヴェイロン皇国領内にあるサーベイト大森林の中で捨てられていたのを、クライシスという老人に拾われ、今まで育てられて来ました。ですが私は人間として欠陥品だったのです」
テーブルに置かれた空いた皿を見つめながら、要所要所を端折って俺の体の事、どのようにして魔法を使えるようになったのか、シャルルを助けた経緯などを話した。
一通り話し終えて、ふと二人を見ると、なぜか涙目になっていた。
「ぞんなぁ……ぞんなごどっでぇ……じらながっだわああ……」
「大変だったのだな……よし! 今後は私をパパと呼ぶ事を許そう!」
「ぞうよぉぞれがいいわよぉ……ぐずっ」
「いやそれは駄目だと思います」
なし崩し的にシャルルとの婚姻を取り付けようとするドライゼン王に、それに乗っかってくるシャルル。
ドライゼン王をパパと呼べば義理の父という扱いになる。
それは必然的にシャルルとの婚姻を俺が認めるという事。認めたくないわけじゃないが、それは今じゃない。
父といい娘といい、どうしてこうグイグイ来るのだろうか。困ったものだ。
話の内容的に、多少の脚色やフィクションも混ぜてはいるが、九割は真実を話している。
さめざめと涙を流す二人を横目に、窓へと視線を移すと日は暮れ始めている。
そろそろお暇させてもらうとするかな。
◇ ◇ ◇
二人との食事を終えて王宮を後にし、黄昏に染まりかけている市街地を歩く。
会食を終えたら帰るつもりだったが、屋敷がもらえるのならば再度見てみたくなるのは自然な流れだと思う。
碁盤の目のように、百の区画に整備されたランチア中央市街地は、大きな曲がり角の全てに行く先の記載された看板が立てられている。
王宮から跳ね橋を抜けると、中央大路と呼ばれる大きな道が一本真っ直ぐに伸びている。
大勢の人や馬車が行き交う道だけあって、道幅はかなり広い。
中央大路を挟んで左右に五区画ずつ、横一列に十区画が並んでいる。
東の端にある第一区画から西端の第十区画までは、貴族達が住まいを構える特級住宅地。
東の端に戻り、一列城から離れた十一区画から西端の二十区画までが、上級軍人の人々が住まう区画。
そして、二十一区画から三十区画までが富裕層や豪商、役人などが住む上流区画となり、目的の屋敷はその中の、二十七区画にある。
区画を一つ越えれば中央大路で、比較的近い三十一区画から四十区画までが商店や工房、図書館や学院などが集まる産業区画のため、何かと利便性が良い。
区画はさらに小路で分割され、番地や枝番がナンバリングされていて、その番号で住所の判別を行っている。
「まだ立ち入り禁止か……」
屋敷の前に辿り着いたが、門の周辺にはこの前の衛兵が立っており、正面から入るのは難しい。
屋敷は高さ三メートルほどの大きな柵で囲われており、入り口はこの門しかない。
ならば、と隣の家屋の路地へ回り、壁を足場にして柵を飛び越える。
誰かに見られている様子もないので、こっそりと裏手の庭へ回る。
屋敷への出入口を見つけ、ドアノブに手をかける。
ゆっくり回してみると鍵はかかっておらず、小さく開けた扉の隙間から内部へ静かに滑り込んだ。
薄暗い室内を抜け、以前探索出来なかった上階への階段を上る。
階段は所々腐食しており、踏み抜かないよう慎重に上っていく。
目指すは最上階、そこから順繰りに探索していく予定なのだ。
最上階である三階には、先日見た揺れるカーテンがある。
とりあえず先にそこを見てみようと思う。
三階の廊下は左右に分かれており、それぞれに部屋が二つずつ。
一部屋目、何も無い。
二部屋目、家具に白いシーツがかけられているが、そのどれもが朽ちていて、触るだけでパラパラと粉になってしまう。
三部屋目、床板が割れ、二階部分が丸見えになっていて、この部屋にあったであろう家具などの残骸が階下に散らばっていた。
四部屋目、確かここが例のカーテンの部屋のはず。扉の前には不自然な量の木の板や木片が散らばっている。
扉に手をかけようとした時、部屋の中からキィ、キィ、とリズミカルに軋む音が聞こえるのに気付いた。
誰か居るのかも知れないが、人ではないのは確実だ。
なるべく音を立てないよう、ボロボロの扉を静かに開ける。
「なんだ……あれ……」
扉の隙間から覗いてみると、部屋の中央には揺り椅子が置かれていて、それ以外の家具が見当たらない。
そして揺り椅子の上には、全体的に青い光を纏い、椅子を揺らして外を眺める青年の姿があった。
『やぁ、こんばんは。やはり君か』
「話せるのか」
青年はこちらを向きもせずに口を開いた。
心臓が飛び出そうなぐらい驚いたが、冷静を装って切り返す。
『そりゃね。君がこの家に来るのは二回目だろ? 前回は君が地下で暴れてくれて助かった。あいつら勝手に人の家の地下を改装しちゃうんだもんさ、失礼しちゃうよね』
「全部知ってるのか。お前は……何だ?」
剣に手をかけながらゆっくりと室内へ入っていく。
『僕かい? 僕はこの家の元住人さ。今はリッチになってしまったけどね。ああ、敵対するつもりはないよ。見た感じ君には勝てそうにないし、僕自身、もう疲れてしまった』
そう言うリッチの視線は未だに外へ向いている。
リッチ、上級アンデッドの中のさらに上位種として、モンスター図鑑に名を連ねる有名なアンデッドだ。
生半可な魔法は通じず、物理攻撃は完全に無効化する存在。
リッチは光以外の属性であれば、全ての魔法を行使でき、魔法の多重展開もお手の物という恐るべき存在。
そんな存在がなぜ市街地のど真ん中に居座っているのか。
『君は今、なぜこんな所に僕みたいな存在がいるのか、と思っているだろう?』
「まぁ、な。自覚はあるみたいだな」
『簡単に言ってしまうと、この家の呪いは僕のせいなのさ。ちょっと語らせてもらってもいいかい? なんせ人と話すのは実に二百年振りなんだ』
そう言ってギシリと椅子を軋ませたリッチは、椅子ごとこちらを向いた。
本来白目である部分は黒く染まり、金色の虹彩がキラリと光る。鼻と唇はそげ落ちていて骨や歯が剥き出しになっている。
頭部から首にかけては白骨化しており、ボロ布のような黒いローブの端からは白骨化した四肢が覗いている。
ローブは経年劣化のためか、違う理由なのかは分からないが全体的に色褪せてしまっている。
『僕は元々この家の次男でさ、僕の親は当時とても有名な豪商だったんだ。長男は父と共に事業に励み、父母は僕もそうなるだろうと期待していた。けど僕は違った。商人ではなく魔法を使う職業に就きたかったのさ、かの有名な十三英雄の一人、絶壁の焔雷帝クライスラー・ウインテッドボルトのような偉大な魔導師にね』
「クライスラー・ウインテッドボルト……か」
思わず反応してしまったがリッチは聞いていないようだった。
しかしクライスラー・ウインテッドボルトに憧れていて、なぜアンデッドに変異してしまったのだろうか。
『ある日僕は古美術商の所で古い魔導書を見つけたのさ。二束三文で売られていたそれを、僕はすぐに買い取った。けどそれが事故のきっかけになるんだ……商人としての勉強をせず、魔法の研究ばかり行っていた僕を見かねた父が、ある日、僕をこの部屋に閉じ込めたのさ。扉に板を打ち付けて、ね』
それは酷い話だ。
扉の前に散らばっていたあの不自然な量の木の板、あれが打ち付けられていた木材だろう。
『僕は怒った。怒ったし絶望したし悲しんだ。なんで分かってくれないのかと慟哭したよ。悲しみに暮れた僕の手は古い魔導書に伸びていた。魔導書にはある術式が書いてあったんだよ……この屋敷の敷地丸々を覆うほどの広範囲な呪いの術式がね』
「それを……使ったのか」
『そう、僕は使ってしまった。使用者も死に至らしめる禁忌の術式だとも知らずにね……呪いの効果で程なくして僕達家族は死んだ。でもその呪いの真骨頂はここからでね、呪いの使用者を死に至らしめただけでなく、永遠の命、アンデッドとしての命を吹き込む邪法だったのさ。呪いは敷地の生命力を強制的に吸い上げ、術者――僕の事だね、に還元する。呪いは敷地内に足を踏み入れた生命体全てに作用する。そして還元した生命力を源に僕はゾンビ、マジックスケルトン、スケルトンソーサラー、カースドマジシャン、そして今から百年前に立派なリッチへと進化を遂げた。馬鹿な話だと笑ってくれて構わない。でも僕はアンデッドになりたかったわけじゃない、人っ子一人入れないこの場所で二百年の間、何もせずただ屋敷を徘徊するだけの日々は僕の心を殺すのに充分だった。だから……君に頼みがあるのさ』
リッチは椅子から立ち上がり、まるで懇願するような瞳で俺を見た。
「頼み……?」
『そう。君なら叶えてくれる、そう思った。だからお願いだ、僕を……僕を滅ぼしてくれ。少年よ』
◇ ◇ ◇
アンデッドとは、生者への妬み憎しみを本能的に抱く存在だと言われている。
しかし目の前のリッチは襲って来ることも無く、自身を滅ぼしてくれと言う。
「一つ聞かせて欲しいんだけど……なぜこの家から出ようとしない? 別に縛られているわけじゃないんだろ?」
『君の言う通りこの家から出るのは可能だろう。けど僕はリッチだ。ここから出てしまったら生者の敵になってしまう。どういうわけか僕は生者への憎しみや妬みが皆無なのさ。だが周りはそんな事信じない。徒党を組み僕を倒そうとするだろう。そうなればアンデッドと生者の戦いになる』
リッチは懐から古びた魔導書を取り出し、眺めながら続ける。
『リッチになって自分がどういう存在なのかは本能的に分かった。リッチは魔導の探求、知識への渇望、深淵への到達、生者に対する侮蔑感、そういうのが根底にあるし……自身の弱点や耐性なども分かったし、人では使う事が出来ない魔法を使える。使えるのなら使ってみたいと思うのが性と言うものだろ?』
「戦いになったら大人しく討伐されればいいじゃないか。それじゃ駄目なのか?」
『矛盾しているのは分かっているよ。けど多分そうなったら僕は本能的に抵抗してしまう。人を殺してしまう。人を殺してしまったら……殺す喜びを知ってしまったら完全にリッチとして覚醒してしまう。分かるんだよ、何となくね』
「人として死にたい、って事か?」
『そうかも知れない。僕はひと時の感情で呪いを使い家族を殺してしまった。それは許されざる行為だ。しかも呪いの影響で、間接的とはいえ、たくさんの人の生を奪った。僕はこれ以上、殺したくない』
そう言うと、リッチは再び椅子に深く腰掛けて黙ってしまった。
アンデッドになりきれないアンデッドの背中からは、どこと無く哀愁が漂っている気がした。
滅ぼしてくれと言われても、会話してしまった事で少なからず情が湧いてしまう。
文殊の力を使えばリッチを倒すのは可能なのかも知れない。
「でも……」
『同情してくれてるのかい? でも僕は人殺しだ。居てはいけない存在なんだよ』
リッチがやった事は、カッとなって人を殺してしまったようなものだ、許される事では無いかもしれない。けど救いたいと思ってしまう。
我ながら甘い考えだとは思う。
人であるからこそ反省して後悔し、後悔の果てに死を選ぶ者もいる。
人として自我のあるアンデッドなんて希少な存在だ。可能性を信じたい気持ちが大きい。
それに、リッチは二百年という気が遠くなる時間を、一人孤独に過ごしてきた。
言うなれば、二百年の牢獄刑と同義ではないのだろうか。
「クライスラー・ウインテッドボルトに会いたいか?」
気付けばそんな言葉が口から出ていた。
『会えるなら会ってみたいよ。僕が滅ぼされたとしても行先は冥府、あの世で会う事もないだろうしね』
「会わせてやると言ったら?」
『どうやって、と返すだろうね』
仮にクライシスに会わせたとしても、彼ならばリッチなど瞬殺出来るはずだ。
なら人としての可能性を信じ、道を提示してやりたい。
悲しみを背負ったまま死ぬのは見ていられない。
「会わせてやるよ。その代わりと言っちゃなんだけど……この家を譲って欲しい」
『はぁ? 本気で言ってるのかい? クライスラーは千年も前の人物だよ?』
「生きてるんだよ。信じられないと思うけど彼なりの方法でな」
日は既に落ち切り、窓からは闇夜を照らす街灯の光が差し込んでいる。
薄暗い部屋の中、窓から入る街灯の逆光でリッチの表情は窺い知れないが、思案しているのが分かった。
『その目は嘘を言っている目じゃないね……信じ難い事だけど……分かったよ、君を信じよう。この家はもう誰の物でも無いんだ。好きに使ってくれて構わない。呪いは既に何者かが持ち込んだ禍々しい存在によって断ち切られているしね』
椅子から立ち上がって話すリッチの声は弾み、喜びの色が見て取れた。あとは導くだけだ。
禍々しい存在というのは、恐らく黒剣デモンズソウルの事だろう。
あの剣がこの屋敷の敷地内に持ち込まれた事で、リッチがかけた呪いが無くなった。
だからあの邪教の祭司や邪教徒、コブラや俺が呪いの影響を受けなかったのか。
不幸中の幸いってやつなのかな。
「そっか。よし。なら行こう、今すぐ」
『分かった』
リッチが軽く手を振ると窓が音もなく開いた。
ここから出るという事だろう。
窓枠に足をかけ、隣の屋根へ一気に飛ぶ。
『父さん母さん兄ちゃん、さようなら。そしてごめんなさい』
背後からリッチの声が聞こえた。
とても悲哀に満ちた別れの言葉。二百年という長大な時間を罪の意識に苛まれ、死ぬ事も出来ず孤独に過ごしたリッチ。
俺としては充分罪は償ったのではないかと思うほどの長い時間だ。
満月の放つ淡い光に照らされながら屋根を駆ける俺の後ろで、リッチは宙に浮きながら音もなくついてくる。
「なぁ、それ俺にも出来るか?」
『【フライ】の事? 上級魔法だけど君なら出来ると思うよ。はい』
「あばばばば」
唐突に骨の指で後頭部を突かれた途端、魔法の詳細が頭になだれ込んでくる。
【フライ】――風属性の上級魔法であり、複数の術式を組み合わせた魔法でコントロールが非常に難しいようだ。
頭に流れる術式とイメージをトレースして文殊を発動、風の文殊が緑光を発すると同時に、体の周囲に風の膜が張られていくのが分かる。
『うん、上手上手。さすがだね……って君は魔力を使うそばから補充しているのかい⁉ すごい体だ! 君が纏う強力な気配はその膨大な魔力によるものか! 肉体改造でもしたのかい? 君の体は魔力枯渇とは無縁そうだね!』
「はは……どうも……」
風力のコントロールにいっぱいいっぱいで、細かい話をする余裕が無い。
傍から見たら、顔の引きつり具合は相当なものだろう。
体は既に宙に浮いているのだけど、コントロールが難しい。
ガックンガックンと、激しく上下左右に揺れる視界に酔い始め、喉に酸っぱいものがこみ上げそうになる。
やがて、風の流れと一体化するような感覚を掴んだ所で、ようやく視界が安定した。
姿勢を安定させ、少しずつ上昇を試みると体がぐんぐんと空に上がっていき、街が遠くなり、雲が近付く。
「これは……気持ちいいな……」
『そうだね……街の様子もすっかり変わっている……もう、僕の知っているランチアでは無いんだね』
街の上空で一度止まり眼下を眺めると、王宮と街の全てが一望出来た。街灯や家の明かりが不規則に灯っていて、とても綺麗だ。
『行こう、少年』
「ああ、そうだな。それと俺の名はフィガロだ、よろしくな」
高度はそのままにサーベイト大森林へ向けて加速する。
その日の夜、死神に連れられて空を飛ぶ少年の姿が話題になったのはまた、別のお話。
◇ ◇ ◇
サーベイト大森林にいる千年前の英雄、クライスラー・ウインテッドボルト改めクライシスの元へリッチを送り届けた。
顔合わせした二人はお互いに仰天し、見ていてとても面白かった。
リッチは最初少し疑っていたが、クライシスの実力を見て納得してくれた。
『千年生きるとかアンデッドみたいですね』と、アンデッドのリッチに言われてクライシスが凹んでいたのはご愛嬌だ。
クライシスが魔法でリッチの外見を生前の姿に戻した時は驚いたが、彼の事だからそんなもんだろうと妙に納得した。
感極まり泣き崩れるリッチというのも、この先見ることはないだろう。
クライシスも語り合う仲間が出来たと喜んでいたのでウィンウィンだと思う。
歓談を終え、俺は覚えたての【フライ】で一路ランチアへと戻り、トワイライトへ来ていた。
「え、コブラ居ないんですか」
「まぁあの子も忙しいみたいよぉ? フィガロちゃんが来たらこれを渡してくれって頼まれたわん。はいどーぞ」
「手紙……? っていうかどこに挟んでるんですか……普通に渡してください、フツーに」
杖なしでも歩ける程に回復したアルピナは、コブラからの手紙を胸の谷間に挟んで差し出して来た。
開けると、トロイのアジトへの道順が記載されていた。
コブラは出来る女幹部のようなイメージだったのだが、手紙は少女のような可愛らしい丸文字で書かれていて少し驚いた。
しかもちょっとしたイラスト入り。これはデフォルメされた俺の似顔絵だろうか?
「ちょっと行ってきますね」
「はーい。気を付けるのよぅ? なーんかさっき、『死神だぁ! 死神が俺の命を取りにきたぁ!』とか、客が世迷言を叫んでたのん。フィガロちゃんなら大丈夫だと思うけど、一応ね」
「はは……死神ですか……怖いですね。ちなみにその方は?」
「酔い潰れてしっかりくたばってるさね」
どうやらリッチの姿をバッチリしっかり見られていたらしい。
あの出で立ちでは死神に見えても仕方ないだろうな。
特に悪い事はしていないのだが、背中に変な汗がじんわりと浮いてくる。
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