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【短編】
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「クロードさん、書類の期日は明日ですよ」
「あ、はい、すみません。でも他の書類とか雑務とかもあって……」
「それはそれ、これはこれですよね? そんなに多い書類では無いと思いますけど」
「……わかりました」
王城の総務人事室の扉を閉めてため息一つ。
今日で何日の連勤だろうか。
ひーふーみー……二十二連勤、か。
「おい、あれ」
「あぁ、たった一人の隊長さんだろ? 給料泥棒とかいう」
「そうそう。召喚士とか言ってるけど、召喚してる所は誰も見たことがないし、軍の戦闘訓練にも出てないらしい。毎日書類の山の上で寝てるだけらしいぜ」
俺の姿を見かけた兵士達が、わざと俺に聞こえるように喋っている。
「……チッ」
相手をするのも馬鹿らしいので新しく渡された書類を手に兵士達の前を通り過ぎようとしたが――。
「おっとすいません」
「うわっ!」
綺麗な足払いをかけられ、俺はそのまま廊下に倒れ、書類がバラバラと散乱してしまった。
「すいませんね隊長さーん」
「だっさ。普通避けるだろあんなの」
兵士達は笑いながらそのままどこかへ去って行った。
くそ、陰険な奴らめ。
散らばった書類を広いながらまたため息一つ。
「軍部の素晴らしい教育の賜物だな」
自分の部署に帰り、たった一つしかない事務机に山積みにされた書類を見てさらにため息一つ。
俺が所属しているのはテイル王国第一召喚部隊。
そして隊長は俺であり、隊員は俺しかいない。
王国軍唯一の召喚士、それが俺の一応の肩書きだ。
どうして隊員が俺しかいないのか。
そんなのは簡単だ。
この国の召喚士は俺しかいないからだ。
テイル王国は世界でも珍しい、モンスターを軍に導入している国だ。
軍馬として採用されているのは、通常の馬よりも強靭で力強いモンスターのグレイトウォーホース。
索敵やトラップの発見にサイレントウルフ。
王国きっての精鋭、空戦隊に使用されているのはグリフォン。
壁となり質量兵器となるゴーレム。
などなどだ。
モンスターが加わる事で対人、対モンスター、対魔獣戦闘の質が上がり、テイル王国は比類なき軍事力を手に入れていた。
モンスターの入手ルートは極秘。
トップシークレット。
その実態は我がラスト家が親子三代に渡りモンスターを召喚し、定着させてきたというものだ。
だが悲しいかな、その事実を知るのは軍部でも極僅か、一握り、というより俺以外には国王陛下、公安局長とモンスター部隊統括司令、俺の直属の上司である将軍、この四人しかいない。
書類の山で寝ているだけ、まぁ確かに事実だ。
だが休みなくモンスターが定着しているかのチェック、運用に関する書類、マニュアル作り、フードの配合などなどモンスターに関する多岐にわたる一切合切の仕事を俺一人に押し付けられ、睡眠時間を削って頑張ってんだ。
そりゃ居眠りもするわ。
おかげで目の周りは濃いクマに覆われ、ろくに食事も取れないから頬だってちょっとこけ始めている。
暗闇で自分の顔を見たらゾンビみたいになってて笑ったよ。
残業手当もなし、毎月の給料は低い、有給もない、冠婚葬祭手当てもない、真実を知らない兵士達からは後ろ指をさされ、事務のお姉さん達からは仕事が遅いとどやされる。
祖父の代で承った子爵の位ですら今は埃を被っている。
陛下はこの現状を知っているんだろうか?
局長は部署が違うから知らないかもしれないけれど、統括指令と将軍は知っていてもいいんじゃないか?
それともただ単に人手不足とか?
数年前まではここまで酷くなかったんだけどなぁ。
「あああもう無理! やってられっか! くそ! こんなブラックな仕事辞めてぇええ!」
考えれば考えるほど、俺がこの国に貢献するメリットがない。
だったらいっそ退職して田舎で農家に転身したほうがまだマシだ。
けど親子三代に渡っての業務に俺が匙を投げてもいいものなんだろうか。
書類の海の中で頭を抱えていた時、ノックの音が聞こえ扉が無遠慮に開かれた。
「クロード・ラスト。軍会議で召集がかかっている」
現れたのは俺の直属の上司であり、軍のエリートであるアスター将軍閣下様だった。
クールで無表情、ゴーレムのようにただ淡々と職務をこなす真面目一徹のお方だ。
剣の腕は軍部でも最上位、きっと良い金貰ってんだろうなぁ! ちくしょう!
「あー……もうそんな時間ですか。わかりました」
脱力した手をふり、心の中で愚痴りながら重い体を引き上げる。
「相変わらず貴様はぐうたらとしているな。そんな事だから」
「小言はいーっす。わかってますよ」
「……ふん。行くぞ」
「うす。あ、俺、辞めますわ」
扉を開け放って待っているアスターの横を通り過ぎる際、俺はそう呟いた。
「な……! 本気で言っているのか!」
「本気ですよ。もうやってらんねぇっすわ」
「なぜだ!」
「なぜ? いやいいっす。ここで話しても疲れるだけなんで……会議の時に言ってやりますよ。どうせちくちくねちねち小言言われるんだし」
「クロード……」
「これはもう決めた事ですんで、はい」
珍しく狼狽するアスターを横目に、俺は会議室の扉を開いた。
「遅いぞクロード!」
「職務怠慢、やる気のない態度、目に余りますな」
「髪もボサボサで身支度ひとつ出来んのか貴様は!」
会議室に入るなりピーチクパーチクとお偉方が騒いでいるがいつものことだ。
どうせ溜まったストレスの吐口くらいにしか思ってないんだろうな……。
「すみません」
「ふん! この無駄飯くらいが!」
椅子に踏ん反りかえる砲術大隊長。
ピキ。
「何が召喚士だ。毎日毎日ぐうたらしているだけではないか」
机で手を組み、蔑むような視線を送ってくる機動歩兵大隊長。
ピキピキ。
「貴殿は演習にすら顔を出さんと聞いているぞ?」
出なくていいって言ったのはお前だろうが、騎兵大隊長さんよ。
ピキピキピキ。
「モンスターの管理? そんなもの誰でも出来る。現に出来ている。無能な貴様に席を与え、仕事を与えている我々に感謝してほしいものだな!」
ちょび髭をさすりながら吐き捨てるように言う第一方面軍司令官殿。
ブチィ。
と、俺の中で何かがキレる音がした。
「うるっせえええんだよ!!」
吠えた。
自分でもこんなに大きな声が出るとは思ってなかったのでちょっとびっくりした。
でも止まらない。
止められない。
長年貯めてきた鬱憤が今こそ我こそはと押し寄せてくる。
俺の怒号で場が静まり返り、お歴々の方々が目を丸くしてやがる。
「ごちゃごちゃねちねちくどくどと! 俺が何をして何をさせて何を考えて何の為に色々やってっと思ってんだコラァ!」
「き、きさま……!」
「黙れちょび髭! 貴様も殿様もあるか! ふざけんなよマジで! こちとら連勤二十二日目だぞ! 飯もろくに食えない、モンスターに関わる仕事を一切合切放り投げておいて仕事してないだ? 世話なら誰でも出来る? 誰でも出来るようにモンスターの個体ごとのマニュアルを作ってんのは誰だ!? 気まぐれでわがままなグリフォンの餌のレシピを作ってんのは誰だ!? その他諸々言いたいことはたくさんあるんだ! 上から知った口を聞いてんじゃねぇぞこのスカポンたん共が!」
「お、おいクロードやめろ」
「そうだな! やめる! もううんざりだ。俺は軍を抜ける。王国なぞ知ったことか!」
ハァ、ハァ、言った、言ってやった。
すげぇスカッとした……。
「き、きさ、きさま!」
ちょび髭司令官殿がわなわなと拳をふるわせ、顔を真っ赤にして俺を睨みつけてくる。
「ふん、無駄飯食らいの給料泥棒なぞこっちから願い下げだ! さっさと出て行け!」
売り言葉に買い言葉、正直俺が切れて、それで待遇やらなんやらが変わるとは思ってなかったし、期待もしてない。
けども。
ふぅ、と一度呼吸を落ち着け、非常に、極めて紳士的に言葉を紡ぐ。
「本当にいいんですね? 俺がいなくなったら、王国は終わりですが」
「虚勢はそれだけかね召喚士君。今やテイル王国は大陸一、勝手にしたまえ。軍を抜けるとなればむろん爵位も剥奪させてもらう!」
怒りが収まらないのか、ちょび髭方面軍司令官殿は即座にそう返してきた。
ていうかさ、爵位どうのってあんた俺が子爵だって知ってたのか? それでその態度ってどうなのよ。
位で言えば俺の方が上だぞ? あぁん? なんでそんな偉そうなんだよ!
「わかりました。ではこれで失礼させていただきます。非常に心苦しい決断ではありますが、頑張ってくださいね。そう、色々と」
「さっさと消えろ! この無能が!」
吼えたてる司令官の怒号を背に、俺は扉をそっとしめて会議室を後にした。
「っしゃあああ! 自由だああああ!」
全てを吐き出せたわけではないけれど、かなり、かなーりすっきりしたのは事実だ。
不思議と体が軽い。
足取りも軽い。
先ほどまで仕事をしていた部屋に颯爽と戻り、数少ない私物をバッグに詰め込んでいく。
「あぁ、そうだ。あの子達も開放してやんないとな」
テイル王国で使役されているモンスターは先祖代々伝わる術式によってこの国に定着させている。
術式に使われる魔力は大地を媒介にして王国中から少しずつ集めたものを使っていた。
その術式を管理する宝珠を厳重に施錠された金庫から取り出した。
定着を解除したからといって、効力がすぐになくなるわけじゃない。
おそらく長くても三日、そうすればモンスター達の縛りがなくなって彼らは自由の身となる。
「みんなありがとうな。元気でやれよ」
宝珠に手を当て、ラスト家に伝わる解除の印を施す。
宝珠は一際まばゆい光を発し、そして光が消える。
これで術式は解除され、この宝珠は役目を終えた。
また俺が召喚する時がくれば……日の目を浴びることもあるだろう。
それまでおやすみ。
「よし、行くか!」
机に山積みになった書類を眺め、これを誰が処理するのかと胸を高まらせながら俺は軍を後にした。
〇
「一体どういうつもりですか司令!」
「何がだ?」
「なぜ引き留めなかったのですか! 彼はこの国にとって「黙れ将軍!」
クロードが出ていった後、アスターは司令官に異議を唱えたがそれは怒号によってかき消されてしまった。
「あの無礼者の肩をもつというなら……貴殿も処分せねばらんぞ」
「く……どう、なっても知りませんよ」
「くどい!」
大隊長達はみな怒りを顕にしており、この先何が起きるかなど想像もしていなかった。
アスターは何を言っても無駄だと悟った。
お偉方に啖呵を切ったクロードの処分の話を聞きながら、深いため息を吐いたのだった。
だがアスターはこの場に違和感を感じていた。
この愚か者共がなぜ、クロードの爵位の事を知っていたのかという事だ。
これは陛下を含め四人しか知らない国家機密だというのに。
「とりあえず……暗殺ですかな」
と騎兵大隊長。
「ふむ」
「そうでしょう司令官閣下?」
「そうだな、奴は軍の極秘事項の当事者だ。国外に流出されては困るし、今後の我らの計画に何かしら障害となっても困るからな」
「ではそのように」
反対する者もおらず、満場一致で可決されたクロードへの処分。
司令官達は何かを示し合わせるようにニヤリと笑みを浮かべていた。
しかしながらそんな事にリソースを割いている場合では無いことに当人達は未だ気付いていない。
軍崩壊まで残り――三日。
〇
「さてと、多分追っ手が来るだろうし、さっさと退散するかな」
長年軍にいたお陰で馬鹿な上司達がどう動くかも織り込み済み。
王都の外に出てワイバーンを召喚、いざ新天地へ旅立たんとしたその時--。
「クロード・ラスト! 国家反逆罪で貴様を処刑する!」
「はぁ!? いくらなんでも早すぎんだろ! あっぐぅう!」
唐突に聞こえた声と同時に肩へ鋭い衝撃が走った。
見れば肩にはボウガンの矢が突き刺さっており、貫通した矢先には怪しい輝きが宿っていた。
「く……毒だと……! ワイバーン! 行け! 全速だ!」
『ギャオオオ!』
背後からはグリフォン部隊が五組追ってくる。
部隊は一組五人、俺一人に追手二十五人かよ。
まるで俺が逃げる事を予測していたような仕事の速さだな。
けどグリフォンが全速力のワイバーンに追いつけるはずがない。
数秒の逡巡で逃げ切れるだろうと予測できた、しかし肩からの毒が一気に全身に回って激痛が走った。
くそ、毒が……これ……デスサーペントの猛毒じゃないか……。
「サモン:ポイズンスライム」
俺はぐらぐらと揺れる視界の中、血反吐を吐き散らしながら解毒を試みる。
すまんワイバーン、背中汚しちまったな。
『ミョミョミョ!』
「お、おお俺を……食って、解毒しろ……は、はや……」
『ミョーー!』
召喚したスライムが俺の全身を飲み込んだ瞬間、そこで俺の意識はぷつりと途切れた。
そして記憶が逆再生のように脳内を駆け巡る。
青年期、少年期、幼年期、そして母の胎内、そして、前世で死ぬ瞬間まで。
工藤洋一、大手広告代理店社員、過労により死亡。
俺が死んだ理由はそんなところだ。
これが走馬灯を見ると言う事なんだろうが、前世まで見る必要があるんだろうか。
工藤洋一、趣味はミリタリー、FPSシューティングゲームが趣味、恋人無し。
そして今の俺クロード・ラストの記憶。
全てがまぜこぜになっていき、やがてまたテレビの電源が切れるように、ぷつりと視界が暗転した。
「おい、おいお主、大丈夫か」
体を揺すられ、意識を取り戻した俺の目の前には一人の少女の姿。
ピンクの髪にツインテール、前髪パッツン垂れ目の子。
え、誰? 俺は確か猛毒で走馬灯で工藤洋一で……。
「う……あ、あなた、は」
「儂か? 儂はクレア。魔王じゃ」
「ま、おう……」
「いかにも。お主、ワイバーンの上でスライムに喰われとったんじゃが、そういう趣味なのか?」
「違いますよ……ごほっ、毒を受けて、ポイズンスライムで解毒しようと……そうだ! 追手は!」
「そんなもんおらんよ。ワイバーンの本気の飛行に追いつける奴はおらんて」
そうか、逃げる時、確か全速と指示したんだっけか。
グリフォンとワイバーンじゃ飛行性能が段違いだからな。
最初からワイバーンを召喚しておいてよかった。
他の飛行系だったら追い付かれていたかもしれない。
一度深呼吸をしてから体を起こし、クレアと向き合う形に座り直す。
クレアのそばにはワイバーンが座ってじっと俺を見ながら低く鳴いていた。
魔王、魔界を統べる王。
クレアの自称が本物なら、なぜ人界に魔王がいるのだ。
「今お主、なぜ魔王が人界におるのかと疑問に思ったじゃろ」
えっ。
なんでバレた。
この人エスパーなのか?
「顔にそう書いてあるわい」
「あっ……すみません」
「そもそも魔界の領空を身元不明のワイバーンが飛行していたら誰でも見にくるわい」
「は!? 魔界!?」
「さよう。ここは魔界じゃ。ワイバーンのやつ、指令を出したお主がいつまでも眠りこけておるもんじゃから止まり所がわからず猪突猛進、魔界まで突っ込んできたのじゃろな」
「あ……」
「労ってやるといい。疲労困憊じゃぞ」
「はい。ありがとなワイバーン」
『ギャオス!』
グルグルと鳴いていたワイバーンの顎をそっと撫でると、ワイバーンは嬉しそうに翼を広げて吠えた。
「してなぜお前はそないな事になっておる」
「実はですね、かくかくしかじか……」
「なんと……うまうまとらとらか……」
「そういうわけなんです」
「そいつは酷い話じゃの」
「でしょう? しかも……」
クレアに事の発端と俺の職業などをかいつまんで話した。
黙って話を聞き、所々で相槌を打つクレアの表情は真剣そのもの。
思わずペラペラと話をしてしまい、後半はほぼほぼ愚痴オンリーだった。
溜まっていた残りの感情が爆発してしまったらしい。
しかもこんなに親身に聞いてくれる人なんていなかったし。
これ、テイル王国の国家機密だけどいいよな?。
「ふむ……召喚士、か。お主、ウチで働いてみんかえ?」
「え?」
「週休完全二日制、残業代、休日出勤手当て、忌引き休暇、有給休暇もしっかり出す。年末には魔族旅行、医療厚生費はもらうがその分福利厚生はバッチリじゃぞ?」
「は?」
「なんじゃ? 不服か?」
「い、いや……」
なんだその好待遇すぎる好待遇は。
そんな職場が本当にあるのだろうか。
少なくとも俺はそんな職場を聞いたことはない。
怪しい、うまい話には裏があるということわざもある。
「お主、こいつ上手いことばかりいいよって、怪しいわい。とか思っとらんか」
「おもって……いや思ってないです!」
「人界の勤務体系に疑問が噴き出るが……魔界は大体そんな感じじゃぞ」
「本当ですか?」
「魔族は我の強いやつらばかりじゃからな。やれ家族旅行だの子供が熱を出したから休ませてくれだの、仕事は適当なくせにアピールは一級品じゃ」
「なるほど……」
「どうじゃ?」
「それが本当なら願ったり叶ったりですけど……なんでそこまで気にかけてくれるんですか?」
「なんで……? 優秀そうな人材をスカウトするのに優秀そうだからだけではダメなのか?」
「優秀……?」
クレアは「何言ってるんだこいつ」というような怪訝な顔で俺を見るが、俺のどこに優秀さを感じたと言うのだろう。
「まずはそのクマじゃ。熱心に責任を持って仕事をしておった証拠じゃろ。次に召喚士という職、これは魔族に近い血を持つものしかなれん職じゃ。最後に意識を失いながらもワイバーンとスライムを使役していた事じゃな。スライムはともかく、ワイバーンは気性の荒い生き物じゃ、それを全速力で飛行させ続けるなぞ並大抵の実力じゃあないぞい」
「そ、そうなんですか」
「うむ」
「そう、なんだ」
初めて認められた気がする。
じんわりと心の奥底が温まり、それが鼻を通って目に伝わり--。
「なにを泣いておるのじゃ……まったく、話以外にも相当不憫な思いをしてきたのじゃな」
クレアの慈しむような声色が脳に染み渡り、瞳から溢れる涙の量を増していく。
ぼろぼろ、ぼろぼろと、だらし無く、俺は泣いた。
〇
「取り逃しただと!?」
「も、申し訳ございません! ワイバーンの飛翔速度には勝てず……」
「ワイバーン、奴め、それほどのモンスターを召喚できたのか。やはり職務怠慢、怠惰に仕事をしてきたようだな」
「許されざる冒涜、軍をなんだと思っているのか」
「すぐに追手を差し向けるしかあるまい。報告によると魔界との境界まで一直線に飛んでいったそうだからな」
「反逆者には死を!」
「それよりも奴の部屋からあの秘宝が無くなっている! 奴が持ち出したのだ! アレが無くては我らの計画もままならんぞ!」
司令官や大隊長の集まる会議室で報告を終えた兵は綺麗にお辞儀をし、新たに与えられた指令を遂行すべく室内から出ていった。
軍幹部達の顔は怒りに染まっており、ワイバーンすら召喚できる実力を持ったクロードを許し、呼び戻そうとする様子はなかった。
彼らの中には上官たる自分たちに暴言を浴びせただけでは飽き足らず、秘宝を持ち出した裏切り者、という認識しか残っていなかった。
なぜクロードの持つ秘宝が重要なのか、それを詮索する者はこの場にはいなかった。
--軍崩壊まで残り二日。
〇
「という事で新しく我が軍に入ったクロードだ。みなよろしく頼むぞ」
「く、クロード・ラスト、ですよろしくお願いします」
クレアが座る玉座の間にて、俺は目の前に並ぶ魔族の面々に戦々恐々としていた。
「魔王様、また人間拾ってきたんですか?」
魔王軍四天王、炎のブレイブ。
「召喚士か、その血脈が未だ健在とは……よろしく頼む」
魔王軍四天王、氷のアストレア。
「結構いい男ねぇ。どう? あとで私といいことしない?」
魔王軍四天王、闇のカルディオール。
「クレア様のお言葉は絶対。研鑽を詰め、人間よ」
魔王軍四天王、大地のゴリアテ。
「しゃかりき働いておくれよ? こっちは万年人手不足なもんでね」
魔王軍筆頭総括司令、光風のクレイモア。
人界まで名の轟く実力者達がそろい踏み。
テイル王国が何度も辛酸を舐めさせられた相手でもある。
「クロードは王国なぞどうでもいいと言い切った男じゃ。きっと我らの力になってくれるじゃろうて。な? クロ」
「は、はい! 誠心誠意頑張らせていただきます!」
〇
「報告します! 司令! 一大事です!」
「何事だ騒々しい」
第一方面軍司令官、コザは新しく子爵となったベネット卿と酒を酌み交わしていた。
気分良く飲んでいた所に部下が血相を変えて飛び込んできたものだから、すこぶる機嫌が悪い。
コザには嫌いなものが三つあった。
一つは自分の命令に従わないもの。
二つ目は自分に意見するもの。
三つ目は自分の機嫌を損ねるもの。
飛び込んできた兵もその事を知ってはいたが、悠長に待っているなど出来ない事態が起きていたのだ。
「我が軍のモンスター達が! 次々に反抗を始めました! すでに半数以上が反抗し暴れており手が付けられません! こちらに牙を剥くモンスターも出ており、逃亡したモンスターも数多く!」
「ふん! そんな出来損ないなど処分してしまえ! 逃げたモンスターの追跡部隊を出せ! 捕獲して連れ戻せ!」
コザはテーブルに拳を叩きつけると、手にしていた杯を兵に投げつけた。
グラスは粉々に割れ、中の酒が兵にかかった。
「し、しかし!」
「くどい! 二度言わせるな! それがお前らの仕事だろう! さっさと行け屑が!」
「くっ……! はは!」
兵はそのまま踵を返し、コザの部屋から走り去っていった。
「機転の利かない兵ですなぁ。コザ殿」
「全くだ。さて飲みなおそうでは無いか」
「えぇ、それで、例の計画は?」
「気になるか? お前も悪だなぁ。クックック」
「いえいえ、コザ殿ほどではありませんよ。ヒッヒッヒ」
新しく封を切ったワインを二つのグラスになみなみと注いだベネットはコザと顔を見合わせる。
いやらしい笑みを浮かべた二人のグラスが掲げられると、それを重ねる澄んだ音が薄暗い室内に響いた。
「あ、はい、すみません。でも他の書類とか雑務とかもあって……」
「それはそれ、これはこれですよね? そんなに多い書類では無いと思いますけど」
「……わかりました」
王城の総務人事室の扉を閉めてため息一つ。
今日で何日の連勤だろうか。
ひーふーみー……二十二連勤、か。
「おい、あれ」
「あぁ、たった一人の隊長さんだろ? 給料泥棒とかいう」
「そうそう。召喚士とか言ってるけど、召喚してる所は誰も見たことがないし、軍の戦闘訓練にも出てないらしい。毎日書類の山の上で寝てるだけらしいぜ」
俺の姿を見かけた兵士達が、わざと俺に聞こえるように喋っている。
「……チッ」
相手をするのも馬鹿らしいので新しく渡された書類を手に兵士達の前を通り過ぎようとしたが――。
「おっとすいません」
「うわっ!」
綺麗な足払いをかけられ、俺はそのまま廊下に倒れ、書類がバラバラと散乱してしまった。
「すいませんね隊長さーん」
「だっさ。普通避けるだろあんなの」
兵士達は笑いながらそのままどこかへ去って行った。
くそ、陰険な奴らめ。
散らばった書類を広いながらまたため息一つ。
「軍部の素晴らしい教育の賜物だな」
自分の部署に帰り、たった一つしかない事務机に山積みにされた書類を見てさらにため息一つ。
俺が所属しているのはテイル王国第一召喚部隊。
そして隊長は俺であり、隊員は俺しかいない。
王国軍唯一の召喚士、それが俺の一応の肩書きだ。
どうして隊員が俺しかいないのか。
そんなのは簡単だ。
この国の召喚士は俺しかいないからだ。
テイル王国は世界でも珍しい、モンスターを軍に導入している国だ。
軍馬として採用されているのは、通常の馬よりも強靭で力強いモンスターのグレイトウォーホース。
索敵やトラップの発見にサイレントウルフ。
王国きっての精鋭、空戦隊に使用されているのはグリフォン。
壁となり質量兵器となるゴーレム。
などなどだ。
モンスターが加わる事で対人、対モンスター、対魔獣戦闘の質が上がり、テイル王国は比類なき軍事力を手に入れていた。
モンスターの入手ルートは極秘。
トップシークレット。
その実態は我がラスト家が親子三代に渡りモンスターを召喚し、定着させてきたというものだ。
だが悲しいかな、その事実を知るのは軍部でも極僅か、一握り、というより俺以外には国王陛下、公安局長とモンスター部隊統括司令、俺の直属の上司である将軍、この四人しかいない。
書類の山で寝ているだけ、まぁ確かに事実だ。
だが休みなくモンスターが定着しているかのチェック、運用に関する書類、マニュアル作り、フードの配合などなどモンスターに関する多岐にわたる一切合切の仕事を俺一人に押し付けられ、睡眠時間を削って頑張ってんだ。
そりゃ居眠りもするわ。
おかげで目の周りは濃いクマに覆われ、ろくに食事も取れないから頬だってちょっとこけ始めている。
暗闇で自分の顔を見たらゾンビみたいになってて笑ったよ。
残業手当もなし、毎月の給料は低い、有給もない、冠婚葬祭手当てもない、真実を知らない兵士達からは後ろ指をさされ、事務のお姉さん達からは仕事が遅いとどやされる。
祖父の代で承った子爵の位ですら今は埃を被っている。
陛下はこの現状を知っているんだろうか?
局長は部署が違うから知らないかもしれないけれど、統括指令と将軍は知っていてもいいんじゃないか?
それともただ単に人手不足とか?
数年前まではここまで酷くなかったんだけどなぁ。
「あああもう無理! やってられっか! くそ! こんなブラックな仕事辞めてぇええ!」
考えれば考えるほど、俺がこの国に貢献するメリットがない。
だったらいっそ退職して田舎で農家に転身したほうがまだマシだ。
けど親子三代に渡っての業務に俺が匙を投げてもいいものなんだろうか。
書類の海の中で頭を抱えていた時、ノックの音が聞こえ扉が無遠慮に開かれた。
「クロード・ラスト。軍会議で召集がかかっている」
現れたのは俺の直属の上司であり、軍のエリートであるアスター将軍閣下様だった。
クールで無表情、ゴーレムのようにただ淡々と職務をこなす真面目一徹のお方だ。
剣の腕は軍部でも最上位、きっと良い金貰ってんだろうなぁ! ちくしょう!
「あー……もうそんな時間ですか。わかりました」
脱力した手をふり、心の中で愚痴りながら重い体を引き上げる。
「相変わらず貴様はぐうたらとしているな。そんな事だから」
「小言はいーっす。わかってますよ」
「……ふん。行くぞ」
「うす。あ、俺、辞めますわ」
扉を開け放って待っているアスターの横を通り過ぎる際、俺はそう呟いた。
「な……! 本気で言っているのか!」
「本気ですよ。もうやってらんねぇっすわ」
「なぜだ!」
「なぜ? いやいいっす。ここで話しても疲れるだけなんで……会議の時に言ってやりますよ。どうせちくちくねちねち小言言われるんだし」
「クロード……」
「これはもう決めた事ですんで、はい」
珍しく狼狽するアスターを横目に、俺は会議室の扉を開いた。
「遅いぞクロード!」
「職務怠慢、やる気のない態度、目に余りますな」
「髪もボサボサで身支度ひとつ出来んのか貴様は!」
会議室に入るなりピーチクパーチクとお偉方が騒いでいるがいつものことだ。
どうせ溜まったストレスの吐口くらいにしか思ってないんだろうな……。
「すみません」
「ふん! この無駄飯くらいが!」
椅子に踏ん反りかえる砲術大隊長。
ピキ。
「何が召喚士だ。毎日毎日ぐうたらしているだけではないか」
机で手を組み、蔑むような視線を送ってくる機動歩兵大隊長。
ピキピキ。
「貴殿は演習にすら顔を出さんと聞いているぞ?」
出なくていいって言ったのはお前だろうが、騎兵大隊長さんよ。
ピキピキピキ。
「モンスターの管理? そんなもの誰でも出来る。現に出来ている。無能な貴様に席を与え、仕事を与えている我々に感謝してほしいものだな!」
ちょび髭をさすりながら吐き捨てるように言う第一方面軍司令官殿。
ブチィ。
と、俺の中で何かがキレる音がした。
「うるっせえええんだよ!!」
吠えた。
自分でもこんなに大きな声が出るとは思ってなかったのでちょっとびっくりした。
でも止まらない。
止められない。
長年貯めてきた鬱憤が今こそ我こそはと押し寄せてくる。
俺の怒号で場が静まり返り、お歴々の方々が目を丸くしてやがる。
「ごちゃごちゃねちねちくどくどと! 俺が何をして何をさせて何を考えて何の為に色々やってっと思ってんだコラァ!」
「き、きさま……!」
「黙れちょび髭! 貴様も殿様もあるか! ふざけんなよマジで! こちとら連勤二十二日目だぞ! 飯もろくに食えない、モンスターに関わる仕事を一切合切放り投げておいて仕事してないだ? 世話なら誰でも出来る? 誰でも出来るようにモンスターの個体ごとのマニュアルを作ってんのは誰だ!? 気まぐれでわがままなグリフォンの餌のレシピを作ってんのは誰だ!? その他諸々言いたいことはたくさんあるんだ! 上から知った口を聞いてんじゃねぇぞこのスカポンたん共が!」
「お、おいクロードやめろ」
「そうだな! やめる! もううんざりだ。俺は軍を抜ける。王国なぞ知ったことか!」
ハァ、ハァ、言った、言ってやった。
すげぇスカッとした……。
「き、きさ、きさま!」
ちょび髭司令官殿がわなわなと拳をふるわせ、顔を真っ赤にして俺を睨みつけてくる。
「ふん、無駄飯食らいの給料泥棒なぞこっちから願い下げだ! さっさと出て行け!」
売り言葉に買い言葉、正直俺が切れて、それで待遇やらなんやらが変わるとは思ってなかったし、期待もしてない。
けども。
ふぅ、と一度呼吸を落ち着け、非常に、極めて紳士的に言葉を紡ぐ。
「本当にいいんですね? 俺がいなくなったら、王国は終わりですが」
「虚勢はそれだけかね召喚士君。今やテイル王国は大陸一、勝手にしたまえ。軍を抜けるとなればむろん爵位も剥奪させてもらう!」
怒りが収まらないのか、ちょび髭方面軍司令官殿は即座にそう返してきた。
ていうかさ、爵位どうのってあんた俺が子爵だって知ってたのか? それでその態度ってどうなのよ。
位で言えば俺の方が上だぞ? あぁん? なんでそんな偉そうなんだよ!
「わかりました。ではこれで失礼させていただきます。非常に心苦しい決断ではありますが、頑張ってくださいね。そう、色々と」
「さっさと消えろ! この無能が!」
吼えたてる司令官の怒号を背に、俺は扉をそっとしめて会議室を後にした。
「っしゃあああ! 自由だああああ!」
全てを吐き出せたわけではないけれど、かなり、かなーりすっきりしたのは事実だ。
不思議と体が軽い。
足取りも軽い。
先ほどまで仕事をしていた部屋に颯爽と戻り、数少ない私物をバッグに詰め込んでいく。
「あぁ、そうだ。あの子達も開放してやんないとな」
テイル王国で使役されているモンスターは先祖代々伝わる術式によってこの国に定着させている。
術式に使われる魔力は大地を媒介にして王国中から少しずつ集めたものを使っていた。
その術式を管理する宝珠を厳重に施錠された金庫から取り出した。
定着を解除したからといって、効力がすぐになくなるわけじゃない。
おそらく長くても三日、そうすればモンスター達の縛りがなくなって彼らは自由の身となる。
「みんなありがとうな。元気でやれよ」
宝珠に手を当て、ラスト家に伝わる解除の印を施す。
宝珠は一際まばゆい光を発し、そして光が消える。
これで術式は解除され、この宝珠は役目を終えた。
また俺が召喚する時がくれば……日の目を浴びることもあるだろう。
それまでおやすみ。
「よし、行くか!」
机に山積みになった書類を眺め、これを誰が処理するのかと胸を高まらせながら俺は軍を後にした。
〇
「一体どういうつもりですか司令!」
「何がだ?」
「なぜ引き留めなかったのですか! 彼はこの国にとって「黙れ将軍!」
クロードが出ていった後、アスターは司令官に異議を唱えたがそれは怒号によってかき消されてしまった。
「あの無礼者の肩をもつというなら……貴殿も処分せねばらんぞ」
「く……どう、なっても知りませんよ」
「くどい!」
大隊長達はみな怒りを顕にしており、この先何が起きるかなど想像もしていなかった。
アスターは何を言っても無駄だと悟った。
お偉方に啖呵を切ったクロードの処分の話を聞きながら、深いため息を吐いたのだった。
だがアスターはこの場に違和感を感じていた。
この愚か者共がなぜ、クロードの爵位の事を知っていたのかという事だ。
これは陛下を含め四人しか知らない国家機密だというのに。
「とりあえず……暗殺ですかな」
と騎兵大隊長。
「ふむ」
「そうでしょう司令官閣下?」
「そうだな、奴は軍の極秘事項の当事者だ。国外に流出されては困るし、今後の我らの計画に何かしら障害となっても困るからな」
「ではそのように」
反対する者もおらず、満場一致で可決されたクロードへの処分。
司令官達は何かを示し合わせるようにニヤリと笑みを浮かべていた。
しかしながらそんな事にリソースを割いている場合では無いことに当人達は未だ気付いていない。
軍崩壊まで残り――三日。
〇
「さてと、多分追っ手が来るだろうし、さっさと退散するかな」
長年軍にいたお陰で馬鹿な上司達がどう動くかも織り込み済み。
王都の外に出てワイバーンを召喚、いざ新天地へ旅立たんとしたその時--。
「クロード・ラスト! 国家反逆罪で貴様を処刑する!」
「はぁ!? いくらなんでも早すぎんだろ! あっぐぅう!」
唐突に聞こえた声と同時に肩へ鋭い衝撃が走った。
見れば肩にはボウガンの矢が突き刺さっており、貫通した矢先には怪しい輝きが宿っていた。
「く……毒だと……! ワイバーン! 行け! 全速だ!」
『ギャオオオ!』
背後からはグリフォン部隊が五組追ってくる。
部隊は一組五人、俺一人に追手二十五人かよ。
まるで俺が逃げる事を予測していたような仕事の速さだな。
けどグリフォンが全速力のワイバーンに追いつけるはずがない。
数秒の逡巡で逃げ切れるだろうと予測できた、しかし肩からの毒が一気に全身に回って激痛が走った。
くそ、毒が……これ……デスサーペントの猛毒じゃないか……。
「サモン:ポイズンスライム」
俺はぐらぐらと揺れる視界の中、血反吐を吐き散らしながら解毒を試みる。
すまんワイバーン、背中汚しちまったな。
『ミョミョミョ!』
「お、おお俺を……食って、解毒しろ……は、はや……」
『ミョーー!』
召喚したスライムが俺の全身を飲み込んだ瞬間、そこで俺の意識はぷつりと途切れた。
そして記憶が逆再生のように脳内を駆け巡る。
青年期、少年期、幼年期、そして母の胎内、そして、前世で死ぬ瞬間まで。
工藤洋一、大手広告代理店社員、過労により死亡。
俺が死んだ理由はそんなところだ。
これが走馬灯を見ると言う事なんだろうが、前世まで見る必要があるんだろうか。
工藤洋一、趣味はミリタリー、FPSシューティングゲームが趣味、恋人無し。
そして今の俺クロード・ラストの記憶。
全てがまぜこぜになっていき、やがてまたテレビの電源が切れるように、ぷつりと視界が暗転した。
「おい、おいお主、大丈夫か」
体を揺すられ、意識を取り戻した俺の目の前には一人の少女の姿。
ピンクの髪にツインテール、前髪パッツン垂れ目の子。
え、誰? 俺は確か猛毒で走馬灯で工藤洋一で……。
「う……あ、あなた、は」
「儂か? 儂はクレア。魔王じゃ」
「ま、おう……」
「いかにも。お主、ワイバーンの上でスライムに喰われとったんじゃが、そういう趣味なのか?」
「違いますよ……ごほっ、毒を受けて、ポイズンスライムで解毒しようと……そうだ! 追手は!」
「そんなもんおらんよ。ワイバーンの本気の飛行に追いつける奴はおらんて」
そうか、逃げる時、確か全速と指示したんだっけか。
グリフォンとワイバーンじゃ飛行性能が段違いだからな。
最初からワイバーンを召喚しておいてよかった。
他の飛行系だったら追い付かれていたかもしれない。
一度深呼吸をしてから体を起こし、クレアと向き合う形に座り直す。
クレアのそばにはワイバーンが座ってじっと俺を見ながら低く鳴いていた。
魔王、魔界を統べる王。
クレアの自称が本物なら、なぜ人界に魔王がいるのだ。
「今お主、なぜ魔王が人界におるのかと疑問に思ったじゃろ」
えっ。
なんでバレた。
この人エスパーなのか?
「顔にそう書いてあるわい」
「あっ……すみません」
「そもそも魔界の領空を身元不明のワイバーンが飛行していたら誰でも見にくるわい」
「は!? 魔界!?」
「さよう。ここは魔界じゃ。ワイバーンのやつ、指令を出したお主がいつまでも眠りこけておるもんじゃから止まり所がわからず猪突猛進、魔界まで突っ込んできたのじゃろな」
「あ……」
「労ってやるといい。疲労困憊じゃぞ」
「はい。ありがとなワイバーン」
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「なんと……うまうまとらとらか……」
「そういうわけなんです」
「そいつは酷い話じゃの」
「でしょう? しかも……」
クレアに事の発端と俺の職業などをかいつまんで話した。
黙って話を聞き、所々で相槌を打つクレアの表情は真剣そのもの。
思わずペラペラと話をしてしまい、後半はほぼほぼ愚痴オンリーだった。
溜まっていた残りの感情が爆発してしまったらしい。
しかもこんなに親身に聞いてくれる人なんていなかったし。
これ、テイル王国の国家機密だけどいいよな?。
「ふむ……召喚士、か。お主、ウチで働いてみんかえ?」
「え?」
「週休完全二日制、残業代、休日出勤手当て、忌引き休暇、有給休暇もしっかり出す。年末には魔族旅行、医療厚生費はもらうがその分福利厚生はバッチリじゃぞ?」
「は?」
「なんじゃ? 不服か?」
「い、いや……」
なんだその好待遇すぎる好待遇は。
そんな職場が本当にあるのだろうか。
少なくとも俺はそんな職場を聞いたことはない。
怪しい、うまい話には裏があるということわざもある。
「お主、こいつ上手いことばかりいいよって、怪しいわい。とか思っとらんか」
「おもって……いや思ってないです!」
「人界の勤務体系に疑問が噴き出るが……魔界は大体そんな感じじゃぞ」
「本当ですか?」
「魔族は我の強いやつらばかりじゃからな。やれ家族旅行だの子供が熱を出したから休ませてくれだの、仕事は適当なくせにアピールは一級品じゃ」
「なるほど……」
「どうじゃ?」
「それが本当なら願ったり叶ったりですけど……なんでそこまで気にかけてくれるんですか?」
「なんで……? 優秀そうな人材をスカウトするのに優秀そうだからだけではダメなのか?」
「優秀……?」
クレアは「何言ってるんだこいつ」というような怪訝な顔で俺を見るが、俺のどこに優秀さを感じたと言うのだろう。
「まずはそのクマじゃ。熱心に責任を持って仕事をしておった証拠じゃろ。次に召喚士という職、これは魔族に近い血を持つものしかなれん職じゃ。最後に意識を失いながらもワイバーンとスライムを使役していた事じゃな。スライムはともかく、ワイバーンは気性の荒い生き物じゃ、それを全速力で飛行させ続けるなぞ並大抵の実力じゃあないぞい」
「そ、そうなんですか」
「うむ」
「そう、なんだ」
初めて認められた気がする。
じんわりと心の奥底が温まり、それが鼻を通って目に伝わり--。
「なにを泣いておるのじゃ……まったく、話以外にも相当不憫な思いをしてきたのじゃな」
クレアの慈しむような声色が脳に染み渡り、瞳から溢れる涙の量を増していく。
ぼろぼろ、ぼろぼろと、だらし無く、俺は泣いた。
〇
「取り逃しただと!?」
「も、申し訳ございません! ワイバーンの飛翔速度には勝てず……」
「ワイバーン、奴め、それほどのモンスターを召喚できたのか。やはり職務怠慢、怠惰に仕事をしてきたようだな」
「許されざる冒涜、軍をなんだと思っているのか」
「すぐに追手を差し向けるしかあるまい。報告によると魔界との境界まで一直線に飛んでいったそうだからな」
「反逆者には死を!」
「それよりも奴の部屋からあの秘宝が無くなっている! 奴が持ち出したのだ! アレが無くては我らの計画もままならんぞ!」
司令官や大隊長の集まる会議室で報告を終えた兵は綺麗にお辞儀をし、新たに与えられた指令を遂行すべく室内から出ていった。
軍幹部達の顔は怒りに染まっており、ワイバーンすら召喚できる実力を持ったクロードを許し、呼び戻そうとする様子はなかった。
彼らの中には上官たる自分たちに暴言を浴びせただけでは飽き足らず、秘宝を持ち出した裏切り者、という認識しか残っていなかった。
なぜクロードの持つ秘宝が重要なのか、それを詮索する者はこの場にはいなかった。
--軍崩壊まで残り二日。
〇
「という事で新しく我が軍に入ったクロードだ。みなよろしく頼むぞ」
「く、クロード・ラスト、ですよろしくお願いします」
クレアが座る玉座の間にて、俺は目の前に並ぶ魔族の面々に戦々恐々としていた。
「魔王様、また人間拾ってきたんですか?」
魔王軍四天王、炎のブレイブ。
「召喚士か、その血脈が未だ健在とは……よろしく頼む」
魔王軍四天王、氷のアストレア。
「結構いい男ねぇ。どう? あとで私といいことしない?」
魔王軍四天王、闇のカルディオール。
「クレア様のお言葉は絶対。研鑽を詰め、人間よ」
魔王軍四天王、大地のゴリアテ。
「しゃかりき働いておくれよ? こっちは万年人手不足なもんでね」
魔王軍筆頭総括司令、光風のクレイモア。
人界まで名の轟く実力者達がそろい踏み。
テイル王国が何度も辛酸を舐めさせられた相手でもある。
「クロードは王国なぞどうでもいいと言い切った男じゃ。きっと我らの力になってくれるじゃろうて。な? クロ」
「は、はい! 誠心誠意頑張らせていただきます!」
〇
「報告します! 司令! 一大事です!」
「何事だ騒々しい」
第一方面軍司令官、コザは新しく子爵となったベネット卿と酒を酌み交わしていた。
気分良く飲んでいた所に部下が血相を変えて飛び込んできたものだから、すこぶる機嫌が悪い。
コザには嫌いなものが三つあった。
一つは自分の命令に従わないもの。
二つ目は自分に意見するもの。
三つ目は自分の機嫌を損ねるもの。
飛び込んできた兵もその事を知ってはいたが、悠長に待っているなど出来ない事態が起きていたのだ。
「我が軍のモンスター達が! 次々に反抗を始めました! すでに半数以上が反抗し暴れており手が付けられません! こちらに牙を剥くモンスターも出ており、逃亡したモンスターも数多く!」
「ふん! そんな出来損ないなど処分してしまえ! 逃げたモンスターの追跡部隊を出せ! 捕獲して連れ戻せ!」
コザはテーブルに拳を叩きつけると、手にしていた杯を兵に投げつけた。
グラスは粉々に割れ、中の酒が兵にかかった。
「し、しかし!」
「くどい! 二度言わせるな! それがお前らの仕事だろう! さっさと行け屑が!」
「くっ……! はは!」
兵はそのまま踵を返し、コザの部屋から走り去っていった。
「機転の利かない兵ですなぁ。コザ殿」
「全くだ。さて飲みなおそうでは無いか」
「えぇ、それで、例の計画は?」
「気になるか? お前も悪だなぁ。クックック」
「いえいえ、コザ殿ほどではありませんよ。ヒッヒッヒ」
新しく封を切ったワインを二つのグラスになみなみと注いだベネットはコザと顔を見合わせる。
いやらしい笑みを浮かべた二人のグラスが掲げられると、それを重ねる澄んだ音が薄暗い室内に響いた。
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