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第九章「海神編」
すれ違う覚悟
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「これはこれはアイビス子爵。またエアーデに付き纏ったら承知しませんよ?!」
「たかだか男爵の爵位のある執事の分際で小生意気な!貴様こそひっこんでいろ!グレイ!!」
一難去ってまた一難。
ライオネル殿下の寝室は新たな不穏な雰囲気に包まれた。
何なの?!
もう!!
勘弁してくれ!!
俺は訳がわからなくて頭を抱えた。
そうパスカル執事長が王様の判断をあおりに行った後、緊急に話し合いの場を設けるからと王様の執事長であるグレイさんが来たのはいいのだけれども、何故かいきなりアイビス子爵と険悪な雰囲気になった。
もう冷戦というか、相手が嫌いな事をお互い隠そうともしない。
「……俺、師匠が何で王宮に残ろうとしなかったのか、わかったわ……。」
「あ~、そうだなぁ~。」
横でボソッとアレックが呟いた。
俺も苦笑して頷く事しか出来ない。
「変人たちに追い掛け回されるから嫌だっつってたんだけどさぁ、こういう事だったんだな……。」
「う~ん……。この二人がここまで真剣に牽制しあってるのが、絶世の美女とかでなくボーンさんだってのが……なんと言っていいのやら……。」
「師匠、変人に好かれやすいからな。」
「そうなの?!」
「うん。昔っから、変な奴によく付きまとわれてたぞ。」
「ほ~ん??」
何だろう??
ボーンさん、変態ホイホイなのかなぁ。
髭モジャの小さいドワーフであるボーンさんを思い返しながら、俺は首をひねるしかなかった。
そんな俺をチラリとアレックが見やる。
「……あんたも気をつけた方がいいぞ?」
「は??」
「何かあんた、師匠と同じ感じがする。」
「………え"……?!」
それは俺も変態ホイホイって意味でしょうか?!
いや!まだ変態はホイホイ捕まえていない!!
……多分。
そう思いたかった所に、ギルがイヴァンを連れて中に入ってきた。
バチッと目が合い、俺は深くため息をついてしまった。
「……何だ?サーク?」
「いや、悪い。悪気はなかったんだ……。」
がっくりと項垂れる。
ボーンさん程じゃないが、確かにちょっと持ってるわ、変態ホイホイの気質……。
今後は気をつけようとは思うが、何をどう気をつければ良いのかわからなかった。
「サークさん、これ、どういう状況なんです??」
「俺に聞かないでくれ……。わかる訳ないだろうが……。」
中に入ったは良いが、喧々囂々とグレイさんとアイビス子爵が無言でやり合っているのを見てイヴァンが聞いてきたが、俺は乾いた笑いを浮かべるしかない。
一度、その状況を無表情に見やり、ギルが口を開いた。
「……ひとまず、殿下をこのまま残すのは良くないので、事情のわかっている私とアズマ男爵がこの場に残ります。他の皆さんは、隣の部屋で説明を受けて下さい。何か変化があれば、すぐにお呼びします。」
ギルが冷静にそう言った。
事情を知っていそうな古株のメイドさんと俺とギルを残し、他のメンバーは隣の従者控室に向かう。
一応、何を話されるかわかっているブラハムさんはチラリと俺を見て微笑んだ。
でもその顔は、状況が簡単ではない事を物語るように難しかった。
皆が移動して、しんと静まり返る室内。
残された俺とギルは、ライオネル殿下の枕元の椅子に座った。
年配のメイドさんは奥の壁側に控えている。
しばらくの間、俺達は無言でそうしていた。
時計の針の音だけが無機質に部屋に響き続ける。
「……事情は知ってるけどさ、倒れるって事は今までなかったんだろ??」
俺はしばらくしてから、そうギルに声をかけた。
ギルも難しい顔をしてゆっくりと口を開く。
「医務官長にそれとなく確認したが、兆候が現れてからこの様に昏睡に近い形で意識を失った記録はないはずだと言っていた……。」
「……なら、どうしてライオネル殿下は……。」
俺はどうしていいのかわからず、眠り続ける殿下を見つめた。
白い肌がいつもより白く、金色の髪が淡い明かりの中に輝いていた。
俺が初めて見たライオネル殿下は、たんぽぽみたいだった。
晴れ渡った空の下、金色の髪を揺らして嬉しそうに笑っていた。
か弱そうなのに無邪気に風に揺れるその姿を、捻くれていた俺は世間知らずの王子様だと思った。
掃き溜めに鶴じゃないけど、むさくて若干荒くれ者気質の外壁警備隊の集まりの中に、ぽんっと一欠片の汚れも知らなそうなキラキラ光る花が、無邪気に風に揺れていたのだ。
俺は何の苦労も知らない王子様が下々を見に来たんだと皮肉って見ていたが、ライオネル殿下にとったら、初めて許された視察だったのだ。
体が弱い事を理由に殆ど自由に外に出る事を許されなかった殿下が、初めて一人で公務として外の視察に出てきたのだ。
それはいくら病弱を理由にしても、年齢的に一人で視察に出れないと言う訳には行かなくなってきた事からの視察の練習と言うものではあったが、殿下にとっては記念すべき日だったのだ。
後からその事を知って、捻くれた見方をしていた自分が少し恥ずかしかった。
そもそも殿下の病弱というのは、その身に海神を宿している事からくる存在の不安定さであり、また、海神を宿している故に王家としても外にあまり出したくないと言った理由からだった。
下手に諸外国の人間に会わせると、グレゴリウスの様に執着してくる者が現れるかもしれないと言う配慮でもあった。
「……なぁ。」
「何だ?」
「別人格って……どんなのなんだ??」
俺はギルに聞いた。
ギルはチラリと俺を見て、少し黙っていた。
「……俺も実際に見た事がある訳ではないからな。わからないというのが正直な答えだ。」
ギルもまたじっとライオネル殿下を見つめた。
一度は愛し、全てを捧げる覚悟をした相手。
それが恋する事に憧れていたものであったとしても、こいつの覚悟から考えれば本気の恋だったと思う。
「……本来なら、兆候があったって事は、別人格が出てきて俺を誘惑したって事なんだよな?」
「あぁ、そうなるはずだったんだがな……。」
俺達は言葉少なくそう話した。
ギルが散々、俺にすべき事が起こると言っていたのは、ライオネル殿下の中に現れる別人格との対峙だった。
器として海神を宿した人間には、年頃になると別人格が生まれるのだそうだ。
それは海神の精神に影響された人格だと言う。
「……海神は女性神、もしくは女性的精神のものだと言われている。だから宿った器が男だろうと女だろうと、器本人の思考は関係なく、基本的には男を好む。そしてそれは基本、器となった人間が好意を抱いている人間に対して行われる事が多い。」
「……だからライオネル殿下の場合は、それが俺に向けられるだろうって事だったんだよな?」
「あぁ……。」
ギルはいつも口数は少ないが、さらに言葉少なくそう答えた。
部屋に沈黙が降りる。
…そりゃな、もうその想いは過去のものとしたと言っても、一度は愛した人が別の人を選んだんだから口数も減るってもんだ。
何となく申し訳ないような気分になって、俺も黙ってしまった。
そう、殿下の秘密であり、俺が向き合う事になるのは海神でありその影響を受けた別人格。
この別人格と言うのがただの別人格ではない。
相手を誘惑し、肉体関係を持とうとする。
それが事もあろうか、本人にとって惚れた相手だったり、最も信頼を置く相手だったりと、本人に親しい相手をターゲットにする。
惚れている相手なら別に問題はないように思えるが、そこに本人の意思はないのだ。
だからもしも別人格の状態で契を結んだ場合、本人は自分の意志ではなく好きだった相手と知らぬ間に関係を持った状態になる。
だから喜びよりも、裏切られ、無理矢理に関係を持ってしまった感覚になる。
そして質が悪い事に、別人格でなした記憶はそのまま本人に残る。
自分があられもない姿で相手を誘い、卑猥な言葉を連呼して喜ぶ様をありありと覚えているのだ。
海神が何の為にそんな人格を生み出し、宿主に関係を持たせるのかはわかっていない。
ただ呪い苦しめる為ではないらしい。
むしろ良かれと思っての行動らしいのだ。
はっきり言って理解不能だし迷惑極まりないのだが、神仕えの義父さんの下で育った俺はある意味それが何か理解できる。
海神は本当に宿主を苦しめようとしている訳じゃない。
本当に恐らく、良かれと思っての行動だ。
要するに、精霊と人間の感覚の差だ。
女性神なのかはわからないが、海神は宿主が愛おしく思っている相手とまぐわい子をなすことこそが何よりの幸せだと思っているだけなのだ。
だからそれをさせようとする。
けれど人の心はそんな簡単なものではない。
とても複雑で繊細だ。
だから宿主は心を壊してしまう。
また海神は海竜の母だけあってある種のテンプテーションを使えるらしく、どれだけその気のない相手であっても、また宿主と強固な信頼関係があったとしても、耐え難い誘惑に魅了される。
選ばれた相手は、それに応じる訳にはいかないとどんなに強い意思を持っていても、その誘惑に死ぬほど苦しむ事になる。
その為、相手に選ばれてしまった者も心を壊す。
過去には思い悩んだ末に、自害してしまった者もいる。
そうなれば、たとえ関係を持たなくても、自分の為に愛する者もしくは信頼する者を死なせてしまった罪悪感で宿主の心は壊れてしまう。
それがそんじょそこらの精霊ならまだしも、神の頂点の一つである海神の影響なのだ。
人間の魔力や精霊使いの技などで封じれるものじゃない。
人にできるのは何とか影響を抑えつつ、別人格が引っ込むのを待つしかないのだ。
心が壊れた場合、次の器が見つかるまで幽閉しておくしかない。
嫌な意味、飼い殺しだ。
そして次の器が見つかって開放されたからと言って、その心の傷が癒える訳でもないのだ。
本当よくそこまでの爆弾を抱えて、今までずっと海神を王家で隠し持っていたと思う。
ただ別の見方をすれば、その程度の被害だからこそ王家は神々の一柱である海神を一族の中に隠し持って居続けられたのだと思う。
本来なら、たとえどんなに器として優れた素質があろうとも人の中に世界を司る神の一人を入れておくことなど不可能だ。
そこから考えても、海神は人を怨み、呪って別人格を生み出しているんじゃない。
好意的に接しているからこそ、それをしているのだ。
もしもこれが封じ込められたことへの怒りであるなら、この程度では済まない。
中央王国どころか、周辺一帯、二度と生命が住む事が出来ない場所にされてしまうだろう。
それほど精霊の王であり、世界を司る神の力は強い。
どういう経緯でこうなっているのかは知らないが、それでもよく今までこうやって海神を引き継いできたと思うよ。
俺ならさっさと元いた場所に還してしまおうと考える。
精霊が人と関わりを持たなくなった今の人間には、精霊が持つ純粋さという力の危険性が朧気にしか理解できないのかもしれない。
俺よりライオネル殿下の枕元に近い位置に座るギルが殿下の顔を覗き込み、頭を撫でた。
その横顔は無表情ではあったが、どこかに哀愁めいたものを含んでいる。
俺はその顔を見つめながら何も言えなかった。
ギルは知っていたのだ。
ずっと昔から知っていたのだ。
そしてライオネル殿下の心を壊さない為に、その役をやるつもりで生きてきたのだ。
それはどんな覚悟だったのだろう?
ただわかるのは、それが恋に恋をした恋であったとしても、そんじょそこらの甘ったれた恋なんかじゃなかった。
ギルは本気だった。
だから海神のテンプテーションから身を少しでも守れるように、己の生命力で魔力を弾く気法、闘気を完璧に習得した。
遅漏になるほど完璧な騎士道精神を自分に叩き込んで、性欲を封じ込めた。
主である想い人に、完璧な忠誠を誓って決して穢を纏って触れない異常とも言える精神力を身に着けたのだ。
生半可な事ではない。
それをしようと思う覚悟だって並大抵ではないのに、こいつはそれをやってのけたのだ。
それだけ本気だったのだ。
ギルのライオネル殿下に対する想いは。
それを思うと、何故、その相手に俺が選ばれこの場にいるのかいたたまれない気持ちになってくる。
「……………ギル……?」
ふと、微かだがそんな呟きが静けさに響いた。
反射的に俺とギルは立ち上がる。
「リオ!気がついたのか?!」
殿下、と俺の口から音が出るよりも早く、ギルがそう叫んだ。
心から心配するように殿下の顔を覗き込むその様子に、俺は口まで出ていたその言葉を飲み込んだ。
ギルは薄っすらと目を開いたライオネル殿下を、愛おしむ様に髪を撫でている。
「……ギル、あれが……。」
「わかっている。大丈夫だ。必要な人間は皆、事情を理解している。心配しなくていい。」
「……では……サークも……?」
殿下の口から出たその言葉に、ギルは一瞬だけ顔を顰めた。
そこにある想いに俺は胸が傷む。
だがすぐに優しい顔になると、殿下を安心させるようにギルは頷いた。
「ああ。アイツも知っている……。」
ライオネル殿下は、その言葉に泣きそうな顔で笑って、手で顔を覆った。
殿下の言う「あれ」とは恐らく海神であり、その影響を受けた別人格だ。
この反応から見ると、殿下は俺にそれを知られたくはなかったのだろう。
俺を想うからこそ知られたくなかったのだろうし、殿下が俺を想うからこそ俺は知らなければならなかった。
やるせない。
何もかもがやるせない。
ギルの覚悟も、ライオネル殿下の覚悟も。
俺は酷くこの場にいるのが場違いな気がして、黙って二人を見守る事しかできなかった。
「たかだか男爵の爵位のある執事の分際で小生意気な!貴様こそひっこんでいろ!グレイ!!」
一難去ってまた一難。
ライオネル殿下の寝室は新たな不穏な雰囲気に包まれた。
何なの?!
もう!!
勘弁してくれ!!
俺は訳がわからなくて頭を抱えた。
そうパスカル執事長が王様の判断をあおりに行った後、緊急に話し合いの場を設けるからと王様の執事長であるグレイさんが来たのはいいのだけれども、何故かいきなりアイビス子爵と険悪な雰囲気になった。
もう冷戦というか、相手が嫌いな事をお互い隠そうともしない。
「……俺、師匠が何で王宮に残ろうとしなかったのか、わかったわ……。」
「あ~、そうだなぁ~。」
横でボソッとアレックが呟いた。
俺も苦笑して頷く事しか出来ない。
「変人たちに追い掛け回されるから嫌だっつってたんだけどさぁ、こういう事だったんだな……。」
「う~ん……。この二人がここまで真剣に牽制しあってるのが、絶世の美女とかでなくボーンさんだってのが……なんと言っていいのやら……。」
「師匠、変人に好かれやすいからな。」
「そうなの?!」
「うん。昔っから、変な奴によく付きまとわれてたぞ。」
「ほ~ん??」
何だろう??
ボーンさん、変態ホイホイなのかなぁ。
髭モジャの小さいドワーフであるボーンさんを思い返しながら、俺は首をひねるしかなかった。
そんな俺をチラリとアレックが見やる。
「……あんたも気をつけた方がいいぞ?」
「は??」
「何かあんた、師匠と同じ感じがする。」
「………え"……?!」
それは俺も変態ホイホイって意味でしょうか?!
いや!まだ変態はホイホイ捕まえていない!!
……多分。
そう思いたかった所に、ギルがイヴァンを連れて中に入ってきた。
バチッと目が合い、俺は深くため息をついてしまった。
「……何だ?サーク?」
「いや、悪い。悪気はなかったんだ……。」
がっくりと項垂れる。
ボーンさん程じゃないが、確かにちょっと持ってるわ、変態ホイホイの気質……。
今後は気をつけようとは思うが、何をどう気をつければ良いのかわからなかった。
「サークさん、これ、どういう状況なんです??」
「俺に聞かないでくれ……。わかる訳ないだろうが……。」
中に入ったは良いが、喧々囂々とグレイさんとアイビス子爵が無言でやり合っているのを見てイヴァンが聞いてきたが、俺は乾いた笑いを浮かべるしかない。
一度、その状況を無表情に見やり、ギルが口を開いた。
「……ひとまず、殿下をこのまま残すのは良くないので、事情のわかっている私とアズマ男爵がこの場に残ります。他の皆さんは、隣の部屋で説明を受けて下さい。何か変化があれば、すぐにお呼びします。」
ギルが冷静にそう言った。
事情を知っていそうな古株のメイドさんと俺とギルを残し、他のメンバーは隣の従者控室に向かう。
一応、何を話されるかわかっているブラハムさんはチラリと俺を見て微笑んだ。
でもその顔は、状況が簡単ではない事を物語るように難しかった。
皆が移動して、しんと静まり返る室内。
残された俺とギルは、ライオネル殿下の枕元の椅子に座った。
年配のメイドさんは奥の壁側に控えている。
しばらくの間、俺達は無言でそうしていた。
時計の針の音だけが無機質に部屋に響き続ける。
「……事情は知ってるけどさ、倒れるって事は今までなかったんだろ??」
俺はしばらくしてから、そうギルに声をかけた。
ギルも難しい顔をしてゆっくりと口を開く。
「医務官長にそれとなく確認したが、兆候が現れてからこの様に昏睡に近い形で意識を失った記録はないはずだと言っていた……。」
「……なら、どうしてライオネル殿下は……。」
俺はどうしていいのかわからず、眠り続ける殿下を見つめた。
白い肌がいつもより白く、金色の髪が淡い明かりの中に輝いていた。
俺が初めて見たライオネル殿下は、たんぽぽみたいだった。
晴れ渡った空の下、金色の髪を揺らして嬉しそうに笑っていた。
か弱そうなのに無邪気に風に揺れるその姿を、捻くれていた俺は世間知らずの王子様だと思った。
掃き溜めに鶴じゃないけど、むさくて若干荒くれ者気質の外壁警備隊の集まりの中に、ぽんっと一欠片の汚れも知らなそうなキラキラ光る花が、無邪気に風に揺れていたのだ。
俺は何の苦労も知らない王子様が下々を見に来たんだと皮肉って見ていたが、ライオネル殿下にとったら、初めて許された視察だったのだ。
体が弱い事を理由に殆ど自由に外に出る事を許されなかった殿下が、初めて一人で公務として外の視察に出てきたのだ。
それはいくら病弱を理由にしても、年齢的に一人で視察に出れないと言う訳には行かなくなってきた事からの視察の練習と言うものではあったが、殿下にとっては記念すべき日だったのだ。
後からその事を知って、捻くれた見方をしていた自分が少し恥ずかしかった。
そもそも殿下の病弱というのは、その身に海神を宿している事からくる存在の不安定さであり、また、海神を宿している故に王家としても外にあまり出したくないと言った理由からだった。
下手に諸外国の人間に会わせると、グレゴリウスの様に執着してくる者が現れるかもしれないと言う配慮でもあった。
「……なぁ。」
「何だ?」
「別人格って……どんなのなんだ??」
俺はギルに聞いた。
ギルはチラリと俺を見て、少し黙っていた。
「……俺も実際に見た事がある訳ではないからな。わからないというのが正直な答えだ。」
ギルもまたじっとライオネル殿下を見つめた。
一度は愛し、全てを捧げる覚悟をした相手。
それが恋する事に憧れていたものであったとしても、こいつの覚悟から考えれば本気の恋だったと思う。
「……本来なら、兆候があったって事は、別人格が出てきて俺を誘惑したって事なんだよな?」
「あぁ、そうなるはずだったんだがな……。」
俺達は言葉少なくそう話した。
ギルが散々、俺にすべき事が起こると言っていたのは、ライオネル殿下の中に現れる別人格との対峙だった。
器として海神を宿した人間には、年頃になると別人格が生まれるのだそうだ。
それは海神の精神に影響された人格だと言う。
「……海神は女性神、もしくは女性的精神のものだと言われている。だから宿った器が男だろうと女だろうと、器本人の思考は関係なく、基本的には男を好む。そしてそれは基本、器となった人間が好意を抱いている人間に対して行われる事が多い。」
「……だからライオネル殿下の場合は、それが俺に向けられるだろうって事だったんだよな?」
「あぁ……。」
ギルはいつも口数は少ないが、さらに言葉少なくそう答えた。
部屋に沈黙が降りる。
…そりゃな、もうその想いは過去のものとしたと言っても、一度は愛した人が別の人を選んだんだから口数も減るってもんだ。
何となく申し訳ないような気分になって、俺も黙ってしまった。
そう、殿下の秘密であり、俺が向き合う事になるのは海神でありその影響を受けた別人格。
この別人格と言うのがただの別人格ではない。
相手を誘惑し、肉体関係を持とうとする。
それが事もあろうか、本人にとって惚れた相手だったり、最も信頼を置く相手だったりと、本人に親しい相手をターゲットにする。
惚れている相手なら別に問題はないように思えるが、そこに本人の意思はないのだ。
だからもしも別人格の状態で契を結んだ場合、本人は自分の意志ではなく好きだった相手と知らぬ間に関係を持った状態になる。
だから喜びよりも、裏切られ、無理矢理に関係を持ってしまった感覚になる。
そして質が悪い事に、別人格でなした記憶はそのまま本人に残る。
自分があられもない姿で相手を誘い、卑猥な言葉を連呼して喜ぶ様をありありと覚えているのだ。
海神が何の為にそんな人格を生み出し、宿主に関係を持たせるのかはわかっていない。
ただ呪い苦しめる為ではないらしい。
むしろ良かれと思っての行動らしいのだ。
はっきり言って理解不能だし迷惑極まりないのだが、神仕えの義父さんの下で育った俺はある意味それが何か理解できる。
海神は本当に宿主を苦しめようとしている訳じゃない。
本当に恐らく、良かれと思っての行動だ。
要するに、精霊と人間の感覚の差だ。
女性神なのかはわからないが、海神は宿主が愛おしく思っている相手とまぐわい子をなすことこそが何よりの幸せだと思っているだけなのだ。
だからそれをさせようとする。
けれど人の心はそんな簡単なものではない。
とても複雑で繊細だ。
だから宿主は心を壊してしまう。
また海神は海竜の母だけあってある種のテンプテーションを使えるらしく、どれだけその気のない相手であっても、また宿主と強固な信頼関係があったとしても、耐え難い誘惑に魅了される。
選ばれた相手は、それに応じる訳にはいかないとどんなに強い意思を持っていても、その誘惑に死ぬほど苦しむ事になる。
その為、相手に選ばれてしまった者も心を壊す。
過去には思い悩んだ末に、自害してしまった者もいる。
そうなれば、たとえ関係を持たなくても、自分の為に愛する者もしくは信頼する者を死なせてしまった罪悪感で宿主の心は壊れてしまう。
それがそんじょそこらの精霊ならまだしも、神の頂点の一つである海神の影響なのだ。
人間の魔力や精霊使いの技などで封じれるものじゃない。
人にできるのは何とか影響を抑えつつ、別人格が引っ込むのを待つしかないのだ。
心が壊れた場合、次の器が見つかるまで幽閉しておくしかない。
嫌な意味、飼い殺しだ。
そして次の器が見つかって開放されたからと言って、その心の傷が癒える訳でもないのだ。
本当よくそこまでの爆弾を抱えて、今までずっと海神を王家で隠し持っていたと思う。
ただ別の見方をすれば、その程度の被害だからこそ王家は神々の一柱である海神を一族の中に隠し持って居続けられたのだと思う。
本来なら、たとえどんなに器として優れた素質があろうとも人の中に世界を司る神の一人を入れておくことなど不可能だ。
そこから考えても、海神は人を怨み、呪って別人格を生み出しているんじゃない。
好意的に接しているからこそ、それをしているのだ。
もしもこれが封じ込められたことへの怒りであるなら、この程度では済まない。
中央王国どころか、周辺一帯、二度と生命が住む事が出来ない場所にされてしまうだろう。
それほど精霊の王であり、世界を司る神の力は強い。
どういう経緯でこうなっているのかは知らないが、それでもよく今までこうやって海神を引き継いできたと思うよ。
俺ならさっさと元いた場所に還してしまおうと考える。
精霊が人と関わりを持たなくなった今の人間には、精霊が持つ純粋さという力の危険性が朧気にしか理解できないのかもしれない。
俺よりライオネル殿下の枕元に近い位置に座るギルが殿下の顔を覗き込み、頭を撫でた。
その横顔は無表情ではあったが、どこかに哀愁めいたものを含んでいる。
俺はその顔を見つめながら何も言えなかった。
ギルは知っていたのだ。
ずっと昔から知っていたのだ。
そしてライオネル殿下の心を壊さない為に、その役をやるつもりで生きてきたのだ。
それはどんな覚悟だったのだろう?
ただわかるのは、それが恋に恋をした恋であったとしても、そんじょそこらの甘ったれた恋なんかじゃなかった。
ギルは本気だった。
だから海神のテンプテーションから身を少しでも守れるように、己の生命力で魔力を弾く気法、闘気を完璧に習得した。
遅漏になるほど完璧な騎士道精神を自分に叩き込んで、性欲を封じ込めた。
主である想い人に、完璧な忠誠を誓って決して穢を纏って触れない異常とも言える精神力を身に着けたのだ。
生半可な事ではない。
それをしようと思う覚悟だって並大抵ではないのに、こいつはそれをやってのけたのだ。
それだけ本気だったのだ。
ギルのライオネル殿下に対する想いは。
それを思うと、何故、その相手に俺が選ばれこの場にいるのかいたたまれない気持ちになってくる。
「……………ギル……?」
ふと、微かだがそんな呟きが静けさに響いた。
反射的に俺とギルは立ち上がる。
「リオ!気がついたのか?!」
殿下、と俺の口から音が出るよりも早く、ギルがそう叫んだ。
心から心配するように殿下の顔を覗き込むその様子に、俺は口まで出ていたその言葉を飲み込んだ。
ギルは薄っすらと目を開いたライオネル殿下を、愛おしむ様に髪を撫でている。
「……ギル、あれが……。」
「わかっている。大丈夫だ。必要な人間は皆、事情を理解している。心配しなくていい。」
「……では……サークも……?」
殿下の口から出たその言葉に、ギルは一瞬だけ顔を顰めた。
そこにある想いに俺は胸が傷む。
だがすぐに優しい顔になると、殿下を安心させるようにギルは頷いた。
「ああ。アイツも知っている……。」
ライオネル殿下は、その言葉に泣きそうな顔で笑って、手で顔を覆った。
殿下の言う「あれ」とは恐らく海神であり、その影響を受けた別人格だ。
この反応から見ると、殿下は俺にそれを知られたくはなかったのだろう。
俺を想うからこそ知られたくなかったのだろうし、殿下が俺を想うからこそ俺は知らなければならなかった。
やるせない。
何もかもがやるせない。
ギルの覚悟も、ライオネル殿下の覚悟も。
俺は酷くこの場にいるのが場違いな気がして、黙って二人を見守る事しかできなかった。
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その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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