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第九章「海神編」
決断
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ノルがニ階のサブダイニングに引きこもり、特に手伝える事もなくなった俺が風呂に入って一階のダイニングに水を飲みに行くと、ラニが本を読みながら俺を待っていた。
俺の顔を見るとにっこり笑う。
「赤いリボンが牛のミルク、青いリボンのついてるのがヤギミルクだよ、お兄ちゃん。」
「あはは、ありがとう。」
俺はそう言って冷蔵庫を開けた。
中古品の冷凍冷蔵庫をバケット夫妻に譲ってもらったので、そのうち氷冷結晶と魔力電池を使う形に直そうと思って準備しておいたら、ノルが今日、俺が帰ってくるまで暇だからと言って作り直してくれた。
取り出した牛乳は程よく冷えていて、風呂上がりの体に染み渡る。
「あ~冷えたミルクって幸せ~。」
「あはは!だよね!僕もお風呂上がってから飲んでそう思ったよ。」
俺はミルクを注いたグラスを手に、ラニの向かいに座った。
ラニも読んでいた本を閉じる。
「……ラニ、頼みがある。」
「うん。」
「でもこれはとても危険な事だ。無理だと思ったら断るんだ。いいな?」
「うん、わかった。」
「ある人の中に精神魔術を使って潜って欲しい。その人はかなり深い所にいる。」
「うん。」
「そしてそこには、その人以外の精神体がいる。」
「……え??その人の中に??」
「そうだ。しかもそれは物凄く強いものだ。例えるなら、竜の血の呪いを宿している状態の人の最深部に潜るようなものだ。」
流石にそれを言われ、ラニは言葉を失った。
少し顔を青ざめさせて口を固く結ぶ。
迂闊に答えられない事だと理解したからだ。
精神魔術を使えない俺ですら、そんな中には入りたくないと思う。
精神魔術を使う、つまりその危険性や難しさを身を持って知っているラニからすれば、さらに事態がどういうものか鮮明に把握できただろう。
ラニは黙っていた。
軽く俯き、じっと考えている。
「……何がいるの?そこに……。」
俯いた顔を上げ、小声でそう聞いた。
俺は隠さずに答えた。
「世界を司る精霊の王の一人、海の主だ。」
「!!」
その瞬間、ラニの顔から血の気がなくなった。
青いを通り越して白くなっている。
「嘘……そんな訳………。」
「俺も知った時は驚愕して言葉が出なかったよ。人の中にそんな大きな意識体が入る訳がないって思ったし。」
俺はそう言って少し俯いた。
今だってそれを本気で信じているかと聞かれると微妙だ。
一度は殿下の中の海神と軽くだが相対した今でも、本当に海の主程の精霊が人間の中にいるとは信じがたい。
得体のしれない恐ろしいものがいる事は本能的にわかるが、それが本当に海神なのかと聞かれても俺にはわからない。
だが魔術本部に席をおけるクラスの魔術師と魔法師の四人ががりでもどうにもできず、その道のプロである神仕えの義父さんだけが対応でき、その義父さんがそうだと言っているのだから間違いないのだろう。
思わず黙り込んだ俺を見て、ラニはゆっくりと息を吐き出した。
「……本当なんだね……本当にその人の中に、海様がいらっしゃるんだね………。」
風の神を風様と読んでいたからか、ラニは海神を海様と呼んだ。
それがラニが潜らなくてはならない相手の中に海の王がいる事を、自分の中で馴染ませた現れだと俺は思った。
「……その人は生きてるの?自我はあるの?」
「生きてる。だから潜る必要があるんだ。自我はある。いや、あったと今は言った方がいいのかもしれないけれど……。」
俺はそこから、どういう事が起きたのかをラニに話した。
ラニは血の気のない顔をしながらも気丈に顔を上げ、俺の話を聞いていた。
「……そっか……。海様ほどの存在なら、どんなに精神を磨いた人であっても制御するなんてできないよ。海様ほどの存在に対して何かできるとしたら、それは……その人のやった事……つまり自分と共に精神深部に沈める事ぐらいだよ……。しかもそれでも、確実に相手を封じる事が出来るとは限らない……。だから一度は表層まで海様だけ出てこられたんだよ。」
ラニは俺の話から、精神魔法師として俺にはわからないような多くの事を悟ったようだ。
気丈にしてはいるが、無意識にぎゅっと自分の身を抱きしめて微かに震えている。
「ラニ、無理なら無理だと言っていい。俺は正直言うと難しいと思っているし、ラニにやらせたくない。」
「……それでもお兄ちゃんは僕に話した。話しても良いと思った理由があるんでしょ??」
白い顔でラニは力なく笑った。
何だか全てお見通しだなと俺も笑った。
「俺はラニにやらせたくなかった。だから代わりになる方法や補助になるものを探した。他の皆も、精神魔法師や魔術師に変わる方法がないか調べてくれた。」
「その一つがさっき、バンクロフト博士に頼んでいた仮想精神空間装置??」
「そう。あれを用いれば、宿している人の精神内部だけで済まさなければならない全てが別空間というゆとりを持たすことが出来る事から、その人への負担を減らすだけでなく、潜る側の安全性も高められる。」
「そうだね。その人の内部だけだとその人の負担も大きいし、その人の意識下、特に無意識下は他の人間の意識体にとってはとても危険な場所なんだ。何が起こるかわからないし、自分の常識が通用しない世界だから一瞬の対応を間違うと相手に飲まれてしまうから……。」
「それにあの装置は魔力電池を用いる。つまり、ラニ一人の魔力で対応しなくていい。そりゃ、こちらから送れる魔力なんてラニから見たら微々たるものかもしれないけど、絶え間なくどんどん送り続ける事ができれば無いよりマシだろ??」
「そうだね。海様のいるような場所で魔力切れを起こしたら本当に怖いから、他の人の魔力で補える部分があるのは心強いよ。」
「その他にも、空の器……もちろん海神を収められる程大きくはないが、それを噛ませる事で不足の事態の際の避難場所になったり、逃げる為に時間を稼ぐワンクッションになると思うものもある。」
「空の器??」
「ちょっとしたアクシデントで偶然生まれたものなんだ。元々は人の痛みなどを一時的に移す人形だったんだけどね。それを作る際の材料が原因で人工的に精霊みたいなものを生み出してしまって。それを別のものに移したら、器の機能を残した人形ができたんだよ。」
「その精霊みたいな子はどうしたの??」
「ん~、義父さんが今後なんとかしてくれるんだけど、今はとりあえず小さい猫のぬいぐるみに入ってて、氷砂糖とか食べてるよ。」
「あはは、そうなんだ。」
「他にも冒険者がクエストで手に入れた秘宝で、精神攻撃に対抗する強力なものをいくつか借りられる事になってる。精神に潜る時、どうしてもむき出しの魂みたいなものになる。そこに鎧なんて持って行く事はできないけれど、体の方にそう言ったものを身につける事によって、多少は身を守る事ができると考えてるよ。」
「うん。正直、僕も何もなしに海様がいる人の深層心理に降りろって言われるのは怖いよ。いくら様々な方法で逃げる道があっても、精神体がダメージを負っていたら体に戻れてもそれは残ってしまうし、下手をしたら精神体から体の方に傷が移って心身共に瀕死になってしまうから。戻れても体が瀕死になったり死んでしまったら戻った意味がなくなっちゃうから。少しでもそれから護れるものがあるならありがたいよ。」
ラニの顔色は少しだけ良くなった。
まだ若干青ざめてはいるが、話しの間に笑ってもいる。
俺も少しだけほっと息を吐き出した。
「でも、それだけ用意しても危険な事には変わりない。それは俺が言うまでもなく、ラニの方がわかっていると思う。」
俺がそう言うとラニは黙って少し俯いた。
精神魔術師でない俺でもそれが物凄く危険な事だとわかるのだ。
実際、人の精神に潜る事の難しさを知っているラニからすれば、その危険度を実感として感じているだろう。
「精神魔術師に頼らずできる方法が見つけられれば良かったんだが、それを補助・補佐する方法は見つかっても、核心である人の精神に潜る方法は現段階では見つけられなかった。」
「……だから精神魔術師が必要なんだね。しかもそれは、表層意識でなくて無意識層まで降りれるような……。」
「あぁ……。」
「そしてそこに、海様もいる。」
「そうだ。」
「無謀だね。」
「そうだな。」
ラニは小さく笑った。
俺も他にどうしょうもなくて笑った。
「……状況はわかったよ。お兄ちゃん。でも、その人の深部に降りてどうするの?」
「義父さんが海の王をなだめ、海に還す話をする。できれば一時的でも移せる器があれば良いんだけど、海神ともなるとそう簡単にはいかない。だから今、宿している方の心身を回復させて海までお連れする、だから回復させる為に影響を与えない形でしばらくいてもらえるよう頼むんだ。」
「つまり、僕が降りるというより、おじさんを深部まで導いて下ろすって事??」
「そうだな。義父さんは神仕えだから精霊のプロではあるんだけど、相手と話せなければどうにもできないんだ。話をしたいけど義父さんには精神深部に降りる術が無い。だからそこまでの導き手であり案内人がいるんだよ。」
「そっか……なるほど……。」
それを聞いて、ラニはそれまでで一番いい反応を見せた。
顔色はだいぶ戻り、真剣に考えている。
その顔は少し大人びていて、この子もこんな顔をするんだなと少し驚いた。
「……お兄ちゃん、僕、やるよ。」
「ラニ……。」
「僕がこの話で一番怖かったのは海様だよ。器になっている人の精神深部に潜る事は良かったんだ。でも、そこに海様がいるって言われてどうしていいのかわからなかった。そこに潜って海様を説得しろって言われても、僕にはできないって思ったから……。ただでさえ人の精神深部って不安定なんだ。予想だにしない事が当たり前のように起こる。その人一人でもそうなのに、そこにもう一つ精神体がいたらさらに不安定で危険な状態なんだ。本人でも制御できない無意識下に、相反する意志が二つ存在するんだからね。天変地異ぐらいの大嵐の中に降りる様なものだよ。しかもそれが海様だなんて無茶苦茶もいいとこだよ。」
「そうだな、ごめん。」
「でも、不測の事態を想定してあらゆる手を用意してくれた。ただでさえ、それまで人の身なのに海様を宿し続けて疲弊し不安定になっているその人の精神下だけでどうにかするんじゃなくて、新たな空間を用意しようとしてくれてる。何かあった際に一時的に逃げ場になったり足止めとなる器があって、むき出しの精神体をできるだけ保護する方法も考えてくれた。」
「うん。」
「そして僕が海様を説得する訳じゃない事が大きいよ。そんな難しい状況だと、無事に降りて無事に戻る事だけで精神魔術師としては精一杯なんだ。なのにそこでこの世で最も大きな力を持つ精神体の一つ、海様と向き合って説得しろって言われても無理だよ。僕の精神体が持たない。」
「うん。」
「でも僕の役割は、おじさんの精神体を導いて、安全に深部に下ろして無事に連れて帰る事だ。確かにおじさんの精神体を他の体に移すって言う普通では無い一段階が組み込まれるけど、難しい状況の中、深部に一人で降りて海様を説得する事に比べたら大した事じゃない。」
ラニはそこまで言うと、俺を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、力強い意志が宿る。
そして微笑んだ。
「凄いね、お兄ちゃん。この難しい状況に対して、ここまでしっかりした手立てを組むなんて……。はじめ聞きながら、僕はなんて無謀な事を言っているんだろうと思ってた。そんな事は不可能だって。でもここまで聞いて可能な事じゃないかと思った。僕の役割は、用意されたものを用いながら、おじさんを器の人の精神深部に導き、そして連れて帰る事。僕は僕の分野に集中して最善を尽せば何とかなるんじゃないかって。」
「ラニ……。」
「僕、やるよ。僕にできる事を精一杯。」
「……そうか……。」
「確かにどうなるかわからない事だよ。難しい状況だし、世界の王の一人である海様と向き合うなんてどんな優れた精神魔術師だって経験のない事だもの。だから絶対とは言い切れない。でも、僕は精神魔術師として自分の役割に最善を尽くす。結果はどうあれ、僕は僕の役割を精一杯やるよ。それでもいい??」
「……もちろんだよ。」
俺は立ち上がった。
ラニもスッと立ち上がり、俺の所に駆けてくる。
そしてぎゅっとハグをした。
「……ありがとう、ラニ。」
「うううん。お兄ちゃんこそ、僕を信じて話してくれてありがとう。」
ラニは思ったより落ち着いていた。
むしろ、俺がずっと黙っていた事を話した事に安心していた。
腕の中にある、小さくとも確かにあるぬくもり。
俺はただ黙ってその体を抱きしめた。
小さなこの子にさせてしまった大きな決断。
その責任は俺にある。
ラニの小さな体を抱きとめながら、俺は何があろうともこの子は絶対に守らなければと心に決めたのだった。
俺の顔を見るとにっこり笑う。
「赤いリボンが牛のミルク、青いリボンのついてるのがヤギミルクだよ、お兄ちゃん。」
「あはは、ありがとう。」
俺はそう言って冷蔵庫を開けた。
中古品の冷凍冷蔵庫をバケット夫妻に譲ってもらったので、そのうち氷冷結晶と魔力電池を使う形に直そうと思って準備しておいたら、ノルが今日、俺が帰ってくるまで暇だからと言って作り直してくれた。
取り出した牛乳は程よく冷えていて、風呂上がりの体に染み渡る。
「あ~冷えたミルクって幸せ~。」
「あはは!だよね!僕もお風呂上がってから飲んでそう思ったよ。」
俺はミルクを注いたグラスを手に、ラニの向かいに座った。
ラニも読んでいた本を閉じる。
「……ラニ、頼みがある。」
「うん。」
「でもこれはとても危険な事だ。無理だと思ったら断るんだ。いいな?」
「うん、わかった。」
「ある人の中に精神魔術を使って潜って欲しい。その人はかなり深い所にいる。」
「うん。」
「そしてそこには、その人以外の精神体がいる。」
「……え??その人の中に??」
「そうだ。しかもそれは物凄く強いものだ。例えるなら、竜の血の呪いを宿している状態の人の最深部に潜るようなものだ。」
流石にそれを言われ、ラニは言葉を失った。
少し顔を青ざめさせて口を固く結ぶ。
迂闊に答えられない事だと理解したからだ。
精神魔術を使えない俺ですら、そんな中には入りたくないと思う。
精神魔術を使う、つまりその危険性や難しさを身を持って知っているラニからすれば、さらに事態がどういうものか鮮明に把握できただろう。
ラニは黙っていた。
軽く俯き、じっと考えている。
「……何がいるの?そこに……。」
俯いた顔を上げ、小声でそう聞いた。
俺は隠さずに答えた。
「世界を司る精霊の王の一人、海の主だ。」
「!!」
その瞬間、ラニの顔から血の気がなくなった。
青いを通り越して白くなっている。
「嘘……そんな訳………。」
「俺も知った時は驚愕して言葉が出なかったよ。人の中にそんな大きな意識体が入る訳がないって思ったし。」
俺はそう言って少し俯いた。
今だってそれを本気で信じているかと聞かれると微妙だ。
一度は殿下の中の海神と軽くだが相対した今でも、本当に海の主程の精霊が人間の中にいるとは信じがたい。
得体のしれない恐ろしいものがいる事は本能的にわかるが、それが本当に海神なのかと聞かれても俺にはわからない。
だが魔術本部に席をおけるクラスの魔術師と魔法師の四人ががりでもどうにもできず、その道のプロである神仕えの義父さんだけが対応でき、その義父さんがそうだと言っているのだから間違いないのだろう。
思わず黙り込んだ俺を見て、ラニはゆっくりと息を吐き出した。
「……本当なんだね……本当にその人の中に、海様がいらっしゃるんだね………。」
風の神を風様と読んでいたからか、ラニは海神を海様と呼んだ。
それがラニが潜らなくてはならない相手の中に海の王がいる事を、自分の中で馴染ませた現れだと俺は思った。
「……その人は生きてるの?自我はあるの?」
「生きてる。だから潜る必要があるんだ。自我はある。いや、あったと今は言った方がいいのかもしれないけれど……。」
俺はそこから、どういう事が起きたのかをラニに話した。
ラニは血の気のない顔をしながらも気丈に顔を上げ、俺の話を聞いていた。
「……そっか……。海様ほどの存在なら、どんなに精神を磨いた人であっても制御するなんてできないよ。海様ほどの存在に対して何かできるとしたら、それは……その人のやった事……つまり自分と共に精神深部に沈める事ぐらいだよ……。しかもそれでも、確実に相手を封じる事が出来るとは限らない……。だから一度は表層まで海様だけ出てこられたんだよ。」
ラニは俺の話から、精神魔法師として俺にはわからないような多くの事を悟ったようだ。
気丈にしてはいるが、無意識にぎゅっと自分の身を抱きしめて微かに震えている。
「ラニ、無理なら無理だと言っていい。俺は正直言うと難しいと思っているし、ラニにやらせたくない。」
「……それでもお兄ちゃんは僕に話した。話しても良いと思った理由があるんでしょ??」
白い顔でラニは力なく笑った。
何だか全てお見通しだなと俺も笑った。
「俺はラニにやらせたくなかった。だから代わりになる方法や補助になるものを探した。他の皆も、精神魔法師や魔術師に変わる方法がないか調べてくれた。」
「その一つがさっき、バンクロフト博士に頼んでいた仮想精神空間装置??」
「そう。あれを用いれば、宿している人の精神内部だけで済まさなければならない全てが別空間というゆとりを持たすことが出来る事から、その人への負担を減らすだけでなく、潜る側の安全性も高められる。」
「そうだね。その人の内部だけだとその人の負担も大きいし、その人の意識下、特に無意識下は他の人間の意識体にとってはとても危険な場所なんだ。何が起こるかわからないし、自分の常識が通用しない世界だから一瞬の対応を間違うと相手に飲まれてしまうから……。」
「それにあの装置は魔力電池を用いる。つまり、ラニ一人の魔力で対応しなくていい。そりゃ、こちらから送れる魔力なんてラニから見たら微々たるものかもしれないけど、絶え間なくどんどん送り続ける事ができれば無いよりマシだろ??」
「そうだね。海様のいるような場所で魔力切れを起こしたら本当に怖いから、他の人の魔力で補える部分があるのは心強いよ。」
「その他にも、空の器……もちろん海神を収められる程大きくはないが、それを噛ませる事で不足の事態の際の避難場所になったり、逃げる為に時間を稼ぐワンクッションになると思うものもある。」
「空の器??」
「ちょっとしたアクシデントで偶然生まれたものなんだ。元々は人の痛みなどを一時的に移す人形だったんだけどね。それを作る際の材料が原因で人工的に精霊みたいなものを生み出してしまって。それを別のものに移したら、器の機能を残した人形ができたんだよ。」
「その精霊みたいな子はどうしたの??」
「ん~、義父さんが今後なんとかしてくれるんだけど、今はとりあえず小さい猫のぬいぐるみに入ってて、氷砂糖とか食べてるよ。」
「あはは、そうなんだ。」
「他にも冒険者がクエストで手に入れた秘宝で、精神攻撃に対抗する強力なものをいくつか借りられる事になってる。精神に潜る時、どうしてもむき出しの魂みたいなものになる。そこに鎧なんて持って行く事はできないけれど、体の方にそう言ったものを身につける事によって、多少は身を守る事ができると考えてるよ。」
「うん。正直、僕も何もなしに海様がいる人の深層心理に降りろって言われるのは怖いよ。いくら様々な方法で逃げる道があっても、精神体がダメージを負っていたら体に戻れてもそれは残ってしまうし、下手をしたら精神体から体の方に傷が移って心身共に瀕死になってしまうから。戻れても体が瀕死になったり死んでしまったら戻った意味がなくなっちゃうから。少しでもそれから護れるものがあるならありがたいよ。」
ラニの顔色は少しだけ良くなった。
まだ若干青ざめてはいるが、話しの間に笑ってもいる。
俺も少しだけほっと息を吐き出した。
「でも、それだけ用意しても危険な事には変わりない。それは俺が言うまでもなく、ラニの方がわかっていると思う。」
俺がそう言うとラニは黙って少し俯いた。
精神魔術師でない俺でもそれが物凄く危険な事だとわかるのだ。
実際、人の精神に潜る事の難しさを知っているラニからすれば、その危険度を実感として感じているだろう。
「精神魔術師に頼らずできる方法が見つけられれば良かったんだが、それを補助・補佐する方法は見つかっても、核心である人の精神に潜る方法は現段階では見つけられなかった。」
「……だから精神魔術師が必要なんだね。しかもそれは、表層意識でなくて無意識層まで降りれるような……。」
「あぁ……。」
「そしてそこに、海様もいる。」
「そうだ。」
「無謀だね。」
「そうだな。」
ラニは小さく笑った。
俺も他にどうしょうもなくて笑った。
「……状況はわかったよ。お兄ちゃん。でも、その人の深部に降りてどうするの?」
「義父さんが海の王をなだめ、海に還す話をする。できれば一時的でも移せる器があれば良いんだけど、海神ともなるとそう簡単にはいかない。だから今、宿している方の心身を回復させて海までお連れする、だから回復させる為に影響を与えない形でしばらくいてもらえるよう頼むんだ。」
「つまり、僕が降りるというより、おじさんを深部まで導いて下ろすって事??」
「そうだな。義父さんは神仕えだから精霊のプロではあるんだけど、相手と話せなければどうにもできないんだ。話をしたいけど義父さんには精神深部に降りる術が無い。だからそこまでの導き手であり案内人がいるんだよ。」
「そっか……なるほど……。」
それを聞いて、ラニはそれまでで一番いい反応を見せた。
顔色はだいぶ戻り、真剣に考えている。
その顔は少し大人びていて、この子もこんな顔をするんだなと少し驚いた。
「……お兄ちゃん、僕、やるよ。」
「ラニ……。」
「僕がこの話で一番怖かったのは海様だよ。器になっている人の精神深部に潜る事は良かったんだ。でも、そこに海様がいるって言われてどうしていいのかわからなかった。そこに潜って海様を説得しろって言われても、僕にはできないって思ったから……。ただでさえ人の精神深部って不安定なんだ。予想だにしない事が当たり前のように起こる。その人一人でもそうなのに、そこにもう一つ精神体がいたらさらに不安定で危険な状態なんだ。本人でも制御できない無意識下に、相反する意志が二つ存在するんだからね。天変地異ぐらいの大嵐の中に降りる様なものだよ。しかもそれが海様だなんて無茶苦茶もいいとこだよ。」
「そうだな、ごめん。」
「でも、不測の事態を想定してあらゆる手を用意してくれた。ただでさえ、それまで人の身なのに海様を宿し続けて疲弊し不安定になっているその人の精神下だけでどうにかするんじゃなくて、新たな空間を用意しようとしてくれてる。何かあった際に一時的に逃げ場になったり足止めとなる器があって、むき出しの精神体をできるだけ保護する方法も考えてくれた。」
「うん。」
「そして僕が海様を説得する訳じゃない事が大きいよ。そんな難しい状況だと、無事に降りて無事に戻る事だけで精神魔術師としては精一杯なんだ。なのにそこでこの世で最も大きな力を持つ精神体の一つ、海様と向き合って説得しろって言われても無理だよ。僕の精神体が持たない。」
「うん。」
「でも僕の役割は、おじさんの精神体を導いて、安全に深部に下ろして無事に連れて帰る事だ。確かにおじさんの精神体を他の体に移すって言う普通では無い一段階が組み込まれるけど、難しい状況の中、深部に一人で降りて海様を説得する事に比べたら大した事じゃない。」
ラニはそこまで言うと、俺を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、力強い意志が宿る。
そして微笑んだ。
「凄いね、お兄ちゃん。この難しい状況に対して、ここまでしっかりした手立てを組むなんて……。はじめ聞きながら、僕はなんて無謀な事を言っているんだろうと思ってた。そんな事は不可能だって。でもここまで聞いて可能な事じゃないかと思った。僕の役割は、用意されたものを用いながら、おじさんを器の人の精神深部に導き、そして連れて帰る事。僕は僕の分野に集中して最善を尽せば何とかなるんじゃないかって。」
「ラニ……。」
「僕、やるよ。僕にできる事を精一杯。」
「……そうか……。」
「確かにどうなるかわからない事だよ。難しい状況だし、世界の王の一人である海様と向き合うなんてどんな優れた精神魔術師だって経験のない事だもの。だから絶対とは言い切れない。でも、僕は精神魔術師として自分の役割に最善を尽くす。結果はどうあれ、僕は僕の役割を精一杯やるよ。それでもいい??」
「……もちろんだよ。」
俺は立ち上がった。
ラニもスッと立ち上がり、俺の所に駆けてくる。
そしてぎゅっとハグをした。
「……ありがとう、ラニ。」
「うううん。お兄ちゃんこそ、僕を信じて話してくれてありがとう。」
ラニは思ったより落ち着いていた。
むしろ、俺がずっと黙っていた事を話した事に安心していた。
腕の中にある、小さくとも確かにあるぬくもり。
俺はただ黙ってその体を抱きしめた。
小さなこの子にさせてしまった大きな決断。
その責任は俺にある。
ラニの小さな体を抱きとめながら、俺は何があろうともこの子は絶対に守らなければと心に決めたのだった。
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