理不尽な必然―黄昏時と銀の鈴

mimahi686

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執着

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お守りを身に着けていると信一には会えない気がした。その日から美緒はお守りを机の引き出しの奥に入れた。お守りを身に着けていないことが母に知られると何か言われそうな気がしたからだ。母を怒らせるようなことはできなかった。美緒は健太が亡くなって二年ほど過ぎた頃の事を思った。

 健太の三回忌が終わった頃から母はまた勤めを始めていた。父と祖母は家にいることがかえって塞ぎこむ原因になっていると思ったらしい。二人とも積極的に外で働くことを勧めた。母も納得していたし、初めの頃は生気を取り戻したように見えた。ただ、それは一時的なものだった。父と母は以前より口論が絶えないようになっていった。
 健太の死が母の心をむしばんでいると美緒は感じていた。六歳の息子を突然亡くしたのだ。母親としては当然のことかもしれなかった。父もはじめは母をねぎらっていた。けれど、二人の間は険悪になる一方だった。
 祖母は法事で田舎に行っていない夜だった。夜中に物音がして美緒は目が覚めた。父と母が激しく言い争う声が聞こえている。ああ、前にも同じようなことがあった。美緒は以前の夜の事を思い出した。会話は同じように思われた。二人の事が気になって美緒はそっとリビングにむかった。
リビングの床には写真たてが割れて散らばっている。割れたガラスは家族四人で写した写真の上にも散らばっていた。
「私が勤めに出なければ健太は今も生きていた」
「君のせいじゃない。運命だったんだ。しかたないことなんだ」
「ひどすぎる。健太のこと忘れろっていうの」
「そうじゃない。美緒だっているんだ。しっかりしろ」
 父が激しく母の肩を揺さぶっている。
母が何か言っているが美緒には聞き取れない。突然、父が大きな声で叫んだ。
「美緒のせいにするんじゃない」
「あの時美緒が一緒だったら、二人とも死んでいたかもしれない。運命だったんだ」
 父は諭すように母に言った。母のすすり泣く声が聞こえた。
「悪いのはお前でも俺でも、ましてや美緒でもない」
――母は私が健太を止めなかったこと、健太についていかなかったことを恨んでいるんだ。
 美緒はあの事故以来、母に恨まれているのではないかと感じていた。けれど、それを口にすることはできなかった。それが事実として明らかになった今、これから母とどう接すればいいかわからなかった。
「俺だって、健太の事で苦しんでいるんだ」
父は小さくつぶやいた。父の強く握られたこぶしは微かにふるえていた。美緒はそっと部屋に戻ると声を殺して泣いた。
 それからしばらくは二人の言い争う声が時折していた。やがてそういう事もなくなって、家の中は光の届かない深海の中のように静かになっていった。
 父は朝早く家を出るようになり、帰りも遅くなった。父も母も言葉を交わすことはごくまれになっていった。一緒に食卓を囲む機会も減り、たまに家族が揃っても誰も口を開くことはなくなった。
 寂しそうな美緒の様子を見かねたのか祖母は薄茶色の子猫を連れてきた。ところが、母の方が小さな猫に夢中になった。健太と名前を付けてミルクを与え世話をしている様子を見るたびに美緒は母に置き去りにされた気がした。
――私の事まだ心配してくれてたんだ。
こんなふうに美緒の為にお守りを用意してくれたことに美緒は驚いた。幼い頃と同じように小さな銀の鈴がついたお守りは美緒にとって母とつながる唯一の希望だった。

 美緒は信一が亡くなった健太の代わりに現れたような気がした。長い間誰とも言葉を交わせずに1人彷徨っていることは辛いに違いないと思うと信一を1人にはできない。母を裏切るような気もしたがお守りは家に残そうと決心した。
「明日も黄昏時に昇降口で」
「わかった。また、明日ね」
 こうして美緒は毎日信一と話をするようになった。

 信一と話をするようになって、美緒は、ますます、ずっと一人で生徒たちを眺めている信一が可哀そうになっていた。
――何かできることはないだろうか。もし、健太が信一のように彷徨っていたら。このままではいけない。
 美緒は健太の為にも信一が今の状態から抜け出せるようにと祈った。
――とりあえず、話を聞くことから。
話を聞くうちに信一の様子がだんだんわかってきた。
「黄昏時から朝日が昇るまでは出歩くことができるんだ」
 信一は低いかすれそうな声でに言った。
「学校と自宅、登下校の道のりだけは自由に行ける。それ以外の場所には行けない」
――何と言ってあげれば良いのかな。
同じ場所を同じ時間彷徨うことしかできないことを思うと美緒は息が苦しくなった。
「美緒ちゃん、僕が怖くないないのかな」
 美緒は大きく首を横に振った。
「だって、僕は死んでるんだ」
 信一は唇を噛みしめた。
「にぎやかな家だったのに。父さん、母さん、それに浩二、みんな笑わないんだ」
「仕方ないわ。一年もたっていないんだから。私なんて」
「......」
「六年経っても、亡くなった弟の事、いつも思ってるの」
信一は深くため息をついた。
その時、美緒はめまいがした。
「大丈夫?」
「ええ、今日はもう帰りますね。また、明日」
「ああ、黄昏時に、この場所で」
信一は笑顔で手を振った。一方、美緒は疲れていた。
美緒はただ信一の話を聞くことしかできない自分がもどかしかった。それでも孤独から解放されたのか信一は生気すら取り戻しているように見えた。
 次の日も約束通り美緒は信一に会いに行った。昇降口の手前の渡り廊下には人影はなかった。信一は校庭の方を寂しげに見ていた。美緒の姿を見つけると、信一の表情が変わった。
「死んだら、どこに行くべきなのかな。どうして僕はここにいるんだろう」
「私、小さな頃、亡くなった人が見えたの。何か心残りがあるようで、みんな悲しげだったわ」
「そうか。実は僕も気になることがあるんだ」
 信一はくやしそうに唇をかんだ。
「あの時、確かに誰かが僕の肩を両手で強く押したんだ」
信一は押されたために車道に飛び出て大型トラックにひかれたらしい。
「救急車に載せられて病院に向かったところまでは覚えている。その後はわからないけれど、病室のベットで寝ている僕を真上から眺めたんだ。その時はもう死んでいたんだと思う。父さん、母さん、浩二が泣いていたな」
美緒は健太の事を思い出して涙がこぼれた。
「へえ、僕の為に泣いてくれるんだ」
 そういって、信一は悲しげに微笑んだ。
「僕はあの時僕を押したやつをどうしても知りたいんだ」
 そういった時の信一の顔は恐ろしいものだった。鬼がいるとしたら、きっとこんな表情に違いないと美緒は思った。
「一瞬だったけれど、振り返った時にちょうど手首のあたり左手の薬指の延長上にほくろが、見えた」
「ほくろ......」
「手がかりはそれだけ?」
「恨まれるようなことをした覚えもないし。それしかわからない」
 信一はうつむきがちに言った。
――犯人が見つかるだろうか。
 美緒はと今にも雨の降りそうな空を見上げた。
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