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10話
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音楽が静かに流れ始めた。
その会場の中で、アリーシャの存在はひときわ鮮やかに際立っていた。
彼女の一挙手一投足が人々の視線を集めて離さない。
ウィルフォード侯爵は、そんな彼女の変貌を、複雑な思いで見つめていた。
誇りと苛立ち、そしてほんの僅かな恐れ。
かつて自分の言葉に従い、慎ましく笑っていた妻が、今は自分よりも堂々と、社交界の中心に立っている。
彼の胸の奥に、理解できぬ焦燥が広がった。
そのとき。
「侯爵夫人、よろしければこの曲を、私と一緒に踊っていただけますか?」
声の主は、若き財務補佐、クラーク卿だった。
その声に、周囲の令嬢たちが一斉にざわめく。彼は社交界でも最も注目を集める青年の一人だ。
アリーシャは彼を見ると、わずかに微笑んだ。
「光栄ですわ、クラーク卿」
その一言で、場の空気が一変した。
音楽に合わせ、二人が舞い始めると、誰もが息を呑んだ。
アリーシャの動きは完璧で、優雅で、そして、堂々としていた。
侯爵の隣で、ロビンソン伯爵が感心したように頷いた。
「素晴らしい奥方ですな。ウィルフォード侯爵、あなたが羨ましい」
侯爵は無言で踊っている二人を見つめていた。
一方、リチャードは壁際で静かにその様子を見つめていた。
彼の視線には、羨望でも嫉妬でもない、ただひとつの確信が宿っていた。
(彼女はきっと、自分の知るあの日の彼女には、もう戻らない。これから始まるのは、《アリーシャ・ウィルフォード》という、ひとりの女性の新たな人生だ)
ダンスが終わり、拍手が沸き起こる。
アリーシャが礼をして顔を上げた瞬間、その瞳とリチャードの視線が交わった。
ほんの一瞬、しかし、その刹那の交錯が、二人の間に新たな契約めいたものを生んだ。
侯爵はその視線を見逃さなかった。
氷のように冷たい嫉妬が、胸を締めつける。
(妻が、私の知らぬ顔を見せるとは)
その夜の帰路、馬車の中には沈黙が流れていた。
アリーシャは暗い窓の外を見つめ、侯爵はその横顔から目を逸らせない。
「随分と皆の注目を集めていたな。まるで、侯爵夫人ではなく、王妃のようだった」
「光栄ですわ。でも、私が目指すのは王妃ではございません」
「なら、何だ?」
アリーシャは静かに微笑んだ。
「《存在価値》です。女性であっても、誰かの庇護のもとに生きるだけでは、何も変えられませんから」
侯爵は言葉を失った。
アリーシャの声は、穏やかでありながら、鋼のように強かった。
(この女は、変わった。私の知らぬ場所で)
その夜、侯爵の中で何かが静かに崩れ落ちていった。
『彼女を居ない物として扱って来た己を前にして彼女は《存在価値》を目指していると言ってのけた』
(アリーシャは、この私、いいや周りにいる者全てに、自分の新たな人生の始まりを行動で示しているのだ)
こうしてアリーシャに関わる二人の男たちが同じように彼女の新たな人生を感じとっていた。
ーーーー
リチャードが提案した、財団
それはやがて、王都を揺るがす改革の火種となる。
そして、その中心に立つのは、ウィルフォード侯爵夫人そう、アリーシャだった。
その会場の中で、アリーシャの存在はひときわ鮮やかに際立っていた。
彼女の一挙手一投足が人々の視線を集めて離さない。
ウィルフォード侯爵は、そんな彼女の変貌を、複雑な思いで見つめていた。
誇りと苛立ち、そしてほんの僅かな恐れ。
かつて自分の言葉に従い、慎ましく笑っていた妻が、今は自分よりも堂々と、社交界の中心に立っている。
彼の胸の奥に、理解できぬ焦燥が広がった。
そのとき。
「侯爵夫人、よろしければこの曲を、私と一緒に踊っていただけますか?」
声の主は、若き財務補佐、クラーク卿だった。
その声に、周囲の令嬢たちが一斉にざわめく。彼は社交界でも最も注目を集める青年の一人だ。
アリーシャは彼を見ると、わずかに微笑んだ。
「光栄ですわ、クラーク卿」
その一言で、場の空気が一変した。
音楽に合わせ、二人が舞い始めると、誰もが息を呑んだ。
アリーシャの動きは完璧で、優雅で、そして、堂々としていた。
侯爵の隣で、ロビンソン伯爵が感心したように頷いた。
「素晴らしい奥方ですな。ウィルフォード侯爵、あなたが羨ましい」
侯爵は無言で踊っている二人を見つめていた。
一方、リチャードは壁際で静かにその様子を見つめていた。
彼の視線には、羨望でも嫉妬でもない、ただひとつの確信が宿っていた。
(彼女はきっと、自分の知るあの日の彼女には、もう戻らない。これから始まるのは、《アリーシャ・ウィルフォード》という、ひとりの女性の新たな人生だ)
ダンスが終わり、拍手が沸き起こる。
アリーシャが礼をして顔を上げた瞬間、その瞳とリチャードの視線が交わった。
ほんの一瞬、しかし、その刹那の交錯が、二人の間に新たな契約めいたものを生んだ。
侯爵はその視線を見逃さなかった。
氷のように冷たい嫉妬が、胸を締めつける。
(妻が、私の知らぬ顔を見せるとは)
その夜の帰路、馬車の中には沈黙が流れていた。
アリーシャは暗い窓の外を見つめ、侯爵はその横顔から目を逸らせない。
「随分と皆の注目を集めていたな。まるで、侯爵夫人ではなく、王妃のようだった」
「光栄ですわ。でも、私が目指すのは王妃ではございません」
「なら、何だ?」
アリーシャは静かに微笑んだ。
「《存在価値》です。女性であっても、誰かの庇護のもとに生きるだけでは、何も変えられませんから」
侯爵は言葉を失った。
アリーシャの声は、穏やかでありながら、鋼のように強かった。
(この女は、変わった。私の知らぬ場所で)
その夜、侯爵の中で何かが静かに崩れ落ちていった。
『彼女を居ない物として扱って来た己を前にして彼女は《存在価値》を目指していると言ってのけた』
(アリーシャは、この私、いいや周りにいる者全てに、自分の新たな人生の始まりを行動で示しているのだ)
こうしてアリーシャに関わる二人の男たちが同じように彼女の新たな人生を感じとっていた。
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リチャードが提案した、財団
それはやがて、王都を揺るがす改革の火種となる。
そして、その中心に立つのは、ウィルフォード侯爵夫人そう、アリーシャだった。
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