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6話
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次の日から、私はまたいつものアリーシャの姿に戻って過ごしていた。
本宅の図書室へ向かう途中、廊下で使用人たちとすれ違うと、皆、目をぱちくりとさせて私を見ていた。
(そうよね。昨日の私の姿を見ているのだから、無理もないわ)
心の中でそう思いながら図書室へ入ると、まもなく旦那様が現れた。
「また元の姿に戻ったのだな」
「はい。普段はこちらの格好の方が落ち着きますので」
「私は昨日の姿の方が好きだがな」
「そう申されましても」
「まあ、アリーシャがその方が落ち着くならそれで良い。だが、また何かあった時には頼むぞ」
「は? あのような協力は一度きりだと申しましたよね」
「そう言わず、私の役に立ってほしい」
「いいえ、二度はありません。旦那様、人のものを奪うような行為はいけません。相手にするなら、せめて未亡人か独身の方になさってください」
「そうか‥‥駄目か」
肩を落とした旦那様は、しばらくして急に顔を上げた。
「アリーシャ、私が君と結婚した目的は何だ?」
(今度はそう来ましたか)
内心そう呟きながら、私は静かに答えた。
「私を隠れ蓑にするおつもりですよね」
「分かっているならいい。そういうことだ」
「はあー」
思わずため息が漏れた。
「どうなっても知りませんからね」
そう言うことしかできなかった。
旦那様は、きっと今回の件で味を占めてしまったのだろう。
あの姿を見せてしまったことを後悔したが、今さらどうにもならない。
これ以上、勝手に遊ばれるのは構わないけれど、私まで共犯者にされては困る。
それだけは、絶対に避けなければ。
(少し痛い目を見てもらうしかないわね)
そう心に決めた。
それから数日経ったある日、本宅の図書室へ向かう途中、上の階の夫婦の寝室の方から、女性の笑い声が聞こえてきた。
気になってそっと階段を上がり、扉の隙間から覗くと、旦那様がまたしても新しい女性と親しげに寄り添っていた。
(まあ、今度の方はずいぶん品があるわね。おそらく高位貴族のご夫人ね、まったく、懲りない方だわ)
私は静かにその場を離れ、図書室で本を手に取ったあと、離れへ戻ってカンナに見たままを話した。
「ねえ、カンナ。旦那様は、私が嫁ぐ前からあんなふうに女性を招いていたの?」
「そうですね。大旦那様と大奥様が領地にお移りになってからは、頻繁にいろいろな方が訪ねて来られていました」
「それで、一度もトラブルはなかったのかしら?」
「いえ、一度だけかなり危ういことがあったようです。その時のお相手は、旦那様より爵位のずっと下の方でした。結局はお金の力で何とかしたと、お屋敷中で噂になっていました」
「はー、なのにまだ懲りていないのね」
「申し上げにくいのですが、奥様とのご結婚も今となっては、その隠れ蓑のためだったようです」
「ええ、前にも聞いたわ、それに私はそれを承知で嫁いで来たのよ。でも、そういう事情があったからなのね」
そう言って、私は深くため息をついた。
「でもね、カンナ。今度の方は旦那様と同等、もしくはそれ以上の公爵家の方のように思えるの。これはかなり厄介よ」
「ですが、そのようなこと、奥様が気に病むことではありません」
「いいえ、カンナ。もしその方が既婚者だった場合、ご主人に訴えられたら、旦那様は財産を全て没収され、下手をすれば投獄される可能性だってあるのよ。そうなったら、この屋敷の使用人たちは皆、路頭に迷うことになる。もちろん、私も含めてね」
「えっ、そんなところまで発展するのですか?」
カンナの目が見開かれた。
彼女は知らないのだ。
貴族社会で(人妻との姦通)は、単なる道徳違反ではない。
それは爵位と家名を揺るがす重大な罪であり、相手の身分が高ければ高いほど、政治的にも深刻な問題となる。
そして、それは教会法によっても、厳しく罰せられる。
(さて、どうしたものかしら)
このまま放っては、おけないわね。
今の安定した生活を失うわけにもいかない、私にはもう帰る場所がないのだから。
本宅の図書室へ向かう途中、廊下で使用人たちとすれ違うと、皆、目をぱちくりとさせて私を見ていた。
(そうよね。昨日の私の姿を見ているのだから、無理もないわ)
心の中でそう思いながら図書室へ入ると、まもなく旦那様が現れた。
「また元の姿に戻ったのだな」
「はい。普段はこちらの格好の方が落ち着きますので」
「私は昨日の姿の方が好きだがな」
「そう申されましても」
「まあ、アリーシャがその方が落ち着くならそれで良い。だが、また何かあった時には頼むぞ」
「は? あのような協力は一度きりだと申しましたよね」
「そう言わず、私の役に立ってほしい」
「いいえ、二度はありません。旦那様、人のものを奪うような行為はいけません。相手にするなら、せめて未亡人か独身の方になさってください」
「そうか‥‥駄目か」
肩を落とした旦那様は、しばらくして急に顔を上げた。
「アリーシャ、私が君と結婚した目的は何だ?」
(今度はそう来ましたか)
内心そう呟きながら、私は静かに答えた。
「私を隠れ蓑にするおつもりですよね」
「分かっているならいい。そういうことだ」
「はあー」
思わずため息が漏れた。
「どうなっても知りませんからね」
そう言うことしかできなかった。
旦那様は、きっと今回の件で味を占めてしまったのだろう。
あの姿を見せてしまったことを後悔したが、今さらどうにもならない。
これ以上、勝手に遊ばれるのは構わないけれど、私まで共犯者にされては困る。
それだけは、絶対に避けなければ。
(少し痛い目を見てもらうしかないわね)
そう心に決めた。
それから数日経ったある日、本宅の図書室へ向かう途中、上の階の夫婦の寝室の方から、女性の笑い声が聞こえてきた。
気になってそっと階段を上がり、扉の隙間から覗くと、旦那様がまたしても新しい女性と親しげに寄り添っていた。
(まあ、今度の方はずいぶん品があるわね。おそらく高位貴族のご夫人ね、まったく、懲りない方だわ)
私は静かにその場を離れ、図書室で本を手に取ったあと、離れへ戻ってカンナに見たままを話した。
「ねえ、カンナ。旦那様は、私が嫁ぐ前からあんなふうに女性を招いていたの?」
「そうですね。大旦那様と大奥様が領地にお移りになってからは、頻繁にいろいろな方が訪ねて来られていました」
「それで、一度もトラブルはなかったのかしら?」
「いえ、一度だけかなり危ういことがあったようです。その時のお相手は、旦那様より爵位のずっと下の方でした。結局はお金の力で何とかしたと、お屋敷中で噂になっていました」
「はー、なのにまだ懲りていないのね」
「申し上げにくいのですが、奥様とのご結婚も今となっては、その隠れ蓑のためだったようです」
「ええ、前にも聞いたわ、それに私はそれを承知で嫁いで来たのよ。でも、そういう事情があったからなのね」
そう言って、私は深くため息をついた。
「でもね、カンナ。今度の方は旦那様と同等、もしくはそれ以上の公爵家の方のように思えるの。これはかなり厄介よ」
「ですが、そのようなこと、奥様が気に病むことではありません」
「いいえ、カンナ。もしその方が既婚者だった場合、ご主人に訴えられたら、旦那様は財産を全て没収され、下手をすれば投獄される可能性だってあるのよ。そうなったら、この屋敷の使用人たちは皆、路頭に迷うことになる。もちろん、私も含めてね」
「えっ、そんなところまで発展するのですか?」
カンナの目が見開かれた。
彼女は知らないのだ。
貴族社会で(人妻との姦通)は、単なる道徳違反ではない。
それは爵位と家名を揺るがす重大な罪であり、相手の身分が高ければ高いほど、政治的にも深刻な問題となる。
そして、それは教会法によっても、厳しく罰せられる。
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