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19話
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わたくしが案内された応接室は、戦場の最前線にあるとは思えないほど整っていた。これもすべて、辺境伯領が長く戦地の拠点となり、兵士たちを受け入れてきたゆえだろう。
兵士たちが憩う食堂では、温かな食事が常に用意され、洗濯場には干したての軍服が並び、夜には皆で共に祈りを捧げる、そんな生活が続いていたと、この屋敷のメイド長から聞かされた。
そして、その中心で明るく働いていたのが、辺境伯の娘ソニア様だったという。
「以前は人前に出るのも苦手で、ずっとお部屋に閉じこもっておりましたのに、王宮騎士団の皆様が来てから変わりましたのよ」
そう語るメイド長には、主人の娘の変化を喜ぶ姿があった。
だからこそ、彼女の胸に芽生えた恋心に、誰もすぐには気づけなかったのかもしれない。
ーーーー
辺境伯様に呼ばれ、わたくしは重厚な書斎へと通された。
「遠路ご苦労であった、エドガー夫人」
白髪まじりの大きな体躯。
しかしその目は、どこか重い影を落としていた。
「エドガー卿が……あなたにどれほど会いたがっていたか。生きて帰ると、よく……言っておられた」
胸が締めつけられた。
「ありがとうございます。彼がそう思ってくださっていたのなら……わたくしは、それだけで」
わたくしが言いかけたその時。
「だが、聞いてしまったのだよ。あの男の……あまり夫として褒められぬ発言をな」
辺境伯様の声音が、低く沈んだ。
わたくしは顔を上げる。
「褒められぬ……とは?」
「酒が入っていたとはいえ、卿はこう言った。
妻を心から愛するがゆえ、彼女が自分を愛してくれる日まで待つと。いまだ白いままの結婚だ、と」
「……っ」
胸が熱くなるのに、痛むという奇妙な感覚が押し寄せる。
あの方は、そんなことまで……。
「そしてな、夫人」
辺境伯様の表情が強張った。
「彼は、たぶんもう歩けぬ身体になった。重傷ゆえ、騎士としても戻れまい。先日、無理を言って医師の見解を聞き出したんだ」
わかっていた。
わたくしは覚悟していた。
けれど、改めて言葉にされると、鋭い刃のように刺さった。
「そんな男と夫人は、これからどう生きる? 元侯爵令嬢であれば、もっと良い縁があるのではないのか」
「必要ありませんわ」
わたくしの声が、部屋の空気を凍らせた。
「わたくしは、あの方の妻としてここに参りました。たとえ一生歩けなくとも、わたくしが支えます」
言葉に迷いはなかった。
涙も、揺らぎもない。
「エドガー様は、わたくしの夫です。わたくしを信じ、愛し、そしてわたくしを待っていてくださった。ならば、わたくしが手放す理由など一つもございません」
辺境伯様は唇を噛み、拳を握りしめた。
「……娘のソニアは、卿を慕っておる」
やはり、そうだった。
わかっていた。
彼の寝台のそばに付き添う、その姿を見た瞬間から。
「だが、わたしは親だ。幸福になってほしい。卿ほどの男なら……と、そう思ってしまった」
「理解しておりますわ。けれど……」
わたくしは、余裕を見せるように微笑んだ。
「ご安心くださいませ。わたくしはソニア様から、夫を奪ったりはいたしませんわ。だって、もともとわたくしの夫ですもの」
その一言で、辺境伯は完全に言葉を失った。
たおやかに見せかけて、その実、貴族の矜持を鋼のように秘めた笑み、わたくしはそれを静かに浮かべた。
「わたくしがここに来たのは、彼を連れ帰るため。それだけですわ。彼がわたくしを必要としてくれるなら、わたくしから手を放すことなどあり得ませんわ」
その瞬間、扉の外で控えていたソニア様の気配が震えた。
どうやら、全部聞こえていたらしい。
静かな廊下に、彼女の早い足音が遠ざかっていく。
(逃げたのね。……可愛らしい娘だこと)
けれど、譲る気など毛頭ない。
わたくしは立ち上がり、毅然と裾を払った。
(エドガー様。あなたがたとえどんな身体になろうとも、わたくしが支えますわ。ですから、必ず目を開けて)
ゆらぎなき決意を胸に、わたくしは夫の部屋へと歩みを進めた。
辺境伯様はもう何も言わなかった、いや、言えなかった。
わたくしには足が不自由になったから他の方をと言っておきながら、自分の娘には卿ほどの男ならとは。なんて勝手な言い分かしら、わたくしはかなり腹を立てていた。
一刻も早く夫を連れ帰らなければいけないと気持ちが焦った。どうか、早く目を覚ましてと願わずにはいられなかった。
兵士たちが憩う食堂では、温かな食事が常に用意され、洗濯場には干したての軍服が並び、夜には皆で共に祈りを捧げる、そんな生活が続いていたと、この屋敷のメイド長から聞かされた。
そして、その中心で明るく働いていたのが、辺境伯の娘ソニア様だったという。
「以前は人前に出るのも苦手で、ずっとお部屋に閉じこもっておりましたのに、王宮騎士団の皆様が来てから変わりましたのよ」
そう語るメイド長には、主人の娘の変化を喜ぶ姿があった。
だからこそ、彼女の胸に芽生えた恋心に、誰もすぐには気づけなかったのかもしれない。
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辺境伯様に呼ばれ、わたくしは重厚な書斎へと通された。
「遠路ご苦労であった、エドガー夫人」
白髪まじりの大きな体躯。
しかしその目は、どこか重い影を落としていた。
「エドガー卿が……あなたにどれほど会いたがっていたか。生きて帰ると、よく……言っておられた」
胸が締めつけられた。
「ありがとうございます。彼がそう思ってくださっていたのなら……わたくしは、それだけで」
わたくしが言いかけたその時。
「だが、聞いてしまったのだよ。あの男の……あまり夫として褒められぬ発言をな」
辺境伯様の声音が、低く沈んだ。
わたくしは顔を上げる。
「褒められぬ……とは?」
「酒が入っていたとはいえ、卿はこう言った。
妻を心から愛するがゆえ、彼女が自分を愛してくれる日まで待つと。いまだ白いままの結婚だ、と」
「……っ」
胸が熱くなるのに、痛むという奇妙な感覚が押し寄せる。
あの方は、そんなことまで……。
「そしてな、夫人」
辺境伯様の表情が強張った。
「彼は、たぶんもう歩けぬ身体になった。重傷ゆえ、騎士としても戻れまい。先日、無理を言って医師の見解を聞き出したんだ」
わかっていた。
わたくしは覚悟していた。
けれど、改めて言葉にされると、鋭い刃のように刺さった。
「そんな男と夫人は、これからどう生きる? 元侯爵令嬢であれば、もっと良い縁があるのではないのか」
「必要ありませんわ」
わたくしの声が、部屋の空気を凍らせた。
「わたくしは、あの方の妻としてここに参りました。たとえ一生歩けなくとも、わたくしが支えます」
言葉に迷いはなかった。
涙も、揺らぎもない。
「エドガー様は、わたくしの夫です。わたくしを信じ、愛し、そしてわたくしを待っていてくださった。ならば、わたくしが手放す理由など一つもございません」
辺境伯様は唇を噛み、拳を握りしめた。
「……娘のソニアは、卿を慕っておる」
やはり、そうだった。
わかっていた。
彼の寝台のそばに付き添う、その姿を見た瞬間から。
「だが、わたしは親だ。幸福になってほしい。卿ほどの男なら……と、そう思ってしまった」
「理解しておりますわ。けれど……」
わたくしは、余裕を見せるように微笑んだ。
「ご安心くださいませ。わたくしはソニア様から、夫を奪ったりはいたしませんわ。だって、もともとわたくしの夫ですもの」
その一言で、辺境伯は完全に言葉を失った。
たおやかに見せかけて、その実、貴族の矜持を鋼のように秘めた笑み、わたくしはそれを静かに浮かべた。
「わたくしがここに来たのは、彼を連れ帰るため。それだけですわ。彼がわたくしを必要としてくれるなら、わたくしから手を放すことなどあり得ませんわ」
その瞬間、扉の外で控えていたソニア様の気配が震えた。
どうやら、全部聞こえていたらしい。
静かな廊下に、彼女の早い足音が遠ざかっていく。
(逃げたのね。……可愛らしい娘だこと)
けれど、譲る気など毛頭ない。
わたくしは立ち上がり、毅然と裾を払った。
(エドガー様。あなたがたとえどんな身体になろうとも、わたくしが支えますわ。ですから、必ず目を開けて)
ゆらぎなき決意を胸に、わたくしは夫の部屋へと歩みを進めた。
辺境伯様はもう何も言わなかった、いや、言えなかった。
わたくしには足が不自由になったから他の方をと言っておきながら、自分の娘には卿ほどの男ならとは。なんて勝手な言い分かしら、わたくしはかなり腹を立てていた。
一刻も早く夫を連れ帰らなければいけないと気持ちが焦った。どうか、早く目を覚ましてと願わずにはいられなかった。
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