暴言と浮気を繰り返す婚約者

ヴァンドール

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5話

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 それは、ランガー様が知り合いに挨拶に行かれたすぐ後のことだった。

「ルシアン、待て」

 その声には、苛立ちと怒りが含まれていた。
 しかし、周囲の視線を気にして、低く抑えようとしているのがわかる。

 私は足を止め、ゆっくりと振り返った。

「何でしょうか、ピエール様」

 距離を取ったまま、そう呼んだだけで、彼の眉がぴくりと動く。

「さっきから、どういうつもりだ」

「どういう、とは?」

「俺を試しているのか。それとも、わざと嫉妬させているのか」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが、すとんと落ちた。

 ああ、この人は、本当に何も分かっていない。

「申し訳ありませんが」

 私は、静かに首を振った。

「そのどちらでもありませんわ」

「嘘だ」

 彼は一歩、距離を詰めてくる。
 以前なら、それだけで身体が強張っていた。
 けれど今は、平気だった。

「お前が、そんな顔で他の男と踊るなんて、今までなかった」

「そうでしょうね」

「俺の前では、いつも……」

 そこで言葉が途切れた。
 従順で、何も言わない。大人しい。
 彼は、きっとそう続けるつもりだったのでしょう。

「俺を甘く見るなよ」

 低く吐き捨てるような声。
『ああ、まただ』
 その瞬間、かつての恐怖が、微かに胸を掠めた。
 けれど、それはもう、私を縛るものではなかった。

「甘く見てなどいません」

 私は、はっきりと言った。

「ただ、貴方を見切っただけです」

「何だと?」

「とにかく貴方に興味がなくなっただけですから」

 彼の顔色が、みるみる変わる。

「ふざけるな。俺たちは婚約しているんだぞ」

「ええ、存じております」

「ならどうして」

「でしたら」

 私は、彼の言葉を遮った。

「まずは、私を責める前に、ご自分がしていることをよくお考え下さい」

 ピエール様は、言葉を失った。
 そしてやっと考えて出した言葉だった。

「俺は、お前の婚約者だ」

(そうきますか)

「ええ。形式上だけですが」

 その一言が、気に入らないのだろう。彼の手が、私の腕を掴んだ。

「その手を、離していただけますか」

 大きな声で、はっきりと告げた。

 周囲に、視線が集まっている。
 彼もそれに気づいたのだろう。
 ゆっくりと手を引っ込めた。

「変わったな、ルシアン」

「変わったのではありません。貴方が変えたのですわ」

 私は、微笑んだ。

「自分を守る、本能が働くのです。貴方と居ると」

 その言葉は、彼にとって、何より刺さる言葉のはずだ。

 ピエール様は何か言おうと口を開いたが、結局、何も言えなかった。
 すると、その背後で、声がした。

「ピエール様。どうかなさいましたか?」

 連れの彼女が心配そうに声を掛けてきた。

「い、いや、何でもない。今行く」

 彼は焦ったように返事をした。

「では、失礼いたします」

 私は一礼し、背を向けた。

 彼も彼女を伴い、去っていった。

 かつて私を縛っていたのは、彼ではない。
 彼に怯え続けていた、過去の私自身だった。

(もういいのよ、ルシアン。怯える日々は終わったの)

 心の中で呟いた。

「ルシアン、大丈夫だったか?」

「お兄様、見ていたのならもっと早く来て下さい」

「いや、お前が腕を掴まれた瞬間、出ようとしたが、すぐにお前が言い返せていたから、見守っていたんだ。強くなったな」

 そう言って頭を撫でられた。

「お兄様、予定が狂いましたわ。あちらから婚約破棄させるつもりだったのに、このままだと難しいかもしれません。変に意地になる方ですから」

(まったく、追えば逃げるくせに、逃げれば追ってくるなんて本当に厄介な男だわ)

「確かにお前の言う通りだな。改めて考えないといけないな。それから、やはり領地にいる父上にも手紙で知らせておこう」

 お兄様はそう言って笑った。
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