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11話
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それから、二日後のことだった。
午後の静けさを破るように、屋敷に来客があると告げられた。
「スタンリー伯爵家のご子息です」
執事が告げた。
その一言で、身が竦む。
ピエール様。
(先触れもなしにいきなり? お兄様は朝からランガー様とお仕事で外出中だし、私一人で大丈夫かしら……いくら心を決めたと言っても、突然の来訪には戸惑ってしまう)
つい先ほどまで、庭で感じていた穏やかな気分が、一気に過ぎ去る。
応接室に入ると、彼は既に立っていた。
いつもと変わらぬ隙のない身なり。
けれど、その視線には、どこか焦りの色が滲んでいる。
「久しぶりだな、ルシアン」
「ご無沙汰しております」
それだけで、声が少し硬くなる。緊張してしまう。
彼は椅子に座るよう促すでもなく、すぐに切り出した。
「単刀直入に言う。結婚の話を、進めたい」
あまりに急で、私は言葉を失った。
「父も、これ以上は先延ばしにするなと言っている。噂も立っているようだしな」
噂。
その言葉に、胸が微かに騒ぐ。
「噂、とは?」
「とぼけるな!」
低い声で怒鳴る。
だけど、以前のような傲慢さではなく、苛立ちと不安が混じっているようだった。
「ロイド殿の友人だか何だか知らないが、他の男と親しげにしている、という噂が立っている」
私は、ぎゅっと指先を握った。
「事実ではありません」
「そんなこと、世間は関係ない」
彼は、一歩、距離を詰めた。
「お前は、俺の婚約者だ。今のままでは妙な嘘が広がるだけだ。」
だから、早く俺と結婚しろ。
暗にそう迫られている。
「式の日取りを決めよう。半年も待つ必要はない。三か月で十分だ」
畳みかけるような言葉。
冷たさしか感じない。
以前なら、私はここで黙り込んでいた。
反論すれば、機嫌が悪くなり、結果、
怒鳴られる。責められる。
だから、何も言わない。それが、癖だった。
だけどもう。
「少し、お待ちください。先日お連れの令嬢とは本気のお付き合いのようでしたが、宜しいのですか?」
「あ、あれはただの友人の妹だ。た、頼まれただけだ。何? それとも妬いているのか?」
「いいえ、全く」
自分の声が、思っていたより落ち着いていることに、私自身が驚いた。それにしてもまだ、自惚れているだなんて。
「結婚は、一方的に急かされて決めるものではありません」
彼の眉が、ぴくりと動く。
「今まで、私はあなたの言う通りにしてきました。ですが、それが正しかったのか、今は考える時間が必要です」
「考える? 今さら何をだ。十分すぎる婚約期間だったはずだ」
「だからこそです。その間に貴方はどれだけ私に暴言を吐いたかお忘れではありませんよね」
言った瞬間、胸が大きく波打った。
怖さが、ないわけではない。
けれど、それに負けることはなかった。
彼は、しばらく私を見つめていたが、やがて舌打ちをした。それでも私は続けて言った。
「その暴言にどれだけ私が傷つき、恐怖に怯えたことか。そんな日々がこれからも続くなんて、それは私にとっての地獄です」
(遂に言えたわ。私は心の中でガッツポーズをとった)
ピエール様は大きな溜息をついた。
「変わったな、ルシアン」
「そうかもしれません」
「誰の影響だ?」
いつもと同じ、問い詰める視線。
私は、答えなかった。
誰かの名前を出す必要は、ない。
「結婚のお話は、父と兄に相談したいと思います。噂を気にしているようですが、貴方が今まで流してきた、多くの噂を思えば、今回の噂など大したことではありません」
そう告げると、彼の顔に、はっきりと苛立ちが浮かんだ。
「後悔するぞ」
「いいえ。寧ろ、後悔はしたくないからです」
昔なら、震えていた言葉。
だけど今は、何とか耐えられる。
ピエール様は、私を睨みつけた後、それ以上は何も言わず、踵を返した。
扉が閉まった後、私は大きく息を吐いた。
足は、少し震えている。
怖くなかったわけではない。
それでも。
(立てた。きちんと一人で)
ほんの一歩。
けれど、確かに。
私は、自分の足で、そこに立っていた。
午後の静けさを破るように、屋敷に来客があると告げられた。
「スタンリー伯爵家のご子息です」
執事が告げた。
その一言で、身が竦む。
ピエール様。
(先触れもなしにいきなり? お兄様は朝からランガー様とお仕事で外出中だし、私一人で大丈夫かしら……いくら心を決めたと言っても、突然の来訪には戸惑ってしまう)
つい先ほどまで、庭で感じていた穏やかな気分が、一気に過ぎ去る。
応接室に入ると、彼は既に立っていた。
いつもと変わらぬ隙のない身なり。
けれど、その視線には、どこか焦りの色が滲んでいる。
「久しぶりだな、ルシアン」
「ご無沙汰しております」
それだけで、声が少し硬くなる。緊張してしまう。
彼は椅子に座るよう促すでもなく、すぐに切り出した。
「単刀直入に言う。結婚の話を、進めたい」
あまりに急で、私は言葉を失った。
「父も、これ以上は先延ばしにするなと言っている。噂も立っているようだしな」
噂。
その言葉に、胸が微かに騒ぐ。
「噂、とは?」
「とぼけるな!」
低い声で怒鳴る。
だけど、以前のような傲慢さではなく、苛立ちと不安が混じっているようだった。
「ロイド殿の友人だか何だか知らないが、他の男と親しげにしている、という噂が立っている」
私は、ぎゅっと指先を握った。
「事実ではありません」
「そんなこと、世間は関係ない」
彼は、一歩、距離を詰めた。
「お前は、俺の婚約者だ。今のままでは妙な嘘が広がるだけだ。」
だから、早く俺と結婚しろ。
暗にそう迫られている。
「式の日取りを決めよう。半年も待つ必要はない。三か月で十分だ」
畳みかけるような言葉。
冷たさしか感じない。
以前なら、私はここで黙り込んでいた。
反論すれば、機嫌が悪くなり、結果、
怒鳴られる。責められる。
だから、何も言わない。それが、癖だった。
だけどもう。
「少し、お待ちください。先日お連れの令嬢とは本気のお付き合いのようでしたが、宜しいのですか?」
「あ、あれはただの友人の妹だ。た、頼まれただけだ。何? それとも妬いているのか?」
「いいえ、全く」
自分の声が、思っていたより落ち着いていることに、私自身が驚いた。それにしてもまだ、自惚れているだなんて。
「結婚は、一方的に急かされて決めるものではありません」
彼の眉が、ぴくりと動く。
「今まで、私はあなたの言う通りにしてきました。ですが、それが正しかったのか、今は考える時間が必要です」
「考える? 今さら何をだ。十分すぎる婚約期間だったはずだ」
「だからこそです。その間に貴方はどれだけ私に暴言を吐いたかお忘れではありませんよね」
言った瞬間、胸が大きく波打った。
怖さが、ないわけではない。
けれど、それに負けることはなかった。
彼は、しばらく私を見つめていたが、やがて舌打ちをした。それでも私は続けて言った。
「その暴言にどれだけ私が傷つき、恐怖に怯えたことか。そんな日々がこれからも続くなんて、それは私にとっての地獄です」
(遂に言えたわ。私は心の中でガッツポーズをとった)
ピエール様は大きな溜息をついた。
「変わったな、ルシアン」
「そうかもしれません」
「誰の影響だ?」
いつもと同じ、問い詰める視線。
私は、答えなかった。
誰かの名前を出す必要は、ない。
「結婚のお話は、父と兄に相談したいと思います。噂を気にしているようですが、貴方が今まで流してきた、多くの噂を思えば、今回の噂など大したことではありません」
そう告げると、彼の顔に、はっきりと苛立ちが浮かんだ。
「後悔するぞ」
「いいえ。寧ろ、後悔はしたくないからです」
昔なら、震えていた言葉。
だけど今は、何とか耐えられる。
ピエール様は、私を睨みつけた後、それ以上は何も言わず、踵を返した。
扉が閉まった後、私は大きく息を吐いた。
足は、少し震えている。
怖くなかったわけではない。
それでも。
(立てた。きちんと一人で)
ほんの一歩。
けれど、確かに。
私は、自分の足で、そこに立っていた。
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