11 / 22
11話
しおりを挟む
それから、二日後のことだった。
午後の静けさを破るように、屋敷に来客があると告げられた。
「スタンリー伯爵家のご子息です」
執事が告げた。
その一言で、身が竦む。
ピエール様。
(先触れもなしにいきなり? お兄様は朝からランガー様とお仕事で外出中だし、私一人で大丈夫かしら……いくら心を決めたと言っても、突然の来訪には戸惑ってしまう)
つい先ほどまで、庭で感じていた穏やかな気分が、一気に過ぎ去る。
応接室に入ると、彼は既に立っていた。
いつもと変わらぬ隙のない身なり。
けれど、その視線には、どこか焦りの色が滲んでいる。
「久しぶりだな、ルシアン」
「ご無沙汰しております」
それだけで、声が少し硬くなる。緊張してしまう。
彼は椅子に座るよう促すでもなく、すぐに切り出した。
「単刀直入に言う。結婚の話を、進めたい」
あまりに急で、私は言葉を失った。
「父も、これ以上は先延ばしにするなと言っている。噂も立っているようだしな」
噂。
その言葉に、胸が微かに騒ぐ。
「噂、とは?」
「とぼけるな!」
低い声で怒鳴る。
だけど、以前のような傲慢さではなく、苛立ちと不安が混じっているようだった。
「ロイド殿の友人だか何だか知らないが、他の男と親しげにしている、という噂が立っている」
私は、ぎゅっと指先を握った。
「事実ではありません」
「そんなこと、世間は関係ない」
彼は、一歩、距離を詰めた。
「お前は、俺の婚約者だ。今のままでは妙な嘘が広がるだけだ。」
だから、早く俺と結婚しろ。
暗にそう迫られている。
「式の日取りを決めよう。半年も待つ必要はない。三か月で十分だ」
畳みかけるような言葉。
冷たさしか感じない。
以前なら、私はここで黙り込んでいた。
反論すれば、機嫌が悪くなり、結果、
怒鳴られる。責められる。
だから、何も言わない。それが、癖だった。
だけどもう。
「少し、お待ちください。先日お連れの令嬢とは本気のお付き合いのようでしたが、宜しいのですか?」
「あ、あれはただの友人の妹だ。た、頼まれただけだ。何? それとも妬いているのか?」
「いいえ、全く」
自分の声が、思っていたより落ち着いていることに、私自身が驚いた。それにしてもまだ、自惚れているだなんて。
「結婚は、一方的に急かされて決めるものではありません」
彼の眉が、ぴくりと動く。
「今まで、私はあなたの言う通りにしてきました。ですが、それが正しかったのか、今は考える時間が必要です」
「考える? 今さら何をだ。十分すぎる婚約期間だったはずだ」
「だからこそです。その間に貴方はどれだけ私に暴言を吐いたかお忘れではありませんよね」
言った瞬間、胸が大きく波打った。
怖さが、ないわけではない。
けれど、それに負けることはなかった。
彼は、しばらく私を見つめていたが、やがて舌打ちをした。それでも私は続けて言った。
「その暴言にどれだけ私が傷つき、恐怖に怯えたことか。そんな日々がこれからも続くなんて、それは私にとっての地獄です」
(遂に言えたわ。私は心の中でガッツポーズをとった)
ピエール様は大きな溜息をついた。
「変わったな、ルシアン」
「そうかもしれません」
「誰の影響だ?」
いつもと同じ、問い詰める視線。
私は、答えなかった。
誰かの名前を出す必要は、ない。
「結婚のお話は、父と兄に相談したいと思います。噂を気にしているようですが、貴方が今まで流してきた、多くの噂を思えば、今回の噂など大したことではありません」
そう告げると、彼の顔に、はっきりと苛立ちが浮かんだ。
「後悔するぞ」
「いいえ。寧ろ、後悔はしたくないからです」
昔なら、震えていた言葉。
だけど今は、何とか耐えられる。
ピエール様は、私を睨みつけた後、それ以上は何も言わず、踵を返した。
扉が閉まった後、私は大きく息を吐いた。
足は、少し震えている。
怖くなかったわけではない。
それでも。
(立てた。きちんと一人で)
ほんの一歩。
けれど、確かに。
私は、自分の足で、そこに立っていた。
午後の静けさを破るように、屋敷に来客があると告げられた。
「スタンリー伯爵家のご子息です」
執事が告げた。
その一言で、身が竦む。
ピエール様。
(先触れもなしにいきなり? お兄様は朝からランガー様とお仕事で外出中だし、私一人で大丈夫かしら……いくら心を決めたと言っても、突然の来訪には戸惑ってしまう)
つい先ほどまで、庭で感じていた穏やかな気分が、一気に過ぎ去る。
応接室に入ると、彼は既に立っていた。
いつもと変わらぬ隙のない身なり。
けれど、その視線には、どこか焦りの色が滲んでいる。
「久しぶりだな、ルシアン」
「ご無沙汰しております」
それだけで、声が少し硬くなる。緊張してしまう。
彼は椅子に座るよう促すでもなく、すぐに切り出した。
「単刀直入に言う。結婚の話を、進めたい」
あまりに急で、私は言葉を失った。
「父も、これ以上は先延ばしにするなと言っている。噂も立っているようだしな」
噂。
その言葉に、胸が微かに騒ぐ。
「噂、とは?」
「とぼけるな!」
低い声で怒鳴る。
だけど、以前のような傲慢さではなく、苛立ちと不安が混じっているようだった。
「ロイド殿の友人だか何だか知らないが、他の男と親しげにしている、という噂が立っている」
私は、ぎゅっと指先を握った。
「事実ではありません」
「そんなこと、世間は関係ない」
彼は、一歩、距離を詰めた。
「お前は、俺の婚約者だ。今のままでは妙な嘘が広がるだけだ。」
だから、早く俺と結婚しろ。
暗にそう迫られている。
「式の日取りを決めよう。半年も待つ必要はない。三か月で十分だ」
畳みかけるような言葉。
冷たさしか感じない。
以前なら、私はここで黙り込んでいた。
反論すれば、機嫌が悪くなり、結果、
怒鳴られる。責められる。
だから、何も言わない。それが、癖だった。
だけどもう。
「少し、お待ちください。先日お連れの令嬢とは本気のお付き合いのようでしたが、宜しいのですか?」
「あ、あれはただの友人の妹だ。た、頼まれただけだ。何? それとも妬いているのか?」
「いいえ、全く」
自分の声が、思っていたより落ち着いていることに、私自身が驚いた。それにしてもまだ、自惚れているだなんて。
「結婚は、一方的に急かされて決めるものではありません」
彼の眉が、ぴくりと動く。
「今まで、私はあなたの言う通りにしてきました。ですが、それが正しかったのか、今は考える時間が必要です」
「考える? 今さら何をだ。十分すぎる婚約期間だったはずだ」
「だからこそです。その間に貴方はどれだけ私に暴言を吐いたかお忘れではありませんよね」
言った瞬間、胸が大きく波打った。
怖さが、ないわけではない。
けれど、それに負けることはなかった。
彼は、しばらく私を見つめていたが、やがて舌打ちをした。それでも私は続けて言った。
「その暴言にどれだけ私が傷つき、恐怖に怯えたことか。そんな日々がこれからも続くなんて、それは私にとっての地獄です」
(遂に言えたわ。私は心の中でガッツポーズをとった)
ピエール様は大きな溜息をついた。
「変わったな、ルシアン」
「そうかもしれません」
「誰の影響だ?」
いつもと同じ、問い詰める視線。
私は、答えなかった。
誰かの名前を出す必要は、ない。
「結婚のお話は、父と兄に相談したいと思います。噂を気にしているようですが、貴方が今まで流してきた、多くの噂を思えば、今回の噂など大したことではありません」
そう告げると、彼の顔に、はっきりと苛立ちが浮かんだ。
「後悔するぞ」
「いいえ。寧ろ、後悔はしたくないからです」
昔なら、震えていた言葉。
だけど今は、何とか耐えられる。
ピエール様は、私を睨みつけた後、それ以上は何も言わず、踵を返した。
扉が閉まった後、私は大きく息を吐いた。
足は、少し震えている。
怖くなかったわけではない。
それでも。
(立てた。きちんと一人で)
ほんの一歩。
けれど、確かに。
私は、自分の足で、そこに立っていた。
24
あなたにおすすめの小説
どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。
無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。
彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。
ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。
居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。
こんな旦那様、いりません!
誰か、私の旦那様を貰って下さい……。
天然と言えば何でも許されると思っていませんか
今川幸乃
恋愛
ソフィアの婚約者、アルバートはクラスの天然女子セラフィナのことばかり気にしている。
アルバートはいつも転んだセラフィナを助けたり宿題を忘れたら見せてあげたりとセラフィナのために行動していた。
ソフィアがそれとなくやめて欲しいと言っても、「困っているクラスメイトを助けるのは当然だ」と言って聞かず、挙句「そんなことを言うなんてがっかりだ」などと言い出す。
あまり言い過ぎると自分が悪女のようになってしまうと思ったソフィアはずっともやもやを抱えていたが、同じくクラスメイトのマクシミリアンという男子が相談に乗ってくれる。
そんな時、ソフィアはたまたまセラフィナの天然が擬態であることを発見してしまい、マクシミリアンとともにそれを指摘するが……
婚約解消したら後悔しました
せいめ
恋愛
別に好きな人ができた私は、幼い頃からの婚約者と婚約解消した。
婚約解消したことで、ずっと後悔し続ける令息の話。
ご都合主義です。ゆるい設定です。
誤字脱字お許しください。
【完結】旦那に愛人がいると知ってから
よどら文鳥
恋愛
私(ジュリアーナ)は旦那のことをヒーローだと思っている。だからこそどんなに性格が変わってしまっても、いつの日か優しかった旦那に戻ることを願って今もなお愛している。
だが、私の気持ちなどお構いなく、旦那からの容赦ない暴言は絶えない。当然だが、私のことを愛してはくれていないのだろう。
それでも好きでいられる思い出があったから耐えてきた。
だが、偶然にも旦那が他の女と腕を組んでいる姿を目撃してしまった。
「……あの女、誰……!?」
この事件がきっかけで、私の大事にしていた思い出までもが崩れていく。
だが、今までの苦しい日々から解放される試練でもあった。
※前半が暗すぎるので、明るくなってくるところまで一気に更新しました。
すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…
アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。
婚約者には役目がある。
例え、私との時間が取れなくても、
例え、一人で夜会に行く事になっても、
例え、貴方が彼女を愛していても、
私は貴方を愛してる。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 女性視点、男性視点があります。
❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。
お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。
新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました
ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」
政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。
妻カレンの反応は——
「それ、契約不履行ですよね?」
「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」
泣き落としは通じない。
そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。
逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。
これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。
愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる