暴言と浮気を繰り返す婚約者

ヴァンドール

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13話

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 午後の陽射しが、応接室の窓から差し込んでいた。

 あの日から、随分と日が過ぎた。
 ピエール様が屋敷を去ってから、私は意識的に平静を装って過ごしていた。

 庭を歩き、本を読み、いつも通りに振る舞う。
 それでも不安は付き纏う。 
 本を読んでいても全く頭に入ってこない。

(あーこれではまた、前の私に逆戻りだわ)

「ルシアン」

 驚いて、顔を上げた。

 お兄様が、珍しく執務室ではなく応接室にいた。
 その隣には、ランガー様の姿もある。

 二人並んでいるのを見るのは、いつもと同じなのに、どこか違う空気を纏っていた。

「少し、話がある」

 お兄様の声は、落ち着いている。
 だけど少しいつもと様子が違う。

 私は、椅子に腰を下ろした。

「ピエール・スタンリーの件だ」

 その名前を聞いた瞬間、胸がどきりと波打つ。
 だけど、平静を装った。

「はい」

 お兄様は、真剣な眼差しを向け、それから続けた。

「実は今回の件について、私とランガー殿は、すでに動いていた」

 言葉の意味を、すぐには飲み込めなかった。

「動いていた?」

「お前から相談を受けた時点でな」

 兄は、淡々と語る。

「噂の出所、融資先への妨害、婚約者としての圧力。すべて、事実確認をしていた」

 心臓が、強く打った。

「こんなに早く、私のために……」

「心配いりません」

 ランガー様が、静かに言った。

「貴女は立派に一人で立てた」

 知らなかった。
 自分のことで精一杯だった。

「ロイド殿は、貴女から彼が屋敷に突然訪ねて来たことを聞き、すぐに領地にいる父君へ報告したんだ」

 ランガー様の言葉に、はっとする。

「正式な抗議をするために」

 私の胸の奥が、じん、と熱くなった。

「それで、伯爵様が、王都に来て、ピエールに釘を刺したそうだ」

「伯爵様がわざわざ?」

 兄は頷いた。

「スタンリー伯爵が動いたのは、こちらからの抗議が届いたからだ」

 応接室が、静まりかえる。
 私は、膝の上で指を握りしめた。
 自分の知らないところで、事態は進んでいた。
 それも、私を守るために。

「お兄様……」

 涙が溢れそうになる。

「婚約は破棄の方向で進める。これでお前は晴れて自由だ」

 お兄様は少し考えてから、優しく口を開いた。

「お前が、自分の足で立った結果だ。よく頑張ったな」

 その言葉が、胸を打った。

「だが、もっと早く気づくべきだった。ごめんな」

 兄の視線は、真っ直ぐだった。

「いいえ、お兄様。それは違います。長い間、ずっと気づかれないよう、隠していたのですから」

 私の言葉に、お兄様は一瞬だけ目を伏せた。

 そして、小さく息を吐く。

「それでもだ」

 とても悲しそうな声だった。

「お前が平然としていたからいつものことかと見過ごしてしまった。本当は傷つき、怯えていたことも知らずに」

 その言葉に、胸がきゅっと締め付けられる。

「お兄様は、何も悪くありません」

 私は、首を横に振った。

「私が、怖くて言えなかっただけです。ずっと、波風を立てないことが正しいと思っていました」

 ランガー様が、静かに口を開いた。

「それでも、貴女は立派に立った」

 その声は、とても穏やかだった。

「恐怖を抱えたまま、貴女は立ち向かった。それは誰にでも出来ることではありません」

「はい」

 小さな声だったけれど確かな返事をした。

 お兄様は、ほんの僅か、表情を和らげた。

「婚約が正式に破棄されるまでは、多少の動きはあるだろう。だが、もう一人で抱え込む必要はない。何かあれば、すぐに言え」

「はい」

「もう怖い思いを感じないでください。彼なんて、全く怖くはありません。本当に怖いのは失うものがない人間です。彼にはまだ失うものがある。だから大丈夫ですよ」

 ランガー様は、安心させようとして、優しく言ってくれた。

 これまで感じていた恐怖は、完全に消えたわけではない。
 けれど、確かに前とは違う。

(私は、一人で立った)

 そして同時に。

(独りでは、なかった)

 今ならそれが、はっきりと分かる。

 お兄様は立ち上がり、私の頭に、そっと手を置いた。

 子供の頃と同じ、変わらない仕草だった。

「大丈夫だ、ルシアン」

 その一言が、胸に深く染み渡る。

 私は、涙を溜めた瞳で思わず微笑んだ。

「はい」

 発した声は小さかったが、それは、今までで一番強い返事だった。

 いつからだろう、大きな音にびくつくようになったのは。
 いつからだろう、顔色ばかり窺うようになっていたのは。  
 だけどもう、それらは全て過去となる。

 

 

 
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