暴言と浮気を繰り返す婚約者

ヴァンドール

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14話

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 その日の夜は、久しぶりによく眠れた。

 目を閉じても、あの横暴な声は聞こえない。
 テーブルを叩く大きな音も聞こえない。

 朝の日差しで目を覚ました時、胸の奥が、少し軽くなっているのを感じた。

 昼前。
 屋敷に、急な来客があったと知らされる。

「スタンリー伯爵様が、お見えです」

 執事から、その名前を聞いた瞬間、体に緊張が走った。

 ピエール様の、お父様。

 けれど、不思議と恐怖はなかった。
 胸の奥にあるのは、少しの緊張と、新たな覚悟だけ。

 応接室は、すでに重苦しい空気に包まれていた。

 伯爵様の厳格な眼差し。
 その姿は、まさしく伯爵家の当主だった。そして、その後ろにはピエール様。

 彼の姿には、いつもの傲慢さは感じられなかった。その姿はまるで別人のようだった。

「本日は、突然押しかけてしまい失礼した」

 伯爵様は、そう告げた。

「だが、どうしても直接、謝罪せねばと思ってな。エクセラル子爵には、改めて領地の方へ伺うつもりだが、その前に、直接迷惑をかけたお二人へ先にお詫びを申し上げたかった」

 お兄様は、真剣な顔で頷いた。

「用件は、承っております」

 その声は、とても冷静だった。

 伯爵様は、ちらりと息子を見る。

「まずは、謝罪させてほしい」

 そう言って、深く頭を下げた。

 私は、思わず息を呑む。

「息子の軽率な行動により、あなたと、周囲の方々に多大な迷惑をかけた」

 重い言葉だった。

「婚約者という立場を盾に、精神的な圧力をかけたこと。偽りの噂を流し、融資先や関係先にまで影響を及ぼしたこと。すべて、私の監督不行き届きだ」

 その瞬間、ピエール様の肩が、びくりと揺れた。

「父上」

「黙れ」

 一喝された。

 そこには、たとえ親子であっても一切の情けはなかった。

「お前のしたことは、論外だ。貴族として、人として、恥ずかしくないのか」

 場が、凍りついたが、伯爵様は、さらに続ける。

「私が結婚を先延ばしにするなと言っているなどと、よくもそんな嘘を言ったな。私の名を使い、己の立場を守ろうとするとは、卑劣にも程がある」

(あの日のピエール様の言葉は嘘だったのね)

 彼は、唇を噛み締め、何も言えなかった。

「お前の行為は、婚約以前の問題だ。いや、人として、許される範疇はんちゅうを超えている」

 私は、そのやり取りを、ただ見つめていた。
 不思議と、心は穏やかだった。
 もう、私が何も言う必要はない。
 彼はこうして、断罪されているのだから。
 
 伯爵様は、私の方へ向き直った。

「ルシアン嬢」

 その声は、先ほどからの強さはなく、優しいものだった。

「この婚約は、白紙に戻す。正式な破棄とし、今後、スタンリー家として一切の干渉を行わないことを誓う」

 私は、ゆっくりと息を吸って、そしてひと言だけ返した。

「承知しました」

 そのひと言だけで充分だと感じた。

 伯爵様は、再び深く頭を下げた。

 ピエール様は、最後まで私を見なかった。

 そして、去り際。
 一度だけ、振り返ったが、その目には、もう以前のような、鋭さはなかった。
 あったのは、失った者の、悲哀のようなものだけだった。

 扉が閉まる。
 その瞬間、私はゆっくりと息を吐いた。

(終わった。これで本当に)

 長い長い時間が、ようやく終わりを告げた。
 その時、私は初めて気づいた。

 これこそが本当の自由だと。
 もう私を縛るものは存在しない。
 怯える日々は二度と来ない。

 明日からの自分に希望が持てた瞬間だった。

 
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