わんこ系ヤンデレ後輩と初恋を引きずっている先輩シリーズ

べーこ

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愛執パライソ

プロローグ

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「あずさ、上京します!」

 彼女の家でデートしていた時に唐突に彼女ことあずさ先輩は宣言した。ひと昔前のアイドル引退宣言のノリだ。

「あずさ先輩、いきなり何言ってるんすか? 状況をわかるように説明してほしいっす」
「言わなくてもわかるでしょう? 就職決まったの! 東京の会社に内定貰えたんだよ」

 先輩は立ち上がって嬉しそうにくるくると回る。嬉しいのも当たり前だ。念願の内定を手にいれたのだ。
 時代はバブル崩壊による就職氷河期。その影響によってあずさ先輩たちの就職は非常に厳しかった。実際にあずさ先輩も中々就職が決まらずに落ち込んでいた。

「大学まで行かせてもらってるのに就職出来なかったらどうしよう」

 就職試験でお祈りされる度にあずさ先輩は不安そうに漏らしていた。

 就職活動の話題になる度に先輩の表情は陰りを見せていた。眉も下がり気味でどこか暗い表情をしていたのを覚えている。

 就職が決まらないのは先輩だけじゃなかった。周りでも結構決まっていない人はいた。だが焦るのは当然だ。新卒という最高のカードを切れるのは今年だけだ。今年就職できなければ正規雇用は難しいだろう。大学院に進学するという選択をした人もいたがこれは例外中の例外で誰にも出来る事ではない。だからこそ皆焦っていた。俺は後輩としてその様子を間近で見てきた。

 就職が決まったのは先輩にとって嬉しくて仕方がないのだろう。

 先輩の明るい表情を見るとおめでたいと思う。でも同時に就職なんか決まらなければよかったのにと心の中でつぶやく。
 職がなければ生活はできない。きっとあずさ先輩は実家で暮らす。そうしたら俺と離れる事はない。そして俺が養ってあげたいと思っている。俺の世代の就職活動も厳しいものになるとは思う。だけれども俺は職に就く自信はあった。もともと面接は大の得意だし、こういった要領の良さはピカイチだと自負している。就職が決まったら先輩にプロポーズをするのだ。そして先輩を社会に出さず、俺なしでは生きていけないようにしてしまいたい。

 先輩の幸福を願えない俺はなんて自分勝手なのだろう。それどころかいつだって付け入る隙を窺っている。

 俺も本当は先輩の幸せを願い、それを喜べる人間になりたい。だけれども俺という人間はとても身勝手で素直に喜ぶ事はできない。
 だけれどもそれは決して顔には出さない。
 この数年間で嬉しくなくても笑顔を作ることはできるようになった。俺は偽りの笑みを浮かべて定型ともいえる言葉を先輩に送った。

「おめでとうっす! 先輩の就職決まって俺嬉しいっす。今度二人でお祝いしましょう。何がいいっすか? 和食っすか? 中華っすか? それともフレンチ?」
「お祝いしてくれるの嬉しい。どれもいいなあ。考えておくね」
 
 俺の醜い思いを知らずに無邪気に笑う先輩はとても嬉しそうだ。こういった素直な所が先輩のいい所だ。

 笑顔という名の武器を装備する俺なんかとは全然違う。心では今からでも内定取り消しの連絡がくればいいのにと思っている。

 『貴女が東京に行くのすごく嫌です。ずっと長野に、俺の側にいてください』

 身勝手な願望が喉まで上がってくる。だけれどもこの言葉を溢したが最後だ。
 俺は大事な人の門出を祝うことのできない最低な男になってしまう。大事な人の人生の分岐点の一つなのだ。俺は笑って祝福しなくてはならない。
 だけど胸がズキンとする。今生の別れって言うわけはないのに全身が引き裂かれそうになっていた。

 「昴~、東京って家賃たっかいね」

 東京に就職が決まってから先輩は常に賃貸アパートのカタログに目を通すようになった。
 今日だって俺の家でデートなのにカタログに夢中だ。そして東京への新生活に夢見ていた。

「そりゃあ東京っすからね。長野だったら同じ値段で風呂とトイレ別々でもっと広い部屋借りれるっすよ」
「東京と長野の片田舎を比べちゃダメだよー。えへへ。東京かあ。オシャレなお店や場所がいっぱいあるんだろうなあ。あっ、芸能人にも会えちゃうかもっ!ライブやイベントもいっぱいやってるから退屈しなさそう! ビバ! 東京‼︎」

 明るい表情に弾んだ声。あずさ先輩は東京という新天地に期待している。
 先輩の事は大好きなのに無性にイライラとする。俺は先輩と離れるのが寂しくて寂しくてどうしようもない。身が引き裂かれるほどに辛い。
 なのに貴女はどうしてそんなにも楽しそうなんだ。俺と離れる事なんかあずさ先輩にとってはそんなに辛くないことなのかもしれない。
 追いかけていたのはいつだって俺の方だった。俺ばかりが彼女に夢中なのだ。

「あずさ先輩は寂しくないんすか? だって東京行ったら俺たちあまり会えなくなるんすよ。世間でいう遠距離恋愛ってヤツ」
「んー。そりゃあ寂しいけど一生の別れってわけじゃないし。それに今は携帯電話あるから話そうと思えばいつだって話せるし、メールもあるじゃん。だから大丈夫でしょ。お盆とお正月は帰省するよ」

 あずさ先輩は歯を見せてにかっと笑う。この人はさっぱりしているというか楽天的というか……。あっけらかんとしたところも長所ではある。だけどもっともっと俺に執着して欲しい。俺だけがあずさ先輩に夢中みたいだ。俺が想っている分だけ先輩にも俺を想って欲しいと身勝手な想いが頭をもたげてくる。
 俺が先輩を独占したいように先輩にも俺を独占したいという所有欲を抱いて欲しいし、見せて欲しい。

「そうっすけれどでも直接会えないのはやっぱり寂しいっすよ。だって電話やメールだとこうやって先輩の温度も匂いも感触も何も分からない。それに先輩が番号やアドレスを変えてしまえば繋がりはなくなってしまいます」

 俺は先輩に近寄ってギュッと抱きしめる。先輩の体温は高めで湯たんぽを抱きしめている感じだ。そして先輩独特の柔らかい感触がする。そして甘い女の子の香りが鼻をくすぐる。
 やっぱり東京に行かないで欲しいと俺は改めて実感したした。

「昴は甘えん坊だよね」

 そう笑う先輩の笑顔は優しい。

 別れの時はあっという間に来る。
 日差しも暖かくなり始めた3月の日だった。俺は先輩を見送るために駅に来ていた。先輩の両親も一緒だ。

「みんな見送りに来てくれてありがとう!」
「あずさ、お前はほのかと違ってちょっと抜けている所があるから気をつけるんだぞ」
「そうよ。あずさ、ちゃんと家事やるのよ。後ゴミの日とかもちゃんと調べておくのよ。ああ。お母さん心配だわ。無事に着いたら連絡してね」
「先輩、辛い事あったらすぐに連絡下さい! 俺先輩のためならすぐに駆けつけますので‼︎」
「わかったから! お父さんもお母さんも昴もみんな心配しすぎだって。そろそろ時間だから行くね!」

 そう言ってあずさ先輩は大きな鞄を持って改札を抜けて行った。
 ピンと伸びた背筋に堂々とした足取りは未来への希望が見て取れる。きっとあずさ先輩が想像している未来は明るく輝かしいものなのだろう。
 だけれども先輩がいなくなった景色はいつもよりも燻んだように見えた。
 この後に起こる出来事を知っていたら俺は何が何でも先輩を止めただろう。
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