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40、情操教育(1)
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アレクシスはそろそろ仕事も終わる頃合いに、王から呼び出された。
(ひとりで来るようにと言われたが、なんだろう)
仕事の話だろうかと、思案しながら玉座の間に来ると、騎士が扉を開けてくれる。
奥にはアルバートとヘロイーズが座っていた。いつか見た構図だと思い、唯一違うのは雛壇の下の位置に、ひとりの女性が控えていることだ。
アレクシスがアルバートとヘロイーズの前まで来ると、立ち止まった。
「お呼びですか」
「突然、呼び立ててすまなかったな。お前に話があってな。――最近、舞踏会に出始めたそうだな」
「ええ、まだ二回ですが」
一度目は公爵邸で開かれたものだ。お披露目以来初めての出席に周りはそれに対して思惑があるのではないかと予想した者もいたそうだが、なんの事はない、ただクリスティーナが成人して初めて届いた招待状がそれだったからだ。ほかに理由などない。
自分のお披露目のあとのクリスティーナの会話をちゃんと覚えている。舞踏会に思いを馳せる親友の願いを叶えたかった。それでクリスティーナが喜んでくれるなら、白粉と香水の壁に囲まれるなど安いものだ。
アルバートがやや明るい調子で問う。
「どうだ。良い令嬢はいたか?」
アレクシスは呼び出された意図を理解した。
アレクシスには女性の影がない。歴代の王太子は皆、幼少の頃より婚約を結んできたが、成人してからも女性に近付こうとしないアレクシスである。それを口には出さないものの、アルバートは内心懸念していたのだろう。ようやく社交界に関わるようになったことで、関心を引いたのかもしれなかった。
アレクシスは首を振る。
「いいえ。残念ながら」
アルバートがおもむろに頷く。
「ふむ。そうか。――まあ今回、気になった令嬢がいなかったなら、そんなに急くことはないだろうが、お前をここに呼び出したわけはいずれは必要になることがあるからだ」
「何でしょう」
「その話をする前に紹介したい人がいる。――ヨハナ・ウィット婦人だ。」
脇に控えていた女性が進み出る。装飾も控えめなモスグリーンのドレスを身に纏い、グレーの瞳をした落ち着いた印象を受ける女性だった。年齢はヘロイーズとそう変わらないように見えるが、その落ち着いた雰囲気からそう受け取れるように思えるのかもしれない。実際はニ、三歳ほど若いかもしれなかった。
ヘロイーズがアルバートの隣で口を開く。
「わたくしが嫁ぐ時、生国から一緒に侍女として来てもらった者よ。身元は確かな者よ。それにしばらくはずっと手元においていたから、彼女が信頼に値するものだと、わたくしが保証するわ」
ヨハナがヘロイーズに向かって、ゆっくり腰を折る。
「恐れ入ります」
「わたくしのもとで働いているときに、この国の貴族に見初められ、嫁いだから今はわたくしの侍女ではないけれど、今回のことがあって、お前のためにわざわざ呼び寄せて来てもらったのよ」
ヨハナがアレクシスに向き直り、裾を手に取って一礼する。
「ヨハナ・ウィットと申します。此度の下知に恐れ多いこととは思いますが、わたくしの精一杯の力を尽くして、この御恩に報いたいと思います。殿下におかれましては、行き届かぬことがありましたら、正直にお申し付けください。誠意を持って、お応えいたします。わたしのことは、これから気軽にヨハナとお呼びください」
「一体、何の話ですか」
自分をおいて、どんどん話が進んでいく会話に、アレクシスは眉を寄せた。
アルバートが口を開く。
「この方はお前の先生だ」
アレクシスは軽く目を見張った。
「先生、ですか――」
これまで数多くのことを幼少の頃より学んできた。成人した今、何を学ぶことがあるのだろう。
「では、クリスも一緒に。――今、呼んで参ります」
何をするにも、いつもクリスティーナと一緒だった。何の学問かは知らないが、クリスティーナがこの場にいないことが不満で、アレクシスは踵を返そうとした。
だが、その前にアルバートが口を開く。
「いや、必要ない。これはお前だけの教育だからだ」
「わたしだけの?。それは一体――」
アレクシスが戸惑えば、ヘロイーズが代わりに答える。
「お前の閨教育よ」
「は?」
言葉が解せず、一瞬素に戻ってしまった。いや、意味はわかるのだが、信じ難い言葉に脳が拒否したようだ。
「一体何を言ってるのですか」
茫然と呟くと、ヘロイーズがアレクシスを見下ろす。
「お前はいずれ、世継ぎをもうけなければならない。それが義務なのは、わかっているわね」
「それは勿論、わかっています。ですが――」
アレクシスは言い募った。
永く平和で安寧な世を行き渡らせるため、国民が安心して生きられるよう、国を存続させるのは王族の義務だ。いや、科せられた使命といっても過言ではないかもしれない。
それは王太子であるアレクシスも例外ではなく、その役目を果たさなければならないことは百も承知だ。けれど、それと今提示されたものとの関係がみえてこない。
ヨハナはアレクシスの婚約者でもないのだから。
「お前が舞踏会に出るようになって、出会う女性も多くなったでしょう。その全員が良識のある清い女性なら良いのです。しかし、中には色事に疎い男性を手練手管で騙す女性がいるのも事実です。そうならないよう、今からきちんとしたものに教示を受けて、良からぬ者に惑わされぬ知識を身に着けなければなりません」
ヘロイーズは厳しい口調で言い切った。
女を知らぬ若者を手にかける毒婦はどこにでもいる。それが王太子となったら、餌が極上なだけに、危険は大きい。
無知な若者を落とすことなどその道に長けた者には造作もないだろう。あっという間にその手に落ちてしまう。今まで知ることのなかった快楽に溺れるならまだいい。しかし子を授かるようなことがあれば、取り返しがつかない。
代々アルホロンは隣国の王女を娶ることを約定としてきた。その約定を万が一にも違えてはならない。それが続いてきた閨教育の理由である。
アレクシスはその類ではないものの、やはり正統な理由があった。そのような女性と関係を持って、王族の誇りが傷つけられるようなことがあってはならないからだ。そのための防波堤にヨハナは選ばれたのだ。
アレクシスは逃げ道を探して、相手の女性を見た。
「しかし、結婚しているのでしょう。不貞にならないのですか?」
「わたくしは既に離縁されております。ご安心を――」
ヨハナが目を伏せ、淡々と口を紡いだ。
アレクシスは今度は懇願する目で王をみやった。しかし、父から告げられた言葉は、アレクシスの望む答えではなかった。
「この教育は将来、お前が妃を迎えた時、必要なことでもある」
結婚すれば、必ず初夜を迎えることになる。
大概の女性は、男性に逆らわず身を任せなさいといい含められる。花嫁は当然、処女である。平民ならいざしらず、王族に迎える女性はみな由緒正しい家柄の者である。当然、その身が清いことが大前提なのだ。花嫁は閨事がどういったものか、初夜を迎えるにあたり、侍女あるいは母親から聞かされはするものの、伝え手によってはあやふやにぼかされる場合もある。そんな相手に何も知らぬ夫では話にならないからだ。恐怖と緊張に満ちている花嫁を、男性が先導して動いていかねばならない。その結果によって、今後二人が幸せな結婚生活を歩めるか、それとも悲惨な夫婦生活になるかの分かれ目なのである。
「これは今まで行われてきた王族の習わしなのだ」
アルバートが息子に向かって、言い含めるように言う。
女性の体を理解していないことで、痛い思いをさせることになるのは百歩譲って良いとしても、最後まで果たせなかった場合は、男としての自信を失う可能性もある。今後の夫婦生活において、上下関係ができ、王が妃に逆らえない状態になったら、国として色々と弊害が出る。憂いをなくすためにも、王太子が少なからず経験があったほうが、国は安心なのだ。
「とりあえず一月、一週間に一度のことだ。最初の夜が今夜だ。部屋も用意してある故、晩餐が終わったら、迎えの者がゆくから、そのつもりで心積もりを」
「そんな――」
まさか舞踏会にでることによって、こんな弊害があるとは。
アレクシスは、アルバートとヘロイーズを恨めがましく睨みつけた。しかし両者は聞き入れる素振りは露ともない。問答無用とばかりに、アレクシスを早々に部屋から追い出す。
アレクシスは閉められた扉を茫然と見つめた。
(ひとりで来るようにと言われたが、なんだろう)
仕事の話だろうかと、思案しながら玉座の間に来ると、騎士が扉を開けてくれる。
奥にはアルバートとヘロイーズが座っていた。いつか見た構図だと思い、唯一違うのは雛壇の下の位置に、ひとりの女性が控えていることだ。
アレクシスがアルバートとヘロイーズの前まで来ると、立ち止まった。
「お呼びですか」
「突然、呼び立ててすまなかったな。お前に話があってな。――最近、舞踏会に出始めたそうだな」
「ええ、まだ二回ですが」
一度目は公爵邸で開かれたものだ。お披露目以来初めての出席に周りはそれに対して思惑があるのではないかと予想した者もいたそうだが、なんの事はない、ただクリスティーナが成人して初めて届いた招待状がそれだったからだ。ほかに理由などない。
自分のお披露目のあとのクリスティーナの会話をちゃんと覚えている。舞踏会に思いを馳せる親友の願いを叶えたかった。それでクリスティーナが喜んでくれるなら、白粉と香水の壁に囲まれるなど安いものだ。
アルバートがやや明るい調子で問う。
「どうだ。良い令嬢はいたか?」
アレクシスは呼び出された意図を理解した。
アレクシスには女性の影がない。歴代の王太子は皆、幼少の頃より婚約を結んできたが、成人してからも女性に近付こうとしないアレクシスである。それを口には出さないものの、アルバートは内心懸念していたのだろう。ようやく社交界に関わるようになったことで、関心を引いたのかもしれなかった。
アレクシスは首を振る。
「いいえ。残念ながら」
アルバートがおもむろに頷く。
「ふむ。そうか。――まあ今回、気になった令嬢がいなかったなら、そんなに急くことはないだろうが、お前をここに呼び出したわけはいずれは必要になることがあるからだ」
「何でしょう」
「その話をする前に紹介したい人がいる。――ヨハナ・ウィット婦人だ。」
脇に控えていた女性が進み出る。装飾も控えめなモスグリーンのドレスを身に纏い、グレーの瞳をした落ち着いた印象を受ける女性だった。年齢はヘロイーズとそう変わらないように見えるが、その落ち着いた雰囲気からそう受け取れるように思えるのかもしれない。実際はニ、三歳ほど若いかもしれなかった。
ヘロイーズがアルバートの隣で口を開く。
「わたくしが嫁ぐ時、生国から一緒に侍女として来てもらった者よ。身元は確かな者よ。それにしばらくはずっと手元においていたから、彼女が信頼に値するものだと、わたくしが保証するわ」
ヨハナがヘロイーズに向かって、ゆっくり腰を折る。
「恐れ入ります」
「わたくしのもとで働いているときに、この国の貴族に見初められ、嫁いだから今はわたくしの侍女ではないけれど、今回のことがあって、お前のためにわざわざ呼び寄せて来てもらったのよ」
ヨハナがアレクシスに向き直り、裾を手に取って一礼する。
「ヨハナ・ウィットと申します。此度の下知に恐れ多いこととは思いますが、わたくしの精一杯の力を尽くして、この御恩に報いたいと思います。殿下におかれましては、行き届かぬことがありましたら、正直にお申し付けください。誠意を持って、お応えいたします。わたしのことは、これから気軽にヨハナとお呼びください」
「一体、何の話ですか」
自分をおいて、どんどん話が進んでいく会話に、アレクシスは眉を寄せた。
アルバートが口を開く。
「この方はお前の先生だ」
アレクシスは軽く目を見張った。
「先生、ですか――」
これまで数多くのことを幼少の頃より学んできた。成人した今、何を学ぶことがあるのだろう。
「では、クリスも一緒に。――今、呼んで参ります」
何をするにも、いつもクリスティーナと一緒だった。何の学問かは知らないが、クリスティーナがこの場にいないことが不満で、アレクシスは踵を返そうとした。
だが、その前にアルバートが口を開く。
「いや、必要ない。これはお前だけの教育だからだ」
「わたしだけの?。それは一体――」
アレクシスが戸惑えば、ヘロイーズが代わりに答える。
「お前の閨教育よ」
「は?」
言葉が解せず、一瞬素に戻ってしまった。いや、意味はわかるのだが、信じ難い言葉に脳が拒否したようだ。
「一体何を言ってるのですか」
茫然と呟くと、ヘロイーズがアレクシスを見下ろす。
「お前はいずれ、世継ぎをもうけなければならない。それが義務なのは、わかっているわね」
「それは勿論、わかっています。ですが――」
アレクシスは言い募った。
永く平和で安寧な世を行き渡らせるため、国民が安心して生きられるよう、国を存続させるのは王族の義務だ。いや、科せられた使命といっても過言ではないかもしれない。
それは王太子であるアレクシスも例外ではなく、その役目を果たさなければならないことは百も承知だ。けれど、それと今提示されたものとの関係がみえてこない。
ヨハナはアレクシスの婚約者でもないのだから。
「お前が舞踏会に出るようになって、出会う女性も多くなったでしょう。その全員が良識のある清い女性なら良いのです。しかし、中には色事に疎い男性を手練手管で騙す女性がいるのも事実です。そうならないよう、今からきちんとしたものに教示を受けて、良からぬ者に惑わされぬ知識を身に着けなければなりません」
ヘロイーズは厳しい口調で言い切った。
女を知らぬ若者を手にかける毒婦はどこにでもいる。それが王太子となったら、餌が極上なだけに、危険は大きい。
無知な若者を落とすことなどその道に長けた者には造作もないだろう。あっという間にその手に落ちてしまう。今まで知ることのなかった快楽に溺れるならまだいい。しかし子を授かるようなことがあれば、取り返しがつかない。
代々アルホロンは隣国の王女を娶ることを約定としてきた。その約定を万が一にも違えてはならない。それが続いてきた閨教育の理由である。
アレクシスはその類ではないものの、やはり正統な理由があった。そのような女性と関係を持って、王族の誇りが傷つけられるようなことがあってはならないからだ。そのための防波堤にヨハナは選ばれたのだ。
アレクシスは逃げ道を探して、相手の女性を見た。
「しかし、結婚しているのでしょう。不貞にならないのですか?」
「わたくしは既に離縁されております。ご安心を――」
ヨハナが目を伏せ、淡々と口を紡いだ。
アレクシスは今度は懇願する目で王をみやった。しかし、父から告げられた言葉は、アレクシスの望む答えではなかった。
「この教育は将来、お前が妃を迎えた時、必要なことでもある」
結婚すれば、必ず初夜を迎えることになる。
大概の女性は、男性に逆らわず身を任せなさいといい含められる。花嫁は当然、処女である。平民ならいざしらず、王族に迎える女性はみな由緒正しい家柄の者である。当然、その身が清いことが大前提なのだ。花嫁は閨事がどういったものか、初夜を迎えるにあたり、侍女あるいは母親から聞かされはするものの、伝え手によってはあやふやにぼかされる場合もある。そんな相手に何も知らぬ夫では話にならないからだ。恐怖と緊張に満ちている花嫁を、男性が先導して動いていかねばならない。その結果によって、今後二人が幸せな結婚生活を歩めるか、それとも悲惨な夫婦生活になるかの分かれ目なのである。
「これは今まで行われてきた王族の習わしなのだ」
アルバートが息子に向かって、言い含めるように言う。
女性の体を理解していないことで、痛い思いをさせることになるのは百歩譲って良いとしても、最後まで果たせなかった場合は、男としての自信を失う可能性もある。今後の夫婦生活において、上下関係ができ、王が妃に逆らえない状態になったら、国として色々と弊害が出る。憂いをなくすためにも、王太子が少なからず経験があったほうが、国は安心なのだ。
「とりあえず一月、一週間に一度のことだ。最初の夜が今夜だ。部屋も用意してある故、晩餐が終わったら、迎えの者がゆくから、そのつもりで心積もりを」
「そんな――」
まさか舞踏会にでることによって、こんな弊害があるとは。
アレクシスは、アルバートとヘロイーズを恨めがましく睨みつけた。しかし両者は聞き入れる素振りは露ともない。問答無用とばかりに、アレクシスを早々に部屋から追い出す。
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