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しおりを挟む馬車のステップを弾むように踏んで、エレン嬢が地面に軽やかに降り立つ。感情が表立って出ないエレン嬢が見せるその浮足立った足取りに、自然と笑みが溢れそうになる。
――今日のお出かけをどうやら楽しみにしていてくれたようだ。
「では行こうか」
「はい」
腕を差し出すと、エレン嬢の白い小さな手が回される。女性をエスコートするのは当然で今までそれに対して思うことはなかったが、エレン嬢が隣に立つと擽ったいような気分にさせられる。
「こういう場所に行きたいとか、希望はあるだろうか」
今日は街を案内することになっている。
初めて出掛けた後の会話で、エレン嬢がほとんど家から出ないことを知った。
刺繍や読書の為に家にいるのが好きだと言っていたが、それは必然そうならざるを得なかったのだと思う。
専属侍女がいない彼女。
貴族の令嬢は付き添いなしでは出かけられない。
あの家にドロシーというメイドしかいないならば、ほかの仕事も受け持っているあのメイドの手が空いたときにしか出かけられなかったのだろう。
その境遇を思うと、今まで行けなかった場所にできる限り連れていってあげたいと思った。
エレン嬢が小さく首を振る。
「ありません。お任せします」
「では、このあたりから見て回ろうか」
「はい。おねがいします」
それから私は街を案内して回った。
歴史ある建造物にアトリエ、職人たちが集まる工房。様々な逸話や警備団の巡回中に得た知識も加え、彼女が楽しめるように説明していく。
「フェリシアン様はどうしてこんなに街にお詳しいのですか」
エレン嬢が尊敬と好奇心で瞳を輝かせて、見上げてくる。
その純粋とも言える眼差しに、じわりと何かが胸に広がる。
彼女が相手だと、私はどうしてこうなるのだろう。
「歴史が関係している建物は子供の頃に習った中に出てきたし、他は昔、警邏をしているときに詳しくなった。どこにどんなものがあるか、知っておくのも仕事のうちだから」
「今はもう警邏はされないのですか」
「ああ、下の者に任せている。――あれは」
ふと視線があるところで止まった。
「どうかしましたか?」
「警邏中によく買って食べた屋台を見つけたんだ。――まだあったんだな」
若い頃の記憶が蘇り、懐かしく思う。
「あれを食べてたのですか?」
エレン嬢が意外そうに聞いてくる。
それはそうだろう。あくまで庶民が食べる食べ物で、間違っても貴族の令嬢が食べる食べ物ではない。
「ああ。昼に警邏が重なったときにな。手軽に腹を満たせて良かったんだ」
屋台から視線を外して、辺りを伺う。
「さて、案内はここくらいにして、どこかお店に入ろう。なにか食べたいものはあるか」
「あれが食べたいです」
屋台を指差すエレン嬢。予想もしていなかった答えに私は目を見開いた。
「……あれでは座って休憩もできないぞ。第一、君の口に合うかどうか」
「構いません。フェリシアン様も立って食べたんですよね。フェリシアン様が食べたものを私も食べてみたいです」
普段見せない、いつもと違った眼差し。けれど、次の瞬間には見慣れたエレン嬢に戻っていた。
「――あ。……でも、フェリシアン様はちゃんとしたお店のほうが良いでしょうか……」
私を慮る言葉に気遣わしげな口調。
幾度も私を思い遣るエレン嬢の心に触れてきたが、その優しさを感じる度、私の心が温かくなる。
――『私が食べたものを自分も食べたい』か……。
他人が経験したことをまだ自分が経験していないことが悔しいのだろうか。
この時分の年齢ならありうることだった。
それとも珍しいから食べてみたいのだろうか。
それに、ここまで意志をはっきり言うところをもしかしたら初めて見るかもしれない。
滅多に主張することのない彼女が言ったのだから、ここは彼女の願いを叶えてあげるのが相応しい。
「いや、君が良いなら私もあれでかまわない。――では、そうするか」
「……良いのですか」
「ああ。食べたいんだろう?」
戸惑いから一転、エレン嬢の顔に喜びが広がっていく。
「――はい!」
その喜びようが可愛くて、胸がくすぐられる。
私は屋台に行くと串焼きを二つ頼んで、ひとつを彼女に手渡した。
「どうだ?」
果たして彼女の口に合っただろうか。
串焼きを口に運んだエレン嬢が顔をあげて笑った。
「美味しいです」
その溢れる笑みに私まで笑顔になる。
「だろう? ここのは美味しいんだ」
肉汁がじゅわりと溢れる串焼き。
私は慣れたものだが、彼女はその小さな口で少しずつ口にしていく。
馬車のステップを踏んだ時の跳ねるような足取りといい、懸命に口を動かす今の様子といい――
――エレン嬢はまるで小動物みたいだな。
串焼きをエレン嬢が食べている間中、その愛らしさに口が緩んで笑いそうになるのを私は何度も堪えたのだった。
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