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005 きっかけは突然に

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「臭ッ!」

 自分の部屋に転移されるなり、鼻を抉りたくなる。
 あまりにも臭すぎる。悪臭。公害といってもいい。
 汗とアンモニアと牛乳を吸収した雑巾の混ざった臭いだ。
 今までこんな部屋で生活していたのか、俺は。
 ずっと同じ部屋に居たから、まるで気づかなかった。

「これは……すごいにおいですね」
「おとーさんのお部屋、くさいなの、臭いなの」

 リーネは眉に皺を寄せている。
 ネネイに至っては、鼻をつまんでいた。

「こんなところに連れてきてしまって、すまん」

 俺は慌てて窓と扉を開いた。
 更に、空間消臭スプレーを部屋中に噴射する。
 これにより、臭いの八割は解消された。
 それでも、僅かに悪臭の余韻が残っている。

「出だしは最悪だったけど、これが俺の部屋だ」

 二人に向かって、俺は両手を広げた。

「見ての通り、何もない!」

 宿屋程ではないが、ここも全くといえるほど何もない。
 二つのローテーブルと布団、それにタンスだけだ。
 部屋が八畳と狭いので、仕方ない面が無きにしも非ず。

 ローテーブルは、PC用とその他で分けてある。
 二つは全く同じものだ。
 色はダークブラウンで、大きめのサイズ。
 PC用の左に、タンスが置いてある。

 布団に寝転んだ時、左にあるのがPC用テーブルだ。
 もう一方のテーブルは頭上にある。

「おとーさん、これは何なの?」
「これはパソコンだよ」
「パソコン? 何に使うなの?」
「あらゆることに使うよ」

 PC用テーブルには、ハイスペックのデスクトップPCが鎮座している。
 マウスは両サイドに大量のボタンを搭載したゲーミングマウス。
 ディスプレイは当たり前のデュアル二枚
 細かい音すら聞き逃さないよう、一万円以上するヘッドホンも完備。
 これも当然ゲーム用。普通のヘッドホンとの違いは分からない。

「ユートさん、こちらは何ですか?」
「それは電気ケトルだよ。水を沸かすのに使う」
「水を沸かしてどうするのですか?」
「カップ麺を作るのさ」
「カップ麺?」
「要するに調理用の器具ってことだよ」

 もう一方のテーブルには、白の電気ケトルとティッシュ箱が二つ。
 下には小さなゴミ箱があり、光熱費の支払い明細が何枚も入っていた。
 ティッシュ箱の一つは空で、一面をくり抜いている。
 即席の収納ケースだ。しまってあるのは大量の割り箸。
 今は他にないが、普段はカップ麺が積んである。
 割り箸はその時に使うのだ。

「おとーさん、これは何なの?」

 ネネイが拾い上げたのは空のペットボトルだ。
 二リットル容器で、床に五本転がっている。

「それはペットボトルといって、飲み物が入っていたよ。今は空だけどね」
「初めて見たなの。おとーさんの世界は知らないものばかりなの」
「私もこちらの世界を見るのは初めてなので、驚かされてばかりです」

 部屋のものをあれこれ触りまわる二人。
 全てが興味深いのだろう。分からなくもない。
 ここには、エストラにないものが溢れているのだから。

「掃除するから、適当にしていてくれー」

 そんな二人を放置して、俺は部屋の掃除を始めた。
 タンスからゴミ袋を一つ取り出し、キッチンへ向かう。
 キッチンといっても、小さな流し台があるだけだ。
 そこには、空になったカップ麺の容器が積まれていた。
 当然のように、どれも底に汁が残っている。
 こいつらが悪臭の元凶だ。
 水で軽くゆすいでから、ゴミ袋に突っ込んでいく。
 同様に、使い終わった割り箸と空のペットボトルも入れる。
 細かい仕分けはしなくていい。
 ゴミ捨て場に置いておけば、大家が勝手に仕分けするからだ。
 このマンションは、それをウリにしている。
 主な入居者が大学生だからだろう。

「どいてくれー」

 布団の上に立っている二人をどかす。
 布団を干すからだ。
 名ばかりの小さなベランダに出て、布団を干していく。
 最初は掛布団で、次に敷布団だ。
 ベランダには洗濯機が置いてあるけど、使うことはない。
 そもそも、まだ使えるのかさえ疑問だ。

「ま、こんなもんだろ」

 最低限の掃除を終える。
 掃除機やなどはしない。
 見た目が綺麗なら、埃なんて気にしないからだ。
 それに、そもそも掃除機や雑巾はこの家に存在しない。

「片付いたなの!」
「テキパキしていましたね」

 二人が小さく拍手した。
 俺の表情が緩み、したり顔になる。

「さて、これからどうしますか?」

 落ち着いたところで、リーネが訊いてくる。

「そうだなぁ……」

 しばらく黙考に耽る。
 スキルを使うという目的は済んだ。
 ついでに部屋の掃除も完了した。
 だから、今すぐエストラに戻ってもいい。
 しかし、俺は違う選択をした。

「よし、買い出しにいこう」
「買い出しですか」
「そうだ。家の前に便利なスーパーがあるからな。きっと楽しいよ」
「分かりました」
「ワクワクなの! ワクワクなの!」

 家の前に、二十四時間営業のスーパーがある。
 なんでもスーパー二十四という名前の超巨大スーパーだ。
 その大きさは一万四千坪、東京ドーム約一個分である。
 年中無休の二十四時間営業に加え、圧倒的品揃えが魅力だ。
 食材から電化製品まで何でもある。
 ここに行けば何でも揃う、まさに最強無敵のスーパーだ。

「行くぞー」

 俺を先頭に、三人で部屋の外へ歩いていく。

「うわぁ、すごいなの!」
「圧巻の大きさですね」

 扉を開けるなり、二人は息を呑む。
 前方に見えるなんでもスーパーに驚いたからだ。
 もしかすると、手前にある駐車場に驚いたのかもしれない。
 それもまた、エストラから来た二人には衝撃的な光景だろう。

「今からあそこに行くんだぜ」
「楽しみなのー!」

 ウキウキの二人を引き連れ、スーパーに向かった。

 ◇

 そうなるだろうなという予感はあった。
 実際にそうなった時は「やっぱりな」と思った。

「うわぁ、あの子すげぇ」
「可愛い! って、胸でか!」
「なんでここにメイドのコスプレで!?」
「もしかして本物のメイドか!?」
「写真とか撮ったら怒られるかな?」

 スーパーに入るなり、俺達は注目を集めた。
 いや、正確には、リーネが注目を集めているのだ。
 周囲の視線は、商品ではなく、リーネに釘付けである。
 リーネがメイド服を着ているからだ。
 その上、巨乳で顔も可愛い。
 巨乳JKメイドが居れば、誰だって見てしまう。

「こんにちはなの! こんにちはなの!」

 遠巻きにこちらを見る客達に、ネネイが手を振る。
 殆どはリーネに目を奪われて無反応だが、何人かは手を振り返した。

「私、家に居た方がよろしかったでしょうか?」

 申し訳なさそうな表情を浮かべるリーネ。
 俺は「気にしなくていいよ」と笑って流した。

「その服装、こっちではコスプレだと思われるんだ」
「コスプレ? なんですか、それは」
「早い話が変わった格好ってこと」
「なるほど」
「だからって、別の服を買うことはないよ」
「分かりました」

 俺はカゴとカートを一つずつ取った。
 カートの上に、カゴを載せる。

「よし、必要な物を買うぞー」

 周囲の注目なんのその、気にすることなく買い物を始めた。
 まずは飲食物の補充だ。
 二リットルのお茶を五本と、カップ麺を一〇箱突っ込む。
 いつもなら、後はレジに直行だ。
 しかし、今回は他にも買う物があった。

「それはなんですか?」
「どっち? これ? それともこれ?」

 俺が右手と左手を交互に上げた。
 右手にはT字の安全剃刀を、左手にはシェービングクリームを持っている。

「どちらもです。何に使うのですか?」
「これらは髭を剃るのに使う」

 俺は商品をカゴに入れた後、右手で自身の髭を撫でた。
 モジャモジャに生え散らかした不潔感の象徴。
 手入れしているのならまだいい。
 しかし、この髭は完全に放置の賜物、文句なしの無精髭だ。
 エストラでは、引きこもりってわけにもいかない。
 だから、髭を剃ることに決めたのだ。
 外に出る以上、最低限の身だしなみには気を配る。
 といっても、眉を整えたり、美容院に行ったりはしない。
 俺にとってそれは、最低限の範疇を大きく逸脱しているからだ。

「さっき、別の商品を入れようとしてやめましたよね。あれは?」
「ああ、あれは電動の髭剃りだよ」

 安全剃刀を手に取る前、俺は電動シェーバーを買おうか悩んでいた。
 しかし、エストラには電源がないことに気づいてやめたのだ。
 髭を剃るのは、どう転んでもエストラで行う。
 我が家でこんな髭を剃ったら、一瞬でパイプが詰まるからだ。
 エストラの洗面台は多分行けるだろう。
 ちらっと見た感じだと、パイプがこちらより一回り大きく見えた。
 もしも詰まったら、必殺平謝り作戦でいくしかない。

「何か欲しいものはあるか? 安いのなら買ってもいいぞ」
「大丈夫なの、見ているだけで楽しいなの!」
「私も問題ありません。ただ、一つ質問してもいいですか?」
「ん?」
「リアルでは、どのような貨幣を使うのですか?」
「硬貨と紙幣があるよ。例えばこれとこれ」

 俺は財布から五百円玉と一万円札を取り出し、リーネに渡した。

「この国のお金は単位が『円』なんだ。その紙幣は一万円で、硬貨は五百円だよ」
「色々な種類があるのですね。エストラには三種類しかありません」
「金貨と銀貨、それに銅貨かな?」
「そうです」
「支払い方法も色々あるよ。エストラみたいにカード払いも出来る」
「そうなんですか。なんだか似ていますね」
「神様はその辺のことを教えてくれなかったのか?」

 もはや、ネネイの前で神様の話をしても問題ない。
 リーネも気にする素振りを見せることなく、平然と答える。

「はい、こちらの世界に関する情報は何も教わっていません」
「なら、しばらくの間は楽しめるな。知らないことだらけだろう」
「ですね。今、ものすごく楽しいです」

 無表情のリーネ。
 本当にものすごく楽しいのかと苦笑い。

「帰るぞー。荷物運びを分担しよう。リーネはこの袋、ネネイはこれを頼む」

 俺は三つのビニール袋に商品を分けた。
 リーネは大量のカップ麺とペットボトル一本。
 ネネイは安全剃刀とシェービングクリームだ。
 残った四本のペットボトルは俺。

「おとーさん、ネネイはもっと重くても大丈夫なの!」

 自分だけ軽すぎると、ネネイが不満を述べる。
 俺は「じゃあこれを頼むよ」と、ペットボトルを一本渡した。

「重いなの、うぅーなの」

 ネネイはそれを両手で持ち、足をグラグラさせている。
 俺はすぐにペットボトルを回収した。

「重いだろ? だから今回は俺が持つよ」
「おとーさんは四本も持ってすごいなの!」
「おうよ。こう見えて力持ちなんだぜ」

 嘘だ。
 本当は非常に苦しい。
 会話なんてせず、猛ダッシュで帰りたいくらいだ。
 一人の時は、カートに積んだまま家まで運ぶ。
 その後、カートだけ元に戻す。
 家が目の前で、深夜だからこそ出来る荒業だ。
 人の多い昼間に、そんなことをするのは恥ずかしい。

「話はこの辺にして帰るぞー」
「次に来たときは二階より上も見たいなの」
「私もネネイさんに賛成です」
「オーケー」

 今回は一階しか利用しなかった。
 なんでもスーパーは、驚異の二十四階建てだ。
 面積だけではなく、高さも超ド級である。

「ふぅ、疲れた」
「お疲れ様です、ユートさん」
「おとーさんは力持ちなの!」

 五分程歩き、家に到着する。
 前にあるといっても、距離はそれなりだ。
 駐車場が広すぎる。

「だぁー! 休憩だー!」

 扉を開けるなり、俺は布団に飛び込む。
 正確には、万年床の布団があった場所に、だ。
 ついさっき干したことを、すっかり忘れていた。
 おかげで、フローリングに激突する。

「痛ぇ」

 床の上でうつ伏せになっている俺。
 そこに、「休憩なのー!」とネネイが飛んできた。
 勢いよく俺の身体に着地し、覆いかぶさる。

「ユートさん、買った物はどうされますか?」
「お茶は流しの下にある冷蔵庫に入れといて!」
「分かりました」

 リーネが冷蔵庫を開く。
 話の流れで、どれが冷蔵庫か分かったようだ。

「この箱、とてもひんやりしますね」
「だから冷蔵庫っていうのさ」
「エストラでは、融けない氷を使って冷やしますよ」
「融けない氷なんてあるのか」

 リーネは「はい」と答え、ペットボトルを入れていく。
 その姿は、どこからどう見ても本物のメイドだ。

「出来ました」
「ありがとう」
「いえいえ」

 ペットボトルの収納を終えると、リーネはPCの前に座った。
 そこは、いつもは俺が置物のように座っている場所だ。

「この機械で、ネトゲをするのですよね?」
「そうだよ。後は動画を観たりもするよ」
「動画とは何でしょうか?」
「動画というのは……いや、百聞は一見に如かずだな」

 俺に跨るネネイを横にどかし、リーネと場所を代わった。
 慣れた操作でマウスとキーボードを操作し、動画サイトを開く。
 世界最大の動画サイト『ヨウチューブ』だ。
 その中から、適当な動画を開いて再生した。

「すごいなの! リスさんが走っているなの!」
「この中に生き物がいるのですか?」

 ディスプレイを指し、二人が驚愕する。
 流れているのは、シマリスの動画だ。
 地中から身体を出し、元気に走り回っている。

「いや、これは映像だよ」
「映像?」
「映像って何なの?」

 そうか、二人は映像が分からないのか。
 どう説明すればいいのだ。
 しばらくの間、悶々と悩む。
 結局、適切な説明は浮かばなかった。

「この中に生き物がいるわけじゃないってことだ!」
「では千里眼の様な仕組みということですか?」

 千里眼の様な仕組みが何か、俺には分からない。
 しかし、「そう、それそれ!」と適当に合わせた。
 リーネとネネイが「なるほど」と納得する。

「原理は俺もよく分からないから、細かい質問はなしで頼む」
「分かりました」
「はいなの♪」

 動画の再生が終わると、自動で別の動画に切り替わる。
 延々と流れ続ける動画に二人が夢中の間、俺は準備にかかった。
 タンスから、強引に折りたたんでいたリュックを取り出す。
 小学生の頃から使っている無地の黒いものだ。
 その中に、安全剃刀とシェービングクリームを入れた。
 これで完了だ。

「エストラに戻るぞー」
「え、もう帰るのですか?」
「ネネイはもっとここに居たいなの!」

 まるでいつもの俺みたく、二人はPCに張り付いている。
 ネトゲに耽っている時の俺はこんな感じだったのか。

「ダメダメ、戻って生活費の稼ぎ方を考えるぞ」

 俺は二人の肩に手を置く。

「ネネイ、マウスから手を離せー、転移するぞー」
「はいなの……」

 ネネイが、マウスの上に乗せていた両手を離す。
 リーネは、ホールドアップされたかのように、両手を上げている。

「行くぞ、世界転移トランジション!」

 視界が一瞬だけ真っ白になる。
 次の瞬間には、エストラの宿屋に戻ってきていた。

「リアルでもスキルを使えるなんて、変な感じだな」
「使用可能なのは固有スキルだけです。汎用スキルは使えません」
「そうなんだ」

 自暴自棄になっても、リアルで稲妻をぶっ放すことは出来ないわけか。
 クリスマスやバレンタインに、リア充の後塵を拝する生活は続きそうだ。

「さて本題に入ろう。この世界で生活費を稼ぐにはどうすればいい?」
「一般的には、冒険者ギルドでクエストをこなして稼ぐみたいですよ」
「クエストをクリアすることで、お金が貰える仕組みか」
「ですね。他には、アイテムの売却などがあるようです」

 この辺りはまんまゲームの世界だな。
 俺はリュックを床に置き、視線をネネイに移した。

「ネネイはどうやってお金を稼いでいるの?」

 俺達に出会うまで、ネネイは一人で生活していた。
 その証拠とばかりに、約一万ゴールドの所持金がある。
 五歳児の金策がどういうものか、興味があった。

「ネネイはクエストで稼ぐなの! 薬草採取が得意なの!」

 ニィっと白い歯を見せ、右手を挙げるネネイ。
 ネネイの頭を撫でながら、俺は「なるほど」と呟く。

「クエストの中には、戦闘を伴わないものもあるわけだな」
「採取クエストと呼ばれるものですね」

 戦闘をしないで済むなら、俺でもクリアできそうだ。
 ネトゲ廃人の勘から、今の時点で戦闘を行うのは危険だと判断する。
 理由は、レベルが一な上に、まともな装備がないからだ。
 加えて、攻撃に使える汎用スキルも覚えていない。
 こういう時は、戦わず、最低限の準備を整えるのが鉄則だ。
 ネトゲなら、住人と話すだけの『おつかいクエスト』が定番コース。

「決定だ。今日は採取クエストを行おう」
「分かりました」
「ネネイ、レベル五の先輩として、色々と教えてくれ」
「はいなの♪ おとーさんに喜んでもらえるよう、頑張るなの!」
「おうおう、期待しているよ」

 活動内容はこれで決まりだ。

「ちょっと髭を剃ってくるから、二人はゆっくりしていてくれ」

 俺は部屋を出て、向かいの洗面台に立った。
 手にはT字の安全剃刀とシェービングクリームを持っている。
 壁際の洗面台にて、蛇口をひねって水を出す。

「冷たッ!」

 まるで冬の水かと思う程、出てくる水は冷たかった。
 夏の水みたいなぬるめを想像していたので驚く。
 髭剃り用具を流しの隅に置いた後、手で水をすくった。
 それを髭にちゃぷちゃぷさせてから、クリームを塗る。
 結構伸びているので、クリームは多めにつけた。

「せいっ!」

 剃刀を頬に当て、顎に向けて勢いよく下ろす。
 ジョリッと音をたて、髭が剃れる。

「やっぱ髭を剃ると気持ちいいなー!」

 鏡を見ながら、ガンガン剃っていく。
 安全剃刀なので、強引に攻めても怪我の恐れはない。

「おいあんた、何しているんだ!?」

 気分よく剃っていると、知らない男が話しかけてきた。
 齢は俺より少し上、三〇代前半くらい。
 顎や頬にちらほらと剃り残された髭が目立つ。
 また、髭剃りの最中にできたであろう小さな切り傷も多い。
 ヒリヒリして痛そうだ。

「何って、髭を剃っているんだよ」

 横目で男をちらりと見た後、再び髭剃りを進める俺。
 その様子を、口をあんぐりさせて眺める男。

「ふぅ、スッキリしたぜ」

 約二分で、俺は髭剃りを終えた。
 横を見ると、先程の男がまだ立っている。
 その後ろには、さらに別の男が数人いた。
 どいつもこいつも、口をあんぐりさせて俺を見ている。

「もしかして、ここで髭を剃るのは禁止だった?」

 もしそうなら、謝らなければいけない。
 俺は剃刀の刃に付着した髭を洗い流しながら、男達に確認する。

「いや、そうじゃねぇ、そうじゃねぇよ!」

 一人が声を荒げる。
 なら何だっていうのだ。

「あんたの使っているその道具……」
「ああ、これのことか?」

 安全剃刀を男達に向ける。
 彼らは口々に「そうだ」と頷く。

「なんでそんな綺麗に剃れるんだ!?」
「それに、ゴシゴシ攻めても傷一つしていねぇ!」
「どういう技術力なんだ、おい!」

 大興奮の男達。
 どうやら、安全剃刀が珍しいようだ。

「これは安全剃刀といって……いや、なんでもない」

 説明しようとして、俺は口をつぐむ。
 丁寧に話す義理なんてないし、何より面倒だ。

「じゃ、俺は部屋に戻るよ」

 俺が戻ろうとすると、男の一人が「待ってくれ!」と叫んだ。

「その安全剃刀ってやつ、俺に売ってくれないか? 三万だす!」
「は?」

 なんでもスーパーに行けば、数百円で買えるぞ。
 しかも、これは俺が使用した物だ。
 そう思いながら、俺は返答に窮する。

「待ってくれ! 俺なら五万出す!」
「おいおい、それなら俺に頼むよ、一〇出したっていい!」
「一〇だって? 笑わせんな! 俺は二〇だ!」

 なぜか知らないが、安全剃刀の競売が始まった。
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