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006 エストラ大富豪への第一歩
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俺の横に立つ五人の男が、勝手に競売を初めて盛り上がる。
それにつられ、他の宿泊客も集まってきた。
「何を盛り上がっているんだ?」
「あの男が持っている道具だよ。スイスイ髭を剃れる魔法の剃刀だ!」
「スイスイ髭が剃れるって、どのくらいのスイスイさだ?」
「実際に見ていたが、ゴシゴシ攻めても傷一つしねぇぞ!」
「確かにあいつの顎には、一つの切り傷もない」
「信じられねぇだろ? あの道具がそれを可能にしたんだぜ!」
「そいつぁすげぇぜ! 兄ちゃん、その剃刀、俺なら五万で買うぜ」
「何言ってんだお前、今の価格は一二〇万だぞ! 五万で買えるかよ!」
もはや、廊下は大量の男で詰まっている。
この期に及べば、俺も競りに参加せざるをえない。
落札後に「俺は売るつもりなんてない」と言えばぶん殴られるだろう。
今このタイミングで言ったとしても、果たして無事でいられるかどうか。
まぁ、あとでまた買いに行けばいい。
「盛り上がっているところ悪いけど、俺は今からクエストの準備を始めるぜ。それまでに落札価格を決めてくれよな。それじゃ、また数分後に」
「お、おい、ちょっと、待てよ!」
「心配しなくていいよ。この剃刀は最高値を付けた人間に売るからさ」
俺はそそくさと部屋に戻った。
「ユートさん、どうかされたのですか?」
「お外が賑やかなの」
「あぁ、これを売ってくれって言われてな」
安全剃刀を二人に見せ、壁掛けの棚に置く。
その横に、シェービングクリームも立たせる。
競りにかけられていたのは剃刀だけだが、クリームもオマケしよう。
何もつけずに剃れば、安全剃刀でも肌にダメージを与えかねない。
高値で買ったのにどういうことだと因縁をつけられても困る。
「そろそろ出てもいけるか」
外の騒音が静かになったのを見計らい、俺は部屋を出た。
もちろん、手には安全剃刀とシェービングクリームを持っている。
「誰が買うかは決まったか?」
「俺だ、俺が買う! 二五〇出す!」
一番前の男が手を挙げた。
約一〇分前の俺と同じレベルの無精髭だ。
男の後ろには、相変わらず大量の野郎どもが詰まっている。
「そんなに出してくれるのか。なら、このクリームも特別につけよう」
本当は最初からつける予定だった。
だが、こう言うことにより、特別感が演出される。
「いいのか? で、そのクリームはなんだ?」
「髭剃り用のクリームさ。剃りたい部分を水に浸した後、こいつをたっぷり塗るんだ。そうすれば、より綺麗に、且つより安全に剃ることができる。試しにやってみたらどうだ?」
男は「そ、そうだな」と言い、剃刀とクリームを受け取った。
壁際から二番目の洗面台に立ち、髭剃りの準備を始める。
その様子を、後ろの連中が興味深そうに覗き込む。
「こんな感じか?」
男が確認してきた。
水を浸した髭に、クリームを塗りたくっている。
少しクリームが多すぎる気もしたが、少ないよりはマシだろう。
「ああ、それで問題ないよ。後は安全剃刀でガッツリ剃るだけだ」
「分かった。緊張するぜ。絶対に皮膚が抉れたりしないんだよな?」
「そこまで酷い怪我はしないよ。多少の切り傷はあるかもしれないけど」
「よし、やってやる! やってやるぜ! うおおおおお!」
男は勢いよく剃刀をスライドさせた。
頬から顎へかけ、一気に髭が剃れていく。
その様子に、見物していた野郎どもが大興奮。
「すげぇ! 本当に一瞬じゃねぇか! ピカピカだ!」
「クソッ! あのクリームが付くなら、もっと積めばよかった!」
「なんだあの剃刀、やばすぎるだろ!」
その様子をぼんやりと眺める俺。
脳内の中には、ある考えが浮かんでいた。
――これ、もしかしたら凄い稼ぎになるのではないか?
大興奮の観客に、大興奮の落札者。
異様な熱気の中、男の髭剃りが終了する。
「それじゃ、お金を支払ってくれ」
俺は手のひらを男に向けた。
男は「そうだったな、すまん」と冒険者カードを取り出す。
「支払うぞ、そっちもカードを出してくれ」
「は?」
カードを出すってなんだ。
俺も冒険者カードを出せばいいのか?
出してどうなる。それで支払いが完了するのか?
冒険者カードで店の支払いができるとは聞いていたが……。
「ちょっと待ってくれ、カードを部屋に忘れてきた」
「いいぜ、いくらでも待つさ!」
俺はそそくさと部屋に入り、リーネを呼んだ。
そして、超が付くほどの早口で事情を説明する。
「それでしたら、『二五〇万を受け取る』と念じながら、相手とカードをタッチさせるだけで良いですよ。もしも相手が支払うつもりなら、タッチした時にカードが一瞬だけ光ります。その光が、支払い完了のサインです。」
「サンキュー、助かったぜ。光ると完了なんだな」
俺は冒険者カードを取り出し、急いで部屋を出る。
「すまなかった。さぁ、取引しよう」
「おう。これで二五〇万なら安い買い物だぜ!」
俺は落札者の男と、互いのカードをタッチさせた。
カードが重なった瞬間、一瞬だけピカッと光る。
取引完了のサインだ。
すぐさまカードの所持金を確認する。
所持金:250万ゴールド
確かに、所持金が増えていた。
無一文から一転、ネネイの約二五〇倍となる。
二五〇万がどの程度の価値かは不明だが、しばらく生活には困らない。
なぜなら、宿屋は一泊一食付きで三〇〇〇ゴールドだからだ。
追加の食事は一食五〇〇になる。
一日三食としても、かかるお金は四〇〇〇である。
二五〇万もあれば、六二五連泊が可能だ。
そんなことを考えていると、見物客の一人が話しかけてきた。
「なぁ、あんた! さっきの剃刀はもうないのか?」
「まだあるなら譲ってくれよ! クリーム付きなら三〇〇出す!」
「はぁ? 俺なら三五〇は出すぜ!」
「おいおいそれなら――」
俺は慌てて「待て待て待て!」と止めに入る。
どうしてこいつらは、勝手に競売を始めるのだ。
「今は他にないんだ。また手に入れたら売るよ。それでいいか?」
「絶対だぜ! あの剃刀、俺も欲しくてたまらねぇよ!」
「ああ、絶対だ、約束しよう。だから今日は解散してくれ」
渋々といった様子で、野郎どもが解散していく。
その姿を見て、俺は「これだ!」と確信した。
――リアルの物をエストラに持ち込んで売れば、大金になる。
◇
俺の固有スキル『世界転移』の容量制限は結構厳しい。
家は当然のことながら、車なども転移出来ない。
簡単な目安は、俺が持てるかどうかだ。
その中で、エストラで求められている物は何か。
それが分かれば、金を稼ぐのは容易いはずだ。
「しばらくは安全剃刀の販売になりそうだなぁ」
そんなことを呟きながら、俺は草をむしり取る。
この草は、採取クエストの対象である薬草だ。
雑草にしか見えないが、れっきとした薬草である。
二五〇万が手に入っても、クエストは遂行する。
やっぱりやらない、なんてことは言わない。
そんなことを言えば、ネネイが怒るに違いないからだ。
ネネイは、俺にいいところを見せようと張り切っていた。
「抜き抜きなの♪ 抜き抜きなの♪」
身体を左右に揺らし、嬉しそうな笑みを浮かべるネネイ。
地面に生えた薬草を、優しく根っこから抜いていく。
傷んでも結構とばかりに強引な攻め方をする俺とは大違いだ。
俺達は今、ラングローザの南にある草原で、採取クエストに励んでいる。
「金にはならないけど、こういうのも悪くないな」
採取クエストの報酬額は、一人当たり四〇〇〇ゴールドだ。
宿泊費で三〇〇〇ゴールド払えば、その時点で一〇〇〇ゴールドしか残らない。
更に、少なくとも一食は追加する。
そうなると、手元に残るのは五〇〇ゴールドだ。
所持金二五〇万の俺にとって、五〇〇なんて鼻で笑える額。
それでも、新鮮な経験ということもあり、クエストを楽しめた。
それに――。
「お、レベルが上がったぞ」
足元がふわっと光る。
これは、レベルが上がったことを示すサインだ。
多くのネトゲとは違い、エストラでは、様々な行動が経験値に繋がる。
草むしりもその一つだ。もちろん、戦闘に比べれば効率が悪い。
「早速ステータスポイントを振りましょう」
リーネが提案してくる。
俺は「そうだな」と答え、冒険者カードを取り出した。
ステータスを振るのは簡単だ。
カードに記載されているステータスにタッチするだけである。
上げたい項目をタッチすれば、それが一ポイント上昇する仕組みだ。
「振り直しは出来ないので気を付けてくださいね」
「どう振るかは既に決まっているから大丈夫さ」
俺は軽やかに五回タッチする。
レベルが上がった一分後には、ステータスポイントを使い切る。
振ったのは『防御力』と『魔法防御力』、それに『スキルポイント』だ。
名前:ユート
レベル:2
攻撃力:2
防御力:4
魔法攻撃力:1
魔法防御力:4
スキルポイント:4
防御各種に二、スキルポイントに一振った。
まずは防御を固めるというのが、俺の方針だ。
ネトゲでは攻撃から固めた。その方が効率的だからだ。
エストラで大事なのは、勝つことよりも死なないこと。
ゲームと違い、死ねばそこで終了。やり直しなど存在しない。
だから、重要なのは攻撃より防御というわけだ。
「ステータスが上がっても感覚に変化はないな」
「実際の戦闘になれば分かるのですが……」
「なら、次回はゴブリン退治でもするか」
「汎用スキルも習得できますし、よい考えだと思います」
汎用スキルは、一つにつき一〇〇万ゴールドで習得可能だ。
今の俺なら、最大で二つまで習得できる。
「おとーさん、見てなの! たくさん抜き抜きしたなの♪」
ネネイが、薬草の束を両手で頭上に持ち上げた。
根に付着していた土が、可愛らしい笑顔に降りかかる。
「お目目に土が入ったなの……」
ネネイは両目をキュッと閉じ、顔をブンブンと横に振る。
俺は「宿屋に戻ったら水で目を洗えよ」と笑った。
「これで終了だな、帰ろう」
「おとーさん、ネネイ頑張ったなの!」
「ちゃんと見ていたよ。たくさんの薬草を採取していたな」
「はいなの♪」
ネネイがこちらに頭を向ける。
頑張ったご褒美に撫でて欲しいようだ。
「ふっふっふ」
それに応えず、俺は両手の人差し指で、ネネイの頬を優しく押した。
ふわふわの頬がへこみ、唇がタコの口になる。
「ふぇぇ?」
ネネイが顔を上げて俺を見る。
その瞬間、待っていましたとばかりに頭を撫でてやった。
いつもより強く、クシャクシャと撫でる。
「よく頑張ったなー、ネネイ! すごいじゃないか!」
ネネイは「えへへなの♪」と嬉しそうに微笑んだ。
こうして、採取クエストは無事に終了した。
◇
その夜、俺はベッドで考え事に耽っていた。
仰向けの状態で、ぼんやりと天井を眺める。
左腕には、ネネイが抱き着いていた。
「おとーさん、撫で撫でなの、撫で撫でなの」
にんまりとした表情で、寝言を言っている。
寝言だとは分かっていたが、俺は右手で頭を撫でた。
ネネイは「ありがとーなの」と、さらににんまりする。
まるで起きているかのような反応だ。
「この世界でバカ売れする物……なにがあるかな」
今後の方針は大まかに固まった。
資金力ランキングの上位を目指すことだ。
今回の一件で、強い手ごたえを感じた。
リアルの商品を転売する作戦には可能性がある。
ただ、最適な商品については、まるで不明だ。
現時点では、安全剃刀以上の目玉商品は思い浮かばない。
「日に数百万の稼ぎじゃ、ランキングトップは無理だよなぁ」
数百万という額は、決してはした金ではない。
そのことは、クエスト報酬などから把握している。
しかし、大金という程でもない。
野郎どもが苦しい表情を浮かべながらも出せる額だからだ。
今はこれでもいいが、いずれはもっと稼がなくてはならない。
日に数千万、数億、いや、もしかしたらその上、兆単位かも。
「まずは情報だな」
情報は最大の武器である。
それは、ネトゲで嫌というほど学んだ。
今の俺には、情報が不足し過ぎている。
だから、最適な売り物が何も閃かない。
下調べの意味も込め、しばらくはエストラ主体の生活だ。
「リアルの方でも金を集めないとなぁ」
俺の抱える問題の一つに、リアルの金欠がある。
親からの仕送りは、必要最低限の生活費だけだ。
大量の安全剃刀を買おうものなら、すぐに底を尽く。
エストラで金を稼ぐ為には、リアルでも金を稼ぐ必要がある。
しかし、俺は死んでも働きたくない。
この齢まで引きこもりのニートを貫いてきた。
今更労働に精を出すなんて、まっぴらごめんだ。
だが、そんなことにはならないだろう。
何故なら、俺は既に、リアルの金策手段を閃いているからだ。
それにつられ、他の宿泊客も集まってきた。
「何を盛り上がっているんだ?」
「あの男が持っている道具だよ。スイスイ髭を剃れる魔法の剃刀だ!」
「スイスイ髭が剃れるって、どのくらいのスイスイさだ?」
「実際に見ていたが、ゴシゴシ攻めても傷一つしねぇぞ!」
「確かにあいつの顎には、一つの切り傷もない」
「信じられねぇだろ? あの道具がそれを可能にしたんだぜ!」
「そいつぁすげぇぜ! 兄ちゃん、その剃刀、俺なら五万で買うぜ」
「何言ってんだお前、今の価格は一二〇万だぞ! 五万で買えるかよ!」
もはや、廊下は大量の男で詰まっている。
この期に及べば、俺も競りに参加せざるをえない。
落札後に「俺は売るつもりなんてない」と言えばぶん殴られるだろう。
今このタイミングで言ったとしても、果たして無事でいられるかどうか。
まぁ、あとでまた買いに行けばいい。
「盛り上がっているところ悪いけど、俺は今からクエストの準備を始めるぜ。それまでに落札価格を決めてくれよな。それじゃ、また数分後に」
「お、おい、ちょっと、待てよ!」
「心配しなくていいよ。この剃刀は最高値を付けた人間に売るからさ」
俺はそそくさと部屋に戻った。
「ユートさん、どうかされたのですか?」
「お外が賑やかなの」
「あぁ、これを売ってくれって言われてな」
安全剃刀を二人に見せ、壁掛けの棚に置く。
その横に、シェービングクリームも立たせる。
競りにかけられていたのは剃刀だけだが、クリームもオマケしよう。
何もつけずに剃れば、安全剃刀でも肌にダメージを与えかねない。
高値で買ったのにどういうことだと因縁をつけられても困る。
「そろそろ出てもいけるか」
外の騒音が静かになったのを見計らい、俺は部屋を出た。
もちろん、手には安全剃刀とシェービングクリームを持っている。
「誰が買うかは決まったか?」
「俺だ、俺が買う! 二五〇出す!」
一番前の男が手を挙げた。
約一〇分前の俺と同じレベルの無精髭だ。
男の後ろには、相変わらず大量の野郎どもが詰まっている。
「そんなに出してくれるのか。なら、このクリームも特別につけよう」
本当は最初からつける予定だった。
だが、こう言うことにより、特別感が演出される。
「いいのか? で、そのクリームはなんだ?」
「髭剃り用のクリームさ。剃りたい部分を水に浸した後、こいつをたっぷり塗るんだ。そうすれば、より綺麗に、且つより安全に剃ることができる。試しにやってみたらどうだ?」
男は「そ、そうだな」と言い、剃刀とクリームを受け取った。
壁際から二番目の洗面台に立ち、髭剃りの準備を始める。
その様子を、後ろの連中が興味深そうに覗き込む。
「こんな感じか?」
男が確認してきた。
水を浸した髭に、クリームを塗りたくっている。
少しクリームが多すぎる気もしたが、少ないよりはマシだろう。
「ああ、それで問題ないよ。後は安全剃刀でガッツリ剃るだけだ」
「分かった。緊張するぜ。絶対に皮膚が抉れたりしないんだよな?」
「そこまで酷い怪我はしないよ。多少の切り傷はあるかもしれないけど」
「よし、やってやる! やってやるぜ! うおおおおお!」
男は勢いよく剃刀をスライドさせた。
頬から顎へかけ、一気に髭が剃れていく。
その様子に、見物していた野郎どもが大興奮。
「すげぇ! 本当に一瞬じゃねぇか! ピカピカだ!」
「クソッ! あのクリームが付くなら、もっと積めばよかった!」
「なんだあの剃刀、やばすぎるだろ!」
その様子をぼんやりと眺める俺。
脳内の中には、ある考えが浮かんでいた。
――これ、もしかしたら凄い稼ぎになるのではないか?
大興奮の観客に、大興奮の落札者。
異様な熱気の中、男の髭剃りが終了する。
「それじゃ、お金を支払ってくれ」
俺は手のひらを男に向けた。
男は「そうだったな、すまん」と冒険者カードを取り出す。
「支払うぞ、そっちもカードを出してくれ」
「は?」
カードを出すってなんだ。
俺も冒険者カードを出せばいいのか?
出してどうなる。それで支払いが完了するのか?
冒険者カードで店の支払いができるとは聞いていたが……。
「ちょっと待ってくれ、カードを部屋に忘れてきた」
「いいぜ、いくらでも待つさ!」
俺はそそくさと部屋に入り、リーネを呼んだ。
そして、超が付くほどの早口で事情を説明する。
「それでしたら、『二五〇万を受け取る』と念じながら、相手とカードをタッチさせるだけで良いですよ。もしも相手が支払うつもりなら、タッチした時にカードが一瞬だけ光ります。その光が、支払い完了のサインです。」
「サンキュー、助かったぜ。光ると完了なんだな」
俺は冒険者カードを取り出し、急いで部屋を出る。
「すまなかった。さぁ、取引しよう」
「おう。これで二五〇万なら安い買い物だぜ!」
俺は落札者の男と、互いのカードをタッチさせた。
カードが重なった瞬間、一瞬だけピカッと光る。
取引完了のサインだ。
すぐさまカードの所持金を確認する。
所持金:250万ゴールド
確かに、所持金が増えていた。
無一文から一転、ネネイの約二五〇倍となる。
二五〇万がどの程度の価値かは不明だが、しばらく生活には困らない。
なぜなら、宿屋は一泊一食付きで三〇〇〇ゴールドだからだ。
追加の食事は一食五〇〇になる。
一日三食としても、かかるお金は四〇〇〇である。
二五〇万もあれば、六二五連泊が可能だ。
そんなことを考えていると、見物客の一人が話しかけてきた。
「なぁ、あんた! さっきの剃刀はもうないのか?」
「まだあるなら譲ってくれよ! クリーム付きなら三〇〇出す!」
「はぁ? 俺なら三五〇は出すぜ!」
「おいおいそれなら――」
俺は慌てて「待て待て待て!」と止めに入る。
どうしてこいつらは、勝手に競売を始めるのだ。
「今は他にないんだ。また手に入れたら売るよ。それでいいか?」
「絶対だぜ! あの剃刀、俺も欲しくてたまらねぇよ!」
「ああ、絶対だ、約束しよう。だから今日は解散してくれ」
渋々といった様子で、野郎どもが解散していく。
その姿を見て、俺は「これだ!」と確信した。
――リアルの物をエストラに持ち込んで売れば、大金になる。
◇
俺の固有スキル『世界転移』の容量制限は結構厳しい。
家は当然のことながら、車なども転移出来ない。
簡単な目安は、俺が持てるかどうかだ。
その中で、エストラで求められている物は何か。
それが分かれば、金を稼ぐのは容易いはずだ。
「しばらくは安全剃刀の販売になりそうだなぁ」
そんなことを呟きながら、俺は草をむしり取る。
この草は、採取クエストの対象である薬草だ。
雑草にしか見えないが、れっきとした薬草である。
二五〇万が手に入っても、クエストは遂行する。
やっぱりやらない、なんてことは言わない。
そんなことを言えば、ネネイが怒るに違いないからだ。
ネネイは、俺にいいところを見せようと張り切っていた。
「抜き抜きなの♪ 抜き抜きなの♪」
身体を左右に揺らし、嬉しそうな笑みを浮かべるネネイ。
地面に生えた薬草を、優しく根っこから抜いていく。
傷んでも結構とばかりに強引な攻め方をする俺とは大違いだ。
俺達は今、ラングローザの南にある草原で、採取クエストに励んでいる。
「金にはならないけど、こういうのも悪くないな」
採取クエストの報酬額は、一人当たり四〇〇〇ゴールドだ。
宿泊費で三〇〇〇ゴールド払えば、その時点で一〇〇〇ゴールドしか残らない。
更に、少なくとも一食は追加する。
そうなると、手元に残るのは五〇〇ゴールドだ。
所持金二五〇万の俺にとって、五〇〇なんて鼻で笑える額。
それでも、新鮮な経験ということもあり、クエストを楽しめた。
それに――。
「お、レベルが上がったぞ」
足元がふわっと光る。
これは、レベルが上がったことを示すサインだ。
多くのネトゲとは違い、エストラでは、様々な行動が経験値に繋がる。
草むしりもその一つだ。もちろん、戦闘に比べれば効率が悪い。
「早速ステータスポイントを振りましょう」
リーネが提案してくる。
俺は「そうだな」と答え、冒険者カードを取り出した。
ステータスを振るのは簡単だ。
カードに記載されているステータスにタッチするだけである。
上げたい項目をタッチすれば、それが一ポイント上昇する仕組みだ。
「振り直しは出来ないので気を付けてくださいね」
「どう振るかは既に決まっているから大丈夫さ」
俺は軽やかに五回タッチする。
レベルが上がった一分後には、ステータスポイントを使い切る。
振ったのは『防御力』と『魔法防御力』、それに『スキルポイント』だ。
名前:ユート
レベル:2
攻撃力:2
防御力:4
魔法攻撃力:1
魔法防御力:4
スキルポイント:4
防御各種に二、スキルポイントに一振った。
まずは防御を固めるというのが、俺の方針だ。
ネトゲでは攻撃から固めた。その方が効率的だからだ。
エストラで大事なのは、勝つことよりも死なないこと。
ゲームと違い、死ねばそこで終了。やり直しなど存在しない。
だから、重要なのは攻撃より防御というわけだ。
「ステータスが上がっても感覚に変化はないな」
「実際の戦闘になれば分かるのですが……」
「なら、次回はゴブリン退治でもするか」
「汎用スキルも習得できますし、よい考えだと思います」
汎用スキルは、一つにつき一〇〇万ゴールドで習得可能だ。
今の俺なら、最大で二つまで習得できる。
「おとーさん、見てなの! たくさん抜き抜きしたなの♪」
ネネイが、薬草の束を両手で頭上に持ち上げた。
根に付着していた土が、可愛らしい笑顔に降りかかる。
「お目目に土が入ったなの……」
ネネイは両目をキュッと閉じ、顔をブンブンと横に振る。
俺は「宿屋に戻ったら水で目を洗えよ」と笑った。
「これで終了だな、帰ろう」
「おとーさん、ネネイ頑張ったなの!」
「ちゃんと見ていたよ。たくさんの薬草を採取していたな」
「はいなの♪」
ネネイがこちらに頭を向ける。
頑張ったご褒美に撫でて欲しいようだ。
「ふっふっふ」
それに応えず、俺は両手の人差し指で、ネネイの頬を優しく押した。
ふわふわの頬がへこみ、唇がタコの口になる。
「ふぇぇ?」
ネネイが顔を上げて俺を見る。
その瞬間、待っていましたとばかりに頭を撫でてやった。
いつもより強く、クシャクシャと撫でる。
「よく頑張ったなー、ネネイ! すごいじゃないか!」
ネネイは「えへへなの♪」と嬉しそうに微笑んだ。
こうして、採取クエストは無事に終了した。
◇
その夜、俺はベッドで考え事に耽っていた。
仰向けの状態で、ぼんやりと天井を眺める。
左腕には、ネネイが抱き着いていた。
「おとーさん、撫で撫でなの、撫で撫でなの」
にんまりとした表情で、寝言を言っている。
寝言だとは分かっていたが、俺は右手で頭を撫でた。
ネネイは「ありがとーなの」と、さらににんまりする。
まるで起きているかのような反応だ。
「この世界でバカ売れする物……なにがあるかな」
今後の方針は大まかに固まった。
資金力ランキングの上位を目指すことだ。
今回の一件で、強い手ごたえを感じた。
リアルの商品を転売する作戦には可能性がある。
ただ、最適な商品については、まるで不明だ。
現時点では、安全剃刀以上の目玉商品は思い浮かばない。
「日に数百万の稼ぎじゃ、ランキングトップは無理だよなぁ」
数百万という額は、決してはした金ではない。
そのことは、クエスト報酬などから把握している。
しかし、大金という程でもない。
野郎どもが苦しい表情を浮かべながらも出せる額だからだ。
今はこれでもいいが、いずれはもっと稼がなくてはならない。
日に数千万、数億、いや、もしかしたらその上、兆単位かも。
「まずは情報だな」
情報は最大の武器である。
それは、ネトゲで嫌というほど学んだ。
今の俺には、情報が不足し過ぎている。
だから、最適な売り物が何も閃かない。
下調べの意味も込め、しばらくはエストラ主体の生活だ。
「リアルの方でも金を集めないとなぁ」
俺の抱える問題の一つに、リアルの金欠がある。
親からの仕送りは、必要最低限の生活費だけだ。
大量の安全剃刀を買おうものなら、すぐに底を尽く。
エストラで金を稼ぐ為には、リアルでも金を稼ぐ必要がある。
しかし、俺は死んでも働きたくない。
この齢まで引きこもりのニートを貫いてきた。
今更労働に精を出すなんて、まっぴらごめんだ。
だが、そんなことにはならないだろう。
何故なら、俺は既に、リアルの金策手段を閃いているからだ。
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