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006 エストラ大富豪への第一歩

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 俺の横に立つ五人の男が、勝手に競売を初めて盛り上がる。
 それにつられ、他の宿泊客も集まってきた。

「何を盛り上がっているんだ?」
「あの男が持っている道具だよ。スイスイ髭を剃れる魔法の剃刀だ!」
「スイスイ髭が剃れるって、どのくらいのスイスイさだ?」
「実際に見ていたが、ゴシゴシ攻めても傷一つしねぇぞ!」
「確かにあいつの顎には、一つの切り傷もない」
「信じられねぇだろ? あの道具がそれを可能にしたんだぜ!」
「そいつぁすげぇぜ! 兄ちゃん、その剃刀、俺なら五万で買うぜ」
「何言ってんだお前、今の価格は一二〇万だぞ! 五万で買えるかよ!」

 もはや、廊下は大量の男で詰まっている。
 この期に及べば、俺も競りに参加せざるをえない。
 落札後に「俺は売るつもりなんてない」と言えばぶん殴られるだろう。
 今このタイミングで言ったとしても、果たして無事でいられるかどうか。
 まぁ、あとでまた買いに行けばいい。

「盛り上がっているところ悪いけど、俺は今からクエストの準備を始めるぜ。それまでに落札価格を決めてくれよな。それじゃ、また数分後に」
「お、おい、ちょっと、待てよ!」
「心配しなくていいよ。この剃刀は最高値を付けた人間に売るからさ」

 俺はそそくさと部屋に戻った。

「ユートさん、どうかされたのですか?」
「お外が賑やかなの」
「あぁ、これを売ってくれって言われてな」

 安全剃刀を二人に見せ、壁掛けの棚に置く。
 その横に、シェービングクリームも立たせる。
 競りにかけられていたのは剃刀だけだが、クリームもオマケしよう。
 何もつけずに剃れば、安全剃刀でも肌にダメージを与えかねない。
 高値で買ったのにどういうことだと因縁をつけられても困る。

「そろそろ出てもいけるか」

 外の騒音が静かになったのを見計らい、俺は部屋を出た。
 もちろん、手には安全剃刀とシェービングクリームを持っている。

「誰が買うかは決まったか?」
「俺だ、俺が買う! 二五〇出す!」

 一番前の男が手を挙げた。
 約一〇分前の俺と同じレベルの無精髭だ。
 男の後ろには、相変わらず大量の野郎どもが詰まっている。

「そんなに出してくれるのか。なら、このクリームも特別につけよう」

 本当は最初からつける予定だった。
 だが、こう言うことにより、特別感が演出される。

「いいのか? で、そのクリームはなんだ?」
「髭剃り用のクリームさ。剃りたい部分を水に浸した後、こいつをたっぷり塗るんだ。そうすれば、より綺麗に、且つより安全に剃ることができる。試しにやってみたらどうだ?」

 男は「そ、そうだな」と言い、剃刀とクリームを受け取った。
 壁際から二番目の洗面台に立ち、髭剃りの準備を始める。
 その様子を、後ろの連中が興味深そうに覗き込む。

「こんな感じか?」

 男が確認してきた。
 水を浸した髭に、クリームを塗りたくっている。
 少しクリームが多すぎる気もしたが、少ないよりはマシだろう。

「ああ、それで問題ないよ。後は安全剃刀でガッツリ剃るだけだ」
「分かった。緊張するぜ。絶対に皮膚が抉れたりしないんだよな?」
「そこまで酷い怪我はしないよ。多少の切り傷はあるかもしれないけど」
「よし、やってやる! やってやるぜ! うおおおおお!」

 男は勢いよく剃刀をスライドさせた。
 頬から顎へかけ、一気に髭が剃れていく。
 その様子に、見物していた野郎どもが大興奮。

「すげぇ! 本当に一瞬じゃねぇか! ピカピカだ!」
「クソッ! あのクリームが付くなら、もっと積めばよかった!」
「なんだあの剃刀、やばすぎるだろ!」

 その様子をぼんやりと眺める俺。
 脳内の中には、ある考えが浮かんでいた。

 ――これ、もしかしたら凄い稼ぎになるのではないか?

 大興奮の観客に、大興奮の落札者。
 異様な熱気の中、男の髭剃りが終了する。

「それじゃ、お金を支払ってくれ」

 俺は手のひらを男に向けた。
 男は「そうだったな、すまん」と冒険者カードを取り出す。

「支払うぞ、そっちもカードを出してくれ」
「は?」

 カードを出すってなんだ。
 俺も冒険者カードを出せばいいのか?
 出してどうなる。それで支払いが完了するのか?
 冒険者カードで店の支払いができるとは聞いていたが……。

「ちょっと待ってくれ、カードを部屋に忘れてきた」
「いいぜ、いくらでも待つさ!」

 俺はそそくさと部屋に入り、リーネを呼んだ。
 そして、超が付くほどの早口で事情を説明する。

「それでしたら、『二五〇万を受け取る』と念じながら、相手とカードをタッチさせるだけで良いですよ。もしも相手が支払うつもりなら、タッチした時にカードが一瞬だけ光ります。その光が、支払い完了のサインです。」
「サンキュー、助かったぜ。光ると完了なんだな」

 俺は冒険者カードを取り出し、急いで部屋を出る。

「すまなかった。さぁ、取引しよう」
「おう。これで二五〇万なら安い買い物だぜ!」

 俺は落札者の男と、互いのカードをタッチさせた。
 カードが重なった瞬間、一瞬だけピカッと光る。
 取引完了のサインだ。
 すぐさまカードの所持金を確認する。

 所持金:250万ゴールド

 確かに、所持金が増えていた。
 無一文から一転、ネネイの約二五〇倍となる。
 二五〇万がどの程度の価値かは不明だが、しばらく生活には困らない。
 なぜなら、宿屋は一泊一食付きで三〇〇〇ゴールドだからだ。
 追加の食事は一食五〇〇になる。
 一日三食としても、かかるお金は四〇〇〇である。
 二五〇万もあれば、六二五連泊が可能だ。
 そんなことを考えていると、見物客の一人が話しかけてきた。

「なぁ、あんた! さっきの剃刀はもうないのか?」
「まだあるなら譲ってくれよ! クリーム付きなら三〇〇出す!」
「はぁ? 俺なら三五〇は出すぜ!」
「おいおいそれなら――」

 俺は慌てて「待て待て待て!」と止めに入る。
 どうしてこいつらは、勝手に競売を始めるのだ。

「今は他にないんだ。また手に入れたら売るよ。それでいいか?」
「絶対だぜ! あの剃刀、俺も欲しくてたまらねぇよ!」
「ああ、絶対だ、約束しよう。だから今日は解散してくれ」

 渋々といった様子で、野郎どもが解散していく。
 その姿を見て、俺は「これだ!」と確信した。

 ――リアルの物をエストラに持ち込んで売れば、大金になる。

 ◇

 俺の固有スキル『世界転移』の容量制限は結構厳しい。
 家は当然のことながら、車なども転移出来ない。
 簡単な目安は、俺が持てるかどうかだ。
 その中で、エストラで求められている物は何か。
 それが分かれば、金を稼ぐのは容易いはずだ。

「しばらくは安全剃刀の販売になりそうだなぁ」

 そんなことを呟きながら、俺は草をむしり取る。
 この草は、採取クエストの対象である薬草だ。
 雑草にしか見えないが、れっきとした薬草である。
 二五〇万が手に入っても、クエストは遂行する。
 やっぱりやらない、なんてことは言わない。
 そんなことを言えば、ネネイが怒るに違いないからだ。
 ネネイは、俺にいいところを見せようと張り切っていた。

「抜き抜きなの♪ 抜き抜きなの♪」

 身体を左右に揺らし、嬉しそうな笑みを浮かべるネネイ。
 地面に生えた薬草を、優しく根っこから抜いていく。
 傷んでも結構とばかりに強引な攻め方をする俺とは大違いだ。
 俺達は今、ラングローザの南にある草原で、採取クエストに励んでいる。

「金にはならないけど、こういうのも悪くないな」

 採取クエストの報酬額は、一人当たり四〇〇〇ゴールドだ。
 宿泊費で三〇〇〇ゴールド払えば、その時点で一〇〇〇ゴールドしか残らない。
 更に、少なくとも一食は追加する。
 そうなると、手元に残るのは五〇〇ゴールドだ。
 所持金二五〇万の俺にとって、五〇〇なんて鼻で笑える額。
 それでも、新鮮な経験ということもあり、クエストを楽しめた。
 それに――。

「お、レベルが上がったぞ」

 足元がふわっと光る。
 これは、レベルが上がったことを示すサインだ。
 多くのネトゲとは違い、エストラでは、様々な行動が経験値に繋がる。
 草むしりもその一つだ。もちろん、戦闘に比べれば効率が悪い。

「早速ステータスポイントを振りましょう」

 リーネが提案してくる。
 俺は「そうだな」と答え、冒険者カードを取り出した。
 ステータスを振るのは簡単だ。
 カードに記載されているステータスにタッチするだけである。
 上げたい項目をタッチすれば、それが一ポイント上昇する仕組みだ。

「振り直しは出来ないので気を付けてくださいね」
「どう振るかは既に決まっているから大丈夫さ」

 俺は軽やかに五回タッチする。
 レベルが上がった一分後には、ステータスポイントを使い切る。
 振ったのは『防御力』と『魔法防御力』、それに『スキルポイント』だ。

 名前:ユート
 レベル:2
 攻撃力:2
 防御力:4
 魔法攻撃力:1
 魔法防御力:4
 スキルポイント:4

 防御各種に二、スキルポイントに一振った。
 まずは防御を固めるというのが、俺の方針だ。
 ネトゲでは攻撃から固めた。その方が効率的だからだ。
 エストラで大事なのは、勝つことよりも死なないこと。
 ゲームと違い、死ねばそこで終了。やり直しなど存在しない。
 だから、重要なのは攻撃より防御というわけだ。

「ステータスが上がっても感覚に変化はないな」
「実際の戦闘になれば分かるのですが……」
「なら、次回はゴブリン退治でもするか」
「汎用スキルも習得できますし、よい考えだと思います」

 汎用スキルは、一つにつき一〇〇万ゴールドで習得可能だ。
 今の俺なら、最大で二つまで習得できる。

「おとーさん、見てなの! たくさん抜き抜きしたなの♪」

 ネネイが、薬草の束を両手で頭上に持ち上げた。
 根に付着していた土が、可愛らしい笑顔に降りかかる。

「お目目に土が入ったなの……」

 ネネイは両目をキュッと閉じ、顔をブンブンと横に振る。
 俺は「宿屋に戻ったら水で目を洗えよ」と笑った。

「これで終了だな、帰ろう」
「おとーさん、ネネイ頑張ったなの!」
「ちゃんと見ていたよ。たくさんの薬草を採取していたな」
「はいなの♪」

 ネネイがこちらに頭を向ける。
 頑張ったご褒美に撫でて欲しいようだ。

「ふっふっふ」

 それに応えず、俺は両手の人差し指で、ネネイの頬を優しく押した。
 ふわふわの頬がへこみ、唇がタコの口になる。

「ふぇぇ?」

 ネネイが顔を上げて俺を見る。
 その瞬間、待っていましたとばかりに頭を撫でてやった。
 いつもより強く、クシャクシャと撫でる。

「よく頑張ったなー、ネネイ! すごいじゃないか!」

 ネネイは「えへへなの♪」と嬉しそうに微笑んだ。
 こうして、採取クエストは無事に終了した。

 ◇

 その夜、俺はベッドで考え事に耽っていた。
 仰向けの状態で、ぼんやりと天井を眺める。
 左腕には、ネネイが抱き着いていた。

「おとーさん、撫で撫でなの、撫で撫でなの」

 にんまりとした表情で、寝言を言っている。
 寝言だとは分かっていたが、俺は右手で頭を撫でた。
 ネネイは「ありがとーなの」と、さらににんまりする。
 まるで起きているかのような反応だ。

「この世界でバカ売れする物……なにがあるかな」

 今後の方針は大まかに固まった。
 資金力ランキングの上位を目指すことだ。
 今回の一件で、強い手ごたえを感じた。
 リアルの商品を転売する作戦には可能性がある。
 ただ、最適な商品については、まるで不明だ。
 現時点では、安全剃刀以上の目玉商品は思い浮かばない。

「日に数百万の稼ぎじゃ、ランキングトップは無理だよなぁ」

 数百万という額は、決してはした金ではない。
 そのことは、クエスト報酬などから把握している。
 しかし、大金という程でもない。
 野郎どもが苦しい表情を浮かべながらも出せる額だからだ。
 今はこれでもいいが、いずれはもっと稼がなくてはならない。
 日に数千万、数億、いや、もしかしたらその上、兆単位かも。

「まずは情報だな」

 情報は最大の武器である。
 それは、ネトゲで嫌というほど学んだ。
 今の俺には、情報が不足し過ぎている。
 だから、最適な売り物が何も閃かない。
 下調べの意味も込め、しばらくはエストラ主体の生活だ。

「リアルの方でも金を集めないとなぁ」

 俺の抱える問題の一つに、リアルの金欠がある。
 親からの仕送りは、必要最低限の生活費だけだ。
 大量の安全剃刀を買おうものなら、すぐに底を尽く。

 エストラで金を稼ぐ為には、リアルでも金を稼ぐ必要がある。
 しかし、俺は死んでも働きたくない。
 この齢まで引きこもりのニートを貫いてきた。
 今更労働に精を出すなんて、まっぴらごめんだ。
 だが、そんなことにはならないだろう。

 何故なら、俺は既に、リアルの金策手段を閃いているからだ。
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