2 / 13
02 婿と弟
しおりを挟む
この国に銀髪は少ない。この王宮では、元は異国の王子だった王配たる彼、クラレンスのみである。
王宮の廊下を銀色の影が過る。
怪談の雪の幽鬼もかくやという風情で、陰鬱な空気をまとい屍のような目をして廊下を歩く青年に、声をかける強者はいなかった。
「義兄さん!」
何故か一人だけいた。空気を読まぬ強者が。
黄みの強い温かな金色の髪の青年はにこにこと、王宮内では禁止されている筈の小走りで駆け寄る。
「王弟殿下、ご機嫌麗しく…」
「義兄さん、どうしたの。そんな地獄の底から響いてくるような声して」
骨身に染みた礼儀作法の脊髄反射で答えた義兄の努力を、義弟はあっさり粉砕した。
最早最後の虚勢も粉々になったクラレンスは、美しい唇からぼそぼそとした声を溢した。
「……殿下、少し話をしてもよろしいでしょうか」
◇◆◇◆◇◆
王配クラレンスと王弟エディアルドは、王族家族用の居室のソファに向かい合った。
「……私は近々、この王宮をお暇し、国に戻ることになるかもしれません」
「え?家族の誰かが具合悪いとか?」
心配そうなエディアルドの言葉に手を振る。
「そうではありません。……女王陛下は離婚を望まれています」
クラレンスは息を吐いた。
「え?まさか」
「先程、直々にお話があったところです……」
「いや、それは不可能でしょ?」
「陛下は、政治的に問題ないよう片付けるでしょう…」
「ああ、姉さんならできそう…って、それ以前に、国教でも法でも無理でしょ?!」
神の教えにより夫婦は死が二人を分かつまで愛し合うことを誓う。死別でなく生別の離婚は、国教の教義でも法でも認められていない。
ちなみに、東方や南方の国には、側室や後宮やハーレムと呼ばれるものがあり、一夫多妻という野蛮な制度があるそうだが、当国は教義的に当然一夫一妻なのでありえない。
残念ながら当国でも不倫はゼロではないが、王であってもその行いは蔑まれるものとして扱われ、表面上は「お友達」と呼ばれる。
クラレンスは死人のような目と顔色で口元だけ笑みの形を作り言った。
「いえ…。私達は『白い結婚』なので」
エディアルドは息を飲んだ。
白い結婚は、政略結婚で一方が幼い場合などで、夜を共にしない形だけの結婚だ。国教でも、これは例外的に離婚が認められる。
「白い…って、結婚してから10年近いよね?」
「9年」
こだわり処だったようだ。
「それに結婚の時点で私は13歳でした」
「あ、そりゃ守られるべき子供だよね。でも、えーと……義兄さんは今…22歳?」
恐る恐る言ったエディアルドから、クラレンスは目を逸らした。
この国の成人は18歳だ。彼は4年前に成人している。子供だからという理由はなくなった。
「人の夫婦生活は深く聞かないのがマナーです」
「……………うん」
ただでさえデリケートな話なのに、その先の更なるデリケートの深淵を覗き込みそうになったエディアルドは、淵を見なかったことにして引き返すことにした。
「そんな訳で、政治的にも教義的にも法的にも離婚は可能です。あとは、女王の決断ひとつ」
深く俯き、頭も声も地にめり込みそうな彼に、エディアルドはかける言葉を失った。
「私はこの国へ来て9年、王配として女王を支える存在となれるよう努力してきたつもりでした。政略結婚とはいえ、尊敬と愛情をもった関係を築くことはできる、と。私に至らぬ点は多々あろうと思いますが……離婚を切り出す程、耐え難かったとは…気づいておりませんでした。恥ずべき自分を消してしまいたい」
クラレンスは頭を抱えため息をついた。
しかも彼女は、クラレンスも離婚を喜ぶと信じきっていたような物言いだった。
関係はそれなりに上手くいっていると信じていたのは、クラレンスの一人相撲だったのだ。その認識のずれが、更にクラレンスを落ち込ませた。
「うーん。僕にも義兄さん達は上手くいってるように見えたけど?姉さんが、義兄さんのことを耐え難いって言ったの?」
姉は義兄にそんな含むところがあるようには見えなかった。
「いえ。でも、至らない私のこと、不満に思われる心当たりは山とありますので」
「義兄さんは自己評価低すぎだと思う」
同性のエディアルドの目から見ても、義兄は顔も性格も良く、所謂、理想的な貴公子というカテゴリの人だと思う。
程よく筋肉のついた肢体、優雅で清廉な立ち居振舞い。聡明かつ謙虚。そして心から女王を、姉を敬愛し支える姿勢が貫かれていて、姉や国にとっても理想的な王配と言えると思っている。
これで何故、自分の至らなさで離婚される、となるのか。
エディアルドは今でこそ健康体だが幼少の頃は体が弱く、実の親きょうだいよりも、年が近いクラレンスが身近にいてくれて面倒をみてもらった。それゆえ義兄への身内びいきがあるが、それを差し引いても納得がいかない。
「義兄さんいい男だし。何より義兄ほど姉さんにふさわしい人いないって」
「でも私は10も年下ですから、頼り甲斐に欠けるかと」
「大丈夫!姉さんより頼り甲斐ある男は普通いないから!不可能を可能にしなくて大丈夫!」
太鼓判を押した。
あの姉は、王様業が天職みたいな人だ。国を支える器も実力も覚悟も意思もある。ナチュラルに。こんな王を持てたこの国は幸せだ。彼は姉を高く評価していた。
しかし一方、この夫婦の年齢差や風貌についての心ない噂は多く、嫌でも耳に入る。しかし噂で攻撃される対象は、主に女王の方だった。
22歳の若き美丈夫の王配に対し、美よりはその実力や威厳について語られる女王は32歳。
男王が微妙すぎる風貌と実力で10も年下の美しい王妃を得ても何も言われない。
しかしこれが逆だと、年増女が若い男を権力で買った、人身御供だなどに始まり、更に耳が腐り落ちそうな下種な中傷まで、陰口が酷かった。
エディアルドはそんな理不尽に憤慨し反論する一人であるので、義兄が噂通りに思い込んだり自惚れていたら怒っただろう。しかし義兄がむしろ噂と真逆で、容姿や若さを自身のマイナス要素としてこれ程気にしているとは思わなかった。
クラレンスは義弟のエディアルドを含め多くの人に敬語で話す。
味方のいない他国へ一人で婿入りし、まだ13歳で勉強も追いつかない未熟な身での生存戦略として、腰が低く空気を読む性質を身につけたのかもしれない。
幼少の頃から天使のような美少年だったが、長じてからは更に、長身と美麗な外見と物腰の優しさから女性達から絶大な人気があるのだが、本人は実感できていない。
「義兄さん女性に人気あるじゃない。大丈夫!」
「王配という地位にいる者に笑顔で接するのは、男女問わずごく一般的な社交でしょう。それを勘違いする程愚かではありません。それに…他の女性でなく、陛下に好かれなければ何にもなりません」
「あぁ…うん、そこは真理だね」
エディアルドはどこまでも真っ直ぐで率直だった。
クラレンスは更にがっくりと肩を落とした。
王宮の廊下を銀色の影が過る。
怪談の雪の幽鬼もかくやという風情で、陰鬱な空気をまとい屍のような目をして廊下を歩く青年に、声をかける強者はいなかった。
「義兄さん!」
何故か一人だけいた。空気を読まぬ強者が。
黄みの強い温かな金色の髪の青年はにこにこと、王宮内では禁止されている筈の小走りで駆け寄る。
「王弟殿下、ご機嫌麗しく…」
「義兄さん、どうしたの。そんな地獄の底から響いてくるような声して」
骨身に染みた礼儀作法の脊髄反射で答えた義兄の努力を、義弟はあっさり粉砕した。
最早最後の虚勢も粉々になったクラレンスは、美しい唇からぼそぼそとした声を溢した。
「……殿下、少し話をしてもよろしいでしょうか」
◇◆◇◆◇◆
王配クラレンスと王弟エディアルドは、王族家族用の居室のソファに向かい合った。
「……私は近々、この王宮をお暇し、国に戻ることになるかもしれません」
「え?家族の誰かが具合悪いとか?」
心配そうなエディアルドの言葉に手を振る。
「そうではありません。……女王陛下は離婚を望まれています」
クラレンスは息を吐いた。
「え?まさか」
「先程、直々にお話があったところです……」
「いや、それは不可能でしょ?」
「陛下は、政治的に問題ないよう片付けるでしょう…」
「ああ、姉さんならできそう…って、それ以前に、国教でも法でも無理でしょ?!」
神の教えにより夫婦は死が二人を分かつまで愛し合うことを誓う。死別でなく生別の離婚は、国教の教義でも法でも認められていない。
ちなみに、東方や南方の国には、側室や後宮やハーレムと呼ばれるものがあり、一夫多妻という野蛮な制度があるそうだが、当国は教義的に当然一夫一妻なのでありえない。
残念ながら当国でも不倫はゼロではないが、王であってもその行いは蔑まれるものとして扱われ、表面上は「お友達」と呼ばれる。
クラレンスは死人のような目と顔色で口元だけ笑みの形を作り言った。
「いえ…。私達は『白い結婚』なので」
エディアルドは息を飲んだ。
白い結婚は、政略結婚で一方が幼い場合などで、夜を共にしない形だけの結婚だ。国教でも、これは例外的に離婚が認められる。
「白い…って、結婚してから10年近いよね?」
「9年」
こだわり処だったようだ。
「それに結婚の時点で私は13歳でした」
「あ、そりゃ守られるべき子供だよね。でも、えーと……義兄さんは今…22歳?」
恐る恐る言ったエディアルドから、クラレンスは目を逸らした。
この国の成人は18歳だ。彼は4年前に成人している。子供だからという理由はなくなった。
「人の夫婦生活は深く聞かないのがマナーです」
「……………うん」
ただでさえデリケートな話なのに、その先の更なるデリケートの深淵を覗き込みそうになったエディアルドは、淵を見なかったことにして引き返すことにした。
「そんな訳で、政治的にも教義的にも法的にも離婚は可能です。あとは、女王の決断ひとつ」
深く俯き、頭も声も地にめり込みそうな彼に、エディアルドはかける言葉を失った。
「私はこの国へ来て9年、王配として女王を支える存在となれるよう努力してきたつもりでした。政略結婚とはいえ、尊敬と愛情をもった関係を築くことはできる、と。私に至らぬ点は多々あろうと思いますが……離婚を切り出す程、耐え難かったとは…気づいておりませんでした。恥ずべき自分を消してしまいたい」
クラレンスは頭を抱えため息をついた。
しかも彼女は、クラレンスも離婚を喜ぶと信じきっていたような物言いだった。
関係はそれなりに上手くいっていると信じていたのは、クラレンスの一人相撲だったのだ。その認識のずれが、更にクラレンスを落ち込ませた。
「うーん。僕にも義兄さん達は上手くいってるように見えたけど?姉さんが、義兄さんのことを耐え難いって言ったの?」
姉は義兄にそんな含むところがあるようには見えなかった。
「いえ。でも、至らない私のこと、不満に思われる心当たりは山とありますので」
「義兄さんは自己評価低すぎだと思う」
同性のエディアルドの目から見ても、義兄は顔も性格も良く、所謂、理想的な貴公子というカテゴリの人だと思う。
程よく筋肉のついた肢体、優雅で清廉な立ち居振舞い。聡明かつ謙虚。そして心から女王を、姉を敬愛し支える姿勢が貫かれていて、姉や国にとっても理想的な王配と言えると思っている。
これで何故、自分の至らなさで離婚される、となるのか。
エディアルドは今でこそ健康体だが幼少の頃は体が弱く、実の親きょうだいよりも、年が近いクラレンスが身近にいてくれて面倒をみてもらった。それゆえ義兄への身内びいきがあるが、それを差し引いても納得がいかない。
「義兄さんいい男だし。何より義兄ほど姉さんにふさわしい人いないって」
「でも私は10も年下ですから、頼り甲斐に欠けるかと」
「大丈夫!姉さんより頼り甲斐ある男は普通いないから!不可能を可能にしなくて大丈夫!」
太鼓判を押した。
あの姉は、王様業が天職みたいな人だ。国を支える器も実力も覚悟も意思もある。ナチュラルに。こんな王を持てたこの国は幸せだ。彼は姉を高く評価していた。
しかし一方、この夫婦の年齢差や風貌についての心ない噂は多く、嫌でも耳に入る。しかし噂で攻撃される対象は、主に女王の方だった。
22歳の若き美丈夫の王配に対し、美よりはその実力や威厳について語られる女王は32歳。
男王が微妙すぎる風貌と実力で10も年下の美しい王妃を得ても何も言われない。
しかしこれが逆だと、年増女が若い男を権力で買った、人身御供だなどに始まり、更に耳が腐り落ちそうな下種な中傷まで、陰口が酷かった。
エディアルドはそんな理不尽に憤慨し反論する一人であるので、義兄が噂通りに思い込んだり自惚れていたら怒っただろう。しかし義兄がむしろ噂と真逆で、容姿や若さを自身のマイナス要素としてこれ程気にしているとは思わなかった。
クラレンスは義弟のエディアルドを含め多くの人に敬語で話す。
味方のいない他国へ一人で婿入りし、まだ13歳で勉強も追いつかない未熟な身での生存戦略として、腰が低く空気を読む性質を身につけたのかもしれない。
幼少の頃から天使のような美少年だったが、長じてからは更に、長身と美麗な外見と物腰の優しさから女性達から絶大な人気があるのだが、本人は実感できていない。
「義兄さん女性に人気あるじゃない。大丈夫!」
「王配という地位にいる者に笑顔で接するのは、男女問わずごく一般的な社交でしょう。それを勘違いする程愚かではありません。それに…他の女性でなく、陛下に好かれなければ何にもなりません」
「あぁ…うん、そこは真理だね」
エディアルドはどこまでも真っ直ぐで率直だった。
クラレンスは更にがっくりと肩を落とした。
58
あなたにおすすめの小説
誰にも言えないあなたへ
天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。
マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。
年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。
笑わない妻を娶りました
mios
恋愛
伯爵家嫡男であるスタン・タイロンは、伯爵家を継ぐ際に妻を娶ることにした。
同じ伯爵位で、友人であるオリバー・クレンズの従姉妹で笑わないことから氷の女神とも呼ばれているミスティア・ドゥーラ嬢。
彼女は美しく、スタンは一目惚れをし、トントン拍子に婚約・結婚することになったのだが。
【完結】理想の人に恋をするとは限らない
miniko
恋愛
ナディアは、婚約者との初顔合わせの際に「容姿が好みじゃない」と明言されてしまう。
ほほぅ、そうですか。
「私も貴方は好みではありません」と言い返すと、この言い争いが逆に良かったのか、変な遠慮が無くなって、政略のパートナーとしては意外と良好な関係となる。
しかし、共に過ごす内に、少しづつ互いを異性として意識し始めた二人。
相手にとって自分が〝理想とは違う〟という事実が重くのしかかって・・・
(彼は私を好きにはならない)
(彼女は僕を好きにはならない)
そう思い込んでいる二人の仲はどう変化するのか。
※最後が男性側の視点で終わる、少し変則的な形式です。
※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしておりません。本編未読の方はご注意下さい。
あの、初夜の延期はできますか?
木嶋うめ香
恋愛
「申し訳ないが、延期をお願いできないだろうか。その、いつまでとは今はいえないのだが」
私シュテフイーナ・バウワーは今日ギュスターヴ・エリンケスと結婚し、シュテフイーナ・エリンケスになった。
結婚祝の宴を終え、侍女とメイド達に準備された私は、ベッドの端に座り緊張しつつ夫のギュスターヴが来るのを待っていた。
けれど、夜も更け体が冷え切っても夫は寝室には姿を見せず、明け方朝告げ鶏が鳴く頃に漸く現れたと思ったら、私の前に跪き、彼は泣きそうな顔でそう言ったのだ。
「私と夫婦になるつもりが無いから永久に延期するということですか? それとも何か理由があり延期するだけでしょうか?」
なぜこの人私に求婚したのだろう。
困惑と悲しみを隠し尋ねる。
婚約期間は三ヶ月と短かったが、それでも頻繁に会っていたし、会えない時は手紙や花束が送られてきた。
関係は良好だと感じていたのは、私だけだったのだろうか。
ボツネタ供養の短編です。
十話程度で終わります。
すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…
アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。
婚約者には役目がある。
例え、私との時間が取れなくても、
例え、一人で夜会に行く事になっても、
例え、貴方が彼女を愛していても、
私は貴方を愛してる。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 女性視点、男性視点があります。
❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。
もう一度、君を好きになる時間
なべぞう
恋愛
結婚後、夫とのすれ違いと孤独な生活の中で心身を壊し、若くして病死した女性・相沢美月。
後悔だけを残して人生を終えたはずの彼女は、目を覚ますと――大学時代へと時間が巻き戻っていた。
二度目の人生を得た美月は決意する。
「今度こそ、自分を大切にして生きる」と。
前の人生で結婚した元恋人・恒一との再会。
しかし、同じ未来を辿るつもりはない。
そんな中、前の人生では出会うことのなかった青年・三浦との出会いが、彼女の未来を少しずつ変えていく。
「我慢すること」が正解だと思っていた彼女は、二度目の人生で初めて自分の幸せを選び取る勇気を学んでいく。
――人は、やり直せたなら本当に幸せになれるのか?
失敗した人生をもう一度歩き直す、一人の女性の再生と恋、そして本当の愛を見つける物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる