異世界でワーホリ~旅行ガイドブックを作りたい~

小西あまね

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1章

13 観光

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 翌朝、身支度を整えホテル一階のレストランで朝食を済ませのんびりしてると、アレクが現れた。
今日は黒系のスーツだ。ちょっと英国のヴィクトリア朝っぽい。

 今日はまず街外れにある鍾乳洞へ連れていってくれるそうだ。歩いて行く人が多いが30分近くかかるので馬車を頼むかと訊かれたが、私は旅先ではその位の街歩きはいつものことだと、少しスカートを持ち上げ履き慣れたスニーカーを見せた。
 初夏の風が気持ちよくて散歩日和だ。

「今日の格好も素敵ですねぇアレク。似合ってます」
「えっ……?あ、ありがとうございます」
 アレクは目を見開いて、首の後ろを掻きながら目を逸らす。
 え?照れてる?これだけイケメンなんだから、これ位言われ慣れてるよね?奥床しい人だ。
「あの、ハナこそ髪型を変えましたね。お似合いです」
「ありがとうございます」
 笑顔を返す。これは社交辞令だろうから照れはしないけど、気遣いが嬉しい。
 服は昨日買ってもらった服一択なので代わり映えしない。インナーは替えてるけど。
 せめて髪はハーフアップにして、下ろしっぱなしの昨日と変化をつけた。多分この時代なら、成人女性は結い上げなきゃいけないと思うのだけど、鞄に入っていた髪ゴム一本で結える技術が私にはない。どうせ若く見られるから違和感は少ないだろうと開き直った。

「街を歩く男性は、今日のアレクみたいに黒っぽい服の方多い気がするのですが、そういう流行なんですか?」
「流行と言えば流行ですね。ここより大都会では、工場や列車や家庭で石炭の使用が増えて、空気や街中が煤で汚れるようになったので、黒が流行り出したそうです。あと、少し前に黒の染料で退色しにくい良いものが発明されたことも理由の一つです。
 この街は駅も工場もあるものの小さくて、空気も割と綺麗なんですが、服の流行は都会から少し遅れてこちらにも届いてくる感じですね」
 おお!まさにヴィクトリア朝ーー19世紀前半から20世紀初頭の英国みたいだ。
 ホームズの時代の街行く男性達が黒っぽい服ばかりなのは、産業革命が生んだロンドンスモッグの煤対策でもある。それから、黒を綺麗に出す染料が開発されたのは19世紀後半だ。
 しかしその割には…

「皆さん、帽子は被らないんですね」
「ハナの世界では皆さん被るんですか?」
「私がいた国ではあまり被りません。街や服の雰囲気がここと少し似ている別の国では皆さん必ず被っていたので」
 19世紀英国だと外出時は男性は階級に合わせた帽子、女性はボンネットを被った。被らないことは恥ずかしくて無作法なことだった。
 平安貴族の烏帽子みたいだなーと思った記憶がある。烏帽子も階級あるし被らないのは裸で外歩いてるみたいなものだったと、平安時代マニアの友人が言っていた。歴史オタめ、とお互い突っ込み合う腐れ縁である。
 妙なところで、私の世界とよく似たところとはっきり違うところがあるなぁ。

 でもその方がいい。
 19世紀だと現代にも資料が膨大に残っていて、20年刻みで服の流行や地域差すら特定できることもあるレベルだか、アレクやこの街の様子は資料と必ずしも合致しない。
 この世界のことを、傾向は掴めても特定はできない方が先入観をもたなくていいだろう。

 それに歴史的事実の中には現代日本人の感覚に照らすと微妙なものもある。
 ここが19世紀前半ならアレクはもみあげと顎髭を伸ばしていただろう。アレクの襟足につく位長さのある癖のない黒髪は金色の目と対比が綺麗でよく似合ってるが、この髪もきっちり刈り込まれた筈だ。
 ……個人的感覚では、私の世界の歴史とずれてて良かった。

 そして何より。アレクのような褐色の肌、私のような平たいアジア顔の人間に対し、殆ど差別を感じない。街で興味深げに二度見されるけど、今のところ悪意はぶつけられたことはない。
 この街は全体に欧州系の外見で、褐色の肌の人はアレク以外にも稀に見かけるけど、アジア顔は今のところ見たことがない。ホームズに出てくるアフリカ系の人の描写は相当……相当だったので、本当にここは別の世界なのだなと思う。
 旅行でなく腰据えてここに住めば色々差別も見えてくるかもしれないけど。
 私は元の世界では、アジア系を自分一人しか見かけないような街にも行ったことがあるし、その時全く不安を感じなかったけど、それは現代の話。事前情報が全くないこの国ーーそしてこの時代では、同じ人種的マイノリティで、且つ長年ここで暮らしているアレクの存在は心強い。

 ちらり、とアレクを見上げると、アレクは何か誤解したらしく不安げな顔をした。
「俺の格好はハナの世界の感覚では変ですか?」
「いえ全く。あ、流行や文化の違いは感じますけど、そのまま私の世界に行っても格好いいですよ」
「え……あ、すみません。その、そう気を遣わないでいいですよ」
 ?気遣ってお世辞言ってると思われてる?イケメンのくせに。なんかもやっとするので、目を見てスッパリ言ってみる。
「いや本当に。それに、それだけイケメンで長身でスタイルいいから、正直何着ても格好いいですよ」

 本当は、現代のダイバーシティな国際社会では、性別問わず身体的外見のことを言うのは失礼にあたることが多いので避けた方がいいけどね。言った側が褒めたつもりでも本人や本人の文化圏的には苦痛かもしれないのだ。
 あえてそんなリスク負ってギャンブルしなくても話題はほかにいくらでもあるし。持ち物のセンスや能力や言動など内面を誉めるとか、似合うとか笑顔がいいとかはアリだし。
 ちなみに、個人的にはアレクの肌や髪や目の色はとても似合ってて綺麗だと思うのだけど、少なくとも今、そこまで外見のことを言っていいか分かる程近しい関係じゃないので口がムズムズする。
 現代欧米だと色白より小麦色の肌の方がセクシーで人気とか、金目はウルフアイズ(狼の目)と言われ迫害された時代もあるとか、色々ありすぎてデリケートな話題だ。
口が滑ってスタイルの良さは言ってしまった。セクハラ案件だ。ごめん。

「あー……その、ありがとうございます」
 アレクは片手で口許を覆って、眉を八の字にして挙動不審に目を逸らした。不快にさせてしまったかと不安になって覗き込んだら、口角が上がってたから照れているらしい。
 ……本当に、言われ慣れてないんだろうか。この世界では女が男の外見誉めるのははしたなくてタブーとかあるんだろうか。それともこの世界の美醜の感覚って違うんだろうか。……分からん。

 気不味くさせてしまったので責任もって話題を変え、これから行く鍾乳洞の歴史など一通り聞いた頃、目的地にたどり着いた。

 観光地化されたのは20年位だけど、発見されたのは数百年前だそうだ。結構観光客がいて、上流階級らしき人も一般人も多い。
 以前涎垂らして読んだガイドブックを思い出す。中欧辺りには鍾乳洞がいくつもあって、スロベニアの有名な鍾乳洞は19世紀には観光地だった。
 こちらの人も観光を楽しめるゆとりがあるようで嬉しい。そうだよね、旅は人生の輝きだよね!(私見)

 入口を入ると二人乗りのトロッコに乗せられ、係の人が押してくれてレールに沿い奥まで行く。

 狭い部分や広いホールのような場所があり、広大地下空間に圧倒された。
この鍾乳洞は地下水が石灰岩を削り、再結晶化し、約200万年かけて作り上げた空間だそうだ。
 その200万年と平行して、地上では人々や動物や植物や風が、維持と変化を続け営んできた。その互いの時間に思いを馳せる。
 電灯に照らされた様々な形や模様の鍾乳石や、石筍の一つ一つの歴史を思う。

 ーーそう、電灯が使われていた。
「アレク。この街では電灯は普及してるんですか」
「いえ。一般的な家は蝋燭を使っていて、たまにオイルランプを使う位でしょうか。大きなお屋敷だと最先端のガスや電灯を取り入れていることもあります」
 洞窟内は酸素を消費したり煤を出して空気を汚さない灯りにせざるを得ない背景があって電灯なのだろう。

「ハナの国では電灯は普及してますか?ハナの家を照らしてたあの明るい灯りは電灯ですか?」
「あぁ、そう電灯です。灯りだけでなく電気は様々な道具に使われています、例えば先程のトロッコのようなものを人力でなく電気で動かしたりします」
「それは便利ですね」
 アレクは12年前に見た光度の強い灯りを覚えていて、しかも電灯と当たりをつけていたのか。さらにトロッコを電気で動かすことをさらりと受け入れた。本当に聡明な人だ。
 それに私が『なぜなに期』の子供のように色々この世界のことを尋ねるのに対し、簡潔で的確に説明する。沢山本を読んで思考し身につけた蓄積のある人なのだろう。

「はっ……くちゅっ」
「大丈夫ですか?これを」
 くしゃみをした私の肩にアレクがジャケットを掛けてくれた。
「いや、アレクが寒いでしょう」
「俺は別に。紳士服の方が温かいんですよ。地下は年間通して気温が低いですからね。掛けててください」
「でも……」
「風邪を引いたら明日から観光できなくなりますよ。折角の旅行が楽しめなくなります」
「……すみませんお借りします」
 ……アレクは私の扱い方を心得ている。
 大きいジャケットは温度だけでなくとても温かかった。
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