異世界でワーホリ~旅行ガイドブックを作りたい~

小西あまね

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1章

20 明日へ

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2話同時投稿です
**********

 勝手口からアレクが出てきた。
「……大丈夫ですか?ハナ」
 穏やかな声で聞く。『大丈夫』には様々な気遣いが込められているのだろう。
「はぁ。ちょっと一休みしてたとこで、もう大丈夫です」
 私はへにゃりと笑って立ち上がり、『大丈夫』の表層的な意味でだけ答える。それ以外の意味では大丈夫と答えるのは嘘になるからだ。
「そうですか」
 突っ込まないアレクもそれが分かっているのだろう。突っ込んでもお互いどうにもならないことだ。
「アレクは店は大丈夫ですか」
「今客が切れたところです。お茶を淹れますのでどうぞ」

 キッチンには2人掛けの小さなテーブルがあり、ちょっと休んでお茶位できる。
 アレクは腰の高さの鉄製の箪笥のようなものの上に載ったヤカンからポットに湯を注いだ。
 さっきから気になっていたけど、この箪笥擬き、博物館で見た装置じゃないだろうか。思わずガン見する。

「あぁ、これご存じですか」
「見たことがある程度で、実際に使われているのを見るのは初めてです」
 装置のあちこちに目を走らせる私の視線に気付いてアレクが説明する。
「密閉式レンジです。ここに石炭を入れてこの部分の温度を上げます。ここがパンを焼くようなオーブン、ここは鍋を載せます」
 パーツを一つ一つ指してくれる。ガスコンロや竈みたいな火力装置だ。
「この辺りではまだ開放式のレンジを使っている家が多いんですが、先代は食に拘りがある人で。密閉式はずっと燃費がいいし使いやすいです」
 開放式は炎の上に覆いがなく直火加熱を想定したタイプだ。
 レンジに手を翳すと結構放熱を感じる。感心して私も8%位充電できた。石炭は現代では気候危機への対策で全世界で急速に終焉に向かっている。この時代も早くガスや電熱器のレンジの時代に進んでほしい。私でも扱い易いという意味でも。

 少しペースが戻った私を見て、アレクの表情も緩む。お茶を注ぎ一口飲んだ後静かに言った。
「申し訳ありません。こんなことになって」
「いえ、さっきも謝ってもらいましたし、アレクのせいでもありません。こちらこそお世話になります」
「……12年前、助けて頂いてから、ずっと恩を返したいと思っていました。当時は助けてもらうしかできない子供だったけれど、ハナのお陰で立派に育ったところを見せたいとも思いました。
……それが、俺の勝手な気持ちが却って仇になってしまい、何とお詫びしてよいか。俺にできることは何でもします。
ハナが俺を気遣ってくれていることはとてもよく分かるのですが、俺も、奪うだけでなく与える側になりたいんです。力にならせて下さい」

 アレクは深々と頭を下げた。
 その大きな肩幅と筋肉のついた背中に、12年という重みを考える。
 私にとってだけでなく、アレクにとっても今回のことは大きな打撃だったのだと改めて気付いた。
 つい色々遠慮してしまうが、彼の手を拒むことは、彼の否定になるのだ。
 一人で頑張るのではなくありがたく彼の善意や厚意を受け止めよう。それで自分が力をつけて、今度は自分がアレクや誰かに厚意のバトンを渡そう。世界はそう回るのだ。

 優しい味のするハーブティーを飲み息を吐く
「私、こちらに来る直前、今まで勤めていた仕事を辞めたんです。ワーキングホリデーに行こうと思って。
自分の国とは違う国に長期滞在して文化などを理解するために、働きながら学んだり観光したりできる制度です。期限は一年ですが、その人次第で、その後もその国で生きていくための準備期間にしたり、帰国後そのキャリアを生かすこともできます」
 息を吸う。
「この国でそれをやってみるつもりです。
予定外なことは多々あるにしても、前からやりたいと思っていたことです。私は不幸になるつもりはありません。
ワーキングホリデーでは、宿を提供して生活を共にして言葉や文化の違いを教えてくれる、ホストファミリーという現地の方々の力を借りることがあります。アレクはそれに近いことをしてくれていて、ありがたいなと思っています。
これからも、力を貸して頂けたらと思います」
 頭を下げた。


 二人で店へ行き、アレクが棚から見繕ってくれた国語辞典と、読み書きの勉強用の短い本を借りる。
 綴りを覚えるのによさそうだ。

 カランと店の出入口のドアベルを鳴らし中年男性が入ってきた。
「よおアレク!彼女ができたって?息子から聞いたよ」
「違います。彼女は今後しばらくこちらで仕事をされますので、よろしくお願いします。こちらはさっき店番をして貰った子のお父さんで靴職人のロバート」
 バッサリ切って挨拶に切り替えたアレクの流れに従い挨拶する。
「ハナと言います。初めまして」
「そうか、ハナ!アレクはいい男だからよろしくな!」
 アレクは目を眇める。
「ロバート、くれぐれもハナの迷惑になるような妙な噂を流さないで下さいね。先代にもよく叱られていたでしょう」
「なんだ?先代がらみなのか!なんで異国風の婦人がこんな店に来てるのかと不思議だったんだが、そうか、先代の紹介か!あの女傑なら何でもアリだからな!」
「ロバート……」

 もはやカオスだ。
 胡乱な目をしていたら、アレクが疲れた目線で合図して私を部屋に下がらせてくれたので、綴りの勉強をして忘れることにした。しかしその後、それを火種に次々人が押し掛けたらしい。

 夜夕食の席で、アレクは消耗した様子で「何か対外的な設定を考えましょう」と言った。


 ーー先代は隠居先で異国出身の女性に出会い、休職中で困っているとのことなので弟子のアレクに取り急ぎの職と住み家を手配させた。
あくまで先代が目を光らせて采配した状況であり、仮の雇用関係である。

「……アレク。私先代に会ったこともないんですが。先代怒りませんか」
「……先代が決めたと言うと、街の連中は『あぁ、あの先代なら何でもありそうだな』と何となく納得してくれるんですよね……。ロバートみたく」
「……先代ってどういう人だったんですか?」
「素晴らしい人ですが…色々街に伝説を残した人です」

 相当キャラが立っているらしい。
 ご威光をお借りします。会ったこともないのにすみません先代。



*****
 現代日本では昼食を軽め、夕食を一日のメインの食事にすることが多いですが、この時代は少し違いました。
 家長が昼食を家でとれる場合、昼食がメインでディナーと呼び、夕食は軽めでサパーやティーと呼びました。外で勤務している場合は昼食は簡素な弁当など軽めで、夕食をメインにしました。
(大雑把には。勤め先でディナーとティーが出るなど、様々なケースがあります)
 アレクの場合、自宅勤務とはいえ昼間に高価な本のある店を長時間空けなくていように、夕飯をメインにしていると設定しています。
 多分この貸本屋位の規模と収入なら家事使用人を雇うのが当時一般的だったかと思いますが、先代が家事を自分達でやる方針だったということで。
 ご威光をお借りします。すみません先代。
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