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2章
15 一休み~ベリーを摘みに~
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「ハナは今日は予定がありますか」
朝食の席でアレクが言った。
「特別には。いつも通り勉強やガイドブックの検討をするつもりだったけど、今日明日ってものではないから空けられるよ」
「今日は休みで天気もいいですから、以前お約束したようにベリーを摘みに行きませんか」
「あ!是非!」
昨日、アレクはやはりこちらの女性達基準でもいい男でモテるらしいと判明。
といっても『彼から離れて!』と乙女ゲームの記号的な悪役のような人がいる訳ではない。まぁ現実には普通そんな真似しないし、万一そんなおかしな人がいたら虫除けになってでも助けてあげるべき案件だろう。
アレクや彼にこっそり憧れる女性達のために、アレクと距離を置くべきかと悩んで(?)みたのだが……アレクは家と職場が同じな上、ホストファミリーのようにこちらでの生活を教えてもらっているので物理的に難しい。
それに、恋愛脳的なストーリーで一方的に決めつけるのも失礼かーーとぐるぐるした後、考えるのを放棄した。……決して面倒だからではない。熟考の結果である。
いずれにせよ、ベリーの季節は今が旬だ。今教えてもらわないと時期を逃すから行かねば。
◇◆◇◆◇◆
二人で街の南の林へ向かって歩く。
「こうして2人で出掛けるのも少し久しぶりですね」
「生鮮の買い物も今は一人で行けるものね」
初めはアレクに教えてもらいながらだから一緒に買いに行った。
休みの日はともかく平日は2人のどちらかは店番をしなければならない。私が買い物を覚えるまでは、朝の開店前のわずかな時間に一緒に買いに行ったものだ。冷蔵庫がないので生鮮は買い貯めができないのだ。
「今の季節だとスグリやラズベリーが旬です」
「街の他の人は採りに来ないの?」
「来ますよ」
「採り尽くされたりしないの?」
「うーん……あまり重要な食料という訳ではないですし、高く売れるようなものでもないので。俺を育てた先代は果物の栄養を重視する考え方だったので、俺は街の他の人より頻繁に食べる方です」
ビタミンの大切さがまだ知られてない時代だもんなぁ。先代は他国の食文化にも詳しい人だから、独自にそこに行き着いたのだろうか。
「これは赤スグリの木。熟したものだけ、房ごと採ってください」
私の背より低い木が茂みになっていて、手が楽に届く高さに沢山生っている。葡萄のデラウェアをスマートにしたような房に、葡萄より小さな粒の鮮やかな明るい赤。
「生で食べられる?」
「食べられますが酸っぱいですよ」
一粒口に入れる。…これは酸っぱい!とてもビタミンCが豊富そうな味。
「ジャムにしたりデザートにいれたりします。砂糖をかけて生でも食べます。ーーハナの世界にはありませんか?」
「私の国では他の国からの輸入品のジャムはあるけど、生っているのを見たのは初めて。こんな綺麗なんだね」
「綺麗……」
呆けたように言うアレクは身近なせいか実感がないらしい。
「鮮やかな明るい赤も見事だし、未熟な実はマスカットのような爽やかな淡い緑で、熟しかけは真珠のような白。どれも透明感ある色合いで、宝石みたい」
アレクが優しい笑みを浮かべる。
「ハナは本物の宝石よりも赤スグリの実を喜びそうですね」
「いや、宝石も喜ぶけど」
「へえ?」
意外そうな顔をするアレク。失礼な。確かに宝石の見た目には確かにあまり興味ないけど、価値のわからぬ豚に真珠ではございません。
「これが宝石の木なら、採れるだけ採って全部売って、アレクに楽させてあげるよ。今までのお礼も兼ねて。私も貸本屋を出て家借りて独立できるし」
アレクは虚を突かれたような顔をした。冗談の明るい話の筈なのに少し表情が暗い気がするのは何故だろう。
「……なら、宝石じゃなくてよかった」
「なんで?」
「ハナに採り尽くされなくて済むし」
「その通りだね!採り尽くしちゃだめだね」
笑ってみせる。そうだね、野山の木々の実は採り尽くさないのがマナーだね。他の人も鳥や虫も困るし。軽口とはいえマナー違反な発言に引っ掛かったのかもしれない。失敗失敗。
「スモモの時期はもう少し先です。それからリンゴの季節が来ます。今年は終わってしまったエルダーフラワーの花も、来年は一緒に摘んでハーブティーにしましょう」
「沢山楽しみがあるね」
「そう、だからーー宝石なんていらないんですよ。俺に楽させることなんか考えないで下さい」
「そうだね。ベリーで十分」
笑いかけると、アレクもやっと明るく笑った。
それからラズベリーも摘む。
「オレガノとタイムも摘んで、冬のためにドライハーブを作りましょう。ミントは生のままミントティーもいいですね」
アレクは下戸の私が楽しめるようハーブティーのバリエーションを増やしてくれている。先代に沢山教えて貰ったものの、アレクの一人暮らしになってからはあまり種類を作ってなかったそうだ。
ハーブというと私はハーブ畑に生えてるところを想像してしまうので、自生しているのを摘むのは初めてだ。雑草のように他の草に紛れて生えている。ハコベとかナズナみたいなノリで不思議な感じだ。いや、ハーブ畑に生えている方が人工的で、これが自然なのだけど。
「本当に実り豊かな森だね。むこうの赤いのもスグリ?」
「あれはさくらんぼですよ。あれも摘みましょうか」
「え?でも篭が一杯だよ?」
「今ここで食べる分だけ」
「成程!」
木が高いので、これはアレクがとってくれた。褐色の長い指先が、ごく小さな艶やかな赤い実のへたを摘まんでいる。受けとると、私の手の上ではよく見る大きさだった。アレクは大柄なだけあってとても手が大きい。
「ありがとう」
アレクに倣ってそのまま口に入れる。農薬の心配はない。瑞々しい爽やかな甘味が口の中に広がった。初夏の味だ。
お行儀が悪いけど種は森へポイ。木になるか土になるだろう。
現代では基本的に森で何かを採取したり捨てたりできない。人口や環境が違う時代だからこその楽しみ。
座って一休みしながらさくらんぼを食べる。
緑の森の中を初夏の風が吹き抜けて行く。緑と水の匂い。日本や東南アジアのような高温多湿故の緑の気が濃く立ち上るような森も好きだけど、西洋の緯度が高い故の高原のような爽やかさのある、こんな森も好きだ。
アレクの捲った袖から腕の傷が見える。こちらに来る時見せてくれた傷だ。子供の頃のーー恐らく虐待の傷。自分も同じ傷を受けたように腕がうずき思わず自分の腕をこする。
雨の中怯えていた『あの子』が、高い枝のさくらんぼを私に取ってくれる程大きくなって、目の前にいるのが不思議な気がする。あの頃は私の腕で抱き上げて洗面台に載せることもできたのに。
私の視線に気づいたのが、アレクは腕を隠し腕捲りを下ろそうとする。
「気持ち悪いですよね、すみません」
「全然!暑いしそのままで!」
瞳が揺れるアレクに言う。
「ごめんなさい、まじまじ見ちゃって。アレクが子供の頃思い出してた。痛かったろうなとか、助けられなくて悔いが残ったこととか」
「ハナが精一杯のことをしてくれたことは知っています。ハナが悔いることなんかありません。前にも言いましたが、この通り立派に育ちましたし」
「うん、よかった本当に」
しみじみ頷く私をアレクがじっと見下ろして言った
「ーー俺はハナにとって今でも守るべき子供なのでしょうか」
「え」
真っ直ぐな瞳を見つめ返す。
「俺ももう大人です。ハナと逆の立場になれば助けることができる位になりました。ハナは俺に楽させたいと思ってくれるそうですが、俺だってハナに楽させたいです。ーーあぁ、ハナをこちらの世界に閉じ込めてしまったような奴が言うことではないことは分かっているのですが。でもーー」
俯いて頭を掻き回す。
俯くと広い背中が強調される。『あの子』はこの中にいるけれど、そのままではないんだな、と改めて思う。そこからこんなに遠くまで歩いてきたのが今のアレクだ。……もっと、今のアレクを見よう。
「アレクのせいじゃないよ。ごめんなさい、子供扱いしたようなつもりはなかったんだけどーー。今でも十分過ぎる位、頼りにさせてもらってるよ。家も職場も、ベリーの取り方まで」
アレクが眉を下げくしゃりと顔を歪めて笑った。
黒い長めの前髪の間から見える金色の目は相変わらず綺麗だ。
私はアレクをどう思っているのだろう。
アレクの言葉で、改めて考えてみる。
助けきれなかった傷ついた子供。
その上、彼は異世界人の私の世話をする苦労を負ってしまった。相当不憫な気がする。これが神の采配なら神に膝詰めで説教したい。
だから彼の負担を減らしたくて、少しでも早く独立しようと仕事や勉強を頑張っている。苦労が自分だけならここまで焦らない。我ながらエネルギッシュにやってると思う。
ーーそう、ゴールは、彼を私という負担から解放することだ。
ふと胸がきしむ。
この共同生活は半年から一年の期間限定だ。リミットへ向かって日々カウントダウンしている。それを忘れたことはない。
ーー来年は、アレクにさくらんぼを取って貰うことはないだろう。今と同じ季節を、また一緒に過ごすことはないのだ。
けれど、思いがけず楽しくてーー終わりが来るのが寂しくなってしまった。
ーーその独立のリミットは私が決めたんだよな、延ばすのもアリ?とふと頭を過る。
考えてみて首を振る。アレクは負い目を感じている。彼側からは、出て行けなんて言えないだろう。私が言うしかないのだ。
アレクはモテる、という話を思い出す。そう、彼も私のようなお荷物がいると女性と付き合い辛いだろう。
ふと寂しく感じ俯いてしまう。
……リサに言われたこと、後で思い返してじわじわ来た。私とアレクを付き合ってるというか夫婦と思っていたとか。何それ恐れ多すぎる。
彼には幸せになってほしい、と願うだけだ。私では隣に立てないだろうから。確率は低くても帰還の可能性も捨ててないし。
ーーそう、多分、男性としても気になっているのだ。だから無意識にアレクを大人の男性でなく『あの子』と思い込もうとしていたのかもしれない。
しかし負い目を感じている彼にそれを見せるのはルール違反だ。脅迫っぽい何かになりそうで怖すぎる。
あれだけ聡明で思いやり深くて家事万能で若いイケメンだ。選り取りみどりというのに。
重いため息を吐く。
……やっぱ、経済的に自立してないと、気持ちも行動も人生も思う通り動かせなくて不自由だ。自立してたって不自由は沢山あるけど、桁が違う。少なくとも私には超しんどい。当たって砕けることすら自由にできやしない。
まずは独立が目標だ。彼が負い目を感じないような対等な関係になったら、また考えよう。
「重くないですか」
「こっちはハーブだけだから全然。アレクこそベリーの篭重いでしょ」
「この位なら全然」
二人で家路を歩く。林の土の地面がやがて街の石畳に変わり、そこに二人分の影が伸びる。
旅はいつも一期一会。今と同じ瞬間は二度と来ない。それは人生という旅路も同じだ。
カウントダウンの日々の中、毎日を大切に生きる。
こうしてベリーとハーブの篭を抱え、初夏の風を感じながら二人で並んで歩いたことは、いつか懐かしく大切な思い出として思い返すのだろうか。
ベリーは少し生で食べ、残りは冬に備えジャムにした。保存食として作るから砂糖はたっぷり使う。ハーブは小分けにして紐で縛り、風通しのいい日陰に吊るした。
二人で狭い台所に並び、そんな作業をするのもまた楽しかった。
*********
赤スグリはレッドカラント、黒スグリは英語ではブラックカラントでフランス語ではカシスです。ベリー等の生る時期は地域や品種によってずれがあります。作中はモデルの緯度辺りの欧州の一例を使いましたが、同じような地域でも資料によってまちまちで困りました…。
ところでスグリやラズベリーはやや酸性の土壌を好むそうです。この街は「街中と北は石灰岩だけど南の林は断層か何なのか土壌が違って肥えている」という設定なので、土がアルカリ性の北は微妙だけど、南にはこれらが生える土があるということにしています。
ラストのシーンですが……夕日の描写を入れたかったのですが、泣く泣くカット。
ハナは秋の夕方に元の世界を出て、こちらの世界の6月初旬前後の昼頃に現れ、今回エピソードは7月中旬前後と設定しています。
つまり今回は夏至近く。パリやフランクフルトなどヨーロッパの真ん中位の緯度だと日没はPM8:00過ぎたりします……(夏時間ある時代なら9:00過ぎ)。そこまで耐久ベリー摘みするのもどうかと思い、まだ明るいうちの帰宅です。
朝食の席でアレクが言った。
「特別には。いつも通り勉強やガイドブックの検討をするつもりだったけど、今日明日ってものではないから空けられるよ」
「今日は休みで天気もいいですから、以前お約束したようにベリーを摘みに行きませんか」
「あ!是非!」
昨日、アレクはやはりこちらの女性達基準でもいい男でモテるらしいと判明。
といっても『彼から離れて!』と乙女ゲームの記号的な悪役のような人がいる訳ではない。まぁ現実には普通そんな真似しないし、万一そんなおかしな人がいたら虫除けになってでも助けてあげるべき案件だろう。
アレクや彼にこっそり憧れる女性達のために、アレクと距離を置くべきかと悩んで(?)みたのだが……アレクは家と職場が同じな上、ホストファミリーのようにこちらでの生活を教えてもらっているので物理的に難しい。
それに、恋愛脳的なストーリーで一方的に決めつけるのも失礼かーーとぐるぐるした後、考えるのを放棄した。……決して面倒だからではない。熟考の結果である。
いずれにせよ、ベリーの季節は今が旬だ。今教えてもらわないと時期を逃すから行かねば。
◇◆◇◆◇◆
二人で街の南の林へ向かって歩く。
「こうして2人で出掛けるのも少し久しぶりですね」
「生鮮の買い物も今は一人で行けるものね」
初めはアレクに教えてもらいながらだから一緒に買いに行った。
休みの日はともかく平日は2人のどちらかは店番をしなければならない。私が買い物を覚えるまでは、朝の開店前のわずかな時間に一緒に買いに行ったものだ。冷蔵庫がないので生鮮は買い貯めができないのだ。
「今の季節だとスグリやラズベリーが旬です」
「街の他の人は採りに来ないの?」
「来ますよ」
「採り尽くされたりしないの?」
「うーん……あまり重要な食料という訳ではないですし、高く売れるようなものでもないので。俺を育てた先代は果物の栄養を重視する考え方だったので、俺は街の他の人より頻繁に食べる方です」
ビタミンの大切さがまだ知られてない時代だもんなぁ。先代は他国の食文化にも詳しい人だから、独自にそこに行き着いたのだろうか。
「これは赤スグリの木。熟したものだけ、房ごと採ってください」
私の背より低い木が茂みになっていて、手が楽に届く高さに沢山生っている。葡萄のデラウェアをスマートにしたような房に、葡萄より小さな粒の鮮やかな明るい赤。
「生で食べられる?」
「食べられますが酸っぱいですよ」
一粒口に入れる。…これは酸っぱい!とてもビタミンCが豊富そうな味。
「ジャムにしたりデザートにいれたりします。砂糖をかけて生でも食べます。ーーハナの世界にはありませんか?」
「私の国では他の国からの輸入品のジャムはあるけど、生っているのを見たのは初めて。こんな綺麗なんだね」
「綺麗……」
呆けたように言うアレクは身近なせいか実感がないらしい。
「鮮やかな明るい赤も見事だし、未熟な実はマスカットのような爽やかな淡い緑で、熟しかけは真珠のような白。どれも透明感ある色合いで、宝石みたい」
アレクが優しい笑みを浮かべる。
「ハナは本物の宝石よりも赤スグリの実を喜びそうですね」
「いや、宝石も喜ぶけど」
「へえ?」
意外そうな顔をするアレク。失礼な。確かに宝石の見た目には確かにあまり興味ないけど、価値のわからぬ豚に真珠ではございません。
「これが宝石の木なら、採れるだけ採って全部売って、アレクに楽させてあげるよ。今までのお礼も兼ねて。私も貸本屋を出て家借りて独立できるし」
アレクは虚を突かれたような顔をした。冗談の明るい話の筈なのに少し表情が暗い気がするのは何故だろう。
「……なら、宝石じゃなくてよかった」
「なんで?」
「ハナに採り尽くされなくて済むし」
「その通りだね!採り尽くしちゃだめだね」
笑ってみせる。そうだね、野山の木々の実は採り尽くさないのがマナーだね。他の人も鳥や虫も困るし。軽口とはいえマナー違反な発言に引っ掛かったのかもしれない。失敗失敗。
「スモモの時期はもう少し先です。それからリンゴの季節が来ます。今年は終わってしまったエルダーフラワーの花も、来年は一緒に摘んでハーブティーにしましょう」
「沢山楽しみがあるね」
「そう、だからーー宝石なんていらないんですよ。俺に楽させることなんか考えないで下さい」
「そうだね。ベリーで十分」
笑いかけると、アレクもやっと明るく笑った。
それからラズベリーも摘む。
「オレガノとタイムも摘んで、冬のためにドライハーブを作りましょう。ミントは生のままミントティーもいいですね」
アレクは下戸の私が楽しめるようハーブティーのバリエーションを増やしてくれている。先代に沢山教えて貰ったものの、アレクの一人暮らしになってからはあまり種類を作ってなかったそうだ。
ハーブというと私はハーブ畑に生えてるところを想像してしまうので、自生しているのを摘むのは初めてだ。雑草のように他の草に紛れて生えている。ハコベとかナズナみたいなノリで不思議な感じだ。いや、ハーブ畑に生えている方が人工的で、これが自然なのだけど。
「本当に実り豊かな森だね。むこうの赤いのもスグリ?」
「あれはさくらんぼですよ。あれも摘みましょうか」
「え?でも篭が一杯だよ?」
「今ここで食べる分だけ」
「成程!」
木が高いので、これはアレクがとってくれた。褐色の長い指先が、ごく小さな艶やかな赤い実のへたを摘まんでいる。受けとると、私の手の上ではよく見る大きさだった。アレクは大柄なだけあってとても手が大きい。
「ありがとう」
アレクに倣ってそのまま口に入れる。農薬の心配はない。瑞々しい爽やかな甘味が口の中に広がった。初夏の味だ。
お行儀が悪いけど種は森へポイ。木になるか土になるだろう。
現代では基本的に森で何かを採取したり捨てたりできない。人口や環境が違う時代だからこその楽しみ。
座って一休みしながらさくらんぼを食べる。
緑の森の中を初夏の風が吹き抜けて行く。緑と水の匂い。日本や東南アジアのような高温多湿故の緑の気が濃く立ち上るような森も好きだけど、西洋の緯度が高い故の高原のような爽やかさのある、こんな森も好きだ。
アレクの捲った袖から腕の傷が見える。こちらに来る時見せてくれた傷だ。子供の頃のーー恐らく虐待の傷。自分も同じ傷を受けたように腕がうずき思わず自分の腕をこする。
雨の中怯えていた『あの子』が、高い枝のさくらんぼを私に取ってくれる程大きくなって、目の前にいるのが不思議な気がする。あの頃は私の腕で抱き上げて洗面台に載せることもできたのに。
私の視線に気づいたのが、アレクは腕を隠し腕捲りを下ろそうとする。
「気持ち悪いですよね、すみません」
「全然!暑いしそのままで!」
瞳が揺れるアレクに言う。
「ごめんなさい、まじまじ見ちゃって。アレクが子供の頃思い出してた。痛かったろうなとか、助けられなくて悔いが残ったこととか」
「ハナが精一杯のことをしてくれたことは知っています。ハナが悔いることなんかありません。前にも言いましたが、この通り立派に育ちましたし」
「うん、よかった本当に」
しみじみ頷く私をアレクがじっと見下ろして言った
「ーー俺はハナにとって今でも守るべき子供なのでしょうか」
「え」
真っ直ぐな瞳を見つめ返す。
「俺ももう大人です。ハナと逆の立場になれば助けることができる位になりました。ハナは俺に楽させたいと思ってくれるそうですが、俺だってハナに楽させたいです。ーーあぁ、ハナをこちらの世界に閉じ込めてしまったような奴が言うことではないことは分かっているのですが。でもーー」
俯いて頭を掻き回す。
俯くと広い背中が強調される。『あの子』はこの中にいるけれど、そのままではないんだな、と改めて思う。そこからこんなに遠くまで歩いてきたのが今のアレクだ。……もっと、今のアレクを見よう。
「アレクのせいじゃないよ。ごめんなさい、子供扱いしたようなつもりはなかったんだけどーー。今でも十分過ぎる位、頼りにさせてもらってるよ。家も職場も、ベリーの取り方まで」
アレクが眉を下げくしゃりと顔を歪めて笑った。
黒い長めの前髪の間から見える金色の目は相変わらず綺麗だ。
私はアレクをどう思っているのだろう。
アレクの言葉で、改めて考えてみる。
助けきれなかった傷ついた子供。
その上、彼は異世界人の私の世話をする苦労を負ってしまった。相当不憫な気がする。これが神の采配なら神に膝詰めで説教したい。
だから彼の負担を減らしたくて、少しでも早く独立しようと仕事や勉強を頑張っている。苦労が自分だけならここまで焦らない。我ながらエネルギッシュにやってると思う。
ーーそう、ゴールは、彼を私という負担から解放することだ。
ふと胸がきしむ。
この共同生活は半年から一年の期間限定だ。リミットへ向かって日々カウントダウンしている。それを忘れたことはない。
ーー来年は、アレクにさくらんぼを取って貰うことはないだろう。今と同じ季節を、また一緒に過ごすことはないのだ。
けれど、思いがけず楽しくてーー終わりが来るのが寂しくなってしまった。
ーーその独立のリミットは私が決めたんだよな、延ばすのもアリ?とふと頭を過る。
考えてみて首を振る。アレクは負い目を感じている。彼側からは、出て行けなんて言えないだろう。私が言うしかないのだ。
アレクはモテる、という話を思い出す。そう、彼も私のようなお荷物がいると女性と付き合い辛いだろう。
ふと寂しく感じ俯いてしまう。
……リサに言われたこと、後で思い返してじわじわ来た。私とアレクを付き合ってるというか夫婦と思っていたとか。何それ恐れ多すぎる。
彼には幸せになってほしい、と願うだけだ。私では隣に立てないだろうから。確率は低くても帰還の可能性も捨ててないし。
ーーそう、多分、男性としても気になっているのだ。だから無意識にアレクを大人の男性でなく『あの子』と思い込もうとしていたのかもしれない。
しかし負い目を感じている彼にそれを見せるのはルール違反だ。脅迫っぽい何かになりそうで怖すぎる。
あれだけ聡明で思いやり深くて家事万能で若いイケメンだ。選り取りみどりというのに。
重いため息を吐く。
……やっぱ、経済的に自立してないと、気持ちも行動も人生も思う通り動かせなくて不自由だ。自立してたって不自由は沢山あるけど、桁が違う。少なくとも私には超しんどい。当たって砕けることすら自由にできやしない。
まずは独立が目標だ。彼が負い目を感じないような対等な関係になったら、また考えよう。
「重くないですか」
「こっちはハーブだけだから全然。アレクこそベリーの篭重いでしょ」
「この位なら全然」
二人で家路を歩く。林の土の地面がやがて街の石畳に変わり、そこに二人分の影が伸びる。
旅はいつも一期一会。今と同じ瞬間は二度と来ない。それは人生という旅路も同じだ。
カウントダウンの日々の中、毎日を大切に生きる。
こうしてベリーとハーブの篭を抱え、初夏の風を感じながら二人で並んで歩いたことは、いつか懐かしく大切な思い出として思い返すのだろうか。
ベリーは少し生で食べ、残りは冬に備えジャムにした。保存食として作るから砂糖はたっぷり使う。ハーブは小分けにして紐で縛り、風通しのいい日陰に吊るした。
二人で狭い台所に並び、そんな作業をするのもまた楽しかった。
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赤スグリはレッドカラント、黒スグリは英語ではブラックカラントでフランス語ではカシスです。ベリー等の生る時期は地域や品種によってずれがあります。作中はモデルの緯度辺りの欧州の一例を使いましたが、同じような地域でも資料によってまちまちで困りました…。
ところでスグリやラズベリーはやや酸性の土壌を好むそうです。この街は「街中と北は石灰岩だけど南の林は断層か何なのか土壌が違って肥えている」という設定なので、土がアルカリ性の北は微妙だけど、南にはこれらが生える土があるということにしています。
ラストのシーンですが……夕日の描写を入れたかったのですが、泣く泣くカット。
ハナは秋の夕方に元の世界を出て、こちらの世界の6月初旬前後の昼頃に現れ、今回エピソードは7月中旬前後と設定しています。
つまり今回は夏至近く。パリやフランクフルトなどヨーロッパの真ん中位の緯度だと日没はPM8:00過ぎたりします……(夏時間ある時代なら9:00過ぎ)。そこまで耐久ベリー摘みするのもどうかと思い、まだ明るいうちの帰宅です。
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結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
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