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2章
28 暗闇(アレク視点)
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アレクは暗闇の中に座り、手を後頭部にあてた。
瘤はあるが血はでていない。アレクの背が高いせいで、角度の問題であまり強く殴られずに済んだようだ。怪我は大したことないが、不意を衝かれ地下室に閉じ込められてしまった。
「標的はハナか……」
いや、一人づつ分断して、まずはハナ、ということかもしれない。
状況からして、ステファンと男爵はぐるだろう。男爵位の人間が関わっていて、よもやこんな即物的な手口に出るとは思わなかった。まして自分の屋敷でなく一般従業員もいるような施設で。
しかし、理由をつけて従業員は帰してしまったのだろう。この建物で、男爵とステファン以外を見なかった。
アレクはドアに何度か体当たりしてみる。材質は木だが丈夫でびくともしない。石造りの地下室なので声も外へ漏れそうにない。地下への階段を立入禁止にしてしまえば、明日従業員が来ても発見されないだろう。
何より真っ暗だ。窓のない地下室で夜なので、隙間から漏れる微かな光すらない、真の闇だ。
ーー殴られて、真っ暗な中に閉じ込められた状態は、アレクの古い記憶を刺激した。
父に殴られ、納戸に閉じ込められた子供の頃。食事を抜かれ、冬の夜気に毛布すらなく凍え死にかけた。納戸に閉じ込められない日も、毎日が暗く閉ざされたような世界だった。
ーーまるで再現だ、と自嘲する。自分はいくら足掻いても、またこの理不尽な闇に引き戻されるのか、と。
ーーいや。
ハナが、光を見せてくれた。
雷の光のように、暗闇の世界を鮮やかに照らしてくれた。
今は暗闇に見えても、その中には、今いる場所から地続きに未来へ繋がる道がある。
心を落ち着け、手探りでゆっくり部屋を端から順に触っていく。
ほんの僅かな時間だったが、ステファンのランタンの光がドアの隙間から差した時、棚で何かが反射した。あれはーー
「ーーあった」
金属のフレームに囲まれたつるりとしたガラスの感触。ランタンだ。このガラスが光を反射したのだ。
ステファンの言った通り、ここは倉庫で、棚や引き出しには研究所で使う備品の予備が置かれているようだ。ランタンはいくつかあった。
そして、人間の心理として、一緒に使うものは同じ所に仕舞うことが多い。その方が便利だからだ。ペンとインク、洗濯桶と洗濯棒(ドリー)のように。
ランタンの近くの棚や引き出しを慎重に手探りし、目指すものを見つけた。マッチだ。
マッチを擦りランタンに火を移すと、黒一色の世界から現実の形が浮かび上がった。
アレクは生き返ったような気分で、ほうっと息を吐く。
部屋を照らすと、狭い密室であることが分かった。石造りの地下室で、外に通じる換気窓すらない。ランタンを寄せ唯一のドアの鍵を調べたが、鍵は丈夫そうだった。
こうしている間にもハナが危険な目にあっているかもしれない。その焦燥に胃の腑が焼かれる思いだった。
自分が隙を見せなければ。ステファンの手紙をもっと疑えば。そう自分を責めそうになってふるりと首を振り目を瞑る。
アレクもハナも悪くない。悪いのは加害者だ。すり替えさせるな。
ーーアレクはずっと、自分は価値のない者だと思っていた。この世の全てである父がアレクをそう扱ったからだ。
先代の下で過ごす日々のうちに、その感覚は薄れていったけれど、心の奥底に自己肯定感の低さは残った。悪いことが起こると、自分のせいで起こってしまったかのような気がしてしまう。
しかしハナは、口癖のようによく『流石アレク』と言う。
『元々アレクを優れていると認識していたけれど、更に優れていると認識したよ』、という言葉だ。あれほど優秀で完璧で、そして大切な存在であるハナが、そう繰り返すのだ。
それは、アレクに健全な自尊感情を与えた。歪んだスポイルで自己中心の化け物に育てるような意味ではなく、健康的な意味の自己肯定感を与え、アレクを強くした。
大切な人に人間として真っ当に扱われることは、こんなにも人を強くするのか、と思った。
アレクはすうっと目を開く。その目はもう落ち着いていた。
自分は、暗闇の中に見える微かな道を、進んでいける力がある。そう信じることができる。
アレクはドア回りを調べた。鍵は頑丈なので、鍵の周囲の戸板を削りドアと鍵を分離するのが、ドアを開ける最短距離だろうと判断した。
倉庫には丁度いい工具がなかったが、金属片などを使い削り始めた。
ふと思いつき、もう一つランタンを取り、中のオイルに布を浸し、鍵の周囲に塗りつけ火を着けた。
木の材質か地下の湿気のせいか、なかなか燃えないですぐ火が消えてしまうが、削られささくれた部分は比較的燃えやすい。削るのと火をつけるのを繰り返すと、より早くドアが抉れていった。
煙と酸欠で倒れるのが先だろうかと不安もある。コントロールできない火事にするのは危険なので、少しずつしか火を着けず、時に消しながらの作業だったので時間がかかった。
しかし、最後にアレクが体当たりすると、鍵の部分が木枠にぶら下がったままドアが開いた。
やっと部屋の外へ出て、アレクは新鮮な空気を吸い息を吐く。
これからどうするのが最善か?ハナを探しに行く?外へ助けを求める?
仮に、アレクが外へ出て『ハナがまだ中にいる』と助けを求めたらどうだろう。
ーー研究所に警察が来て話を聞く。男爵が答える。『いや、そんな女性は知りません』ーー警察は男爵をそれ以上問い詰めないだろう。
仮に、アレクがこの研究所で火事を起こすなど騒ぎを起こしたらどうだろう。
ーーアレクが一人でいる現状では、勝手に不法侵入し勝手に放火したと言われ、アレクが捕まるだけだ。
男爵に招かれ監禁されたと言っても、男爵が知らないと言えばそれが通るだろう。招待状という証拠もあるが、あれはステファンからで男爵のサインはないのだ。いくらでも言い抜けできる。
騒ぎで建物の中に人が入り、ひょっとしたらハナも発見され助け出せるかもしれない。しかし、既にかなり時間が経っている。別の所に移されていたら終わりだ。
ーーハナを探そう。
合流するか、もし捕まっているなら助け出す。
ランタンとマッチは拝借していくことにする。火は今は着けない。
アレクが脱出に成功し、『敵地』の懐にフリーでいることがまだ気付かれていないのは、こちらのチームのアドバンテージだ。居場所を知られない方がいい。
幸い地上階は窓から月明かりが入るので、廊下を歩く位なら問題ない。
アレクは夜目が利く。
あまり明るくない灯りで暮らすのに慣れているせいもあるが、目の光彩の色が薄いと、濃い色の光彩より弱い光で物を見ることができるのだ、とハナは言った。
押し潰されるような暗闇の中、微かな光に照らされた廊下が見える。ハナへ、未来へ続く道だ。
アレクは金色の目で前を見据え、足音を立てないように走り出した。
瘤はあるが血はでていない。アレクの背が高いせいで、角度の問題であまり強く殴られずに済んだようだ。怪我は大したことないが、不意を衝かれ地下室に閉じ込められてしまった。
「標的はハナか……」
いや、一人づつ分断して、まずはハナ、ということかもしれない。
状況からして、ステファンと男爵はぐるだろう。男爵位の人間が関わっていて、よもやこんな即物的な手口に出るとは思わなかった。まして自分の屋敷でなく一般従業員もいるような施設で。
しかし、理由をつけて従業員は帰してしまったのだろう。この建物で、男爵とステファン以外を見なかった。
アレクはドアに何度か体当たりしてみる。材質は木だが丈夫でびくともしない。石造りの地下室なので声も外へ漏れそうにない。地下への階段を立入禁止にしてしまえば、明日従業員が来ても発見されないだろう。
何より真っ暗だ。窓のない地下室で夜なので、隙間から漏れる微かな光すらない、真の闇だ。
ーー殴られて、真っ暗な中に閉じ込められた状態は、アレクの古い記憶を刺激した。
父に殴られ、納戸に閉じ込められた子供の頃。食事を抜かれ、冬の夜気に毛布すらなく凍え死にかけた。納戸に閉じ込められない日も、毎日が暗く閉ざされたような世界だった。
ーーまるで再現だ、と自嘲する。自分はいくら足掻いても、またこの理不尽な闇に引き戻されるのか、と。
ーーいや。
ハナが、光を見せてくれた。
雷の光のように、暗闇の世界を鮮やかに照らしてくれた。
今は暗闇に見えても、その中には、今いる場所から地続きに未来へ繋がる道がある。
心を落ち着け、手探りでゆっくり部屋を端から順に触っていく。
ほんの僅かな時間だったが、ステファンのランタンの光がドアの隙間から差した時、棚で何かが反射した。あれはーー
「ーーあった」
金属のフレームに囲まれたつるりとしたガラスの感触。ランタンだ。このガラスが光を反射したのだ。
ステファンの言った通り、ここは倉庫で、棚や引き出しには研究所で使う備品の予備が置かれているようだ。ランタンはいくつかあった。
そして、人間の心理として、一緒に使うものは同じ所に仕舞うことが多い。その方が便利だからだ。ペンとインク、洗濯桶と洗濯棒(ドリー)のように。
ランタンの近くの棚や引き出しを慎重に手探りし、目指すものを見つけた。マッチだ。
マッチを擦りランタンに火を移すと、黒一色の世界から現実の形が浮かび上がった。
アレクは生き返ったような気分で、ほうっと息を吐く。
部屋を照らすと、狭い密室であることが分かった。石造りの地下室で、外に通じる換気窓すらない。ランタンを寄せ唯一のドアの鍵を調べたが、鍵は丈夫そうだった。
こうしている間にもハナが危険な目にあっているかもしれない。その焦燥に胃の腑が焼かれる思いだった。
自分が隙を見せなければ。ステファンの手紙をもっと疑えば。そう自分を責めそうになってふるりと首を振り目を瞑る。
アレクもハナも悪くない。悪いのは加害者だ。すり替えさせるな。
ーーアレクはずっと、自分は価値のない者だと思っていた。この世の全てである父がアレクをそう扱ったからだ。
先代の下で過ごす日々のうちに、その感覚は薄れていったけれど、心の奥底に自己肯定感の低さは残った。悪いことが起こると、自分のせいで起こってしまったかのような気がしてしまう。
しかしハナは、口癖のようによく『流石アレク』と言う。
『元々アレクを優れていると認識していたけれど、更に優れていると認識したよ』、という言葉だ。あれほど優秀で完璧で、そして大切な存在であるハナが、そう繰り返すのだ。
それは、アレクに健全な自尊感情を与えた。歪んだスポイルで自己中心の化け物に育てるような意味ではなく、健康的な意味の自己肯定感を与え、アレクを強くした。
大切な人に人間として真っ当に扱われることは、こんなにも人を強くするのか、と思った。
アレクはすうっと目を開く。その目はもう落ち着いていた。
自分は、暗闇の中に見える微かな道を、進んでいける力がある。そう信じることができる。
アレクはドア回りを調べた。鍵は頑丈なので、鍵の周囲の戸板を削りドアと鍵を分離するのが、ドアを開ける最短距離だろうと判断した。
倉庫には丁度いい工具がなかったが、金属片などを使い削り始めた。
ふと思いつき、もう一つランタンを取り、中のオイルに布を浸し、鍵の周囲に塗りつけ火を着けた。
木の材質か地下の湿気のせいか、なかなか燃えないですぐ火が消えてしまうが、削られささくれた部分は比較的燃えやすい。削るのと火をつけるのを繰り返すと、より早くドアが抉れていった。
煙と酸欠で倒れるのが先だろうかと不安もある。コントロールできない火事にするのは危険なので、少しずつしか火を着けず、時に消しながらの作業だったので時間がかかった。
しかし、最後にアレクが体当たりすると、鍵の部分が木枠にぶら下がったままドアが開いた。
やっと部屋の外へ出て、アレクは新鮮な空気を吸い息を吐く。
これからどうするのが最善か?ハナを探しに行く?外へ助けを求める?
仮に、アレクが外へ出て『ハナがまだ中にいる』と助けを求めたらどうだろう。
ーー研究所に警察が来て話を聞く。男爵が答える。『いや、そんな女性は知りません』ーー警察は男爵をそれ以上問い詰めないだろう。
仮に、アレクがこの研究所で火事を起こすなど騒ぎを起こしたらどうだろう。
ーーアレクが一人でいる現状では、勝手に不法侵入し勝手に放火したと言われ、アレクが捕まるだけだ。
男爵に招かれ監禁されたと言っても、男爵が知らないと言えばそれが通るだろう。招待状という証拠もあるが、あれはステファンからで男爵のサインはないのだ。いくらでも言い抜けできる。
騒ぎで建物の中に人が入り、ひょっとしたらハナも発見され助け出せるかもしれない。しかし、既にかなり時間が経っている。別の所に移されていたら終わりだ。
ーーハナを探そう。
合流するか、もし捕まっているなら助け出す。
ランタンとマッチは拝借していくことにする。火は今は着けない。
アレクが脱出に成功し、『敵地』の懐にフリーでいることがまだ気付かれていないのは、こちらのチームのアドバンテージだ。居場所を知られない方がいい。
幸い地上階は窓から月明かりが入るので、廊下を歩く位なら問題ない。
アレクは夜目が利く。
あまり明るくない灯りで暮らすのに慣れているせいもあるが、目の光彩の色が薄いと、濃い色の光彩より弱い光で物を見ることができるのだ、とハナは言った。
押し潰されるような暗闇の中、微かな光に照らされた廊下が見える。ハナへ、未来へ続く道だ。
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