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2章
29 真相
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「ステファン。君の物言いは、あまりご婦人との会話には向いていないようだ」
デイヴィス男爵が言う。穏やかな話し方だが、言ってる内容は傲慢だ。ステファンは不満そうに黙り込んだ。
「少々話をしよう」
男爵は私に微笑みかけた。仮面のような笑みだった。
「ジョンと我々は、2つの世界を行き来する方法を探している」
先程の、物理学にかける崇高なビジョンより即物的な話だ。
「あちらの世界に侵攻して植民地にするとか?」
私は可愛らしくにっこり笑って皮肉ってみる。
女と見下して『愚かな子供のご機嫌とりモード』に入ったおっさんは相手にしても時間の無駄だ。何でも俺妄想で上書きしてしか認識できないので、話が通じないのだ。
嫌われ気味にしといた方が話が早い。これは社会人になって覚えたスキル。怒らせると本音を引き出しやすい、とも言う。
デイヴィス男爵は眉をピクリとさせた。
「植民地なんて野蛮なことは考えていないよ。倫理どうこうを抜きにしても、我々はただの一個人で、軍隊を持っている訳じゃないからね。それに、投資した資本を回収する前に新大陸のように独立されたら丸損だ。
でも資源、技術、あるいは……人。それを『何らかの形で』こちらに持ってくればーーあるいは有用な取引相手を向こうで見つけて『貿易』をすれば、巨万の富を生むビジネスになる。まあーー君には分からないだろうが」
いや、ロクデナシがよく言う台詞ですね、分かります。
こんな人物の言う『何らかの形で』『貿易』は、一般常識では犯罪とか下衆とか呼ばれる類いのものだろう。賭けてもいい。
男爵は、ステファンを視線で示した。
「彼はジョンの研究の基盤となる研究をしていた一人だよ。12年前、24時間程だったが、協力者の人間を行き来させることに初めて成功した優秀な研究者だ」
12年前。その数字に心当たりがあった。
「その『協力者』って、買ってきた子供?」
「何か誤解があるようだ。保護者にきちんと説明して、正当な対価を払って協力を得た」
ふざけるな。それが人身売買だ。そして、その子供はアレクだ。
こいつが……子供のアレクを買い、実験に使った奴等の一人。どこにでもいそうな、嫌な目付きの冴えない中年男。
私は怒りを込めた視線でステファンを刺す。
「しかし実験の直後、彼らの『会社』は警察に踏み込まれ解体されてしまい、彼も3年程前まで刑務所暮らしだった。
ジョンは警察の依頼を受け、彼らの施設に残った研究を研究者の立場から解析していたがーーこの研究に執着した。既に警察が忘れ去った後も。
私へビジネスを持ちかけ、研究資金や伝を得、近年出所したステファンに接触して失われた研究を補った」
覆いをかけたランタンの灯りは暗い。部屋の殆どは闇に沈んでいる。
「ジョンは野心家だった。自分は優れた研究者と信じ、高く評価されなければ我慢ならない男だった。
そのために横からかすめとったり、一発逆転に飛び付くことにも熱心だった。少々えげつない真似をしても、結果的に握り潰せるだけの力さえあれば何とでもなるという考え方だった」
胸が悪くなってきた。男爵の言い分を鵜呑みにはしない。しかし、私のジョンのイメージにも合致する。
「ジョンが私を出し抜こうとしていることは気付いていた。だから気を付けてはいたのだが……あの火事は予想外だった。恐らくジョンにとっても。
『アンカー』は焼失し、ジョンは行方不明。八方塞がりだ。それでこうして接触を持たせていただくことにした」
デイヴィス男爵は私を振り返り、視線で私を射抜いた。
「君は、ジョンが隠した『アンカー』がどこにあるか知っているんだろう?」
コチコチと壁にかかった時計が刻む音が響く。
『アンカー』?
ジョンが隠した?
何故私がそれを隠したと思っている?
ーー情報が足りない。
ギブソン夫人は、デイヴィス男爵が質の悪い男達と接触して探し物をしていると言っていた。
その男達の一人は前科持ちであるステファン、その他はーーステファンと接触するために関わった周囲の破落戸か、探す人手か。
そして探し物はーー『アンカー』か。
『アンカー』……
初めてこちらの世界と接触をもった日の、ジョンの説明を思い出す。
この世界と私の世界、2つの世界は分かれて存在している。しかし稀に一方からもう一方へ移動した物体が存在する。
それが2つの世界を結びつけるのだと。
ーー「2つの世界は独立していますが、こうして移動した物体が相手方にあると、その物体の位置で空間と時間が一時的に癒着します。この物体を私達は『アンカー(錨)』と呼んでいます。互いに揺れ動く2つの世界を一ヶ所で結びつけるので」
ーー「具体的なアンカーの一つはこれです。貴女が彼に貸したシャツ。貴女の世界のものです。貴女の世界でシャツが消失した『空孔』とこのシャツ本体が引き合い世界を結びつけています」
物体の本体と『空孔』で1セットの『アンカー』。
こちらの世界に渡った、あちらの世界の私のシャツ。
あちらの世界に渡ったままの、こちらの世界の子供の頃のアレクの服。
この2セットのアンカーがあるため、2つの世界の時間と空間のうち『この辺り』が強く結び付いた状態にあるーージョンはそう言っていた。
「アンカーは3つある」
デイヴィス男爵は言った。2つではないのか?
「1つ目は、ステファン達の実験の協力者が向こうの世界に置いてきたこちらの服。
2つ目は、その協力者がこちらに持ってきた向こうの服。
この2つで世界を強固に癒着させたのを足掛かりに、ジャンは3つ目のより強い『アンカー』を作った。それで、より安全に2つの世界を渡れるようにした」
デイヴィス男爵は私の方へ歩いてきて、私の顔を覗き込んで言った。
「君だよ、ハナ。君が観測史上最も大きい『アンカー』だ。
私達はーージョンは、この『アンカー』を作るために、お前をこちらへ呼んだんだ」
歪んだ笑みを浮かべるディヴィス男爵。
背筋に鳥肌が立った。
私は向こうの世界からこちらへ来た。
向こうの世界には私が抜けた『空孔』がある。
ジョンは、呼んだ私という人間そのものには殆ど興味を示さず、私が移動した時の観測結果に夢中だった。
2つの世界を繋ぐ『アンカー(錨)』にするために、私は命を懸け世界を渡らされたのだ。人としてでなく道具として使われた。ーーそうと知らされずに。
「ジョンは、研究所が責任を持って、私を4泊5日で元の世界へ帰すと言ったけれど、その時からあなた達は約束を守る気はなかったってことね?」
「そうとは言っていない」
デイヴィス男爵は卑劣さを指摘されてプライドが傷ついたのか、不機嫌そうに言った。
「その数日の間に別のもっと強力なアンカーが得られるかもしれないし、実験で画期的な発見があって用済みになるかもしれない。そうしたら、帰してやったかもしれない」
それは普通、約束を守る気はなかったと言うだろう。
「火事は、ジョンがやったの?わざと?」
「火事を出して得はねぇよ。一年がかりで作った実験装置がパァだ。あいつだって、その損失の大きさは分かってた筈だ。何か失敗したんだよ」
ステファンが吐き捨てた。
「だが、火事の時、ジョンは研究所にいた。あんたをこちらに連れてきたあの装置の再調整は火事の日の昼間に終わっていた。その後夜一人で実験室に残って何か実験をしていたんだ。守衛の証言から間違いない」
「じゃあジョンは……」
火事で焼死したのか。
「死んでるだろうな。でも火事場に死体はなかった」
骨すら焼け残らない程高温で燃えたのだろうか。
「あいつはあんたの世界に跳んだんだ。あんたが抜けた『空孔』めざして。
あいつは元々、自分があちらに行くために、あちらに自分が入り込むための孔を空けるために、あんたをこちらへ呼んだんだ」
デイヴィス男爵が言う。穏やかな話し方だが、言ってる内容は傲慢だ。ステファンは不満そうに黙り込んだ。
「少々話をしよう」
男爵は私に微笑みかけた。仮面のような笑みだった。
「ジョンと我々は、2つの世界を行き来する方法を探している」
先程の、物理学にかける崇高なビジョンより即物的な話だ。
「あちらの世界に侵攻して植民地にするとか?」
私は可愛らしくにっこり笑って皮肉ってみる。
女と見下して『愚かな子供のご機嫌とりモード』に入ったおっさんは相手にしても時間の無駄だ。何でも俺妄想で上書きしてしか認識できないので、話が通じないのだ。
嫌われ気味にしといた方が話が早い。これは社会人になって覚えたスキル。怒らせると本音を引き出しやすい、とも言う。
デイヴィス男爵は眉をピクリとさせた。
「植民地なんて野蛮なことは考えていないよ。倫理どうこうを抜きにしても、我々はただの一個人で、軍隊を持っている訳じゃないからね。それに、投資した資本を回収する前に新大陸のように独立されたら丸損だ。
でも資源、技術、あるいは……人。それを『何らかの形で』こちらに持ってくればーーあるいは有用な取引相手を向こうで見つけて『貿易』をすれば、巨万の富を生むビジネスになる。まあーー君には分からないだろうが」
いや、ロクデナシがよく言う台詞ですね、分かります。
こんな人物の言う『何らかの形で』『貿易』は、一般常識では犯罪とか下衆とか呼ばれる類いのものだろう。賭けてもいい。
男爵は、ステファンを視線で示した。
「彼はジョンの研究の基盤となる研究をしていた一人だよ。12年前、24時間程だったが、協力者の人間を行き来させることに初めて成功した優秀な研究者だ」
12年前。その数字に心当たりがあった。
「その『協力者』って、買ってきた子供?」
「何か誤解があるようだ。保護者にきちんと説明して、正当な対価を払って協力を得た」
ふざけるな。それが人身売買だ。そして、その子供はアレクだ。
こいつが……子供のアレクを買い、実験に使った奴等の一人。どこにでもいそうな、嫌な目付きの冴えない中年男。
私は怒りを込めた視線でステファンを刺す。
「しかし実験の直後、彼らの『会社』は警察に踏み込まれ解体されてしまい、彼も3年程前まで刑務所暮らしだった。
ジョンは警察の依頼を受け、彼らの施設に残った研究を研究者の立場から解析していたがーーこの研究に執着した。既に警察が忘れ去った後も。
私へビジネスを持ちかけ、研究資金や伝を得、近年出所したステファンに接触して失われた研究を補った」
覆いをかけたランタンの灯りは暗い。部屋の殆どは闇に沈んでいる。
「ジョンは野心家だった。自分は優れた研究者と信じ、高く評価されなければ我慢ならない男だった。
そのために横からかすめとったり、一発逆転に飛び付くことにも熱心だった。少々えげつない真似をしても、結果的に握り潰せるだけの力さえあれば何とでもなるという考え方だった」
胸が悪くなってきた。男爵の言い分を鵜呑みにはしない。しかし、私のジョンのイメージにも合致する。
「ジョンが私を出し抜こうとしていることは気付いていた。だから気を付けてはいたのだが……あの火事は予想外だった。恐らくジョンにとっても。
『アンカー』は焼失し、ジョンは行方不明。八方塞がりだ。それでこうして接触を持たせていただくことにした」
デイヴィス男爵は私を振り返り、視線で私を射抜いた。
「君は、ジョンが隠した『アンカー』がどこにあるか知っているんだろう?」
コチコチと壁にかかった時計が刻む音が響く。
『アンカー』?
ジョンが隠した?
何故私がそれを隠したと思っている?
ーー情報が足りない。
ギブソン夫人は、デイヴィス男爵が質の悪い男達と接触して探し物をしていると言っていた。
その男達の一人は前科持ちであるステファン、その他はーーステファンと接触するために関わった周囲の破落戸か、探す人手か。
そして探し物はーー『アンカー』か。
『アンカー』……
初めてこちらの世界と接触をもった日の、ジョンの説明を思い出す。
この世界と私の世界、2つの世界は分かれて存在している。しかし稀に一方からもう一方へ移動した物体が存在する。
それが2つの世界を結びつけるのだと。
ーー「2つの世界は独立していますが、こうして移動した物体が相手方にあると、その物体の位置で空間と時間が一時的に癒着します。この物体を私達は『アンカー(錨)』と呼んでいます。互いに揺れ動く2つの世界を一ヶ所で結びつけるので」
ーー「具体的なアンカーの一つはこれです。貴女が彼に貸したシャツ。貴女の世界のものです。貴女の世界でシャツが消失した『空孔』とこのシャツ本体が引き合い世界を結びつけています」
物体の本体と『空孔』で1セットの『アンカー』。
こちらの世界に渡った、あちらの世界の私のシャツ。
あちらの世界に渡ったままの、こちらの世界の子供の頃のアレクの服。
この2セットのアンカーがあるため、2つの世界の時間と空間のうち『この辺り』が強く結び付いた状態にあるーージョンはそう言っていた。
「アンカーは3つある」
デイヴィス男爵は言った。2つではないのか?
「1つ目は、ステファン達の実験の協力者が向こうの世界に置いてきたこちらの服。
2つ目は、その協力者がこちらに持ってきた向こうの服。
この2つで世界を強固に癒着させたのを足掛かりに、ジャンは3つ目のより強い『アンカー』を作った。それで、より安全に2つの世界を渡れるようにした」
デイヴィス男爵は私の方へ歩いてきて、私の顔を覗き込んで言った。
「君だよ、ハナ。君が観測史上最も大きい『アンカー』だ。
私達はーージョンは、この『アンカー』を作るために、お前をこちらへ呼んだんだ」
歪んだ笑みを浮かべるディヴィス男爵。
背筋に鳥肌が立った。
私は向こうの世界からこちらへ来た。
向こうの世界には私が抜けた『空孔』がある。
ジョンは、呼んだ私という人間そのものには殆ど興味を示さず、私が移動した時の観測結果に夢中だった。
2つの世界を繋ぐ『アンカー(錨)』にするために、私は命を懸け世界を渡らされたのだ。人としてでなく道具として使われた。ーーそうと知らされずに。
「ジョンは、研究所が責任を持って、私を4泊5日で元の世界へ帰すと言ったけれど、その時からあなた達は約束を守る気はなかったってことね?」
「そうとは言っていない」
デイヴィス男爵は卑劣さを指摘されてプライドが傷ついたのか、不機嫌そうに言った。
「その数日の間に別のもっと強力なアンカーが得られるかもしれないし、実験で画期的な発見があって用済みになるかもしれない。そうしたら、帰してやったかもしれない」
それは普通、約束を守る気はなかったと言うだろう。
「火事は、ジョンがやったの?わざと?」
「火事を出して得はねぇよ。一年がかりで作った実験装置がパァだ。あいつだって、その損失の大きさは分かってた筈だ。何か失敗したんだよ」
ステファンが吐き捨てた。
「だが、火事の時、ジョンは研究所にいた。あんたをこちらに連れてきたあの装置の再調整は火事の日の昼間に終わっていた。その後夜一人で実験室に残って何か実験をしていたんだ。守衛の証言から間違いない」
「じゃあジョンは……」
火事で焼死したのか。
「死んでるだろうな。でも火事場に死体はなかった」
骨すら焼け残らない程高温で燃えたのだろうか。
「あいつはあんたの世界に跳んだんだ。あんたが抜けた『空孔』めざして。
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