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2章
32 事後処理
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予想通りというか、男爵の断罪は難航した。
私の怪我が、蹴られた顔の腫れやガラスで切った手のスプラッタという派手なもので、男爵側の非(直接やったのはステファンだが)を示す見た目で分かりやすい証拠となったこと、現行犯で警官も現場を見ていることがこちらの有力な力になった。
しかし男爵は爵位持ちでこちらは平民だ。
更に、私とアレクが研究所に招かれた理由について、私達も男爵も明言を避けたのが警察の心証を悪くした。
ステファンは『あの女が異世界人だから』と正しく主張したのだが、顧みられることはなかった。まぁ、そうだろうな。
やがて男爵は、『悪どい商売をしている男が、噂の通りのあばずれ女に男爵を誘惑させてきた。迷惑だったので問い質そうと呼び出したら暴れだした』と主張し出した。
開いた口が塞がらない。そして内容もオヤジ妄想が気持ち悪過ぎる。
しかしそういうキモ妄想を夢見る勘違いオヤジ達辺りの層が、それを支持し煽り立てるような気持ち悪い記事を世間に振り撒き出した。
私もアレクも、筋の通った思考を組み立て、理性的に判断したり議論したりすることには慣れている。
しかしこういう、『自分の妄想を強弁した者勝ち』とか『仲間のブラックボックスの中で握りつぶした者勝ち』いう、知性の欠片もない幼稚なクラスタは苦手だ。というか得意になりたくもない。
でも、泣き寝入りする気だけはなかったので、対抗策を相談していたところ、思いもかけない所から援護射撃が入った。
雑誌の投稿欄に、伯爵令嬢の方の投稿が載ったのだ。
「私は、今、理不尽な中傷に苦しめられている二人に直接会ったことがある。私が散策道で足をくじいて困っていた時に通りがかり助けてくれた。
逞しいご夫君が抱き上げ私の使用人のいる所まで運んでくれ、快活なご夫人は私の気が紛れるようずっと楽しい話をしてくれた。
道に他に人はなく、悪事をすることもできた筈だがそんなことは一切なく、周囲に善行を見せつけるためでもなかった。当たり前のことをしただけだ、家の方と会えてよかった、と微笑み、名前も名乗らず去って行かれた。
こうした高潔な魂を持ち利他的な行為をすることは本来、私達貴族や中流階級の義務であり、弱者へ施すものとされる。
しかしお二人は平民である。また、ご夫君は肌の色が濃く、ご夫人は東方の顔立ちをしていていた。正直、恥ずべき我が国の現状として、生きていく上でご苦労があったかもしれないと推測する。
それでも、このような清廉な行為を当たり前に行ったのだ。称賛に値する人々である。
だから私は、一部新聞や噂にある彼らへの中傷を、全く信じることができない。
一方、男爵はどうだろう。彼の主張を記事で読み、同じ貴族として恥ずかしく思った。
彼の主張は全くのでたらめだ。あの夫妻は、互いを思い遣り尊重し、仲睦まじく、私はこのような夫婦が理想であると憧れすら持った。
あの夫妻が男爵を誘惑し陥れるなどする訳がない。むしろ、男爵がご夫人に横恋慕して言い寄り、ご夫君に苦言を呈されていたと聞いた方が納得するだろう。
貧富も肌の色も出身の国も関係なく、誠実で真っ当に生きる人が報われる世の中であることを私を望む。そして、そのように望む人達がこの国を素晴らしい国へしていくと信じている」
ーー読んですぐ分かった。この投稿者は、取材で温泉街へ行った時に散策道で出会った少女だ。伯爵令嬢だったのか。
私達は名乗らなかったが、私もアレクも珍しい外見だ。新聞に特徴が載ればもしやと気付くし、調べればすぐ特定できるだろう。
あの少女が、私達の潔白を信じてくれた。あんな僅かな出会いだったのに。更に、私達のために行動してくれた。
そしてこんな清廉に誠実に物を考え行動する人がこの世にいてくれること自体が、心に染み入るほど嬉しかった。汚泥のようにドロドロした輩の相手をしていて息が詰まるようだった時だから尚更、清涼な風を浴びて心が洗われ安らいだ。最後の文は、私も共感し涙が滲んだ。
後半の、私達が睦まじい夫婦とか、男爵が横恋慕とかの下りはさておき。
この記事を手紙で教えてくれたのは、私が何度かコラムを書いた雑誌の担当編集者だった。
この伯爵令嬢は内気な方で、それでも居てもたってもいられず、親族だが平民のしっかり者の伯母に相談した。そして伯母のアドバイスを受け、自分の言葉でこの文を綴り投稿した。
令嬢は、自分にこんな行動をする力があるとは思わなかった、壁が崩れて世界が広くなったように感じると言っていたそうだ。
手紙をくれた編集者の方は、ここ暫く会社の方針で私へ仕事を回せなくなっていたことを、ずっと気にしてくれていたらしい。
社の意見を動かせるか約束はできないけれど、自分としてはまた執筆をお願いしたいと思っている、と書き添えてくれた。
この投稿を皮切りに、男爵がこれまであちこちで行っていた『限りなく黒に近いグレー』の仕事の数々がマスコミに取り上げられ出した。
少なくともその一部は、ギブソン夫人がマスコミに教えて私達の援護射撃をしてくれたのだと私は思っている。
マスコミも、以前からそうした情報は入手しつつも、男爵を向こうに回すことに躊躇っていたが、投稿記事を切っ掛けに形勢逆転と見て動き出したということのようだ。
そして何故か『男爵が私に横恋慕説』が暴走しだしてしまった。伯爵令嬢は単に怒りを込めて例えで挙げただけだった筈だが、世間ではいつの間にか話に尾ひれ胸びれがついた。
『清貧の睦まじい恋人同士を引き裂く悪の権力者』的な悲恋物のストーリーがあちこちで盛り上がり、最早何でもあり。噂の当人としては『誰?それ』である。
曰く。
ーー男爵が強引に女性に迫ったため、その恋人の男性は研究所に何度も出向き苦言を伝えていた。しかし男爵は歪んだ執着を向け、二人の店の中傷を流し苦しめた。そして先日ついに二人を呼び出し、男性を殴り監禁し女性を手に入れようとしたが、窮地で恋人が助けに入るとともに、二人の理解者の友人が一肌脱ぎ救援に駆け付け、男爵は捕まった。愛は勝つ!
……誰、それ。
しかし端々で妙に事実と合致してるので、信憑性があると言われ広まってしまった。ちなみにバリエーションは沢山あるらしい。
私達や男爵が、研究所に呼ばれた理由を明確にしなかったのは、このデリケートな話に触れられたくなかったからだそうだ。
デリケートと思うなら勝手に盛り上がらないでくれ……本当にデリケートなことだったら可哀想だろう。私達の場合は最早笑い話だが。
男爵は親族から圧力を受け、異様な早さで爵位を弟へ譲ることが決まった。
親族は男爵の悪事や醜聞で多大な被害を被り、その後始末に奔走した。その一環で、私達には多額の慰謝料が支払われた。
私達への誠意というより醜聞対策であるのが引っ掛かるが、それでも親族から私達への謝罪も添えられ、警察も男爵の罪を認めた。一応、社会的に私達の名誉は回復された。
爵位のせいか懲役などの刑事罰を下すのは難しいらしく、その点は悔しくてならない。重要だね、法整備。
けれど親族は男爵に対し強い怒りを持っており、警察以上に厳しい姿勢を崩さないそうだ。平民の規範となるべき貴族の誇りを傷つけた、という意味でも男爵家のみならず社交界の逆鱗に触れたらしい。
彼の資産は方々への慰謝料や賠償や損害を受けた親族への補てんで全て消え、今後親族の援助なしで平民として身一つで生きることになるそうだ。
今後犯罪を犯せば平民として普通に刑事罰を受けるし、親族も彼より親族を守るため目を光らせ、問題があれば彼を切り捨てる。
だから今後、私達が男爵に脅かされることはない。親族からの代理人は私達にそう語った。
私としては、あんなクズ男なら、プライドに合わない平民の生活にはすぐ音を上げ、つまらないことに手を出して刑務所行きだろうなと思っている。
ちなみに言うまでもないが、ステファンは刑務所に逆戻りである。
そして、身元不明遺体の記録の中にジョンが見つかったと連絡が入った。火事から1ヶ月近く経った頃に、亡くなったばかりで且つ良いとは言えない状態で街外れで発見されたため、なかなかジョンと結びつけられなかったそうだ。
警察は、火事で身を隠して暫く後にトラブルに逢ったと考えている。
しかし私は、ジョンが世界を飛び越えようとして弾かれた時、着地する時間や場所がずれてしまったのではないかと考えている。12年は宇宙にとって誤差範囲とジョンは言っていた。
しかし本当のところは分からない。
一時減少した店やガイドブックの売り上げは、元通りどころか跳ね上がった。
……炎上商法的な効果だろうか。私達としては、過大でも過小でもなく、真っ当に評価されたり誰かに喜ばれることが一番嬉しいのだが、以前の悪い噂の残り火を消すのに役立ってくれた。
そして、酷い目にあった私達を応援したいと、貸本の年間会員になったりガイドブックを買ってくれた人もいて、そのお気持ちが何よりありがたかった。そうやって手にした本が、皆さんにとっても楽しい世界への入口になってくれると嬉しい。
◇◆◇◆◇◆
アレクは頭を殴られたので心配したが、ずっと経過観察して問題はなかったのでほっとした。
私の怪我は、顔と手の傷どちらも神経や健は無事で後遺症もない。
特に顔の傷はアレクがずっと気にしていたが、『見た目の傷は割とどうでもいい。名誉の勲章だし。それより手を使う家事をするのに不便だ』とぼやいたら、長いこと家事禁止令を出されアレクが代わりにやってくれた。申し訳なくも感謝。
私はあの時、割れたガラスの破片の上を転がったが、ドレスの下に防寒のために沢山重ねたペチコートと新聞紙が体を守ってくれた。
防寒にはコルセットが効果が高いのだが、何せ動き辛い。『敵地』に乗り込む以上、万一に備え動きやすさを重視し、足元はスニーカー、コルセットは止め新聞紙を巻いていた。新聞紙の保温効果は素晴らしい。
代わりに最近リサに分けてもらった量産品ブラの試作品を着けていた。お陰で動きやすくて大立ち回りができた。私は危機に陥ると、怯むよりアドレナリンが放出されるタイプだったらしい。
後日、そうリサ達に伝えたら、その後この量産品ブラは『悪漢も殴り飛ばせる軽やかなコルセット』という評判が立ち、話題商品になって目を剥いた。
リサとレベッカを問い詰めると、自分達が広めた訳じゃない、と青ざめて首を振った。多分、レベッカから聞いたギブソン夫人辺りが発信源な気がする。ブラの布教に熱心だったし。
あくまで世間の話題であり、生産者側がキャッチコピーにした訳ではないものの、どこかからクレームが来るかとハラハラしたが、むしろ笑いと好感をもって受け入れられたので安堵した。
私の武勇伝が街で語り継がれることになったことについては、最早何も言うまい。実害がないし、どうせ私がいくら頑張っても(?)、いくつも伝説を持っていたという先代には及ばないだろう。
万事上手く行き始めた。
季節はもう早春で、あちこちで小さな花が咲き始めた。
そんなある日の休日、アレクが私に話したいことがあると言った。
********
お読みくださりありがとうございます。
爵位を持つ人の犯罪に対し、刑罰や爵位剥奪が可能か、可能な場合どんな条件か等は創作としてご了承ください。
時代や国や条件でも違い、調べきれませんでした。中世フランスでは、畑を耕したり肉体労働をするなど『貴族らしくない』ことをすると剥奪されたとか。
今回の話は、1832年の英国のコレラ大流行の時のエピソードを少し参考にしています。概要はこんな感じです。
死病たるコレラがどうやって感染するかも分からなかった時代、衣類やシーツを煮沸すると予防効果があるとは広く信じられていた。けれど作り付けの「湯沸かし釜」がある家は貧民街には少なかった。
特に流行が酷かった港湾都市リヴァプールの貧民街に住むキティ・ウィルキンソンは夫と共に、自宅の湯沸かし釜を隣人達に自由に使わせ、後には台所まで使わせた。見返りとしては、石炭と水の費用の一部として1家庭週1ペニーのみ求めた。
コレラの感染源かもしれないものを自宅に持ち込ませる身の危険を冒しても、死病に怯える貧しい者達に実際的な援助したことは、新聞で報道され「貧民街の聖人」として熱烈な支持を受け称賛された。
キティは当時社会の最下層と見なされていたアイルランド移民の労働者階級で、それが上流階級の務めとされるような慈善と実際的な助けを行ったことが更に報道価値を強めた。
10年後、ウィルキンソン夫妻を指導監督に据え、英国初の公衆浴場・洗濯場であるフレデリック・ストリート浴場が開設された。
小説より現実の方が凄いですね。
私の怪我が、蹴られた顔の腫れやガラスで切った手のスプラッタという派手なもので、男爵側の非(直接やったのはステファンだが)を示す見た目で分かりやすい証拠となったこと、現行犯で警官も現場を見ていることがこちらの有力な力になった。
しかし男爵は爵位持ちでこちらは平民だ。
更に、私とアレクが研究所に招かれた理由について、私達も男爵も明言を避けたのが警察の心証を悪くした。
ステファンは『あの女が異世界人だから』と正しく主張したのだが、顧みられることはなかった。まぁ、そうだろうな。
やがて男爵は、『悪どい商売をしている男が、噂の通りのあばずれ女に男爵を誘惑させてきた。迷惑だったので問い質そうと呼び出したら暴れだした』と主張し出した。
開いた口が塞がらない。そして内容もオヤジ妄想が気持ち悪過ぎる。
しかしそういうキモ妄想を夢見る勘違いオヤジ達辺りの層が、それを支持し煽り立てるような気持ち悪い記事を世間に振り撒き出した。
私もアレクも、筋の通った思考を組み立て、理性的に判断したり議論したりすることには慣れている。
しかしこういう、『自分の妄想を強弁した者勝ち』とか『仲間のブラックボックスの中で握りつぶした者勝ち』いう、知性の欠片もない幼稚なクラスタは苦手だ。というか得意になりたくもない。
でも、泣き寝入りする気だけはなかったので、対抗策を相談していたところ、思いもかけない所から援護射撃が入った。
雑誌の投稿欄に、伯爵令嬢の方の投稿が載ったのだ。
「私は、今、理不尽な中傷に苦しめられている二人に直接会ったことがある。私が散策道で足をくじいて困っていた時に通りがかり助けてくれた。
逞しいご夫君が抱き上げ私の使用人のいる所まで運んでくれ、快活なご夫人は私の気が紛れるようずっと楽しい話をしてくれた。
道に他に人はなく、悪事をすることもできた筈だがそんなことは一切なく、周囲に善行を見せつけるためでもなかった。当たり前のことをしただけだ、家の方と会えてよかった、と微笑み、名前も名乗らず去って行かれた。
こうした高潔な魂を持ち利他的な行為をすることは本来、私達貴族や中流階級の義務であり、弱者へ施すものとされる。
しかしお二人は平民である。また、ご夫君は肌の色が濃く、ご夫人は東方の顔立ちをしていていた。正直、恥ずべき我が国の現状として、生きていく上でご苦労があったかもしれないと推測する。
それでも、このような清廉な行為を当たり前に行ったのだ。称賛に値する人々である。
だから私は、一部新聞や噂にある彼らへの中傷を、全く信じることができない。
一方、男爵はどうだろう。彼の主張を記事で読み、同じ貴族として恥ずかしく思った。
彼の主張は全くのでたらめだ。あの夫妻は、互いを思い遣り尊重し、仲睦まじく、私はこのような夫婦が理想であると憧れすら持った。
あの夫妻が男爵を誘惑し陥れるなどする訳がない。むしろ、男爵がご夫人に横恋慕して言い寄り、ご夫君に苦言を呈されていたと聞いた方が納得するだろう。
貧富も肌の色も出身の国も関係なく、誠実で真っ当に生きる人が報われる世の中であることを私を望む。そして、そのように望む人達がこの国を素晴らしい国へしていくと信じている」
ーー読んですぐ分かった。この投稿者は、取材で温泉街へ行った時に散策道で出会った少女だ。伯爵令嬢だったのか。
私達は名乗らなかったが、私もアレクも珍しい外見だ。新聞に特徴が載ればもしやと気付くし、調べればすぐ特定できるだろう。
あの少女が、私達の潔白を信じてくれた。あんな僅かな出会いだったのに。更に、私達のために行動してくれた。
そしてこんな清廉に誠実に物を考え行動する人がこの世にいてくれること自体が、心に染み入るほど嬉しかった。汚泥のようにドロドロした輩の相手をしていて息が詰まるようだった時だから尚更、清涼な風を浴びて心が洗われ安らいだ。最後の文は、私も共感し涙が滲んだ。
後半の、私達が睦まじい夫婦とか、男爵が横恋慕とかの下りはさておき。
この記事を手紙で教えてくれたのは、私が何度かコラムを書いた雑誌の担当編集者だった。
この伯爵令嬢は内気な方で、それでも居てもたってもいられず、親族だが平民のしっかり者の伯母に相談した。そして伯母のアドバイスを受け、自分の言葉でこの文を綴り投稿した。
令嬢は、自分にこんな行動をする力があるとは思わなかった、壁が崩れて世界が広くなったように感じると言っていたそうだ。
手紙をくれた編集者の方は、ここ暫く会社の方針で私へ仕事を回せなくなっていたことを、ずっと気にしてくれていたらしい。
社の意見を動かせるか約束はできないけれど、自分としてはまた執筆をお願いしたいと思っている、と書き添えてくれた。
この投稿を皮切りに、男爵がこれまであちこちで行っていた『限りなく黒に近いグレー』の仕事の数々がマスコミに取り上げられ出した。
少なくともその一部は、ギブソン夫人がマスコミに教えて私達の援護射撃をしてくれたのだと私は思っている。
マスコミも、以前からそうした情報は入手しつつも、男爵を向こうに回すことに躊躇っていたが、投稿記事を切っ掛けに形勢逆転と見て動き出したということのようだ。
そして何故か『男爵が私に横恋慕説』が暴走しだしてしまった。伯爵令嬢は単に怒りを込めて例えで挙げただけだった筈だが、世間ではいつの間にか話に尾ひれ胸びれがついた。
『清貧の睦まじい恋人同士を引き裂く悪の権力者』的な悲恋物のストーリーがあちこちで盛り上がり、最早何でもあり。噂の当人としては『誰?それ』である。
曰く。
ーー男爵が強引に女性に迫ったため、その恋人の男性は研究所に何度も出向き苦言を伝えていた。しかし男爵は歪んだ執着を向け、二人の店の中傷を流し苦しめた。そして先日ついに二人を呼び出し、男性を殴り監禁し女性を手に入れようとしたが、窮地で恋人が助けに入るとともに、二人の理解者の友人が一肌脱ぎ救援に駆け付け、男爵は捕まった。愛は勝つ!
……誰、それ。
しかし端々で妙に事実と合致してるので、信憑性があると言われ広まってしまった。ちなみにバリエーションは沢山あるらしい。
私達や男爵が、研究所に呼ばれた理由を明確にしなかったのは、このデリケートな話に触れられたくなかったからだそうだ。
デリケートと思うなら勝手に盛り上がらないでくれ……本当にデリケートなことだったら可哀想だろう。私達の場合は最早笑い話だが。
男爵は親族から圧力を受け、異様な早さで爵位を弟へ譲ることが決まった。
親族は男爵の悪事や醜聞で多大な被害を被り、その後始末に奔走した。その一環で、私達には多額の慰謝料が支払われた。
私達への誠意というより醜聞対策であるのが引っ掛かるが、それでも親族から私達への謝罪も添えられ、警察も男爵の罪を認めた。一応、社会的に私達の名誉は回復された。
爵位のせいか懲役などの刑事罰を下すのは難しいらしく、その点は悔しくてならない。重要だね、法整備。
けれど親族は男爵に対し強い怒りを持っており、警察以上に厳しい姿勢を崩さないそうだ。平民の規範となるべき貴族の誇りを傷つけた、という意味でも男爵家のみならず社交界の逆鱗に触れたらしい。
彼の資産は方々への慰謝料や賠償や損害を受けた親族への補てんで全て消え、今後親族の援助なしで平民として身一つで生きることになるそうだ。
今後犯罪を犯せば平民として普通に刑事罰を受けるし、親族も彼より親族を守るため目を光らせ、問題があれば彼を切り捨てる。
だから今後、私達が男爵に脅かされることはない。親族からの代理人は私達にそう語った。
私としては、あんなクズ男なら、プライドに合わない平民の生活にはすぐ音を上げ、つまらないことに手を出して刑務所行きだろうなと思っている。
ちなみに言うまでもないが、ステファンは刑務所に逆戻りである。
そして、身元不明遺体の記録の中にジョンが見つかったと連絡が入った。火事から1ヶ月近く経った頃に、亡くなったばかりで且つ良いとは言えない状態で街外れで発見されたため、なかなかジョンと結びつけられなかったそうだ。
警察は、火事で身を隠して暫く後にトラブルに逢ったと考えている。
しかし私は、ジョンが世界を飛び越えようとして弾かれた時、着地する時間や場所がずれてしまったのではないかと考えている。12年は宇宙にとって誤差範囲とジョンは言っていた。
しかし本当のところは分からない。
一時減少した店やガイドブックの売り上げは、元通りどころか跳ね上がった。
……炎上商法的な効果だろうか。私達としては、過大でも過小でもなく、真っ当に評価されたり誰かに喜ばれることが一番嬉しいのだが、以前の悪い噂の残り火を消すのに役立ってくれた。
そして、酷い目にあった私達を応援したいと、貸本の年間会員になったりガイドブックを買ってくれた人もいて、そのお気持ちが何よりありがたかった。そうやって手にした本が、皆さんにとっても楽しい世界への入口になってくれると嬉しい。
◇◆◇◆◇◆
アレクは頭を殴られたので心配したが、ずっと経過観察して問題はなかったのでほっとした。
私の怪我は、顔と手の傷どちらも神経や健は無事で後遺症もない。
特に顔の傷はアレクがずっと気にしていたが、『見た目の傷は割とどうでもいい。名誉の勲章だし。それより手を使う家事をするのに不便だ』とぼやいたら、長いこと家事禁止令を出されアレクが代わりにやってくれた。申し訳なくも感謝。
私はあの時、割れたガラスの破片の上を転がったが、ドレスの下に防寒のために沢山重ねたペチコートと新聞紙が体を守ってくれた。
防寒にはコルセットが効果が高いのだが、何せ動き辛い。『敵地』に乗り込む以上、万一に備え動きやすさを重視し、足元はスニーカー、コルセットは止め新聞紙を巻いていた。新聞紙の保温効果は素晴らしい。
代わりに最近リサに分けてもらった量産品ブラの試作品を着けていた。お陰で動きやすくて大立ち回りができた。私は危機に陥ると、怯むよりアドレナリンが放出されるタイプだったらしい。
後日、そうリサ達に伝えたら、その後この量産品ブラは『悪漢も殴り飛ばせる軽やかなコルセット』という評判が立ち、話題商品になって目を剥いた。
リサとレベッカを問い詰めると、自分達が広めた訳じゃない、と青ざめて首を振った。多分、レベッカから聞いたギブソン夫人辺りが発信源な気がする。ブラの布教に熱心だったし。
あくまで世間の話題であり、生産者側がキャッチコピーにした訳ではないものの、どこかからクレームが来るかとハラハラしたが、むしろ笑いと好感をもって受け入れられたので安堵した。
私の武勇伝が街で語り継がれることになったことについては、最早何も言うまい。実害がないし、どうせ私がいくら頑張っても(?)、いくつも伝説を持っていたという先代には及ばないだろう。
万事上手く行き始めた。
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そんなある日の休日、アレクが私に話したいことがあると言った。
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お読みくださりありがとうございます。
爵位を持つ人の犯罪に対し、刑罰や爵位剥奪が可能か、可能な場合どんな条件か等は創作としてご了承ください。
時代や国や条件でも違い、調べきれませんでした。中世フランスでは、畑を耕したり肉体労働をするなど『貴族らしくない』ことをすると剥奪されたとか。
今回の話は、1832年の英国のコレラ大流行の時のエピソードを少し参考にしています。概要はこんな感じです。
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コレラの感染源かもしれないものを自宅に持ち込ませる身の危険を冒しても、死病に怯える貧しい者達に実際的な援助したことは、新聞で報道され「貧民街の聖人」として熱烈な支持を受け称賛された。
キティは当時社会の最下層と見なされていたアイルランド移民の労働者階級で、それが上流階級の務めとされるような慈善と実際的な助けを行ったことが更に報道価値を強めた。
10年後、ウィルキンソン夫妻を指導監督に据え、英国初の公衆浴場・洗濯場であるフレデリック・ストリート浴場が開設された。
小説より現実の方が凄いですね。
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隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
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