異世界でワーホリ~旅行ガイドブックを作りたい~

小西あまね

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2章

34 心情

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 アレクの言葉に、固まった。
 元の世界へ帰る。
 ーーアレクは私に、帰ってほしいのだろうか。
 いや、人のせいにしちゃいけない。私は、どうしたい?自分の気持ちを見つめてみる。
 心を落ち着けて考え、そして口を開く。
「ううん。もう、帰ることは考えない。私が出てきた『空孔』はひしゃげたっていうから、安全に帰れる気がしないし。これから信頼おける学者に頼んで何年も掛けてって程には、帰ることに執着はない。こちらの世界も離れがたい位好きだから」

「ーーそうですか」
 そう息を吐いて微笑んだアレクは、どこかほっとしたように見えた。
 確かに、これから研究を誰かにやりなおして貰うって、労力もお金も時間も途轍もなくかかるもんね。それをしないことになるなら、肩の荷が下りる気分だろう。
 私は帰ること自体より、決着をつけたくて交渉を続けてた。だから、悪は滅び(?)、慰謝料は入った今はこれ以上拘りはない。

「でも、人の気持ちは変わるものです。このコサージュはハナが持っていてください。どうしても帰りたくなったら言ってください。必ず帰せるかは約束できないけれど、帰せるよう全力で協力すると約束します。一生、いつでも」
「いいよ、そんなことはもうない」
 帰れないかもしれないことはずっと覚悟していた。そして元の世界の私の『空孔』はもう壊れていると聞いてから、心の整理がつくのに十分な時間が経った。
 コサージュを返そうとすると、ぐいっと押し返された。
「これは俺の決意でもあるので、持っていてください」
 アレクは先代とも、お互い頑固にこのコサージュの返し合いをしたと言っていた。成程、こういうところは頑固というかアレクの拘り所なのかもしれない。
「じゃあ受けとるけど、本当、帰らないからね」
「なら髪飾りにでも使ってください。元々ハナのストールです」
 しれっと言うアレクに、ぐぬぬと上目遣いで睨み付ける。
「……ありがとう」
 結局アレクのこういう誠実な優しさに、私は弱いのだ。

 それから、アレクはお茶を一口飲み、天井をにらんで少しの間考えをまとめた後、緊張した顔で私に向き直った。
 その空気に、私も背筋を伸ばして耳を傾ける。

「ハナ。あなたはもう、こちらの生活や言葉にも慣れ、仕事の実績も積んだ。
もう職業訓練としてここに縛られる必要はありません。有能なので雇ってくれる所はいくつもある筈です。転職を望むなら俺が紹介状を書きます。他社のコラムの伝もできたのでそちらの選択肢もある筈です。給料に見合うアパートを探して、この家を出ていくこともできます。
暫く悪い噂や騒動があって、動ける状況ではなくなってしまいましたが、それも落ち着きました。
ハナはもう、自由です。
自由に仕事や住む場所を選んで、ここを出ていけます」

 息を飲む。出ていってほしい、ということだろうか。
 確かに、潮時だ。
 ここを去ろう。その前に、アレクに気持ちを伝えて、当たって砕けてみよう。うん、気持ちを切り替えて新しい生活を始めるのに丁度いい。

 アレクは緊張した面持ちで続けた。
「あなたが自由に俺から離れていける力を、とうとう返すことができた。だからやっと言えます。
俺は、ハナが好きです。ずっと、あなたの一番傍で生きていきたい」

 !!
 え?え?え?
 頭の中が真っ白になって、目を見開いたまま口を無意味にぱくぱくさせる。

 アレクはそんな私を見て眉尻を下げた笑みを浮かべ、でも力強く言った。
「ハナにとって、俺がそういう対象でないことは知っています。でもこれから、考えてみてくれませんか。ハナに好きになってもらえるよう努力します。
そんな風に思われるのが迷惑なら、ハナはいつでも俺から離れていける力があります。その力を返すまでは言うまい、とずっと思っていたんです」

 何て言えばいいんだろう。
 ああ、アレクの眉尻が下がってくる。早く答えなきゃ傷つけちゃう。何て言えばいい? あぁもう、私の体面よりアレクの気持ち優先だ!とにかく直球だ!

「私も、アレクが好き。だから、ずっと一緒にいられたらすごく嬉しい…です」

 最早何の飾りもつける余裕がない。慣れない言葉に、声が先細りになってしまったのは許してほしい。
 アレクは呆気にとられたような顔をした。
 そして暫く固まった後、ぎくしゃくと口を開いた。

「え……いや、ハナ、気を遣うことはないんですよ。そうさせたくないから、今まで言わなかったので」
「いや、そこは信じてよ。私だって、アレクが私の面倒見なきゃって負い目みたいに感じる間は言えないなって思ってたんだから」
「え? てことは、結構前から?」
「そうだよ」

 だんだん顔が熱を持ってくる。赤くなってきているんじゃないかと思うと尚更恥ずかしい。
 アレクはそんな私をしげしげ見た後、口元を手で覆い顔を逸らした。
 ……照れて、いるのかな? 手の影の口角が上がってる。それからぎくしゃくと言った。
「ハナ、抱き締めても、いいですか」
「……その、喜んで」

 テーブルを回り込んだアレクが、立ち上がった私を抱き締める。壊れ物のようにそっと。私が抱き締め返すと、アレクの腕に力が籠った。

「……幸せで死にそう。これ現実ですか?」
「私も、夢見てるみたい」
 ぐりぐりと頬を私の頭に押し付けるアレクの感触が、現実と教えてくれる。
「……自分が、大切な人を得ることができる日が来るなんて、思ってもみませんでした。……生きててよかった」
 絞り出すような声に、私も胸の奥がぎゅうっとなる。
「私も。生きててよかった」


 これが自立できる前だったら、アレクが負い目に思ってるんじゃないか、アレクは責任感を愛情と錯覚してるんじゃないかと、不安だったろう。下手すると一生気に病んだかもしれない。
 でも今なら。お互い全くの自由でーーだから、何の遠慮や強制もなく、ただ好きだからずっと寄り添いたいのだと実感できる。

 庇護や依存の不均衡な関係から、対等な自立した人間同士として、相手を好ましく思い寄り添う関係へ。
 私達は互いに誇らしく思い信頼するチームなのだ。背中を預けて敵地へ乗り込める位。
 自分が、大好きな素晴らしい相手に、素晴らしいと認められるだけの価値ある人間だと、信じることができる。
 私も、アレクも。

 それはなんと誇らしく愛おしいことか。
 それはとても自分を強くしてくれるもので……そして、信じられない位幸せだった。
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