文章怪

栂嵜ここみ

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家鳴り 2

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 その日は特に蒸し暑い日だった。
 電話で告げられた住所は郊外の、有体に言ってしまえば田舎であった。電車を乗り継ぐこと2回。合わせて3時間程を冷房の効かない車両で過ごした文緒の胸中は到着前から既に陰鬱な気に満たされていた。
 ただでさえ気乗りのしない依頼だった。そもそも文緒の生業は書物全般の修復と翻訳であって骨董品の目利きではない。先代の頃のような鑑定の仕事は彼女が店主になった時点で看板を下ろしてしまっているし、時折掛かってくる問い合わせの電話にも全てそう説明して断るようにしてきた。
 だから当然、件の依頼人に対しても文緒は同じ対応をした。相手が先代の名を出した時点で心持ち語気を強めてはっきりと断った……筈だったのだ。しかし相手はどうしてもと食い下がり、根負けした文緒が了承するまでしつこく電話を寄越してきた。先代のお得意様を名乗る客は面倒な手合いが多いが、ここまでしつこい客は珍しい。
 向かう道中何度反故にして帰ってやろうと思ったことか分からない。それでもすっぽかした後に待ち受けているだろう更なる面倒事を思えば途中で帰るという選択肢は文緒にはあってないようなものだった。

 無人の駅に到着した文緒は改札の先で待ち受けていた依頼人に出迎えられた。
 依頼人は恰幅の良さに反して随分と顔色の悪い男だった。壮年の見目に合った嗄れた声で自らを『椿田』と名乗った彼は文緒を見てはニコニコと笑って彼女を歓迎した。癖なのか、忙しなく周囲を見回しては右手を頻りに摩っているのが妙に目についた。

「先生には大変良くして頂きまして……」

 挨拶も早々に胡麻をすり始めた椿田に文緒は眉を顰めた。他の先代の知己に漏れず、目の前の依頼人もまたこちらにへりくだり少許の金を握らせれば前のように美味い汁を吸えると思い込んでいるようだった。
 あの男の贔屓の客はこれだから嫌になる。文緒は内心そう毒吐いた。いつだって彼らが彼女に求めるのは公正な鑑定眼などではなく先代と同じ忖度まみれの紙切れなのだ。

「それで、御用の品は御自宅に?」

 血の気の薄い顔に浮かんだ愛想笑いを視界に入れるのも億劫になって、文緒は続く言葉を遮って素っ気ない態度で要件を尋ねた。

「ええ、ええ。そうです」
「たしか刀と伺っていますが」
「ええ、はい。家で代々受け継がれてきたものでして、大変な値打ちものだから大切に扱えと伝え聞かされ手入れだけは欠かさずにしておったのですが……知人に一度価値をはっきりとさせた方がいいだろうと言われましてね」

「ささ、ご案内いたします」椿田は文緒を促していそいそと歩き始める。その背を追って文緒も駅を出た。
 むせ返るような熱気を掻き分け椿田に伴われて歩くこと十分程度。建物も疎らになってきた場所に男の家はあった。漆喰の塀に囲われた屋敷は一際大きく立派なもので、成程、道すがら代々地主をしているのだと自慢していた彼の話は確かなものであるらしかった。

「いや、それにしても驚きました。渡守トモリ先生にこんなお美しいお嬢さんがいらっしゃったとは。
 先生は御家族のことは何もおっしゃいませんでしたので」
「……あの人は秘密主義なきらいがありましたから」

 腕木門を見上げていた文緒は椿田の言葉に控えめな笑顔で頷いた。あの小狡い事にかけては抜きん出ていた男がそう易々と己の家事情を話すとも思えない。それが彼の悪どい仕事の顧客ともあれば尚のことだ。
 ーーまぁ、お陰で助かっているんだけれど。
 文緒はちらりと隣の顔を見遣った。門の前に立った椿田は相変わらず血の気の薄い顔で彼女を見つめている。しかしよく見れば弓の形に持ち上がったその双眸はじろじろと文緒の頭の先から足元までを輪郭に沿って何度もなぞっていた。
 この目に文緒はよくよく覚えがあった。……品物ものを見る目だ。
 不躾に寄越される視線になどさも気付いていないという風を装ってニコリと微笑みを返せば、椿田は気を良くしたように口を緩めた。

「暑いところで立ち話も何でしょう。どうぞお上がり下さい」
「ええどうも。……お邪魔いたします」

 招き入れられるまま門をくぐり玄関に足を踏み入れた途端、ひやりと冷めた空気が足元から這い上がってきた。外と中で随分と寒暖差が激しいようだ。文緒は思わずぶるりと武者震いをして、己の肩を抱くように手を添えてから玄関を見渡した。
 正面には豪奢な金屏風と鷹を模した木彫りの置物が客人を出迎えるようにして並べられている。一見して雅やかなそれらは、しかしどれも薄らと埃を積もらせていた。掃除に手が回っていないのだろうか。思ってみれば広い屋敷にしては妙にがらんとして人の気配がないことに気がついた。

「使用人には暇を出しておりまして」

 問う間もなく椿田が言った。

「お恥ずかしいことで、お出迎えも用意出来ず申し訳ございません」
「まあ、いえ。お気遣いなく」
「お見せしたい刀は奥の間にございます。どうぞこちらへ」

 一足先に玄関を上がった男が先導する。連れ立って歩いた先は庭に面した縁側になっていた。板張りの床は日向であるにもかかわらず妙に冷たく、外よりもどこか薄暗かった。
 文緒は男の後に続きながら縁側に面した庭を窺った。庭は広く美しく、並び置かれた石や庭木が家の格式を主張している。
 その庭に、人が立っていた。
 長い髪の女が一人、こちらに背を向け塀の近くに立ち尽くしている。
 女が着ているのは白い襦袢のようだった。柳の葉のようにだらりと髪を垂らして下を向き、ぶつぶつと何事かを呟いている。女の前にあるのはどうやら古い井戸らしい。すっかり使われていないのか木蓋で閉じられており、井筒は苔むして周りの緑と半ば同化していた。
 女はこちらには気付いていないようで、振り返る素振りも見せずじっと俯いている。椿田は女に視線をやったように見えたが、それもほんの一瞬のことで、ふいと視線を逸らした後はまるで居ないもののように真っ直ぐ廊下の先を見つめていた。
 ……『そういう』娘なのだろうか。
 そんな風に気を取られていたのが悪かったのだろう。
 ――ギィ。
 踏みしめた床板が大きく軋んだ。ビクリと目の前の男が肩を揺らす。
 直後、視線を感じ庭を見て、文緒はアッと声を上げそうになった。
 女がこちらを見ている。井戸へ向いた身体はそのままに、首だけをぐるりと捻って文緒の方へ向けていた。
 持ち上がった顔は長い髪に邪魔されてよく見えない。けれどその向こうの、うろのように黒々とした眼と、確かに目が合って。

「――どうかされましたか?」

 椿田の声が文緒の意識を引き戻した。
 見れば廊下の少し先で、椿田が棒立ちの文緒を怪訝そうな顔で振り返っている。

「……いえ!立派なお庭で見惚れてしまいまして」

 当たり障りのない言葉で誤魔化しながら、足早に椿田のもとへと歩み寄る。「それはそれは、」椿田はどこか硬い笑みを文緒に向けながら傍らの襖を開いた。
 通された部屋は一言で言えば妙な部屋だった。
 全体的に物が少ない。文机や箪笥といった家具の類はもちろんの事、床の間にすら調度品の一切が置かれていなかった。
 代わりに部屋に置かれているのは部屋の中央に用意された依頼の物と思わしき刀とそれを置くための刀掛け、座布団が二つ、そして……なぜか壁際に設置された赤子のための寝台だ。何代にも渡ってこの家の子供を世話してきたらしい古ぼけた寝台は今まさに使われている真っ最中のようだ。掛けられた白い小さな布団の奥からは赤子特有の喃語が漏れ聞こえている。
 なんだこの部屋。身も蓋もなく文緒は思った。
 畳に残った家財の跡や掛け軸の形を残した壁の日焼け具合からするに、少なくとも最初から空き部屋であった訳では無いのだろう。客に見られても良いように部屋の中を取り急ぎ片付けたのだと言われれば、些か過剰な気がするが納得はできる。しかし寝台に寝かせているとはいえ赤子と一緒に刀を置くのは如何なものか。他人の家事情に一々口を出すことではないが、それにしたってこの部屋だけが家に不釣り合いな粗末さだった。
 訝しんですぐ、思い至る。寝台の中にいる赤子は先程の女性の子供か。あの様子では子供の面倒は見られないだろうし、使用人には暇を出したと言っていた。成る程、世話を出来るものが居ないから目の届く場所に寝台を置いているといったところか。
 文緒は男に促されるまま刀掛けの前に腰を下ろした。
 眼前に鎮座する刀は綺麗に手入れこそされているものの、文緒の目にはよくある数打ちの一本と何ら変わりなく写った。鞘に控えめに施された装飾も決して古いものではない。刃紋を見れば瞭然だろう。

「刀身を拝見しても?」
「ええ、どうぞお確かめください」

 男が同意したのを確認して文緒は手袋を嵌めた両の手で厳かに刀を持ち上げた。少しずつ角度を変えながら暫し外見を検めて、一呼吸置いた後努めて慎重に持ち手を変えて鯉口を切る。
 その途端。
 火のついたような喚き声が部屋中に響いた。
 うわんと、部屋ごと揺れたのではと錯覚するほど大きな声は赤子のものだ。どうやら赤子が機嫌を損ねたらしい。
 驚いて刀を取り落とさなかったのは幸運だった。動悸を鎮めるよう努めてからチラリと横にいる男を窺う。しかし男は座った時と同じ姿勢で、赤子を宥めに行く様子をこれっぽっちも見せなかった。
 おい世話をするから傍に置いたんじゃないのか。なら何の為にこの部屋に赤子を置いたんだ。苛立ちと呆れで口元が引き攣りそうになるのを何とか堪え、文緒は手元に集中しようと試みた。そうしなければ辛うじて耐えている愚痴の数々を辛抱堪らず零してしまいかねなかった。
 手早く済ませてとっとと帰ろう。改めて心に決めて、深呼吸を一つ。
 そしてゆっくりと握ったままの柄を引いた。
 鞘から滑り出た刃が顔を出す。
 真っ赤だった。
 文緒は息を詰めた。
 ただの刀がそこにあった。
 見間違いか。しかし一瞬見えた滴るような赤色は、間違いなく血の色だった。

「如何されました?」
「……いえ、何でも」

 問う男に短く返事をして、文緒は口を引き結んだ。
 兎角さっさと済ませてしまえ。文緒は腹を括って再び刀に向き合った。
 刀を引く。粘ついた液体の滑るような感触が伝わってくる。しかし刀身は微塵も濡れていない。
 刀を引く。きちんと力を入れて引いているはずなのに何故か僅かにしか引き抜けない。その間にも赤子は一層けたたましく泣き喚いた。それは悲痛な、断末魔のような声だった。
 刀を引く。ようやっと半ばまで引き抜かれた刀身が障子の向こうから光を拾いチカチカと瞬いた。その瞬間、文緒ではない、髪の長い誰かの頭がその刃に映りこんだ気がした。
 そこが限界だった。

 キンと、強引に納められた刃が鞘の中で甲高い音を立てた。流石に傷が付いてしまっただろうか。一瞬過ぎった罪悪感を、しかし横に置いて文緒は男の方を振り返った。

「ご主人!申し訳ないが――」

 切羽詰まった声が乾いた喉から溢れ出る。思いがけず大きくなってしまったそれに、話しかけられた椿田が大袈裟に肩を震わせた。ぎょろりと音がしそうな勢いで動いた目玉が文緒を見る。文緒は震える手で刀を刀掛けへ置き直すと上擦りそうになる声を必死で抑え、どこか焦ったような椿田の顔に真っ直ぐ向かい合った。

「その。赤子の泣き声が、どうにも煩くて……部屋を変えさせて頂くか、もしくは泣き止むまで待たせてもらっても――」

 よろしいでしょうか、と続く予定の言葉は尻すぼみになって途切れた。文緒の言葉を聞いた椿田の顔が豹変したからだ。直前まで焦りを滲ませていた顔が、一瞬にしてまるで能面のような無表情へとすり変わる。しかし大きく見開いたその目は異様なまでに爛々として、火の如く烈しい光を顕にしていた。
 男の突然の変わりように文緒は思わず息を呑む。そんな彼女に向かって、椿田は束の間の沈黙の後、静かに頭を垂れた。

「お呼びだてした身分で大変恐縮ですが……この話は無かったことにさせてください」
「――はい?」

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