文章怪

栂嵜ここみ

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家鳴り 了

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 ああ、ああ。
 ようやっと、上手くいった。
 椿田は込み上げてくる歓喜を笑いと共に豪快に吐き出した。
 酌婦が注いだ酒を一気に呷る。景気良く追加で酒を頼めば女達が高い声で椿田を持て囃した。それがなんとも気分良い。
 気持ちが昂っているのはひとえに憂い事――日夜恨みがましく現れ続けた『あれ』が消えたからだ。
 疎ましい、あの娘。生きていても死んでいても迷惑ばかりかけた、あの愚劣な出来損ない。煩い餓鬼共々始末してやったというのに、化けて出た不孝者。
 あれを斬り殺したあの日、椿田は荒れていた。大きな取引先が一つ潰れたためであった。苛立ちのまま怒鳴り散らしあれを殴り倒して憂さを晴らせど虫の居所は一向に収まらず、騒ぎ泣く忌々しい赤子の声が重なってとうとう椿田の理性は一線を越えた。
 握り締めた刀の柄の、硬さを、冷たさを今も右手が覚えている。皮膚を裂く感触も。溢れた血の温さも。ああ、それでも、あれを殺す気はなかったのだ。椿田は餓鬼だけを殺すつもりだった。――そうだ。あの出来損ないが母親面で一丁前に庇おうとするから。だからあれが悪いのだ。

 そうして、ようやく冷えた頭で亡骸を井戸に捨て何事もなかったように蓋をしたあの日からずっと、あれは椿田の視界に居た。
 日毎に視界に映るあれの距離が近くなり、夜になれば家鳴りが椿田の寝間に迫った。だらりと垂れ下がった頭が恨みがましく椿田を見る度背筋が凍り、家鳴りが大きくなるにつれ何時あれが枕元に立つかと気が気でなかった。気が滅入った椿田は家を離れ宿を転々としたものの、それでもあれはふとした瞬間に視界に現れた。
 どうにかしなければならないと思った。そうでなければ命がないと本能が椿田を駆り立てた。
 下手な人間には明かせない。己の所業が明るみに出る可能性があるからだ。真贋怪しい魔除けの代物を買い漁った。信じてもいない神仏に祈りもした。しかしどれも効果はなく、時間と金を無駄に費やしただけに終わった。

 万策尽きたかと思ったその時、ふと思い出したのが鑑定士の渡守という男だった。知人の伝で知り合った、狸のように腹の底の知れない男。あの男が所謂曰く付きの品を蒐集しているというのを椿田は風の噂で聞いていた。
 当時は馬鹿な趣味だと内心せせら笑ったものだが、今となっては釈迦の垂らした蜘蛛の糸。縋る思いで椿田は渡守に連絡を取った。しかし、渡守は既に他界していた。見知らぬ女が電話口で先代の逝去を伝えた時の椿田の落胆は計り知れない。それでも最早他に手はなく、店を継いだという女を先代がやっていた鑑定書偽造あくどい商売をネタに暗に脅して誘い出した。
 期待してはいなかった。しかし結果はなんとも椿田にとって都合の良いものとなった。はぐらかそうとしたようだが、あれの居る庭の横を通った時、女は確かにあれに反応したのだ。
 あれを見たのも、赤子の声を聞いたといったのも椿田を除けばあの女が初めてのこと。赤子の声が五月蝿いと訴えた女の背後に立ったあれを見て、椿田はあれが女に取り憑いたのだと確信した。
 年の頃が近かったからか、それとも他に要因があったのか。まぁ理由など最早どうでもいい。あれを他人に押し付けることが出来た。それだけが重要だ。
 それにしても、椿田はすっかり癖になった動きで右手を撫でた。いい女だっただけになかなか惜しいことをした。あれほど美しい女はそうお目にかかれるものではない。こんな事情でなければ早々に唾を付けていたところだ。
 あの不出来の娘より余程具合の良かったことだろうに。


 満足するまで豪遊し滞在するホテルへと戻った椿田をホテルマンが出迎えた。
ホテルマンは丁重に椿田へ頭を下げると夕刊と手紙を差し出した。椿田はそれらを受け取ってエレベーターへと乗り込む。その足取りは軽い。
 部屋に戻り手紙を開封した途端、ぞわりと怖気が走った。
封筒の中身はたった一枚。綴られた言葉は短く、乱雑に歪んでいた。

『どうして あのこをころしたの』
『あなたのこなのに』
『あなたが うませたくせに』

 ――ギィ、と、軋む。
 ギィ、ギィと繰り返し響く音。床がしなり、鳴く音。
 ホテルの、それもタイル張りの床ではありえない。耳覚えのあるそれが、もう聞こえてこない筈のそれが部屋中に反響していた。
 何故。どうして。
 もう終わった。その筈だ。
 だってあれは、あの女に。
 息が荒くなる。喉が乾き、舌が張り付く。言葉が出てこない。青ざめ口をわななかせ、椿田はその場から逃げるように後ずさる。その拍子に側にあった飾り棚に肩が当たり、ぐらりとよろめいて姿勢を崩した。背がぶつかったのは壁の筈だというのに、ああ、どうしてかひどく冷たい。
 硬直する椿田の肩に、ひたりと、氷のような手がかかった。

「お、とう、サん」





****

「何をしたんです?」
「何が?」

 唐突な問いかけに文緒は首を傾げた。
 伽々里は文緒の前に新聞紙を差し出した。見やすいように近付けられたそれへ文緒が目を通す。そこ書かれていたのは、ホテルで男性の変死体が発見されたという記事だった。
 死人の名は――椿田。

「この男、件の依頼人ですよね。一体何をしたんです?」

 伽々里が繰り返し尋ねた。

「偶々だとは思わない?」
「幽霊騒ぎの翌日に同名の人物が変死なんて、そんなことが偶然なんかで起こるとでも?」

 伽々里は辛辣に文緒の言葉を切って捨てた。誤魔化されてはくれないらしい。文緒は大仰に肩を竦めてみせた。

「伽々里クンには再々言っているわけだけど、私は文章の妖怪なんだ」

 とん、とん、と白い指先が傍らの机を叩く。

「人は情念を糸に文字を編む。様々な意図を紡いで一つの文章という紗綾を織り出す。
 そうして形を得た想いは形在る限り残り続ける。この私のようにね」

 文緒は霊となった女に紙とペンを差し出した。恨みつらみを書き捨てろとそう言って。
 女は文緒の言葉に従ってペンを取った。書かれた言葉は辿々しく短かったが、それでも情念うらみは籠っていた。
 女が消えて残った紙は、一体どこへ行ったのか。
 文緒はニンマリと意地の悪い笑みを浮かべた。

「文章は伝わってこそ意味があると思わないかい?
 私は『あれ』を伝えるべき相手に届けてやっただけの事だよ」
「それだけ?」
「それだけさ。なにせへなちょこ妖怪なもので」
「……実は根に持ってます?」
「別にぃ?」



家鳴り 了

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