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Echo21:花冠を君に
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ルネが初めて外に出た日は、驚くほど澄みわたった秋晴れだった。
空はどこまでも高く、雲ひとつない蒼が広がっている。
森を抜けてくる風は穏やかで、夏の匂いをすっかり手放し、乾いた空気を運んでいた。樹々の葉は色づきはじめ、光を透かしては、ひらひらと枝先から舞い落ちていく。
塔の外へと続く扉の前で、アリセルはルネの手をそっと握っていた。
ルネの指はかすかに震えていたが、手を引こうとはしなかった。
むしろ戸惑いながらも、しっかり握り返していた。
「行きましょう、ルネ様」
小さく声をかけると、ルネはわずかに視線を動かした。アリセルは小さく息を吸い込んだ。
扉の向こう。そこにあるのは、鉄と石に囲まれた空間ではない。
光。風。空。緑。大地。どこまでも広い世界を思い描きながら、ルネの目にはそれがどんな風に映るのかと想像し、アリセルは扉に手をかけた。
扉がゆっくりと開いた刹那、斜めに差し込んだ陽光が、ルネの足元をやわらかく照らした。
彼は光の中に立ち止まり、目を細めた。焼きつくような眩しさに、どこか懐かしさを感じているようで、握った手にそっと力がこもる。
そして、一歩。次いでもう一歩。
まるで足元の地面を確かめるように、ルネはゆっくりと外へ出た。彼はしばらくのあいだ、言葉もなくその場に立ち尽くした。
顔を上げ、秋空をまっすぐに仰ぎ見る。その目は瞬きもせず、ただ静かに空の広がりを追っていた。肩がかすかに上下し、吐かれた息が、風にさらわれていく。
「こんなに……青かったんだ」
ぽつりとこぼれた声は、小さな感嘆にも似ていた。
アリセルは微笑み、彼の横顔をそっと見つめた。
「はい。秋の空って、こんなに高いんです」
風が吹き、色づいた葉がふたりの間を横切っていく。ルネの髪が揺れ、アリセルのスカートの裾がなびいた。そのまましばらく、ふたりは何も話さず、陽の下に立ち、空の色を見上げていた。
やがてアリセルが、ルネの手を引いて優しく促す。
「歩いてみましょうか。あちらに、ベンチがあるんです」
ルネはこくんと小さく頷き、ゆっくりと歩を進めはじめた。
足元を確かめるように一歩ずつ踏み出す動きには、まだ覚束なさが残っている。だが顔を上げた彼の瞳には、目の前の世界を見つめる静けさが宿っていた。
ベンチは陽だまりの中にぽつんと置かれていた。
背の低い木々に囲まれたその場所は、午後の光がやわらかく降り注いでいる。
アリセルはルネの歩調に合わせながら、そちらへと足を向けた。
ベンチにたどり着くと、ルネは少し戸惑いながらもアリセルの隣に腰を下ろした。
座面に沈みこむように体を預けると、彼はそっと背もたれに寄りかかる。
「ルネ様、疲れましたか?」
「……ううん、だいじょうぶ」
ルネは小さく微笑み、景色を味わうように視線を彷徨わせる。
すぐ隣でその様子を見守っていたアリセルは、ベンチの下に目を落とした。
足元には、草の間に小さな花が点々と咲いていた。
紫がかった淡い花びらのノコンギク、まだ青さを残したツユクサ、そして背の低いリンドウや、ふわりと綿毛をつけかけたアザミの姿もある。
アリセルはしゃがみ込み、茎の細いものからいくつかを摘んでいった。
色合いの似た花を選びながら、静かにその茎を編み込んでゆく。ルネはその様子を黙って見ていた。
アリセルの指先が花びらの根もとをくるりと回し、次の茎をそっと巻きつけていくたびに、淡い色の輪が形になっていく。やがて彼女の膝の上には、小さな花冠ができあがっていた。
「……はい、できました」
アリセルは花冠を掲げ、少しだけ得意げな気分でルネの方を振り返った。
「ルネ様。ちょっと、じっとしててくださいね」
ルネは戸惑ったように一瞬だけまばたきをしたが、特に抵抗する様子はなかった。アリセルは彼の髪に触れるようにして、花冠をやさしく乗せる。
斜めにならないように整えて、しっかりと収まったのを確かめてから、にっこり笑った。
「これ、今日の記念です。ルネ様が、初めて外に出られた日のお祝い」
ルネは花冠に手を添え、少しだけ目を伏せたあと、ふわりとした笑みを浮かべた。
それがどこか照れくさそうでもあり、まんざらでもなさそうでもあって、アリセルの顔には笑みがこぼれた。
「とってもお似合いです、ルネ様。……まるで秋の精霊みたい」
思わずついて出た言葉だったが、彼の頬がかすかに赤くなっているのが分かり、アリセルは「すみません、変なこと言って」と小さく笑った。
ルネの指先が、ひとつひとつの花の感触をたしかめるように、花冠を撫でていく。やがてその手が膝の上に戻ると、彼はゆっくりとアリセルの方を向いた。
「……ありがとう」
アリセルが微笑み返そうとしたそのとき、ルネは目を伏せたまま、ぽつりと続けた。
「……こういうの、もらったの、はじめて」
その声はかすかな戸惑いを含んでいたが、確かなぬくもりが宿っていた。
しばらくの沈黙のあと、ルネは小さく息を吸い込んだ。
「……アリセルは、どうして……こういうの、作れるの?」
不器用に選ばれた言葉だったが、まっすぐな問いだった。
アリセルは少し驚いたように目を見張ってから、笑みをこぼした。
「母に教わったんです。小さい頃、庭で一緒に花を摘んで、冠に編むのが、ちょっとした遊びで」
その記憶をたどるように、アリセルはやわらかく続けた。
「最初は全然うまくできなかったんですけど、母が根気よく教えてくれて……気づいたら、指が覚えてくれてました」
「……いいお母さんだね」
ルネの声がひどく優しく聞こえて、アリセルは、ほんの少しだけまぶたを伏せた。
「はい。母も父も、大好きなんです」
答えた瞬間、胸の奥に冷たいものが差し込んだ。
ルネの両親――処刑された王と王妃のことが、不意に脳裏をよぎったのだ。
しまった、と思った。言葉を選ぶべきだったのに、と。恐る恐る顔を向けると、ルネはまっすぐにこちらを見つめていた。
どこまでも穏やかで、あたたかくて、まるで何も責めるものなど持たない顔で。その優しい眼差しに触れていると、不思議と、それだけで救われる気がした。
「ルネ様、ありがとうございます」
何を感謝されたのか分からないのだろう。小首を傾げるルネに向かい、アリセルは微笑んだ。
「……なんでもありません。ただ、そう言いたくなっただけです」
ルネは不思議そうに瞬きをしたが、それ以上は何も言わなかった。
並んで座るふたりのあいだを、秋の風が静かに通り抜けていく。
柔らかな陽射しの下で、時だけがゆっくりと流れていた。
空はどこまでも高く、雲ひとつない蒼が広がっている。
森を抜けてくる風は穏やかで、夏の匂いをすっかり手放し、乾いた空気を運んでいた。樹々の葉は色づきはじめ、光を透かしては、ひらひらと枝先から舞い落ちていく。
塔の外へと続く扉の前で、アリセルはルネの手をそっと握っていた。
ルネの指はかすかに震えていたが、手を引こうとはしなかった。
むしろ戸惑いながらも、しっかり握り返していた。
「行きましょう、ルネ様」
小さく声をかけると、ルネはわずかに視線を動かした。アリセルは小さく息を吸い込んだ。
扉の向こう。そこにあるのは、鉄と石に囲まれた空間ではない。
光。風。空。緑。大地。どこまでも広い世界を思い描きながら、ルネの目にはそれがどんな風に映るのかと想像し、アリセルは扉に手をかけた。
扉がゆっくりと開いた刹那、斜めに差し込んだ陽光が、ルネの足元をやわらかく照らした。
彼は光の中に立ち止まり、目を細めた。焼きつくような眩しさに、どこか懐かしさを感じているようで、握った手にそっと力がこもる。
そして、一歩。次いでもう一歩。
まるで足元の地面を確かめるように、ルネはゆっくりと外へ出た。彼はしばらくのあいだ、言葉もなくその場に立ち尽くした。
顔を上げ、秋空をまっすぐに仰ぎ見る。その目は瞬きもせず、ただ静かに空の広がりを追っていた。肩がかすかに上下し、吐かれた息が、風にさらわれていく。
「こんなに……青かったんだ」
ぽつりとこぼれた声は、小さな感嘆にも似ていた。
アリセルは微笑み、彼の横顔をそっと見つめた。
「はい。秋の空って、こんなに高いんです」
風が吹き、色づいた葉がふたりの間を横切っていく。ルネの髪が揺れ、アリセルのスカートの裾がなびいた。そのまましばらく、ふたりは何も話さず、陽の下に立ち、空の色を見上げていた。
やがてアリセルが、ルネの手を引いて優しく促す。
「歩いてみましょうか。あちらに、ベンチがあるんです」
ルネはこくんと小さく頷き、ゆっくりと歩を進めはじめた。
足元を確かめるように一歩ずつ踏み出す動きには、まだ覚束なさが残っている。だが顔を上げた彼の瞳には、目の前の世界を見つめる静けさが宿っていた。
ベンチは陽だまりの中にぽつんと置かれていた。
背の低い木々に囲まれたその場所は、午後の光がやわらかく降り注いでいる。
アリセルはルネの歩調に合わせながら、そちらへと足を向けた。
ベンチにたどり着くと、ルネは少し戸惑いながらもアリセルの隣に腰を下ろした。
座面に沈みこむように体を預けると、彼はそっと背もたれに寄りかかる。
「ルネ様、疲れましたか?」
「……ううん、だいじょうぶ」
ルネは小さく微笑み、景色を味わうように視線を彷徨わせる。
すぐ隣でその様子を見守っていたアリセルは、ベンチの下に目を落とした。
足元には、草の間に小さな花が点々と咲いていた。
紫がかった淡い花びらのノコンギク、まだ青さを残したツユクサ、そして背の低いリンドウや、ふわりと綿毛をつけかけたアザミの姿もある。
アリセルはしゃがみ込み、茎の細いものからいくつかを摘んでいった。
色合いの似た花を選びながら、静かにその茎を編み込んでゆく。ルネはその様子を黙って見ていた。
アリセルの指先が花びらの根もとをくるりと回し、次の茎をそっと巻きつけていくたびに、淡い色の輪が形になっていく。やがて彼女の膝の上には、小さな花冠ができあがっていた。
「……はい、できました」
アリセルは花冠を掲げ、少しだけ得意げな気分でルネの方を振り返った。
「ルネ様。ちょっと、じっとしててくださいね」
ルネは戸惑ったように一瞬だけまばたきをしたが、特に抵抗する様子はなかった。アリセルは彼の髪に触れるようにして、花冠をやさしく乗せる。
斜めにならないように整えて、しっかりと収まったのを確かめてから、にっこり笑った。
「これ、今日の記念です。ルネ様が、初めて外に出られた日のお祝い」
ルネは花冠に手を添え、少しだけ目を伏せたあと、ふわりとした笑みを浮かべた。
それがどこか照れくさそうでもあり、まんざらでもなさそうでもあって、アリセルの顔には笑みがこぼれた。
「とってもお似合いです、ルネ様。……まるで秋の精霊みたい」
思わずついて出た言葉だったが、彼の頬がかすかに赤くなっているのが分かり、アリセルは「すみません、変なこと言って」と小さく笑った。
ルネの指先が、ひとつひとつの花の感触をたしかめるように、花冠を撫でていく。やがてその手が膝の上に戻ると、彼はゆっくりとアリセルの方を向いた。
「……ありがとう」
アリセルが微笑み返そうとしたそのとき、ルネは目を伏せたまま、ぽつりと続けた。
「……こういうの、もらったの、はじめて」
その声はかすかな戸惑いを含んでいたが、確かなぬくもりが宿っていた。
しばらくの沈黙のあと、ルネは小さく息を吸い込んだ。
「……アリセルは、どうして……こういうの、作れるの?」
不器用に選ばれた言葉だったが、まっすぐな問いだった。
アリセルは少し驚いたように目を見張ってから、笑みをこぼした。
「母に教わったんです。小さい頃、庭で一緒に花を摘んで、冠に編むのが、ちょっとした遊びで」
その記憶をたどるように、アリセルはやわらかく続けた。
「最初は全然うまくできなかったんですけど、母が根気よく教えてくれて……気づいたら、指が覚えてくれてました」
「……いいお母さんだね」
ルネの声がひどく優しく聞こえて、アリセルは、ほんの少しだけまぶたを伏せた。
「はい。母も父も、大好きなんです」
答えた瞬間、胸の奥に冷たいものが差し込んだ。
ルネの両親――処刑された王と王妃のことが、不意に脳裏をよぎったのだ。
しまった、と思った。言葉を選ぶべきだったのに、と。恐る恐る顔を向けると、ルネはまっすぐにこちらを見つめていた。
どこまでも穏やかで、あたたかくて、まるで何も責めるものなど持たない顔で。その優しい眼差しに触れていると、不思議と、それだけで救われる気がした。
「ルネ様、ありがとうございます」
何を感謝されたのか分からないのだろう。小首を傾げるルネに向かい、アリセルは微笑んだ。
「……なんでもありません。ただ、そう言いたくなっただけです」
ルネは不思議そうに瞬きをしたが、それ以上は何も言わなかった。
並んで座るふたりのあいだを、秋の風が静かに通り抜けていく。
柔らかな陽射しの下で、時だけがゆっくりと流れていた。
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