正しい駄犬のしつけ方〜浮気性な放蕩夫と没落令嬢の新婚譚〜

山田わと

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01:見知らぬ結婚相手

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「俺たちの可愛いリネアをあんな奴の所に嫁入りさせるなんて、一体何を考えているんだ、父様は!」
「そうだ! メルローズ家の三男坊ギデオン。あいつはとんでもないロクでなしだって評判じゃないか。そんな奴の所に、うちの可愛いリネアは渡さない」
 
 双子の兄セシルとルシルが、怒気をまとって立ち上がった。
 二人揃って眦を吊り上げて、頬まで真っ赤になる様子は、息ぴったりである。
 抗議された両親は、困ったように顔を見合わせた。その表情には「まぁ、そう来るとは思っていた」という投げやりな悟りの色が淡く漂っていた。

「まぁ、そうは言ってもだな……」

 父は、ひどく言いにくそうに咳ばらいをした。

「周知のとおり、我が家は……。その、なんだ……落ちぶれて久しい。屋根もそろそろ雨漏りは家の風情だ、では誤魔化せんくらいでな。家計簿にいたっては、真っ白で逆に清々しいという段階にまで来てしまっている」

 要するに、金がない。母も神妙な顔で頷いた。

「そうなのよ。恥ずかしい話だけど、食卓に並ぶ肉の量までじりじり減ってきてるわ。リネアには申し訳ないけど、メルローズ家に嫁げば、当分は家計が助かるの。向こうは資産だけは、ご立派だから」
「そんなの酷いじゃないか!」
「金のために娘を売るなんて、親のやることじゃない!」

 双子の兄は同時に机を叩いた。
 しかし抗議する兄達の熱量とは対照的に、当のリネアは、他人事だと言わんばかりの静かな顔つきだった。彼女は足元で伏せていた愛犬……、いや、もはや愛犬という語がぎりぎり似合うかどうか怪しい、大柄で漆黒の毛並みを持つ犬の首筋をぽんぽんと撫でていた。

 犬の名前はキャンディ。

 名前だけ聞けば、お茶会にでも連れていきたい甘い響きだが、艶めく黒い毛並みは猛獣を思わせ、頭は大きく、肩のあたりは筋肉で盛り上がっている。牙は鋭く、その目つきは「気に入らない相手なら噛み殺す」とでも言い出しそうな凄みを帯びている。
 そんな犬がリネアに撫でられて「わふっ」と野太い声を響かせた。一同の視線がキャンディと、その主であるリネアへ集まる。
 リネアは微笑を浮かべ、ようやく口を開いた。

「兄様がた。私はお相手が誰であろうと依存はないわ。嫁ぎ先はいつだって両親が決めるものですもの」

 リネアの声には、一切の悲壮感がない。
 むしろ「そういうものよ」と世界の理を語る聖職者にも似た落ち着きがあった。

「リ、リネア……達観しすぎでは?」
「なんて健気なんだ……!」

 双子の兄は胸を押さえ、うっと声を噛みしめた。その傍らで両親は顔を伏せながら言葉を継いだ。

「ああ、リネア……。ありがとう……! 確かにメルローズ家の放蕩エロ三男坊……いや、三男に可愛いお前を嫁がせるだなんて、私も心のどこかで、ちょっとそれはどうなんだろうって思っていたが……。でもお前がそう言ってくれるなら……本当に助かる」
「リネア、本当にごめんなさいね……。金に目がくらんだ両親を許してちょうだい」

 謝罪しながらも、「しかし金は欲しい」と、しっかり主張してしまうあたり、両親は正直者だ。
 リネアはにっこりと笑った。

「心配しないで。私は家族のために役立てるのなら、その方が嬉しいもの」

 その返答に、両親は胸を押さえて感動し、双子の兄は「やはり妹は天使では?」と鼻をすすった。
 だがリネア当人の胸に湧いていたのは、天使らしからぬ感情だった。
 嫁ぎ先の男がロクでなしと聞いて、彼女の胸に浮かぶのは悲嘆でも覚悟でもなかった。

 血が、ざわついたのだ。

 まるで心の奥底に潜む愉悦が、長い冬眠から首をもたげたようなざわつきである。リネアには、生来少し変わった趣味があった。

 それは、駄犬を躾けることだ。

 例のキャンディも、もとはと言えば悪魔が犬に生まれ変わったのかと疑いたくなるほどの荒くれで、無暗に牙を主張し、指示をすれば逆方向へ走り、挙げ句の果てには兄達を泣かせた事すらある。
 そのキャンディが今やリネアにべったりと寄り添い、巨体を預けてくるほどに従順なのだから、驚異的な変貌である。

 父が「放蕩エロ三男坊」とまで罵り、兄たちが怒鳴るほどの評価ならば、そのメルローズ家三男ギデオンとやらは、よほど筋金入りのろくでなしなのだろう。

 ろくでなし……。すなわち、駄犬。
 そして駄犬とは、言い換えれば伸びしろである。

 リネアは胸元で手を組んだ。なにやら胸の奥に、ふわりとした温かいものを感じる。それが期待なのか、ただの高揚なのか、彼女自身にも判然としない。
 だがひとつ確かなのは……。

(楽しみだわ……)

 その内心を読み取った者は、誰一人としていなかった。
 家族は皆、リネアを健気な天使だと信じて疑わない。だがキャンディだけが、主の口元のわずかな笑みを見て、背中の毛をぶるりと逆立てた。

「リネア……。つらければ、すぐに帰って来るんだよ」

 兄のルシルが心配そうに肩へ手を置く。

「ありがとう、兄様」

 リネアはあどけない笑顔を向けたが、その心は既にメルローズ家の門前まで飛び、ギデオンの姿を想像していた。

 どんな駄犬が待っているのだろう。
 反抗的かしら。無駄に吠えるかしら。噛みつこうとしてくるかしら。
 それとも躾甲斐がある、良い鳴き声をあげるタイプかしら。

 淡い期待と、ぞくりとした愉悦が胸の内で溶け合う。
 兄たちは「リネアは天使だ聖人だ地上に降りた奇跡だ!」と目頭を押さえ、両親は「なんて良い子なの」と鼻を啜っている。

 だがその中心で笑むリネアの本性は、天使でも聖人でもなく、駄犬の尻尾を摘まみ、仕上げることに悦びを感じる、悪魔めいた調教師だ。
 家族が誤解に満ちた信仰を深めている横で、リネアだけが楽しそうに微笑んでいた。その笑みは、誰に向けたものでもない。
 ただ、これから待ち受ける躾の時間を想像した少女が浮かべた、ひどく楽しげで歪な笑みだった。
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