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第7章 特別なお客様
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客人の馬車が入り始めると、使用人たちは息つく暇もなく動き回ることになる。
「――エレノア様。今、下の道に馬車が見えました。そろそろ最初のお客様がお着きになりそうです」
「そう。この時間なら、多分下の郭ね。メリッサはお客様のご案内に回ってくれる?」
「ついでに、スモールハウスの方へお料理をお運びしてまいりますね」
「そうね――クラヴィス、メリッサの補佐をお願いします」
「はい、かしこまりました」
メリッサとクラヴィスは、あらかじめ分けられてあったティーフーズをワゴンから取り出す。
一枚目の銀盆は葡萄を、二枚目の銀盆は蔦を模した装飾が透かし彫りされ、秋晴れの下、空の色を映しやわらかく煌めいている。レースドイリーを一枚挟み盛られたお料理は、自分たちで食べられないのが悔しいくらい美味しそうだ。
野菜やチーズ、ハムや卵を惜しげもなく挟んだサンドイッチや軽い食感のクリスプス。エレノアお気に入りのクッキーに、クリームや飴細工が芸術的に飾られたケーキ。果物や肉をふんだんに詰め込んだパイは、じきに訪れる豊穣の季節を想わせる。ナパージュされたフルーツタルトはきらきらと光を反射し、まるで宝石の山のようだ。飴や砂糖菓子が盛られた小鉢もある。
同じく、ロングテーブルに銀盆を並べていたソワレに、ナーデルが話しかける。
「お客様の中には、このティーパーティーを使用人の査定に使う方もいらっしゃるそうですよ~。春と秋ごと、仕事ぶりや素行の良かった使用人だけを、ご褒美としてお供させるそうで」
「それはまた……すごいお話ですね」
「でしょう~。ティーパーティーが近くなると、使用人の方々は一生懸命お仕事なさるんだとか~。普段は口にできないお菓子もありますし、飴なんかはお土産にもできますし。もしかしたら待ち時間は、使用人にとってもパーティーかもしれませんね~」
そんなトルテュフォレの使用人たちの会話に、エレノアは苦笑する。それでも普段の働きに一役買っていると思えばいいのか。パーティーのくだりだけは、自分の使用人にさせてあげられないのが申し訳ない。
メリッサらを見送ったエレノアは、そのままヘンドリックの元へ向かう。
「――ヘンドリック、そろそろ最初のお客様がお見えになるみたい。きっと警備隊の方々ね。なにかあるときには、いつも十五分前には控えてくれているし。他のお客様にはばかって毎回下の郭をご利用になるから、今メリッサを迎えに遣りました」
「そうですね――テーブルも整ってまいりましたので、我々もお出迎えの準備に移りましょう」
「ええ」
エレノアはロングテーブルで作業するソワレとナーデルを呼ぶ。
「――ナーデル、ウィシュカが来るまでこちらはお願いいたします。クラヴィスが戻ってきたら合流して、テーブル回りのお客様の対応と、紅茶やお菓子の準備に移ってください。職人組合の方々がお見えになる頃にはリュカ様やベリンダ先生もいらっしゃると思うから、その後は配膳やお片付けに回ってちょうだい」
「かしこまりました~」
「ソワレも、もう大丈夫そうね。お出迎えのときはとにかく忙しくなるから、頼りにしてるわ」
「はい、お任せください」
「うん、いい笑顔。――あら、トローエルがいないわ。トローエルー!」
相変わらず庭を歩き、たまにしゃがみこんでは作業をしていたトローエル。姿が見えないので声を上げて呼べば、花の間から汚れた手がひらひらと返事をしてくれた。急いで手を洗ってもらい、四人で軽く身だしなみを整え合ってから、お客様の到着を待った。
・◆・◆・◆・
遠い昔、戦のため丘の上に築城されたトルテュフォレ城。麓のシセラスの街からは実は見た目以上に距離があり、現在は馬や馬車での移動が主な交通手段になっている。城までの道は馬車を入れるため勾配の緩やかなつづら折りになっており、それがまた距離を遠くしている一因でもあった。
もちろん徒歩でも行き来はできるのだが、時間や体力の問題がつきまとってしまう場合が多い。そのため使用人や地元の人間は、軽い用事の際などは徒歩が移動手段であった頃の細い旧道を利用している。こちらは直線に近いが途中には開けた場所もあり、陽気のいい季節にはピクニックに訪れる家族もいる。荷を積んだロバがのんびり坂道を登ってくる風景も、どこか懐かしい。
丘の上の全体的な構造としては、城がそびえる上郭と下郭に分かれているが、この下の郭までしか馬車での立ち入りが許されない時代もあったらしい。
時を経て上郭まで直接乗り入れできるように道が拓かれたが、今を生きるエレノアは非常に助かっている。上下の郭は階段で行き来できる程度の距離ではあるが、物資の搬入作業を考えると、やはり上まで直接来てもらいたい。
自分がしてきたこと、これから為すことで、後の世の家令が救われることがあるのだろうか――。それを考えたこともあったが、まだ思いつかない。
一方で下の郭は現在、使用人たちの生活圏として利用されている。それはたとえば、トローエルの作業小屋であったりウィシュカの菜園であったり。かつては家畜などを放っていたのだろう空き地もあり、晴れの日ともなれば衣類はもちろんシーツやテーブルクロスが一面に干され、夏は非常に清々しい。
城のエントランスに続くような人目に触れる部分はしっかりと手入れされているが、エレノアはこの辺りの風景が特に好きだった。
二つの郭を結ぶメインの石造りの階段はまるで花嫁のヴェールのように広がり、その曲線に沿って伸びる重厚な手摺りと守護獣は、訪れた人を神代の昔へといざなうかのように古寂び、薄い苔を抱いている。その階段の左右にはシセラスの花ともいえる薔薇の花が植え付けられ、今の季節は上品な色合いのオータムロゼッタが慎ましやかに花開き、まるで老夫婦のようにその黒ずんだ石と寄り添っていた。
そのロゼッタの花に囲まれて、フォリーと呼ばれる役目を持たない装飾用の円塔があったが、こちらは幼いエレノアの恰好の遊び場であった。二階建てに届かないほどの低い塔で、中にはやはり石造りの円卓が設けられていたが、入口は小さく大人には入れない。つまりは本当に意味をなさない建物なのだが、中は螺旋状に抜かれた小窓から直線的に差し込む光が幻想的に重なり合い、碧みがかった空気に、水底のような静謐が満ちていた。
幼かったエレノアは、自分専用の小さなスコップで野花や庭から失敬した小花を地面に植え、こつこつと秘密の花園を作ると、その花畑から浮き出た円卓を舞台にダンスの練習をした。
一人光に照らされながら音楽を口遊み、誰に咎められることなく思いきりスカートを翻してステップを踏む。そのときだけは、エレノアは塔の中のお姫様だった。
成長とともに入口はくぐれなくなってしまい、自分専用のスコップも埋もれたか〝精霊様のお気に入り〟に加えられてしまったが、そのときに植えた野花だけは力強く根付き、今でも円塔の底の深海で小さな姫君を待っている。
きゃあきゃあと、子供特有の甲高い声が聞こえてきたのは間もなくだった。エレノアはあの光のトンネルを思い出し、思わず顔をほころばせる。
メリッサに導かれやってきた客人は家族連れが多く、途端に庭園が賑やかになった。一団の大人のほとんどは儀仗服と呼ばれる格式あるスーツとショートマントを着用し、腰から飾剣を提げている。右肩から胸元へ垂らされた飾緒に、刺繍やワッペンで装飾された襟や袖口。実用性よりも美しい見た目を最優先にしたその衣装は、警備隊の人間が特にフォーマルな場で身につけるものだ。
「――エレノアさまー!」
「おい待て、走るな! さっきも葉っぱ蹴ってて転んだだろ!」
その先頭から、父親の制止をすり抜けて数人の子供たちが駆けてくる。
「エレノアさま、こんにちはー!」
「違うよ、昨日お父さんが練習してたでしょう。本日はお招きいただき、きょうえつしごくに存じます、よ。お城にお呼ばれしたんだから、ごあいさつも特別じゃなきゃ」
「ふふ、こんにちは。本日はようこそいらっしゃいました。皆さん、少し見ないうちに大きくなりましたね」
「見て、きれいな葉っぱ拾ったの。エレノア様のお洋服とおんなじ色」
「木の実もあった!」
「まあ、本当に。どちらも綺麗な秋の色ですね」
「――ほら、ちゃんと並べ」
エレノアが子供たちを迎えていると、後ろからやってきた父親が子供たちを軽々と抱き上げて自身の横に並ばせる。父親はがっちりとした体を窮屈そうに儀仗服に収めており、剣の位置を整えると改めて姿勢を正し、敬礼した。儀仗服を纏う人間は整列してそれに倣い、その光景は壮観でもある。
「あー、エレノア=レコンフォール様。本日は我々一介の警備隊員まで、このような場にお招きいただき、えー、恐悦至極に存じます――」
「カルロ隊長、ならびに警備隊の皆様、本日はようこそお越しくださいました。日々トルテュフォレのためにご尽力くださり、心より御礼申し上げます。今日は皆様が心よりお楽しみいただけるよう使用人一同努めてまいりますので、どうぞごゆっくりお過ごしください」
「――はっ!」
エレノアが返礼すれば、気持ちのよいくらい威勢のいい声がそろって返ってくる。それからは見知った隊員たちの家族も挨拶に訪れてくれた。
「いつもお招きいただきありがとうございます、エレノア様」
「サラ様、本日はようこそおいでくださいました」
「相変わらず不調法なご挨拶でごめんなさいね。夫も子供たちも、春と秋になるとこの話ばかりで――あなたたちはちゃんとご挨拶できたの?」
「お父さんよりちゃんとできたよ。これでわたしも、お城の騎士になれる?」
「こらっ!」
そのほほえましい親子のやりとりに、エレノアもつい笑ってしまう。
トルテュフォレが夜警を依頼している街の警備隊の隊長を務めるカルロは、エレノアの亡き父の友人でもあった。話を聞く限り、親友というのか悪友というのか、街のガキ大将だったカルロが父を巻き込み方々で悪さをし、大人たちや教師に一緒になって怒られて――ということを繰り返していたらしい。しかしそのエピソードを語る人々の顔や言葉に悪意がないところをみると、本当に仲がよかったということなのだろう。
警備隊に入隊してからは鍛錬と仲間たちとの飲み会に明け暮れて婚期を逃しかけ、親にだまし討ちされた縁談で出会ったサラに一目惚れし結婚。それからは一回りも若いお嫁さんに手綱を握られて酒も無事卒業し、夫婦仲睦まじく今では一男四女の父となっている。
「あっ、お人形さんがいる!」
「ねえお母さん、カップ選んでいい? あたしあのカップがいい。キラキラしてるやつ」
「おい待て、駄目だ駄目だ。それは絶対高いやつだろ、万が一割ったりでもしたらお前たちの飯がなくなるんだぞ――サラ、子供たちはみんなそっちの白いにしとけ」
「まあ――さすが隊長、お目が高い。そちらは何代か前の家令が東洋から輸入した、最高級の白磁になりますの。常は青みを帯びた白、光にかざせば銀世界のようにまばゆく輝く、純白の器なのだとか」
「……一番、安いので頼んでいいか?」
すでにロングテーブルの方に興味を移している子供たちに、エレノアはメイドたちを呼び案内を任せる。すでに顔見知りのメイドらは手際よく子供たちの相手をし、手拭きを渡したりカップやお菓子を取り分けていた。それにつられて、他の隊員やその家族たちも続々とテーブルの方に集まり始める。そんな光景をはらはらと見守りながら、カルロはがっくりと肩を落とした。
「いや――毎度毎度、面目ない。すまんな、レコンフォール嬢。普段は食い逃げだの酔っぱらいの喧嘩だの、そんなんばっかの相手してるもんだからな――こういう場はどうも緊張する。子供たちは珍しい菓子が食えるのと、普段遠くに見える城がでっかく見えるのが嬉しいらしくてな。呑気なもんだ」
「立派なお仕事ですわ。お子さんもお健やかで何よりです。皆さんとても愛らしくて――父が生きていたら、きっと同じように喜んだと思います」
「……ああ。俺も、親友の娘の元気な姿を見られて嬉しいよ。ところで――」
ふっとやわらかく笑んだ顔が、すぐに辺りを窺うような険しい顔つきになり、エレノアは小首をかしげる。
「その親友の代わりといっちゃなんだが、最近城に居着いたとかいう、怪しい流れの画家は大丈夫か? 深夜早朝と関係なく呼び出されていたそうじゃないか。悪い虫に言い寄られてんじゃないかと、心配でな」
「まあ――そこまでお話が伝わっていたなんて、お恥ずかしい。それはヴァイス様とおっしゃる放浪画家です。芸術家気質とでも申しますか少々破天荒な方で、今はまた旅に出てしまっているのですけれど――王都の方に確たるパトロンがいらして、身の証も立った方ですので」
「そうか――パトロンがいたのか。金目的じゃなさそうだな。いやしかし、年頃の娘と同じ屋根の下に、そんな根無し草の若い男がうろうろしてるってのがな。その辺りは、ヘンドリック様やリュカ様がお許しになってんなら大丈夫だろうが……」
さらに声を潜め、カルロは続ける。
「……うちの若いのを、助けてくれたってな。礼を言う。王都の成金貴族なんか、面倒事以外の何物でもないからな……剣を抜かせなかったことだけは、そいつに感謝する」
「……あの嵐の晩は、わたくしが至らなかったせいで逆にご迷惑をおかけしてしまいました。ともに不埒者に応じてくださって、わたくしの方こそ皆様には感謝しております。……そちらは今のところ問題はありませんので、どうかお気になさらず。万が一なにか起きた場合もこちらで対処するよう、すでにヘンドリックとも申し合わせております。内々のお話にしていただいているだけで、随分と助かりました」
「うん……すまんな。そういうことはどうも現場の俺たちは弱くてな……。だが俺たちは皆お前さんの味方だから、何かあったらまたすぐに伝えてくれ。事務方総出で事に当たらせる。俺たち街の人間にとっては、トルテュフォレのあるじはずっとお前さんたちレコンフォール家の人間で、お前さんはお姫様も同じだ。街の若いのの中には、本物の騎士になりたいとわざわざ警備隊を選んでトルテュフォレの夜警を申し出る人間もいる。――それを、忘れないでくれ」
「恐れ多いことです。でも……ありがとうございます」
深々と頭を下げるエレノアのその頭を、カルロはまるで自身の子供にするようにぐしゃぐしゃとなでつける。それをサラに見咎められてやはり子供のように叱られているのを、他の隊員が笑って眺めていた。
「――エレノア様。今、下の道に馬車が見えました。そろそろ最初のお客様がお着きになりそうです」
「そう。この時間なら、多分下の郭ね。メリッサはお客様のご案内に回ってくれる?」
「ついでに、スモールハウスの方へお料理をお運びしてまいりますね」
「そうね――クラヴィス、メリッサの補佐をお願いします」
「はい、かしこまりました」
メリッサとクラヴィスは、あらかじめ分けられてあったティーフーズをワゴンから取り出す。
一枚目の銀盆は葡萄を、二枚目の銀盆は蔦を模した装飾が透かし彫りされ、秋晴れの下、空の色を映しやわらかく煌めいている。レースドイリーを一枚挟み盛られたお料理は、自分たちで食べられないのが悔しいくらい美味しそうだ。
野菜やチーズ、ハムや卵を惜しげもなく挟んだサンドイッチや軽い食感のクリスプス。エレノアお気に入りのクッキーに、クリームや飴細工が芸術的に飾られたケーキ。果物や肉をふんだんに詰め込んだパイは、じきに訪れる豊穣の季節を想わせる。ナパージュされたフルーツタルトはきらきらと光を反射し、まるで宝石の山のようだ。飴や砂糖菓子が盛られた小鉢もある。
同じく、ロングテーブルに銀盆を並べていたソワレに、ナーデルが話しかける。
「お客様の中には、このティーパーティーを使用人の査定に使う方もいらっしゃるそうですよ~。春と秋ごと、仕事ぶりや素行の良かった使用人だけを、ご褒美としてお供させるそうで」
「それはまた……すごいお話ですね」
「でしょう~。ティーパーティーが近くなると、使用人の方々は一生懸命お仕事なさるんだとか~。普段は口にできないお菓子もありますし、飴なんかはお土産にもできますし。もしかしたら待ち時間は、使用人にとってもパーティーかもしれませんね~」
そんなトルテュフォレの使用人たちの会話に、エレノアは苦笑する。それでも普段の働きに一役買っていると思えばいいのか。パーティーのくだりだけは、自分の使用人にさせてあげられないのが申し訳ない。
メリッサらを見送ったエレノアは、そのままヘンドリックの元へ向かう。
「――ヘンドリック、そろそろ最初のお客様がお見えになるみたい。きっと警備隊の方々ね。なにかあるときには、いつも十五分前には控えてくれているし。他のお客様にはばかって毎回下の郭をご利用になるから、今メリッサを迎えに遣りました」
「そうですね――テーブルも整ってまいりましたので、我々もお出迎えの準備に移りましょう」
「ええ」
エレノアはロングテーブルで作業するソワレとナーデルを呼ぶ。
「――ナーデル、ウィシュカが来るまでこちらはお願いいたします。クラヴィスが戻ってきたら合流して、テーブル回りのお客様の対応と、紅茶やお菓子の準備に移ってください。職人組合の方々がお見えになる頃にはリュカ様やベリンダ先生もいらっしゃると思うから、その後は配膳やお片付けに回ってちょうだい」
「かしこまりました~」
「ソワレも、もう大丈夫そうね。お出迎えのときはとにかく忙しくなるから、頼りにしてるわ」
「はい、お任せください」
「うん、いい笑顔。――あら、トローエルがいないわ。トローエルー!」
相変わらず庭を歩き、たまにしゃがみこんでは作業をしていたトローエル。姿が見えないので声を上げて呼べば、花の間から汚れた手がひらひらと返事をしてくれた。急いで手を洗ってもらい、四人で軽く身だしなみを整え合ってから、お客様の到着を待った。
・◆・◆・◆・
遠い昔、戦のため丘の上に築城されたトルテュフォレ城。麓のシセラスの街からは実は見た目以上に距離があり、現在は馬や馬車での移動が主な交通手段になっている。城までの道は馬車を入れるため勾配の緩やかなつづら折りになっており、それがまた距離を遠くしている一因でもあった。
もちろん徒歩でも行き来はできるのだが、時間や体力の問題がつきまとってしまう場合が多い。そのため使用人や地元の人間は、軽い用事の際などは徒歩が移動手段であった頃の細い旧道を利用している。こちらは直線に近いが途中には開けた場所もあり、陽気のいい季節にはピクニックに訪れる家族もいる。荷を積んだロバがのんびり坂道を登ってくる風景も、どこか懐かしい。
丘の上の全体的な構造としては、城がそびえる上郭と下郭に分かれているが、この下の郭までしか馬車での立ち入りが許されない時代もあったらしい。
時を経て上郭まで直接乗り入れできるように道が拓かれたが、今を生きるエレノアは非常に助かっている。上下の郭は階段で行き来できる程度の距離ではあるが、物資の搬入作業を考えると、やはり上まで直接来てもらいたい。
自分がしてきたこと、これから為すことで、後の世の家令が救われることがあるのだろうか――。それを考えたこともあったが、まだ思いつかない。
一方で下の郭は現在、使用人たちの生活圏として利用されている。それはたとえば、トローエルの作業小屋であったりウィシュカの菜園であったり。かつては家畜などを放っていたのだろう空き地もあり、晴れの日ともなれば衣類はもちろんシーツやテーブルクロスが一面に干され、夏は非常に清々しい。
城のエントランスに続くような人目に触れる部分はしっかりと手入れされているが、エレノアはこの辺りの風景が特に好きだった。
二つの郭を結ぶメインの石造りの階段はまるで花嫁のヴェールのように広がり、その曲線に沿って伸びる重厚な手摺りと守護獣は、訪れた人を神代の昔へといざなうかのように古寂び、薄い苔を抱いている。その階段の左右にはシセラスの花ともいえる薔薇の花が植え付けられ、今の季節は上品な色合いのオータムロゼッタが慎ましやかに花開き、まるで老夫婦のようにその黒ずんだ石と寄り添っていた。
そのロゼッタの花に囲まれて、フォリーと呼ばれる役目を持たない装飾用の円塔があったが、こちらは幼いエレノアの恰好の遊び場であった。二階建てに届かないほどの低い塔で、中にはやはり石造りの円卓が設けられていたが、入口は小さく大人には入れない。つまりは本当に意味をなさない建物なのだが、中は螺旋状に抜かれた小窓から直線的に差し込む光が幻想的に重なり合い、碧みがかった空気に、水底のような静謐が満ちていた。
幼かったエレノアは、自分専用の小さなスコップで野花や庭から失敬した小花を地面に植え、こつこつと秘密の花園を作ると、その花畑から浮き出た円卓を舞台にダンスの練習をした。
一人光に照らされながら音楽を口遊み、誰に咎められることなく思いきりスカートを翻してステップを踏む。そのときだけは、エレノアは塔の中のお姫様だった。
成長とともに入口はくぐれなくなってしまい、自分専用のスコップも埋もれたか〝精霊様のお気に入り〟に加えられてしまったが、そのときに植えた野花だけは力強く根付き、今でも円塔の底の深海で小さな姫君を待っている。
きゃあきゃあと、子供特有の甲高い声が聞こえてきたのは間もなくだった。エレノアはあの光のトンネルを思い出し、思わず顔をほころばせる。
メリッサに導かれやってきた客人は家族連れが多く、途端に庭園が賑やかになった。一団の大人のほとんどは儀仗服と呼ばれる格式あるスーツとショートマントを着用し、腰から飾剣を提げている。右肩から胸元へ垂らされた飾緒に、刺繍やワッペンで装飾された襟や袖口。実用性よりも美しい見た目を最優先にしたその衣装は、警備隊の人間が特にフォーマルな場で身につけるものだ。
「――エレノアさまー!」
「おい待て、走るな! さっきも葉っぱ蹴ってて転んだだろ!」
その先頭から、父親の制止をすり抜けて数人の子供たちが駆けてくる。
「エレノアさま、こんにちはー!」
「違うよ、昨日お父さんが練習してたでしょう。本日はお招きいただき、きょうえつしごくに存じます、よ。お城にお呼ばれしたんだから、ごあいさつも特別じゃなきゃ」
「ふふ、こんにちは。本日はようこそいらっしゃいました。皆さん、少し見ないうちに大きくなりましたね」
「見て、きれいな葉っぱ拾ったの。エレノア様のお洋服とおんなじ色」
「木の実もあった!」
「まあ、本当に。どちらも綺麗な秋の色ですね」
「――ほら、ちゃんと並べ」
エレノアが子供たちを迎えていると、後ろからやってきた父親が子供たちを軽々と抱き上げて自身の横に並ばせる。父親はがっちりとした体を窮屈そうに儀仗服に収めており、剣の位置を整えると改めて姿勢を正し、敬礼した。儀仗服を纏う人間は整列してそれに倣い、その光景は壮観でもある。
「あー、エレノア=レコンフォール様。本日は我々一介の警備隊員まで、このような場にお招きいただき、えー、恐悦至極に存じます――」
「カルロ隊長、ならびに警備隊の皆様、本日はようこそお越しくださいました。日々トルテュフォレのためにご尽力くださり、心より御礼申し上げます。今日は皆様が心よりお楽しみいただけるよう使用人一同努めてまいりますので、どうぞごゆっくりお過ごしください」
「――はっ!」
エレノアが返礼すれば、気持ちのよいくらい威勢のいい声がそろって返ってくる。それからは見知った隊員たちの家族も挨拶に訪れてくれた。
「いつもお招きいただきありがとうございます、エレノア様」
「サラ様、本日はようこそおいでくださいました」
「相変わらず不調法なご挨拶でごめんなさいね。夫も子供たちも、春と秋になるとこの話ばかりで――あなたたちはちゃんとご挨拶できたの?」
「お父さんよりちゃんとできたよ。これでわたしも、お城の騎士になれる?」
「こらっ!」
そのほほえましい親子のやりとりに、エレノアもつい笑ってしまう。
トルテュフォレが夜警を依頼している街の警備隊の隊長を務めるカルロは、エレノアの亡き父の友人でもあった。話を聞く限り、親友というのか悪友というのか、街のガキ大将だったカルロが父を巻き込み方々で悪さをし、大人たちや教師に一緒になって怒られて――ということを繰り返していたらしい。しかしそのエピソードを語る人々の顔や言葉に悪意がないところをみると、本当に仲がよかったということなのだろう。
警備隊に入隊してからは鍛錬と仲間たちとの飲み会に明け暮れて婚期を逃しかけ、親にだまし討ちされた縁談で出会ったサラに一目惚れし結婚。それからは一回りも若いお嫁さんに手綱を握られて酒も無事卒業し、夫婦仲睦まじく今では一男四女の父となっている。
「あっ、お人形さんがいる!」
「ねえお母さん、カップ選んでいい? あたしあのカップがいい。キラキラしてるやつ」
「おい待て、駄目だ駄目だ。それは絶対高いやつだろ、万が一割ったりでもしたらお前たちの飯がなくなるんだぞ――サラ、子供たちはみんなそっちの白いにしとけ」
「まあ――さすが隊長、お目が高い。そちらは何代か前の家令が東洋から輸入した、最高級の白磁になりますの。常は青みを帯びた白、光にかざせば銀世界のようにまばゆく輝く、純白の器なのだとか」
「……一番、安いので頼んでいいか?」
すでにロングテーブルの方に興味を移している子供たちに、エレノアはメイドたちを呼び案内を任せる。すでに顔見知りのメイドらは手際よく子供たちの相手をし、手拭きを渡したりカップやお菓子を取り分けていた。それにつられて、他の隊員やその家族たちも続々とテーブルの方に集まり始める。そんな光景をはらはらと見守りながら、カルロはがっくりと肩を落とした。
「いや――毎度毎度、面目ない。すまんな、レコンフォール嬢。普段は食い逃げだの酔っぱらいの喧嘩だの、そんなんばっかの相手してるもんだからな――こういう場はどうも緊張する。子供たちは珍しい菓子が食えるのと、普段遠くに見える城がでっかく見えるのが嬉しいらしくてな。呑気なもんだ」
「立派なお仕事ですわ。お子さんもお健やかで何よりです。皆さんとても愛らしくて――父が生きていたら、きっと同じように喜んだと思います」
「……ああ。俺も、親友の娘の元気な姿を見られて嬉しいよ。ところで――」
ふっとやわらかく笑んだ顔が、すぐに辺りを窺うような険しい顔つきになり、エレノアは小首をかしげる。
「その親友の代わりといっちゃなんだが、最近城に居着いたとかいう、怪しい流れの画家は大丈夫か? 深夜早朝と関係なく呼び出されていたそうじゃないか。悪い虫に言い寄られてんじゃないかと、心配でな」
「まあ――そこまでお話が伝わっていたなんて、お恥ずかしい。それはヴァイス様とおっしゃる放浪画家です。芸術家気質とでも申しますか少々破天荒な方で、今はまた旅に出てしまっているのですけれど――王都の方に確たるパトロンがいらして、身の証も立った方ですので」
「そうか――パトロンがいたのか。金目的じゃなさそうだな。いやしかし、年頃の娘と同じ屋根の下に、そんな根無し草の若い男がうろうろしてるってのがな。その辺りは、ヘンドリック様やリュカ様がお許しになってんなら大丈夫だろうが……」
さらに声を潜め、カルロは続ける。
「……うちの若いのを、助けてくれたってな。礼を言う。王都の成金貴族なんか、面倒事以外の何物でもないからな……剣を抜かせなかったことだけは、そいつに感謝する」
「……あの嵐の晩は、わたくしが至らなかったせいで逆にご迷惑をおかけしてしまいました。ともに不埒者に応じてくださって、わたくしの方こそ皆様には感謝しております。……そちらは今のところ問題はありませんので、どうかお気になさらず。万が一なにか起きた場合もこちらで対処するよう、すでにヘンドリックとも申し合わせております。内々のお話にしていただいているだけで、随分と助かりました」
「うん……すまんな。そういうことはどうも現場の俺たちは弱くてな……。だが俺たちは皆お前さんの味方だから、何かあったらまたすぐに伝えてくれ。事務方総出で事に当たらせる。俺たち街の人間にとっては、トルテュフォレのあるじはずっとお前さんたちレコンフォール家の人間で、お前さんはお姫様も同じだ。街の若いのの中には、本物の騎士になりたいとわざわざ警備隊を選んでトルテュフォレの夜警を申し出る人間もいる。――それを、忘れないでくれ」
「恐れ多いことです。でも……ありがとうございます」
深々と頭を下げるエレノアのその頭を、カルロはまるで自身の子供にするようにぐしゃぐしゃとなでつける。それをサラに見咎められてやはり子供のように叱られているのを、他の隊員が笑って眺めていた。
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宮廷魔術師の私には、密かに想いを寄せる騎士団長がいる。彼のために自作した惚れ薬を夜会の酒杯に忍ばせる…までは完璧な計画だったのに、その酒杯をぐいっと飲み干したのは、よりにもよって私の天敵である副団長のザカリー様だった! 普段は皮肉屋で私に意地悪ばかりしてくる彼が、「ずっと君だけを見ていた」なんて熱っぽい瞳で囁いてくる。薬の効果は明日の朝日が昇るまで。一晩だけの甘い悪夢だとわかっているのに、普段の彼からは想像もできない優しいキスに、私の心臓はうるさくて…。薬のせいだと割り切りたい一夜のドタバタラブコメディ。
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