【第一部完結】精霊の幸う国の古城管理人

橘佐和

文字の大きさ
37 / 40
第7章 特別なお客様

しおりを挟む
 庭園に戻ると、ソワレはヘンドリックの元で先程のワゴンのものをロングテーブルに並べていた。紅茶缶と銘柄を記したカードがちぐはぐにならないよう、細かく指導されている。林檎、カボチャ、マロン。秋にぴったりのフレーバーもある。それが落ち着いたのを見計らって、エレノアは二人に声をかけた。
「ヘンドリック――少しソワレと話したいのだけど、いい?」
「ええ、ソワレから聞いております。ですがあまり、長くなりませんよう」
「ありがとう。――ソワレ。一緒にお庭を回ってみない? お庭一週分だけ、のんびりしましょう」
「エレノア様……はい」
促すように手を引けば、ソワレが肩の力を抜くのがわかった。ソワレはヘンドリックに一礼すると、エレノアの隣に並んだ。

 庭園には、花に溶け込むように青藍のクロスがかかった小さな丸テーブルが間隔を開けて置かれている。あの人形ドールのテーブルも、これを倣ったものだろう。丸テーブルの中央にはキッチンパラソルがかぶせられた小さなケーキスタンドが置かれており、花と花の隙間からちらちらとネットが見え隠れしていた。二人はそれを辿るように、ゆっくりと歩みを進める。
「――さっきは初めての厨房で、嫌な思いをさせてしまってごめんなさいね」
 エレノアが謝れば、ソワレは慌てたように頭を横に振り、言葉を続ける。
「違います、私以外の皆さんは――それはもう、見事でした。ウィシュカさんもあざやかなお手並みで、クラヴィスさんたちとの連携も素晴らしかったです。あの――先程の件も、本当は私が」
「いいのよ、ソワレ。いえ、よくはないけれど――クラヴィスはあの後もあなたを責めませんでしたよ。美味しいクッキーも、ちょっぴり二人でいただけたし」
「……エレノア様」
ヘンドリックには内緒、と人差し指を鼻先で立てれば、ソワレは困ったようにほほえみ、頷いてくれた。
「ウィシュカはお菓子作りの腕も一級品なの。街の社交界では、『トルテュフォレのティーパーティーにはコルセットを緩めて行くのがシセラス淑女レディのマナー』とまで言われているわ。見てなさい、あっという間にお客様のお腹に消えてなくなるから」
「ああ……そうなのですね。それは少しだけ、残念です」
そういうソワレも、そういえばこの頃は食事の量が増えてきたなとエレノアは笑みを返す。新しい生活にも、多少は慣れてくれたのだろう。
「代わりと言ってはなんだけど、アレックスを見習って、少し知識でお腹をふくらませましょうか」
「知識で?」
「ええ。さしあたって、クローマチェストのお菓子の歴史なんてどうかしら。――甘い花蜜ネクターが豊富に採れるクローマチェストでは、お菓子の開発と普及が他国に比べて格段に早かったそうなの。外敵にも内乱にも怯えることがないほどに国が落ち着き、大地が富んでからは一定の階層以上の人々には加速度的に広まったらしいわ。他国では珍しい、菓子職人の組合も設立されているくらい」
「そうなのですか? 皆さん普通に召し上がっていますし、普通にあるものだと思っていました」
「そうね。今のクローマチェストでは、生地に花蜜を混ぜ込んで焼くだけの昔ながらのパンや焼き菓子ガレット、固めた飴などは一般的に市場に流通しているし、精霊のご機嫌がよければ木の実や果物も豊富に採れる。ああ、あとお米が採れる南の地域では、特産として、花蜜とミルクで煮た甘いお粥やプディング、米粉のお菓子なんかがあるって、前にウィシュカが言っていたかしら。それでも質のいい白小麦や白砂糖、あとはカカオやスパイスね――こだわれば、まだ高価なものには変わりないけれど」
「クローマチェスト人にとってお菓子は、身近なものでもあり贅沢なものでもあるのですね」
「ええ。でも幼い頃から触れているものだからか、お菓子を食べるときのマナーなんかはそれほど厳しくないのよ。よその国ではお菓子の種類ごとに食べる順番だとか、ジャムやクリームをぬる順番だとか、事細かく定められているところもあるようだけど――クローマチェストのお茶会では、まずは楽しく美味しく、がお客様側の一番のマナー」
近くのテーブルで足を止め、エレノアはキッチンパラソルの取っ手に触れる。
「それでもお客様の中には、あちらのロングテーブルまでお菓子を取りに行けないくらい、奥ゆかしいご婦人や硬派な紳士がいらして――だからそういう方たちが忍んで、けれど自由にお菓子を楽しめるようにと、こうして花に紛れてケーキスタンドをご用意しているの。そうね、マナーというなら、無口で強面こわもての職人肌の親方が、可愛らしいタルトを食べてほほえんだとしても、見なかったふりをしてそっと補充に向かう――それが主催者側のマナーかしら」
「それは、とても粋な計らいだと思います」
「ふふ。みんなと同じように、お客様にもいろいろな方がいらっしゃるのよ」
「……」
エレノアが言わんとすることを察してくれたのか、ソワレは眉を下げ口元だけに笑みを刻む、複雑な表情で頷く。責めるのでなく、受け入れる言葉を選んだつもりだったが……まだ上手く、ソワレの心には届けられなかったらしい。
(難しいね)
自分で自分の心に語りかけつつ、エレノアは考える。
 ソワレは察しもよく、うわべだけの生半可な言葉では余計に傷つけてしまう。ソワレに関してエレノアが早くに自身に課したことの一つに、「嘘をつかない」ということがあるが、それさえ伝われば、ソワレはまっすぐに向き合ってくれる。
 年上の男性に使うには少々ふさわしくない言葉ではあるが、根がいい子なのだ。透き通った湖水のように純粋で。
 エレノアは手紙を書くときと同じように、寄り添うか、包みこめる言葉をゆっくりと、けれどできる限り丁寧に探して、編む。
「――ご挨拶のときは、大体このテーブルを目安に回ることになると思います。本来はお客様がカップやお皿を置いて、ゆっくりと握手や雑談ができるようにするためのテーブルだから。招待状をお出ししたお客様はもうほとんど立ち位置が決まっているので、ヘンドリックの話をよく聞いて、いつもどおりご挨拶すれば大丈夫よ」
「……はい」
「あなたにとっては初めてのイベントですからね……どうしたって緊張すると思います。ミスが出ることも仕方ないわ。わたくしだって、慣れないことや初めてのことは、やっぱり緊張するもの。実を言うと、わたくしもこういった場は少々苦手です」
「えっ……。エレノア様も……ですか?」
「ええ。でもそういうときは、いつもヘンドリックが言ってくれたの。まずは深呼吸って」
「深呼吸?」
「そう。こう――」
 エレノアは言葉とともに、まるで劇舞台の俳優や歌手のように右手を胸に置き、左手は横に伸ばして、ポーズを決める。
「胸がいっぱいになるくらい鼻から息を吸ってー、体の力を全部抜くつもりで、ゆっくりと口から吐き出すー。――もう、真面目に言ってるんだから。ほら一緒に」
「は、はい。……申し訳ありません」
ソワレは一瞬驚いたように目を丸くしたが、何がそんなに面白かったのか、一息を吐く頃にはまるで込み上げてくるものをこらえるかのような笑みを浮かべて、エレノアを見つめていた。エレノアからしてみれば少々不本意ではあったが、本来の目的の一つでもあったのだから、とりあえず良しとする。
 二人並んで、背伸びをせんばかりに秋と花の空気を目一杯に吸って――代わりに体中の不安や憂鬱を吐き出せば――顔を見合わせたときには、自然と笑いがこぼれた。
「こうすると不安や緊張が和らいで、気持ちが落ち着くのですって」
「心なしか、頭もすっきりしたような気がします」
「そうね――」
それが功を奏したのか、エレノアもふとあることを思いつく。それから悪戯そうに目を細め口角を上げると、ソワレの頬を両手で包み、つまんで左右に引き伸ばした。
「へ――」
「リュカ様直伝のおまじないです。こうすると、自然と笑顔になれるのですよ」
「ほんろうれすか?」
「あら、わたくしがあなたに嘘をついたことがあって?」
上手く舌が回らないまま紡がれた言葉に、エレノアの悪戯心がますます湧き上がる。ひとしきりむにゅむにゅとして美貌が崩れる様を楽しんだあとは、笑われたことに対する溜飲も下がったので、大人しく手を離すことにした。
「エレノア様――」
「あなたの笑顔の素晴らしさと、一生懸命仕事に向かうひたむきさは、見る人誰にでも伝わるわ。大丈夫――ここはあなたとわたくしが初めて出会った場所。あのときのように、不器用でもいい、まっすぐなご挨拶をお客様にも見せてさしあげて。それに、あなたの声も――」
「声?」
「ええ。まるで川のとろのように穏やかで、清らかな潤いがある――ソワレ、あなたの声って、とっても素敵よ」
「……」
ソワレの頬に赤みが差す。それから出会ったときと同じように照れくさそうに目を伏せはにかんだあと、エレノアの目をしっかりと見据えて顔を上げた。
「……ありがとうございます、エレノア様。――あるじたるあなた様の恥にならぬよう、本日は精一杯に務めてまいります」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

哲子67歳★恋して焦げて乱れ咲き♪

obbligato
恋愛
67歳、二次元大好き独身女子のぶっとんだ恋愛劇。 ※哲子は至って真面目に恋愛しています。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

もしもゲーム通りになってたら?

クラッベ
恋愛
よくある転生もので悪役令嬢はいい子に、ヒロインが逆ハーレム狙いの悪女だったりしますが もし、転生者がヒロインだけで、悪役令嬢がゲーム通りの悪人だったなら? 全てがゲーム通りに進んだとしたら? 果たしてヒロインは幸せになれるのか ※3/15 思いついたのが出来たので、おまけとして追加しました。 ※9/28 また新しく思いつきましたので掲載します。今後も何か思いつきましたら更新しますが、基本的には「完結」とさせていただいてます。9/29も一話更新する予定です。 ※2/8 「パターンその6・おまけ」を更新しました。 ※4/14「パターンその7・おまけ」を更新しました。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

惚れ薬を自作して敬愛する騎士団長に飲ませたら、なぜか天敵の副団長が一晩中私を口説いてきました

藤森瑠璃香
恋愛
宮廷魔術師の私には、密かに想いを寄せる騎士団長がいる。彼のために自作した惚れ薬を夜会の酒杯に忍ばせる…までは完璧な計画だったのに、その酒杯をぐいっと飲み干したのは、よりにもよって私の天敵である副団長のザカリー様だった! 普段は皮肉屋で私に意地悪ばかりしてくる彼が、「ずっと君だけを見ていた」なんて熱っぽい瞳で囁いてくる。薬の効果は明日の朝日が昇るまで。一晩だけの甘い悪夢だとわかっているのに、普段の彼からは想像もできない優しいキスに、私の心臓はうるさくて…。薬のせいだと割り切りたい一夜のドタバタラブコメディ。

処理中です...