銀色の商人と贋作の妻

真大(mahiro)

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第1章

憂鬱な朝食

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翌朝、エリアスは控えめなノックの音で目を覚ました。

「エリアス様、おはようございます」

入ってきたのはアンナだった。 
カーテンが開けられると、眩しいほどの朝日で部屋が満たされる。 驚いたことに、一度も起きることなく朝まで熟睡していたようだ。 
実家の寒くて硬いベッドとは違い、この部屋があまりにも快適だったからだろう。

「よく眠れましたか? 旦那様がご帰宅されています。朝食はご一緒に、とのことですので、お支度をお願いできますか」

その言葉に、エリアスの眠気は一瞬で吹き飛んだ。 心臓が嫌な音を立てて跳ねる。

(帰っていたのか……)

避けようのない時間が来てしまった。 エリアスはアンナの手を借りて身支度を整え、重い足取りでダイニングルームへと向かった。

ダイニングルームには、すでにヴォルフが座っていた。 新聞を読んでいた彼は、エリアスの入室に気づくと顔を上げ、新聞を畳んだ。

「……おはよう」

低い声が響く。 
エリアスは緊張で喉を引きつらせながら、「おはようございます」と頭を下げて席に着いた。

改めて見るヴォルフ・ハルトマンは、圧倒的だった。 
昨夜遅くに帰宅し、数時間しか寝ていないはずなのに、彼には疲労の色が全く見えない。 
綺麗に撫でつけられた銀色の髪、精悍な顔立ち、そしてスーツの上からでも分かる鍛え上げられた肉体。 漲るような生命力と、強いアルファ特有のオーラを放っている。

(まるで、違う生き物だ)

エリアスは自分の細く青白い手元を見つめ、惨めな気持ちになった。 
彼の隣に似合うのは、やはりヨハンのような、華やかで可憐なオメガだ。 自分のような陰気で、無表情な男が妻の座にいること自体が、悪い冗談のように思える。 
結婚式の時、彼が浮かべた落胆の表情が脳裏に蘇り、エリアスはヴォルフと目を合わせることができなかった。

静寂の中、カチャカチャと食器の音だけが響く。 息が詰まりそうだった。 早く食べ終えて部屋に戻りたい。そう思っていた時、不意にヴォルフが口を開いた。

「昨日は、すまなかった」

予想外の言葉に、エリアスはスープを掬う手を止めた。

「仕事が長引いて、出迎えもできず、夕食も一人にさせた。初日から不安にさせただろう」

ヴォルフの顔を見ると、眉間に皺を寄せ、気まずそうに視線を彷徨わせていた。 その表情は、ひどく申し訳なさそうに見えた。

エリアスは少し驚いた。 
執事が言っていた「急な商談」というのは本当だったのだろうか。 
いや、とすぐに思い直す。 
これはきっと、周囲にいる使用人たちへのポーズだ。 
アンナが言っていた通り、彼は「使用人にも良い主人」なのだ。 
だからこそ、間違いで娶った妻であっても、表向きは大切にしているように振る舞わなければならないのだろう。 完璧な家柄を手に入れた以上、家庭内も円満に見せる必要がある。

(……大変な人だ)

自分の感情を殺してまで、理想の主人を演じなければならないなんて。 
エリアスは同情にも似た感情を抱き、そして、自分の役割を理解した。 
彼が「良き夫」を演じるなら、自分は「物分かりの良い妻」を演じて、彼の手を煩わせないようにすべきだ。

エリアスは顔を上げ、練習してきた通り、口元に穏やかな笑みを貼り付けた。

「お気になさらないでください。お忙しいのは存じていますし、私ごときに気をお使いいただく必要はありません」 
「……え?」 
「私は、貴方の邪魔をするつもりはありません。勝手に過ごしますし、ご迷惑はおかけしないよう努めますので……どうぞ、私のことはお忘れになって、お仕事に専念なさってください」

それが、エリアスなりの最大限の配慮であり、優しさだった。 
しかし、ヴォルフの反応は違った。

彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で目を見開き、次いで、怪訝そうに眉をひそめたのだ。 探るような鋭い視線が、エリアスを射抜く。

「……忘れる、とは? 君は私の妻だろう」 
「あ、はい。形式上は、そうですが」
 「形式だけにするつもりはない」

ヴォルフは強い口調で遮った。 
そして、じっとエリアスを見据え、真剣な声で告げた。

「私は、君のことをもっと知りたいと思っている。昨日は間が悪かったが……今後はできるだけ時間を作るつもりだ」

エリアスはきょとんとした。
 (どうして?)と首を傾げたくなる。 
使用人たちはすでに彼を慕っているし、これ以上無理をして「愛妻家」の演技をする必要などないはずだ。 
それとも、これも新興貴族としての義務感なのだろうか。 「妻とは交流を持つべきである」という、マニュアル通りの対応。

(……本当に、真面目な人なんだな)

自分のような面白みのない人間にまで、誠実に向き合おうとする姿勢。 
それは立派だが、同時にエリアスにとっては少し重荷でもあった。 
期待させないでほしい。 優しくされればされるほど、後で「やはり弟の方が良かった」と切り捨てられた時の傷が深くなるだけなのだから。

「……承知いたしました。ありがとうございます」

エリアスは小さく頷き、再び視線をスープに戻した。 ヴォルフは何か言いたげに口を開きかけたが、エリアスが拒絶のオーラを纏って食事を再開したのを見て、諦めたように溜息をついた。

噛み合わない会話。 すれ違う視線。 豪華な朝食の味は、砂のように味気なかった。
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