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第1章
飾られた人形
しおりを挟むあの気まずい朝食以来、ヴォルフと顔を合わせる機会はほとんどなかった。
彼は相変わらず多忙を極めており、早朝に出かけ、深夜に帰宅する日々が続いていたからだ。
だがその代わり、エリアスの部屋には毎日のように贈り物が届くようになった。
仕立ての良いシャツ、柔らかな革靴、精巧な刺繍が施されたカフスボタンや、見たこともない宝石のついたブローチ。
どれもがエリアスの手持ちの服とは比べ物にならないほど上質で、洗練された品々だった。
「まあ、素敵! この深い青色は、エリアス様の黒髪によく映えますよ」
「……そうか」
アンナは目を輝かせて包みを開けるが、エリアスの心は鉛のように重かった。
ヴォルフは、何も持たずに嫁いできた自分を哀れんでいるのだ。
実家から追い出されるように来た自分には、貴族の妻として相応しい衣装など一着もない。
名門の血を引く妻が、いつまでもみすぼらしい格好をしていては、新興貴族であるハルトマン家の恥になる。
ヴォルフは商人だ。 「ハルトマン家の妻」という看板を整えるために、投資をしているに過ぎない。
(申し訳ないことをした。まさか衣服まで、すべて彼に用意させることになるなんて)
エリアスはアンナの手前、礼を言って受け取ってみせるが、彼女が下がった後は、それらの贈り物を一度も身につけることはなかった。
どうせ部屋から一歩も出ないのだ。 美しい服も宝石も、自分のような男が身につけても滑稽なだけだし、箪笥の肥やしにしておいた方が生地も傷まないだろう。
そうして、美しい箱が部屋の隅に積み上げられていったある日。
珍しく早く帰宅したヴォルフから、夕食後に呼び止められた。
「明日、時間を空けておいてくれ」
「……はい?」
「二人で出かける」
エリアスは耳を疑った。
外へ? 隣を歩かせるのも恥ずかしいはずの妻を連れて、一体どこへ行くというのか。 人目に触れさせたくないだろうと思い、屋敷に閉じこもっていたというのに。
だが、ヴォルフの表情は真剣そのもので、拒否できる雰囲気ではない。
(そうか……ずっと引き籠らせておくのも、体裁が悪いのかもしれない)
「病弱な妻」という噂が立てば、それはそれで彼の経歴に傷がつく。 たまには外に連れ出して、健在であることをアピールする必要があるのだろう。
「……承知いたしました」
エリアスは静かに頷いた。 それが、養ってもらっている自分の義務だと思ったからだ。
翌朝、アンナはいつも以上に張り切っていた。 夜明け前からエリアスを起こし、丁寧に湯浴みをさせ、髪を整え、肌に香油を塗り込む。
「今日はとびきり素敵に仕上げますからね! 旦那様からの贈り物、どれを着ましょうか」
アンナが選んだのは、ヴォルフから最初に贈られた、夜空のような深い色合いの礼服だった。 襟元には銀糸の刺繍が入っており、控えめながらも品格がある。
鏡の前に立たされたエリアスは、そこに映る自分を見て、少しだけ驚いた。
磨き上げられた革靴、仕立ての良い服、艶やかに整えられた髪。
そこにいるのは、実家で幽霊のように息を潜めていた「出来損ない」ではなく、どこに出しても恥ずかしくない一人の貴族の青年に見えた。
(……アンナは凄いな。それに、旦那様のセンスも)
自分という素材が良いわけではない。 職人の腕と、装飾品が一流なだけだ。
それでも、これならヴォルフの隣を歩いても、通りすがりの人に指をさされて笑われることはないかもしれない。
少しだけ安堵した。
「いってらっしゃいませ、エリアス様」
アンナに見送られ、エリアスは屋敷の正面玄関へと向かった。
玄関ポーチには、すでに馬車が待機していた。 そしてその横に、ヴォルフが立っていた。
「……」
エリアスは思わず足を止めた。
外出用のロングコートを羽織り、革手袋を嵌めたヴォルフの姿は、屋敷の中にいる時よりもさらに大きく、圧倒的な存在感を放っていた。
冷たい秋の風の中に立つ姿は、まるで絵画のようだ。 自信に満ち溢れ、揺るぎない力強さを感じさせる。
直前まで「少しはマシになった」と思っていた自分が、途端に色褪せて見えた。
やはり、住む世界が違う。
本物の宝石の横に並べられた、ただのガラス玉のような気分になり、エリアスは思わず視線を伏せた。
「待たせたな」
ヴォルフがこちらに気づき、歩み寄ってくる。 そして、馬車の扉の前で立ち止まると、自然な動作でエリアスに手を差し出した。
「さあ」
エスコートの手だ。 エリアスは一瞬躊躇してから、おずおずと自分の手を重ねた。
(……!)
触れたのは、結婚式の誓いの時以来だ。 革手袋越しでも伝わる、熱い体温。 そして、その手の平の感触に、エリアスはハッとした。
分厚く、硬い。
それは単にペンを握って金を計算する商人の手ではなく、剣を握り、敵と戦い、道を切り拓いてきた男の手だった。
多くのものを背負い、守り、これからさらに高みへと昇っていく強者の手。
(この人は、これからもっと輝かしい未来を生きていく人だ)
自分のような人間が、その足枷になってはならない。 彼の経歴に泥を塗るようなことだけは、絶対に避けなければ。
ヴォルフの大きな手に引かれ、馬車のステップを上がる。 その手は力強くエリアスを支えてくれたが、エリアスの胸には、自分が彼に相応しくないという強烈な自覚だけが、より一層深く刻み込まれていた。
「……ありがとうございます」
小さな声で礼を言い、エリアスは馬車の中に滑り込んだ。 行き先も知らされぬまま、二人の初めての外出が始まろうとしていた。
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