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第1章
幸福な朝の、悲しい決意
しおりを挟む重たい瞼を持ち上げると、部屋はすでに明るい光で満たされていた。
朝、というよりは、もう昼に近い時間かもしれない。
エリアスはぼんやりと視線を巡らせた。
そこは見慣れた自室の天井ではなく、重厚な天蓋付きのベッド――ヴォルフの部屋だった。
「……っ」
昨夜の記憶が奔流のように押し寄せ、エリアスは弾かれたように隣を見た。
だが、広いベッドの半分は冷たく、ヴォルフの姿はなかった。
代わりに、サイドテーブルに一枚のメモが置かれている。
『よく眠っていたから、起こさずに仕事へ行く。
昨夜は無理をさせたね。ゆっくり休んでくれ。
ヴォルフ』
達筆な文字を見つめ、エリアスは顔を覆った。
いつ彼が起きて、身支度をして出て行ったのか、全く気づかないほど深く眠ってしまっていたのだ。
あれほど警戒していたはずなのに、事後とはいえ、アルファのテリトリーで無防備に泥のように眠るなんて。
(……身体が、軽い)
ふと気づいてシーツをめくると、昨夜の生々しい痕跡は跡形もなく消え、身体は綺麗に拭き清められていた。
ベタつく不快感も、汚れもない。
恐らく、疲れ果てて気絶するように眠ってしまった自分を、ヴォルフが丁寧に処理してくれたのだろう。
(なんて、几帳面で優しい人なんだろう)
普通なら、用が済んだ道具などそのままにしておけばいいのに。
そう思いつつ、エリアスの思考はいつものネガティブな方向へと傾く。
いや、もしかしたら、自分のベッドに汚れた人間が寝ているのが我慢ならなかったのかもしれない。
彼は潔癖そうだし、使用人にシーツを洗わせるにしても、最低限の始末はつけるのがマナーだと思ったのだろう。
「……帰ろう」
エリアスはゆっくりとベッドから降りようとして――
「うわっ!?」
膝に力が入らず、生まれたての小鹿のようにガクガクと震え、危うく床に崩れ落ちそうになった。
慌ててベッドの端を掴んで耐える。
全てが初めてだったのだ。身体が悲鳴を上げているのも無理はない。
(あんなに……激しかったから)
耳元で低く名を呼ぶ甘い声。
獣のような息遣い。
熱い視線と、アルファの匂い。
そして、与えられ続ける快感に泣きじゃくりながら、あろうことか自分から舌を絡めて口づけをねだった自分。
「~~っ!!」
思い出して、エリアスは耳まで真っ赤になった。
羞恥心で死んでしまいそうだ。
あんな姿を見せておいて、よく顔を合わせられると思ったものだ。
けれど、自分に言い聞かせる。
これは「最初で最後」の一夜だ。一生の思い出にするのだから、恥も外聞も捨てて貪ったのだと。
そう割り切って、エリアスはようやく言うことを聞くようになった足を引きずり、壁伝いに自室へと戻った。
「おはようございます、エリアス様!」
自室のドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべたアンナが待ち構えていた。
彼女の笑顔は、いつにも増してキラキラと輝いている。
「お食事、こちらにご用意いたしました。今日はベッドでゆっくり召し上がってくださいね。お身体、お辛いでしょうから」
アンナは手際よくふかふかのクッションを背中に当て、サイドテーブルにスープや果物を並べていく。
「昨夜は何があったのですか?」とは、流石に聞いてこない。
だが、その嬉しそうな態度や、ヴォルフがいない間に戻ってきたことへの配慮を見るに、全てお見通しなのだろう。
恐らく、執事のシュミットや他の使用人たちにも知れ渡っているに違いない。
(……恥ずかしいけれど、これでいい)
エリアスは温かいスープを口に運びながら、冷静に考えた。
これで、夫婦としての、そしてオメガとしての義務は果たした。
「間違いの妻」であっても、身体を重ねたという事実は、ヴォルフにとっても周囲に対しても、一種の免罪符になる。
これからは、ヴォルフは自由だ。
世継ぎのための義務的な行為は済ませたのだから、これ以上、愛のない妻に時間を割く必要はない。
外で好きな相手を囲おうと、誰と愛を育もうと、誰も文句は言わないだろう。
昨夜の優しさは、そのための手切れ金代わりのような、最初で最後の慰めだったのだ。
ふと、エリアスの脳裏に想像がよぎる。
ヴォルフが、本当に愛する誰かを連れてくる姿。
その隣にいるのは――例えば、弟のヨハンのような、華やかで愛らしいオメガだろうか。
美しい銀髪のヴォルフと、天使のようなヨハン。
二人が並んで微笑み合い、寄り添う姿は、まるで絵画のように完璧だ。
(……凄く、お似合いだ)
ズキリと胸が痛むが、それは納得の痛みだった。
自分のような陰気な男が隣にいるよりも、よほどしっくりくる。
誰にも後ろ指をさされることのない、理想のカップル。
エリアスはスプーンを動かす手を止めず、ぼんやりとその光景を反芻した。
いつか、その日が来ても動揺しないように。
ヴォルフが「紹介したい人がいる」と言ってきた時、笑顔で「素敵な方ですね」と言えるように。
口の中に広がる甘い果実の味は、どこか切ない味がした。
身体に残るヴォルフの熱とは裏腹に、エリアスの心は、来るべき「終わりの日」に向けて、静かに凍てつき始めていた。
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