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第1章
視線とワルツ
しおりを挟む会場となる大広間の扉が開かれた瞬間、光の洪水と共に、ねっとりとした熱気が押し寄せてきた。
シャンデリアの輝きの下、すでに会場は着飾った貴族たちで埋め尽くされている。
その喧騒が、二人の入場と共に一瞬だけ凪いだ。
そして次の瞬間、無数の視線が一斉に突き刺さった。
(……っ)
エリアスは無意識に身を強張らせた。
かつて実家の付き添いで参加していた頃は、華やかな弟の陰に隠れ、誰の目にも留まらないように息を殺していた。
だが今は、隣にヴォルフがいる。
飛ぶ鳥を落とす勢いの新興貴族、ヴォルフ・ハルトマン。
その彼が選んだ伴侶とは、一体どんなオメガなのか。
好奇心、値踏み、嫉妬、そして侮蔑。
かつて感じたことのない量の視線が、エリアスの肌を焼く。
『あれがハルトマンの妻?』
『ベルク家の長男だそうだ』
『金で買われた家柄だけの……』
声に出さずとも、扇の陰で交わされる囁きが聞こえてくるようだった。
胃の腑が冷え、思わず視線を床に落とそうとした時――腰に添えられた手が、ぐっと力を込めた。
「前を見ろ、エリアス」
ヴォルフが前を向いたまま、唇だけを動かして囁く。
「俯くな。君は私の妻だ。誰に恥じることもない」
その力強い声と、背中を支える掌の熱に、エリアスはハッとした。
そうだ。ここで自分が縮こまっていては、ヴォルフの顔に泥を塗ることになる。
エリアスは震える膝を叱咤し、顎を上げて前を見据えた。
会場へ足を踏み入れると、すぐに人の波が押し寄せてきた。
誰もがヴォルフとの繋がりを求めて挨拶にやってくる。
彼らはヴォルフの圧倒的な経済力を前にして、表立って牙を剥くことはない。
むしろ、猫撫で声ですり寄ってくる。
「やあ、ハルトマン卿。今夜も素晴らしい」
「こちらが奥様ですか。噂以上に美しい方だ」
男たちの視線が、エリアスを舐め回すように動く。
ヴォルフが「私のもの」だと印をつけた胸元のブローチや、身体のラインをいやらしく追う視線。
心にもないお世辞の裏に、「金で買われたオメガ」への情欲と嘲笑が見え隠れして、エリアスは背筋が凍る思いだった。
だが、そんな不躾な視線を感じるたび、ヴォルフがすっとエリアスの前に立ちふさがった。
壁のように視線を遮り、鋭い眼光で相手を牽制する。
「妻は少し疲れているようだ。あまり近づかないでもらおうか」
冷徹な声で告げられると、男たちは引きつった笑いを浮かべてすごすごと引き下がっていく。
その背中の頼もしさに、エリアスは胸が熱くなった。
(……守られている)
ただの飾りであるはずの自分を、彼は全力で庇ってくれている。
ならば、自分も飾りの役割以上のことをしなければ。
エリアスは一歩踏み出し、ヴォルフの耳元で小さく囁いた。
「ヴォルフ。あちらにいる髭の男性は、鉱山事業を営むラッセル伯爵です。最近、事業の雲行きが怪しいと聞いています。あまり深入りしない方がいいかと」
「……ほう?」
「逆に、その隣の小柄な女性は、王太后様のお気に入りです。彼女に挨拶をしておけば、王宮への通りが良くなります。まずは彼女から声をかけるべきです」
エリアスは、かつて書庫で読み漁った貴族名鑑や、両親から叩き込まれた派閥の知識を総動員した。
実家では「高く売るため」に詰め込まれた知識が、今、ヴォルフの剣となり盾となる。
ヴォルフは感心したように目を細め、エリアスの助言通りに立ち回った。
その結果、挨拶回りは驚くほどスムーズに進み、ヴォルフの株を上げる結果となった。
「君は凄いな。本当に助かったよ、エリアス」
合間に交わした会話で、ヴォルフが心からの賞賛を向けてくれる。
役に立てた。
その事実だけで、エリアスの強張っていた心は解れていった。
一通りの挨拶を終えた頃、楽団の演奏がゆったりとした曲調に変わった。
ダンスの時間だ。
「踊ってくれるか?」
差し出された手。エリアスは躊躇うことなくその手を取った。
「喜んで」
フロアの中央へ進み出る。
ヴォルフの手がエリアスの腰を優しく抱き寄せ、エリアスはヴォルフの肩に手を添えた。
穏やかな旋律に合わせて、身体を揺らす。
周囲の視線など、もう気にならなかった。
目の前には、ヴォルフだけがいる。
彼のアイスブルーの瞳が、至近距離でエリアスだけを映している。
「……疲れただろう」
「いいえ。貴方が支えてくださったおかげです」
「君こそ、私を支えてくれた。最高のパートナーだ」
ヴォルフの言葉に、胸が甘く疼く。
ステップを踏み、回るたびに、二人の世界が閉じていくような錯覚に陥る。
アルファの体温、整髪料と混ざった微かな匂い、重ねた掌の感触。
疲労で足は重いはずなのに、心は羽根が生えたように軽かった。
このまま、音楽が止まらなければいい。
明日が来なければいい。
(……幸せだ)
これが演技だとしても、一時の夢だとしても。
この美しい鳥籠の中で、彼と見つめ合って踊る今この瞬間だけは、誰にも奪われたくない。
エリアスはヴォルフの瞳に吸い込まれるように見つめ返しながら、叶わない願いを胸の中で繰り返していた。
永遠に、このワルツが終わらなければいいのに、と。
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