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第1章
愛の正体
しおりを挟む再び目を覚ました時、窓の外はすでに漆黒の闇に包まれていた。
部屋のランプが、ぼんやりと温かなオレンジ色の光を灯している。
「……起きたか」
枕元から、静かな声が降ってきた。
見上げると、ベッドの脇に椅子を引き寄せたヴォルフが、愛おしげにエリアスの髪を撫でていた。
「起きるまでそばにいる」と言った約束通り、彼は一歩も離れずにいてくれたようだ。
「……よく、眠れたか?」
「はい……」
エリアスが頷くと、ヴォルフは安堵の息を吐いた。
彼もまた、商談のための長旅と、そこから休む間もなく馬を飛ばして戻ってきた疲労で満身創痍のはずだ。
目の下に微かにクマができている。
それなのに、自分の休息よりもエリアスを見守ることを選んでくれた。
その深い献身に、エリアスの胸が締め付けられる。
「ヴォルフ……」
エリアスは潤んだ瞳で彼を見つめ、震える唇を開いた。
「私は……貴方に、ずっと言えなかったことがあります」
ヴォルフは「ああ」と短く応え、姿勢を正して耳を傾けてくれた。
彼はいつもそうだ。
エリアスの拙い言葉を、決して遮ることなく、辛抱強く待ってくれる。
この人になら、全てを話してもいい。
上手く話せなくても、浅ましい自分の本音を伝えて、そして終わらせたい。
「貴方もお分かりの通り……私は、家族に愛されたことがありません。両親は皆、美しい弟を求め、出来損ないの私はいつか売られるだけの立場でした」
エリアスは言葉を紡ぐ。
「貴方が……弟と間違えて、私に縁談を申し込んでくださったことは分かっています」
そこまで言うと、ヴォルフが息を呑む気配がした。
やはり図星だったのだ。
エリアスは、自分を励ますように寂しげに微笑んだ。
「それでも……間違って娶ってしまった、妻である私を……あんなにも大事にしてくださって、ありがとうございました」
服を贈り、食事を共にし、優しく触れてくれた。
その全てが、エリアスにとっては奇跡のような日々だった。
「貴方がこの家の当主として、いずれ妻を娶り、子を成していかなければならない未来を思い……私は、いつも覚悟をしていたのです」
「……覚悟?」
ヴォルフが眉をひそめた。
「妻」という単語を、エリアスが自分自身とは切り離して語っていることに違和感を覚えたようだ。
「はい。いつか、形だけの妻である私ではない、本物の……貴方が心から愛する方を迎えられる覚悟です」
エリアスは視線を伏せ、胸の痛みを堪えながら続けた。
「それが、最初に本来娶るはずだった弟であろうということを想像したり、あるいは私が知らない美しい方であったり……色んな、想像をして……」
ヴォルフが何か言いたげに口を開きかけたが、エリアスの悲痛な表情を見て、言葉を飲み込んでくれた。
「色んな想像をしておりましたが……私は、それでも貴方が……ヴォルフのことが、好きになってしまいました」
ついに、言ってしまった。
喉が熱くなり、視界が涙で歪む。
「ですから……こうして連れ戻していただいたということは、この生活を、形だけでも続けることをお許しいただけたと、感じていいのでしょうか」
涙声になりながら、エリアスは必死に訴えた。
「それでしたら……いつか貴方が愛する方を迎えられた後も、どうか貴方の幸せをそばで、見ていることを許していただけませんか……? 隅の部屋で構いません。邪魔はしませんから……っ」
言いたいことは、言えたはずだ。
最後は嗚咽混じりになってしまって、どこまで伝わったか分からない。
好きだと言ってしまった。
「愛する人ができても、そばに置け」なんて、妾のような浅ましい願いを口にしてしまった。
それでも、言葉にしてしまったらもう戻れない。
後悔はない。これから何を言われても、どんな扱いを受けても受け入れる覚悟だ。
エリアスは泣きながら、顔を上げられずにいた。
しばらくの沈黙の後。
「……エリアス」
ヴォルフが名前を呼んだ。
それは、鼓膜が痺れるほど優しくて、甘い響きだった。
恐る恐る顔を上げると、ヴォルフは見たこともないほど悲痛な色を浮かべ、エリアスを見つめていた。
「エリアス。私が最初に縁談を申し込んだのは、確かに弟君だ。それは、彼が社交界での噂の的だったことも、正直ある」
ヴォルフは隠すことなく認めた。
「だからこそ、顔合わせの時、君が現れて最初は混乱していた。……だが」
ヴォルフの手が伸び、エリアスの頬を包み込む。
「君をこの家に迎えてから……弟君のことなど、申し訳ないが忘れていたんだ」
「……え?」
「君のことが愛しくて、たまらなかった。警戒してほしくないのに踏み込みすぎたり、言葉で伝えるのが怖くて贈り物を贈ることしかできなかったり……気持ちを抑えられずに、君に拒まれなかったから抱いてしまったり……」
ヴォルフは自嘲気味に笑った。
「私らしくない。スマートなやり方とは程遠い、不格好なやり方で君を求めていた」
ヴォルフの言葉は熱っぽく、エリアスは呆然として聞いていた。
忘れていた? 愛しくてたまらなかった?
あの贈り物は、体裁のためではなく、愛ゆえだったというのか。
「エリアス、君をここまで追い詰めてしまったのは私の罪だ。私が君を『愛している』と、はっきり言わなかったからだ」
ヴォルフの親指が、エリアスの涙を拭う。
「商売ばかり、仕事ばかりで……こういうことには慣れていないから、なんて。いや、それは言い訳だ。君が、そんな悲しい勘違いをしてしまう前に、はっきりと言うべきだった」
ヴォルフのアイスブルーの瞳が、エリアスを射抜く。
そこには、揺るぎない真実だけがあった。
「エリアス、君を……心から愛している」
「…………」
エリアスは、呆然としたままヴォルフの言葉を反芻した。
言葉の意味としては理解できる。
けれど、心がそれを飲み込むことを拒否していた。
だって、エリアスにとってあまりにも都合が良すぎる。
夢物語のような言葉ばかり、ヴォルフが言うから。
「愛して……る……?私を、……ヴォルフが……?」
震える声で問い返すと、ヴォルフは強く頷いた。
「そうだ。君だよ。君しか愛せない」
ヴォルフは切実な声で畳み掛ける。
「ヒート期間も、君と一緒にいたかった……。君を奪われて、一人にして、辛い思いをさせて……どう償ったらいいか分からないくらいだ」
償う必要などない。
彼は最初から、エリアスだけを見ていたのだ。
弟と間違えたのは書類上の最初だけで、その後はずっと、エリアス自身を愛してくれていた。
あの優しさも、情熱も、全て本物だったのだ。
「う、ぅ……あ……」
エリアスは、もう何も言えなかった。
あまりの衝撃と幸福感に、言葉が出ない。
ただ首を横に振り、混乱したまま、それでもヴォルフのことを確かめたくて、自分から必死に彼に抱きついた。
「ヴォルフ……っ!」
「エリアス……!」
ヴォルフは、飛び込んできたエリアスの全てを受け止めるように、強く、強く抱きしめ返してくれた。
二人の体温が溶け合う。
もう、言葉はいらなかった。
互いの心臓の音が、同じリズムで愛を刻んでいた。
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