66 / 251
第2章
飼い殺しの闇
しおりを挟む再び意識が浮上した時、鉛のように重かった全身の倦怠感が、幾分か軽くなっていることに気づいた。
まだ手足は重いが、指先を動かす感覚が少し戻っている。
(……動ける、かもしれない)
そう希望を抱いたのも束の間、ガチャリと扉が開く音がした。
続いて、ガラガラと車輪が回るような音が近づいてくる。
ワゴンか何かだろうか。
「……食事の時間です」
頭上から降ってきたのは、感情の抜け落ちた淡々とした女性の声だった。
この屋敷のメイドだろう。
「口を開けてください」
目隠しも、手足の拘束も解かれることはない。
エリアスは警戒して唇を引き結んだが、食べないまま衰弱して死ぬのは嫌だった。
生きていれば、ヴォルフが助けに来てくれるかもしれない。その一縷の望みにかけて、エリアスは大人しく口を開いた。
運ばれてきたのは、小さくカットされた肉や、滑らかなポタージュだった。
視界が遮られているため何を食べているかは舌で判断するしかないが、肉は柔らかく、味付けも繊細だ。
こんな状況で皮肉なことだが、ここが上位貴族の屋敷であり、エリアスが「丁重に」扱われている商品であることが分かってしまう。
「……最後です」
食事を終えると、スプーンではなく、小さなカップのようなものが口元に当てられた。
「これを飲んでください」
クッ、と傾けられ、少量の液体が流れ込んでくる。
とろりとした、甘いシロップのような味。
いきなりのことで咄嗟に飲み込んでしまったエリアスは、しまった、と思ったがもう遅かった。
「失礼いたします」
メイドは食器を片付けると、静かに退室していった。
施錠される音が響く。
直後、身体の奥からずしりと重い感覚が戻ってきた。
先ほどまで少し軽くなっていた倦怠感が、倍になってのしかかってくる。
やはり、あの甘い液体は、身体の自由を奪い、思考を鈍らせるための薬だったのだ。
その夜もまた、同じメイドがやってきた。
夕食を与えられ、その後、ぬるま湯に浸した布で身体を丁寧に拭われた。
「……っ」
拘束されたまま衣服を脱がされ、見知らぬ人間に肌を晒すのは恐怖だった。
何をされるか分からない。
しかし、メイドはただ淡々と汚れを落とし、新しい着心地の良い衣服に着替えさせるだけだった。
身体を清潔に保つ以外のことは、何も起こらない。
それが逆に、エリアスを追い詰めた。
メイドが来る時間以外は、完全な静寂と闇だ。
何も起きないこの時間は、バンガルド卿がただひたすらに、エリアスにヒートが来るその時を待っている時間なのだと思い知らされるからだ。
(……あと、どれくらいだ?)
思考が鈍り、時間の感覚が曖昧になってきている。
だが、メイドが食事を運んできた回数から数えるに、おそらくすでに四日は経っているはずだ。
毎回の食事の後に飲まされる薬のせいで、身体は永続的に怠く、言うことを聞かない。
喉の筋肉も麻痺しているのか、叫ぶどころか声を出すことさえ億劫で、ただぐったりとベッドに沈んでいることしかできない。
(……人形になったみたいだ)
恐怖に怯え、綺麗に磨かれ、ただ持ち主が遊びに来るのを待つだけの人形。
この日々の繰り返しの中で、エリアスの心は防衛本能からか、だんだんと閉ざされ始めていた。
考えることも、動くこともままならない闇の中。
エリアスは目隠しの下で、虚ろな目を開け、ヴォルフのことを想った。
(ヴォルフ……)
声は、もう掠れてほとんど出ない。
唇だけで小さく名前を呼ぶ。
その度に、目尻からつぅーっと涙が伝い落ちるが、もう大泣きする気力さえ失われていた。
心が、壊れかけている。
あれほど鮮明だったヴォルフとの幸せな生活の記憶が、遠い夢のように霞んでいく。
この暗闇から抜け出し、再びあの光の中にいる自分が、もう上手く想像できない。
(……会いたい……でも……)
もう無理なのかもしれない。
絶望が黒いインクのように心に染み渡り、エリアスは思考を手放した。
薬の効果も相まって、気絶するように深い眠りの底へと落ちていった。
61
あなたにおすすめの小説
僕の、しあわせ辺境暮らし
* ゆるゆ
BL
雪のなか僕を、ひろってくれたのは、やさしい男の子でした。
ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります!
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
抑制剤の効かない薬師オメガは森に隠れる。最強騎士団長に見つかり、聖なるフェロモンで理性を溶かされ、国を捨てた逃避行の果てに番となる
水凪しおん
BL
「この香りを嗅いだ瞬間、俺の本能は二つに引き裂かれた」
人里離れた森で暮らす薬師のエリアルは、抑制剤が効かない特異体質のオメガ。彼から放たれるフェロモンは万病を癒やす聖なる力を持つが、同時に理性を失わせる劇薬でもあった。
ある日、流行り病の特効薬を求めて森を訪れた最強の騎士団長・ジークフリートに見つかってしまう。エリアルの香りに強烈に反応しながらも、鋼の理性で耐え抜くジークフリート。
「俺が、貴方の剣となり盾となる」
国を救うための道具として狙われるエリアルを守るため、最強の騎士は地位も名誉も投げ捨て、国を敵に回す逃避行へと旅立つ。
シリアスから始まり、最後は辺境での幸せなスローライフへ。一途な騎士と健気な薬師の、運命のBLファンタジー。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
今からレンタルアルファシステムを利用します
夜鳥すぱり
BL
大学2年の鳴水《なるみ》は、ずっと自分がオメガであることを隠して生きてきた。でも、年々つらくなる発情期にもう一人は耐えられない。恋愛対象は男性だし、男のアルファに会ってみたい。誰でも良いから、定期的に安全に話し相手をしてくれる人が欲しい。でもそんな都合のいい人いなくて、考えあぐねた結果たどり着いた、アプリ、レンタルアルファシステム。安全……だと思う、評価も星5で良いし。うん、じゃ、お問い合わせをしてみるか。なるみは、恐る恐るボタンを押すが───。
◆完結済みです。ありがとうございました。
◆表紙絵を花々緒さんが描いてくださりました。カッコいい雪夜君と、おどおど鳴水くんです。可愛すぎますね!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる