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第2章
最後の祈り
しおりを挟むその日から、バンガルド卿の日課が変わった。
彼は毎日欠かさず部屋を訪れ、人形と化したエリアスを時間をかけて堪能するようになった。
時には、何時間もただ唇を重ね続け、唾液を交換し合う。
時には、エリアスを全裸にしてベッドに横たわらせ、指先から足の先まで、その白い肌を舐め尽くす。
何をされてもエリアスはピクリとも反応せず、抵抗もしない。
だが、バンガルド卿はエリアスとのコミュニケーションを求めているわけではない。
ただ、美しい芸術品のような身体を一方的に味わい、所有欲を満たすことを目的としているため、心底満足そうに喉を鳴らしていた。
ただし、決定的な性行為だけは徹底して行わなかった。
そこには、ヒート期間中に結合し、確実に番になるという、彼の歪んだこだわりと執念が感じられた。
メイドに食事と排泄の世話をされる時間。
バンガルド卿に身体を蹂躙され、愛玩される時間。
そして、誰もいない暗闇の中での「無」の時間。
その繰り返し。
思考を奪われ、人形になったエリアスにとっては、どの時間も同じことだった。
ただ空虚な時を刻み、呼吸をするだけの肉塊として、そこに存在しているだけ。
あれほど心を占めていたヴォルフのことを想う時間すら、正常な思考をする力が薬と絶望によって奪われ、消え失せていた。
けれど、身体だけは正直だった。
明らかに、ヒート期間が近づいてきている。
それはエリアス自身の感覚だけでなく、バンガルド卿にもはっきりと伝わっていた。
日に日に、エリアスの全身から立ち昇るオメガのフェロモンが、甘く、濃密になっているからだ。
「……ふむ」
バンガルド卿は、無抵抗、無反応のエリアスの首筋を舐め上げながら、鼻腔をくすぐる濃厚な香りを堪能した。
「いよいよ、ヒートが近いな。甘い匂いだ」
愉悦に歪んだ声で囁き、満足げに部屋を去っていく。
静寂が戻った部屋で、舐め尽くされて唾液に塗れたエリアスは、虚空を見つめるガラス玉のような瞳から、久方ぶりに静かに涙を溢した。
(……ヒートが、来てしまう)
もう止められない。
あの男に抱かれ、本能を暴走させられ、番にされてしまう。
ヴォルフの妻ではなくなり、あの男の所有物になってしまう。
本来ならば、その期間は最高に幸せな時間となるはずだった。
愛するヴォルフと七日間、片時も離れず、心も身体も溶け合うような至福の日々。
それを思い出し、エリアスは薬で鈍った思考回路を必死に繋ぎ合わせ、最後の力を振り絞ってヴォルフのことを想った。
いつ、また思考さえできなくなるか分からない。
自我が完全に消えるその前に、願わなければ。
(ヴォルフ……)
もう、貴方のものにはなれない。
私は穢され、別の男の番になってしまう。
それなら……。
(私のことは、忘れてしまっていい)
あんなに愛してくれた貴方を裏切るような形になるけれど、どうか忘れてほしい。
そして、幸せになってほしい。
その未来に私が居なくても、貴方だけは何にも傷つけられず、誰にも邪魔されず、輝かしい未来を歩んでほしい。
ヴォルフを心から愛しているからこそ、自分の救済ではなく、彼の幸福だけを願った。
(さようなら、ヴォルフ……愛して、います……)
そして、だんだんとその思考さえも霧の中に溶けるようにできなくなっていく。
涙が渇く頃には、エリアスの意識は深い闇の底へと沈み、泥のような眠りについた。
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