72 / 251
第2章
王子の親友
しおりを挟むエリアスは動揺し、顔面を蒼白にさせながらベッドから這い出そうとした。
相手は第一王子だ。こんな寝巻き姿で、ベッドの上から見上げるなど不敬にも程がある。
「も、申し訳ありません……っ!こんな姿で……」
「ああ、そのままでいい。楽にしていてくれ」
アルシード王子は、制するように片手を挙げた。
完全に不敬なのに、とエリアスが恐縮して固まっていると、王子は苦笑しながら肩を竦めた。
「俺がいきなり押し掛けたせいだ。病人を立たせたとあっては、俺の寝覚めが悪い」
気さくな様子で言うと、王子はベッドサイドの椅子に腰掛け、静かにエリアスを見つめた。
「気分はどうだ?不便なことはないか」
「い、いえ。むしろ……こんなに良くしていただいて、驚いていたところで……」
エリアスがしどろもどろに答えると、王子は楽しそうに笑った。
「そうか。ヴォルフに君を任されたからな。万全を期すために、メイドも医師も、俺の専属の者を手配したんだ」
「……え?」
ヴォルフに任された?
エリアスは瞬きをした。一介の貴族、それも元商人が、第一王子に「任せる」なんて言葉を使えるものだろうか。
「あの……殿下は、主人とお知り合いなのですか?」
「ああ。……学友なんだ」
王子は懐かしそうに目を細めた。
「ハルトマン家は裕福だったからな。彼は貴族の子弟が通う学院に通っていたんだ。俺とは同期でね」
「そうで、したか……」
「在学中、俺はあいつには勉学でも、馬術でも、剣技でも……一度たりとも勝てたことがないんだ」
「え……?」
エリアスは耳を疑った。
この国の第一王子、文武両道で知られるアルシード殿下が、一度も勝てなかった?
ヴォルフは商人でありながら、それほどの才能に溢れていたというのか。
「あいつは優秀すぎたよ。だが……ヴォルフは在学中も、卒業後も、爵位を得てからも、俺というコネクションを頼ったことは一度もなかった。自分の力だけで道を切り拓くことを是とする男だからな。だから、俺たちが親友だということは、表立っては一部の人間しか知らないんだ」
王子はそこで言葉を切り、少し嬉しそうに微笑んだ。
「そんなあいつが、初めて俺に頭を下げて頼ってきた。『妻を助けてくれ』とな。……俺は嬉しかったよ。あいつに、何もかもを賭けられるほどの愛しい伴侶ができたことが」
「……っ」
その言葉に、エリアスの顔がカッと熱くなった。
ヴォルフは、自分の信念を曲げてまで、なりふり構わずエリアスを助けようとしてくれたのだ。
胸が熱くなると同時に、不安が頭をもたげる。
エリアスは震える声で、一番恐れていることを尋ねた。
「あの……決闘の勝算は、あるのでしょうか」
「……」
「私はまだ勉強中の身で、恥ずかしながらハルトマン家の武力について把握しておりません。上位貴族であるバンガルド家に、決闘で勝つ見込みはあるのでしょうか。……上位貴族に格下の貴族が勝利した前例はないと聞きます」
エリアスは泣きそうになりながら訴えた。
ハルトマン家の騎士たちが弱いわけではないだろうが、相手は歴史ある武門の家柄かもしれない。
すると、王子は静かに答えた。
「決闘の勝敗に絶対はない。だが……俺は、あいつが負けるところを見たことがない」
「え?」
エリアスは首を傾げた。
あいつが負けるところを?
「あ、あいつが……と、仰ることは……ヴォルフ自身も、戦うということですか!?」
「そうだ」
王子は当然のことのように頷いた。
「もちろんハルトマン家にも優秀な騎士はいるが、あいつ本人に勝てる者はいない。言っただろう? 在学中に俺も一度も勝てなかったと。……王宮の騎士団長ですら、一対一でヴォルフに勝てる者はいないだろうな」
「……!」
エリアスは、初めてヴォルフの手に触れた時のことを思い出した。
硬く、分厚い豆ができた掌。
ただペンを握るだけではできない、剣を握る人の手だと感じた、あの感触。
彼はただの商人ではなかったのだ。
だが、第一王子にここまで言われる実力だとしても、エリアスの不安は消えなかった。
相手はバンガルド卿だ。自分の名誉のために、どんな汚い手を使ってでも、死に物狂いで勝ちに来るだろう。
ヴォルフがどれだけ強くても、怪我を負う可能性は大いにある。
「いやです……」
エリアスはシーツを握りしめた。
「勝てたとしても、ヴォルフが少しでも傷つくことがあるならば……自ら戦うことだけは避けてほしかった。私のために、彼が血を流すなんて……」
エリアスの悲痛な叫びに、王子は真剣な眼差しを向けた。
「エリアス殿。ヴォルフを信じてあげてほしい」
「……信じる?」
「あいつは、どれだけ傷つこうとも、自分の手で貴方を助けたいんだ。誰かに任せて、万が一失敗することなど耐えられないからだ。……貴方は見守ることしかできなくて辛いだろうが、あいつを信じて待つことは、貴方にしかできない『戦い』だ」
「……っ」
その言葉に、エリアスの目から涙が溢れ出した。
そうだ。
監禁されている間、エリアスはずっと「自分のことはいいから、ヴォルフに幸せになってほしい」と、自己犠牲の祈りを捧げていた。
でも、それは違う。ヴォルフが望んでいるのは、そんな悲しい結末じゃない。
これからは、「一緒に」幸せになるために。
ヴォルフを信じて、勝利を祈り、待つのだ。
「……はい」
エリアスは涙を拭い、強く頷いた。
「信じます。彼を……ヴォルフを」
その目には、久方ぶりに強い光が宿っていた。
王子はその様子を見て、満足そうに立ち上がった。
「いい顔だ。……決闘は、明日だ」
「明日……」
「エリアス殿、貴方もその場に同席する必要がある。賭けの対象であり、証人だからな。その支度も全てメイドに任せてある。それまで、気が気じゃないだろうが、なるべく心休まるように休むといい」
王子は最後に励ますように微笑むと、颯爽と退室していった。
一人残された部屋。
エリアスは改めて王子への感謝を呟き、膝を抱えた。
決闘は、明日。
そして、その戦いを、この目で見守ることになる。
(ヴォルフ……)
想像するだけで心臓が押し潰されそうになる。
けれど、もう逃げない。
エリアスは愛する人が戦う姿を想い、ベッドの上でまた少しだけ、祈るように泣いた。
87
あなたにおすすめの小説
僕の、しあわせ辺境暮らし
* ゆるゆ
BL
雪のなか僕を、ひろってくれたのは、やさしい男の子でした。
ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります!
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
抑制剤の効かない薬師オメガは森に隠れる。最強騎士団長に見つかり、聖なるフェロモンで理性を溶かされ、国を捨てた逃避行の果てに番となる
水凪しおん
BL
「この香りを嗅いだ瞬間、俺の本能は二つに引き裂かれた」
人里離れた森で暮らす薬師のエリアルは、抑制剤が効かない特異体質のオメガ。彼から放たれるフェロモンは万病を癒やす聖なる力を持つが、同時に理性を失わせる劇薬でもあった。
ある日、流行り病の特効薬を求めて森を訪れた最強の騎士団長・ジークフリートに見つかってしまう。エリアルの香りに強烈に反応しながらも、鋼の理性で耐え抜くジークフリート。
「俺が、貴方の剣となり盾となる」
国を救うための道具として狙われるエリアルを守るため、最強の騎士は地位も名誉も投げ捨て、国を敵に回す逃避行へと旅立つ。
シリアスから始まり、最後は辺境での幸せなスローライフへ。一途な騎士と健気な薬師の、運命のBLファンタジー。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
今からレンタルアルファシステムを利用します
夜鳥すぱり
BL
大学2年の鳴水《なるみ》は、ずっと自分がオメガであることを隠して生きてきた。でも、年々つらくなる発情期にもう一人は耐えられない。恋愛対象は男性だし、男のアルファに会ってみたい。誰でも良いから、定期的に安全に話し相手をしてくれる人が欲しい。でもそんな都合のいい人いなくて、考えあぐねた結果たどり着いた、アプリ、レンタルアルファシステム。安全……だと思う、評価も星5で良いし。うん、じゃ、お問い合わせをしてみるか。なるみは、恐る恐るボタンを押すが───。
◆完結済みです。ありがとうございました。
◆表紙絵を花々緒さんが描いてくださりました。カッコいい雪夜君と、おどおど鳴水くんです。可愛すぎますね!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる