銀色の商人と贋作の妻

真大(mahiro)

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第2章

王子の親友

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エリアスは動揺し、顔面を蒼白にさせながらベッドから這い出そうとした。
相手は第一王子だ。こんな寝巻き姿で、ベッドの上から見上げるなど不敬にも程がある。

「も、申し訳ありません……っ!こんな姿で……」
「ああ、そのままでいい。楽にしていてくれ」

アルシード王子は、制するように片手を挙げた。
完全に不敬なのに、とエリアスが恐縮して固まっていると、王子は苦笑しながら肩を竦めた。

「俺がいきなり押し掛けたせいだ。病人を立たせたとあっては、俺の寝覚めが悪い」

気さくな様子で言うと、王子はベッドサイドの椅子に腰掛け、静かにエリアスを見つめた。

「気分はどうだ?不便なことはないか」
「い、いえ。むしろ……こんなに良くしていただいて、驚いていたところで……」

エリアスがしどろもどろに答えると、王子は楽しそうに笑った。

「そうか。ヴォルフに君を任されたからな。万全を期すために、メイドも医師も、俺の専属の者を手配したんだ」
「……え?」

ヴォルフに任された?
エリアスは瞬きをした。一介の貴族、それも元商人が、第一王子に「任せる」なんて言葉を使えるものだろうか。

「あの……殿下は、主人とお知り合いなのですか?」
「ああ。……学友なんだ」

王子は懐かしそうに目を細めた。

「ハルトマン家は裕福だったからな。彼は貴族の子弟が通う学院に通っていたんだ。俺とは同期でね」
「そうで、したか……」
「在学中、俺はあいつには勉学でも、馬術でも、剣技でも……一度たりとも勝てたことがないんだ」
「え……?」

エリアスは耳を疑った。
この国の第一王子、文武両道で知られるアルシード殿下が、一度も勝てなかった?
ヴォルフは商人でありながら、それほどの才能に溢れていたというのか。

「あいつは優秀すぎたよ。だが……ヴォルフは在学中も、卒業後も、爵位を得てからも、俺というコネクションを頼ったことは一度もなかった。自分の力だけで道を切り拓くことを是とする男だからな。だから、俺たちが親友だということは、表立っては一部の人間しか知らないんだ」

王子はそこで言葉を切り、少し嬉しそうに微笑んだ。

「そんなあいつが、初めて俺に頭を下げて頼ってきた。『妻を助けてくれ』とな。……俺は嬉しかったよ。あいつに、何もかもを賭けられるほどの愛しい伴侶ができたことが」
「……っ」

その言葉に、エリアスの顔がカッと熱くなった。
ヴォルフは、自分の信念を曲げてまで、なりふり構わずエリアスを助けようとしてくれたのだ。
胸が熱くなると同時に、不安が頭をもたげる。
エリアスは震える声で、一番恐れていることを尋ねた。

「あの……決闘の勝算は、あるのでしょうか」
「……」
「私はまだ勉強中の身で、恥ずかしながらハルトマン家の武力について把握しておりません。上位貴族であるバンガルド家に、決闘で勝つ見込みはあるのでしょうか。……上位貴族に格下の貴族が勝利した前例はないと聞きます」

エリアスは泣きそうになりながら訴えた。
ハルトマン家の騎士たちが弱いわけではないだろうが、相手は歴史ある武門の家柄かもしれない。
すると、王子は静かに答えた。

「決闘の勝敗に絶対はない。だが……俺は、あいつが負けるところを見たことがない」
「え?」

エリアスは首を傾げた。
あいつが負けるところを?

「あ、あいつが……と、仰ることは……ヴォルフ自身も、戦うということですか!?」
「そうだ」

王子は当然のことのように頷いた。

「もちろんハルトマン家にも優秀な騎士はいるが、あいつ本人に勝てる者はいない。言っただろう? 在学中に俺も一度も勝てなかったと。……王宮の騎士団長ですら、一対一でヴォルフに勝てる者はいないだろうな」
「……!」

エリアスは、初めてヴォルフの手に触れた時のことを思い出した。
硬く、分厚い豆ができた掌。
ただペンを握るだけではできない、剣を握る人の手だと感じた、あの感触。
彼はただの商人ではなかったのだ。

だが、第一王子にここまで言われる実力だとしても、エリアスの不安は消えなかった。
相手はバンガルド卿だ。自分の名誉のために、どんな汚い手を使ってでも、死に物狂いで勝ちに来るだろう。
ヴォルフがどれだけ強くても、怪我を負う可能性は大いにある。

「いやです……」

エリアスはシーツを握りしめた。

「勝てたとしても、ヴォルフが少しでも傷つくことがあるならば……自ら戦うことだけは避けてほしかった。私のために、彼が血を流すなんて……」

エリアスの悲痛な叫びに、王子は真剣な眼差しを向けた。

「エリアス殿。ヴォルフを信じてあげてほしい」
「……信じる?」
「あいつは、どれだけ傷つこうとも、自分の手で貴方を助けたいんだ。誰かに任せて、万が一失敗することなど耐えられないからだ。……貴方は見守ることしかできなくて辛いだろうが、あいつを信じて待つことは、貴方にしかできない『戦い』だ」
「……っ」

その言葉に、エリアスの目から涙が溢れ出した。

そうだ。
監禁されている間、エリアスはずっと「自分のことはいいから、ヴォルフに幸せになってほしい」と、自己犠牲の祈りを捧げていた。

でも、それは違う。ヴォルフが望んでいるのは、そんな悲しい結末じゃない。
これからは、「一緒に」幸せになるために。
ヴォルフを信じて、勝利を祈り、待つのだ。

「……はい」

エリアスは涙を拭い、強く頷いた。

「信じます。彼を……ヴォルフを」

その目には、久方ぶりに強い光が宿っていた。
王子はその様子を見て、満足そうに立ち上がった。

「いい顔だ。……決闘は、明日だ」
「明日……」
「エリアス殿、貴方もその場に同席する必要がある。賭けの対象であり、証人だからな。その支度も全てメイドに任せてある。それまで、気が気じゃないだろうが、なるべく心休まるように休むといい」

王子は最後に励ますように微笑むと、颯爽と退室していった。

一人残された部屋。
エリアスは改めて王子への感謝を呟き、膝を抱えた。
決闘は、明日。

そして、その戦いを、この目で見守ることになる。

(ヴォルフ……)

想像するだけで心臓が押し潰されそうになる。
けれど、もう逃げない。

エリアスは愛する人が戦う姿を想い、ベッドの上でまた少しだけ、祈るように泣いた。
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