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第3章
知識の贈り物
しおりを挟む極上のケーキを堪能した二人は、再び馬車へと戻り、次の目的地へと移動を始めた。
当然のように横並びで座るヴォルフが、ふいにエリアスの首筋に顔を寄せ、鼻先を擦り付けるように匂いを嗅いだ。
「……まだ、甘い匂いが残っているね」
耳元で囁かれたその言葉に、エリアスの心臓が跳ね上がる。
ただ匂いを確かめられただけなのに、顔が一瞬で沸騰したように熱くなる。
ベッドの上では、もっと恥ずかしいあんなことやこんなことをしているというのに、ヴォルフにされることには何でも初心な反応をしてしまう自分が恨めしい。
「ふふ、可愛いな」
そんなエリアスの反応を見て、ヴォルフは愛おしそうに微笑むと、その甘さを直接確かめるように唇を重ねてきた。
「ん……っ」
奪うような激しいものではなく、デザートの続きを味わうような、優しく甘いキス。
エリアスの口内に残る苺とクリームの甘さと、ヴォルフの舌から伝わるほろ苦いチョコレートの味が混ざり合い、とろけるようなハーモニーを奏でる。
とろとろとした感覚に身を任せ、しばらくの間イチャイチャとした甘い時間を過ごしていると、馬車がゆっくりと停止した。
「……着いたようだね」
ヴォルフが唇を離すと、エリアスはほうと熱い吐息を漏らした。
すっかり蕩かされてしまった頭を振るい、赤くなった頬を手でパタパタと仰いで、必死に普通の表情を取り繕う。
ヴォルフにエスコートされて馬車を降りると、そこは重厚な扉と石造りの壁に守られた、歴史を感じさせる立派な建物の前だった。
掲げられた看板を見て、それが高級な書店であることを知る。
「ここは……?」
「以前、君は書物が好きだと言っていただろう? 欲しい本があればと思ってね」
ヴォルフの言葉に、エリアスはハッとした。
確かに、まだ二人の距離が今ほど近くなかった頃、趣味を聞かれて「歴史書を読むのが好きだ」と答えたことがある。
実家で冷遇されていたエリアスには娯楽などなく、外出も許されていなかったため、埃被った書庫にある古い歴史書や書物を読み漁ることだけが、外の世界を知る唯一の手段だったのだ。
そんな些細な一言を、多忙なヴォルフが覚えていてくれたことが何よりも嬉しかった。
「……覚えていてくださったんですね。嬉しいです」
「君のことなら何でも覚えているよ。さあ、行こう」
重厚な扉を開けて中に入ると、紙とインクの独特な香りが漂ってきた。
天井まで届くような立派な本棚に、無数の本が整然と並べられている光景に、エリアスは目を輝かせた。
「すごい……こんなにたくさんの本、初めて見ました」
「この国の本だけでなく、諸外国の書物も取り揃えている店だ。好きなだけ見ていいよ」
ヴォルフの言葉に甘え、エリアスは棚の間を歩き始めた。
小説や詩集なども魅力的だったが、エリアスの足が止まったのは、実用書の棚だった。
この国の歴史、貴族の成り立ち、現在の制度や条例、そして法律に関する専門書。
(……もっと知りたい)
ハルトマン家の妻としてヴォルフの役に立ちたいし、今回のような騒動に巻き込まれた時、知識があれば自分を守る武器にもなる。
財政学の先生をつけるかどうか、という話をシュミットからされたが、とりあえず自分が学びたいことを本で知るのも良いかもしれない。
エリアスは熱心に背表紙を目で追い、興味のある本を次々と手に取っていった。
気づけば十冊ほどの本を抱えていたエリアスに、ヴォルフが近づいてきた。
「おや、随分と勉強熱心なラインナップだね」
「あ……少し、選びすぎましたか?」
「いいや」
ヴォルフは店員を呼ぶと、エリアスが選んだ本を全て指差し、短く告げた。
「これらを全て、ハルトマン家へ送っておいてくれ」
「かしこまりました、ハルトマン卿」
店員が恭しく頭を下げる。
「えっ、全部良いんですか?選んだ中からどれにしようかと、」
エリアスが驚いて尋ねると、ヴォルフは優しく微笑んで頷いた。
「もちろんだよ。……ただ、私や家のために学ぶのもいいが、君が純粋に楽しむための本も買っていいんだからね」
エリアスの健気な向上心を認めつつも、無理はしてほしくないという気遣いが滲む。
「はい。……また、連れてきてください」
「ああ、約束するよ」
エリアスは満足感で胸を満たしながら、再びヴォルフのエスコートで馬車へと乗り込んだ。
知識という新たな武器と、夫からの愛という贈り物を携えて。
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