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第3章
生殺しの地獄
しおりを挟むヴォルフがその冷たい床に膝をつき、祈りを捧げ始めてから、一体何時間が経過したのだろうか。
時間の感覚はとうに麻痺し、ただ永遠に続くような苦痛の時間だけが流れていた。
気づけば窓の外は漆黒の闇に包まれ、ヴォルフがいる処置室の隣の待合室も、灯りをつけなければ何も見えないほど暗くなっていた。
気まずそうな顔をした使用人が静かに入室し、部屋のランプに灯りをつけてくれる。
だが、部屋がどれだけ明るくなろうとも、あるいは闇に沈もうとも、ヴォルフの目の前は絶望で真っ暗なままだった。
光など、どこにも見えなかった。
分厚い扉の向こう、処置室の中からは、バタバタと医師や看護師たちが走り回る足音や、緊迫した怒号のような指示の声が絶え間なく聞こえてくる。
その騒がしさが、今のヴォルフにとっては唯一の、エリアスが生きているという証だった。
しかし同時に、恐怖でもあった。
もし、この音が止んで急に静寂が訪れたら……それは処置が終わったことを意味するのか、それとも――。
最悪の想像ばかりが脳裏をよぎり、それを振り払うように神に祈る。
その繰り返しで、ヴォルフの精神は極限まで摩耗し、疲弊しきっていた。
やがて夜も深まり、王宮全体が静寂に包まれる頃。
ヴォルフの耳には、もう何の音も届かなくなっていた。
感覚が遮断されたような虚無の中、不意にガチャリと重い音が響いた。
処置室の扉が開いたのだ。
「ッ!」
ヴォルフは弾かれたように顔を上げ、ビクリと身体を震わせた。
扉の先には、執刀医である王宮の医師が立っていた。
「……」
医師の姿を見た瞬間、ヴォルフは息を呑んだ。
白衣であったはずのその服は、まるで返り血を浴びたように赤黒く染まりきっていたからだ。
あの中で行われた処置がどれほど壮絶で、どれほど大量の血がエリアスの身体から失われたのか、その姿を見るだけで容易に想像できてしまう。
何も言えず、硬直して立ち尽くすヴォルフに、医師は疲労困憊の様子で、けれど静かに告げた。
「……輸血は一通り終え、止血処置を行いました」
医師は重い口を開く。
「処置の途中、何度も心臓が止まりましたが……なんとか蘇生し、今は耐えていらっしゃいます」
「しんぞうが……」
「ですが、依然として予断を許さない状況です。このまま輸血を続けますが、あまりに出血量が多すぎました。いつ容態が急変してもおかしくありません」
医師は淡々と、しかし残酷な事実だけを告げた。
「今夜が、山場かと思われます」
ヴォルフは目の前が本当に真っ暗になるのを感じた。
何とか今は耐えている。心臓が何度も止まった。いつ急変してもおかしくない。
告げられた言葉の中に、手放しで喜べる希望は何一つなかった。
ただ「まだ死んでいない」というだけの、首の皮一枚で繋がっているだけの絶望的な状況。
「……失礼します」
医師は一礼すると、再び処置室へと戻っていき、無情にも扉は閉ざされた。
再び訪れる静寂。
ヴォルフはその場に崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。
まだ続くのだ。
何もできず、ただ扉の前で待ち続け、祈ることしか許されないこの地獄のような時間を、あとどれだけ耐えればいいのか。
ヴォルフは血の気の引いた顔で閉ざされた扉を見つめ、どうしようもない無力感に打ちひしがれていた。
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