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第3章
価値のない世界
しおりを挟むそれから、さらに何時間が経過したのか、ヴォルフにはもう分からなかった。
精神が疲弊しきり、意識が朦朧とする中で、ただひたすらに祈り続けるだけの時間。
外界の音は遮断され、ヴォルフの意識は内側へと沈んでいく。
その暗闇の中で、ヴォルフはただエリアスのことだけを考えていた。
初めて会ったのは、あの最悪な結婚式の場だった。
契約によって金で買われた妻として、ヴォルフに怯え、目も合わせようとしなかったエリアス。
その姿はあまりに儚く、頼りない存在に思えたものだ。
だが、言葉を交わし、身体を重ね、心を通わせていく中で、ヴォルフは知った。
エリアスこそが、本当に強い人なのだと。
自分のためではなく、他人のために強くなれる人。
誰よりも優しく、慈愛に満ちた、愛しい妻。
ぼんやりと霞む視界の裏に、今朝見たばかりの美しいエリアスの姿が浮かび上がる。
白地に金糸の衣装を纏い、神々しいほどに輝いていた姿。
『心配しすぎですよ』と優しく笑って、ヴォルフの重すぎる愛も、歪んだ独占欲さえも、全てを受け入れて身を預けてくれた。
愛されることで自信を持ち、日に日に美しくなっていったエリアス。
その滑らかな肌に触れ、体温を感じるだけで、ヴォルフの心は満たされていた。
それが、永遠に続くものだと信じて疑わなかった。
(……エリアス)
ヴォルフの頬に、生々しい感触が蘇る。
意識を失う直前、エリアスが最後の力を振り絞って、涙に濡れたヴォルフの頬を撫でてくれた感触。
そして、ヴォルフにしか聞こえない微かな声で『あいしてる』と囁いた、あの唇。
エリアスは、とっさに動いたのではない。
もしこれで自分が死んでしまうとしても、ヴォルフを守りたい。そう覚悟を決めた上で、あの矢の前に飛び出したのだ。
そのあまりに深く、重い愛の形を理解してしまい、ヴォルフは吐き気を催すほどの激しい感情に襲われ、頭を抱えた。
愛されているという歓喜と、その愛によってエリアスを失うかもしれない絶望が、内臓を雑巾絞りするように締め上げる。
代わってやりたい。
今すぐ、自分の身体を切り裂いて、全ての血をエリアスに捧げたかった。
だが、それではエリアスは喜ばないだろう。
自分を犠牲にしてエリアスだけが助かっても、エリアスは決して笑ってはくれない。
「……だが、どうしたらいい……?」
暗がりの中、目の前にはいないはずのエリアスに問いかける。
「君を失ったら……私はどうやって生きていけばいいんだ」
答えは、決まっていた。
もし、エリアスがこのまま目覚めなければ。
エリアスを傷つけた全ての元凶を、この世で最も残酷な方法で殺し尽くす。
そしてその後、自ら命を絶ってエリアスの後を追う。
エリアスのいない世界になど、何の価値もない。
彼がいない明日など、ヴォルフには必要ないのだ。
「……はぁ、っ」
ヴォルフは深く、震える息を吐き出した。
神よ、悪魔よ、誰でもいい。
エリアスが再び笑ってくれるなら、生きていてくれるなら、私の全てを捧げてもいい。爵位も、財産も、命さえも。
だからどうか、彼を返してくれ。
そう心から願い、祈り続け――ヴォルフは一睡もしないまま、白々と明けていく朝を迎えた。
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