157 / 251
第3章
妄執の檻
しおりを挟むアルシードの先導で、ヴォルフは王宮の地下深くへと続く階段を降りていった。
空気は湿り気を帯び、カビと鉄の錆びた匂いが混ざり合っている。
バンガルド卿が収容されているのは、その中でも最も深く、脱走など不可能な暗闇に閉ざされた最下層の特別牢だった。
衛兵に扉を開けさせ、松明の明かりを頼りに奥へと進むと、鉄格子で厳重に仕切られた牢の一つに、その男はいた。
腐っても上位貴族だ。裁判が終わるまでは生かしておかねばならないため、最低限の衣食住は保証されているようで、身なりはそこまで酷くはない。
だが、その姿は目に見えて落ちぶれ、痩せこけていた。
それでも、ヴォルフたちの姿を認めた瞬間、その瞳に宿った光は、最後に決闘の場で見た時と変わっていなかった。
結果を受け入れず、エリアスにもう一度ナイフを向けた時の、あの理性の欠落した狂気的な目だ。
「……ふっ、ふふ」
バンガルド卿は、ヴォルフがここへ来ることを予期していたかのように、鉄格子越しに喉を鳴らして笑った。
「あの子は元気か?……お前のような成り上がりが、不相応にもさらに高い爵位を得るなど認められない。だから、ああしてお前を殺そうとしたのに……まさか、あの子が庇うとはな」
バンガルド卿は鉄格子を両手で掴み、下劣な響きを含んだ声で嘲笑った。
「あの子を盾にするために娶ったのか?商人は合理的で結構なことだ」
以前のような上位貴族としての余裕や、表面上の品格すら消え失せ、剥き出しの悪意だけがそこにあった。
「……王の御前で矢を放つように指示したことを、認めるんだな?」
アルシードが鋭く問い詰めるが、バンガルド卿はその声に耳を貸そうともしない。
ただ、真っ直ぐにヴォルフだけを見つめ、妄想に満ちた提案を口にし始めた。
「なぁ、ハルトマン。ここから出たら、あの子を迎えに行くよ。お前には一時『貸して』いただけだ」
「……」
「巷の噂でも言われていただろう? あの子は、お前が私に売ったことにしろ。そうすれば、決闘の結果も無効にしてやる。ここを出てからも、ハルトマン家には手を出さないと約束しよう」
バンガルド卿は恍惚とした表情で、独り言のように続けた。
「あの子さえ手に入れば、私は構わないんだ。……傷を負った妻になど、お前も用はないだろう?商品としての価値を失ったんだ」
会話になっていない。彼の世界では、まだ自分が絶対的な権力者であり、エリアスは自分のものだという妄想が完結しているようだ。
「だが私なら、どんな姿でも愛してやれるぞ。……お前に番を解消されて捨てられ、苦しむあの子を、私が骨の髄までしゃぶって慰めてやる」
バンガルド卿は舌なめずりをし、歪んだ愛を語り出す。
「そして、死ぬまで私の子を産み続けるんだ。愛しい、私のエリアス……」
ガシャッ!!
硬質な音が響き、鉄格子が激しく揺れた。
その直後。
ボトリ、ボトリ、と湿った床に肉塊が落ちる音がした。
「――ぁ、……あ゛?」
バンガルド卿は、何が起きたのか理解できていない様子で、自分の手元を見た。
鉄格子を掴んでいたはずの右手の指が、三本、根本から消失していた。
断面から鮮血が噴き出す。
「ぎ、ギャアアアアアアッ!!」
一拍遅れて、地下牢に絶叫が木霊した。
ヴォルフは、抜き放った剣についた血を振るうと、静かに鞘へと納めた。
その表情は、怒りを超越した氷のような無表情だった。
「……エリアスが負った痛みは、こんなものではない」
ヴォルフは冷ややかに、のたうち回る男を見下ろした。
「指だけでは到底足りない。今すぐこの首を刎ねてやりたいが……お前を裁くのは法だ。貴族として、その罪の重さを思い知らせてから地獄へ送ってやる」
「い、あ゛あッ、指が、私の指がァッ!」
「お前は二度とここを出ることも、エリアスに会うこともない。妄想は大概にしろ」
ヴォルフは踵を返し、最後に肩越しに言い捨てた。
「二度と、その汚い声で私の妻の名を口にするな」
鉄の扉の向こうから、狂ったように何かを喚き散らす叫び声が聞こえてきたが、ヴォルフは二度と振り返らなかった。
これ以上の会話は無意味だ。
ヴォルフとアルシードは、汚らわしいものを断ち切るように、足早にその場を後にした。
45
あなたにおすすめの小説
僕の、しあわせ辺境暮らし
* ゆるゆ
BL
雪のなか僕を、ひろってくれたのは、やさしい男の子でした。
ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります!
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
抑制剤の効かない薬師オメガは森に隠れる。最強騎士団長に見つかり、聖なるフェロモンで理性を溶かされ、国を捨てた逃避行の果てに番となる
水凪しおん
BL
「この香りを嗅いだ瞬間、俺の本能は二つに引き裂かれた」
人里離れた森で暮らす薬師のエリアルは、抑制剤が効かない特異体質のオメガ。彼から放たれるフェロモンは万病を癒やす聖なる力を持つが、同時に理性を失わせる劇薬でもあった。
ある日、流行り病の特効薬を求めて森を訪れた最強の騎士団長・ジークフリートに見つかってしまう。エリアルの香りに強烈に反応しながらも、鋼の理性で耐え抜くジークフリート。
「俺が、貴方の剣となり盾となる」
国を救うための道具として狙われるエリアルを守るため、最強の騎士は地位も名誉も投げ捨て、国を敵に回す逃避行へと旅立つ。
シリアスから始まり、最後は辺境での幸せなスローライフへ。一途な騎士と健気な薬師の、運命のBLファンタジー。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
今からレンタルアルファシステムを利用します
夜鳥すぱり
BL
大学2年の鳴水《なるみ》は、ずっと自分がオメガであることを隠して生きてきた。でも、年々つらくなる発情期にもう一人は耐えられない。恋愛対象は男性だし、男のアルファに会ってみたい。誰でも良いから、定期的に安全に話し相手をしてくれる人が欲しい。でもそんな都合のいい人いなくて、考えあぐねた結果たどり着いた、アプリ、レンタルアルファシステム。安全……だと思う、評価も星5で良いし。うん、じゃ、お問い合わせをしてみるか。なるみは、恐る恐るボタンを押すが───。
◆完結済みです。ありがとうございました。
◆表紙絵を花々緒さんが描いてくださりました。カッコいい雪夜君と、おどおど鳴水くんです。可愛すぎますね!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる