銀色の商人と贋作の妻

真大(mahiro)

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第3章

妄執の檻

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アルシードの先導で、ヴォルフは王宮の地下深くへと続く階段を降りていった。
空気は湿り気を帯び、カビと鉄の錆びた匂いが混ざり合っている。

バンガルド卿が収容されているのは、その中でも最も深く、脱走など不可能な暗闇に閉ざされた最下層の特別牢だった。
衛兵に扉を開けさせ、松明の明かりを頼りに奥へと進むと、鉄格子で厳重に仕切られた牢の一つに、その男はいた。
腐っても上位貴族だ。裁判が終わるまでは生かしておかねばならないため、最低限の衣食住は保証されているようで、身なりはそこまで酷くはない。

だが、その姿は目に見えて落ちぶれ、痩せこけていた。
それでも、ヴォルフたちの姿を認めた瞬間、その瞳に宿った光は、最後に決闘の場で見た時と変わっていなかった。
結果を受け入れず、エリアスにもう一度ナイフを向けた時の、あの理性の欠落した狂気的な目だ。

「……ふっ、ふふ」

バンガルド卿は、ヴォルフがここへ来ることを予期していたかのように、鉄格子越しに喉を鳴らして笑った。

「あの子は元気か?……お前のような成り上がりが、不相応にもさらに高い爵位を得るなど認められない。だから、ああしてお前を殺そうとしたのに……まさか、あの子が庇うとはな」

バンガルド卿は鉄格子を両手で掴み、下劣な響きを含んだ声で嘲笑った。

「あの子を盾にするために娶ったのか?商人は合理的で結構なことだ」

以前のような上位貴族としての余裕や、表面上の品格すら消え失せ、剥き出しの悪意だけがそこにあった。

「……王の御前で矢を放つように指示したことを、認めるんだな?」

アルシードが鋭く問い詰めるが、バンガルド卿はその声に耳を貸そうともしない。
ただ、真っ直ぐにヴォルフだけを見つめ、妄想に満ちた提案を口にし始めた。

「なぁ、ハルトマン。ここから出たら、あの子を迎えに行くよ。お前には一時『貸して』いただけだ」
「……」
「巷の噂でも言われていただろう? あの子は、お前が私に売ったことにしろ。そうすれば、決闘の結果も無効にしてやる。ここを出てからも、ハルトマン家には手を出さないと約束しよう」

バンガルド卿は恍惚とした表情で、独り言のように続けた。

「あの子さえ手に入れば、私は構わないんだ。……傷を負った妻になど、お前も用はないだろう?商品としての価値を失ったんだ」

会話になっていない。彼の世界では、まだ自分が絶対的な権力者であり、エリアスは自分のものだという妄想が完結しているようだ。

「だが私なら、どんな姿でも愛してやれるぞ。……お前に番を解消されて捨てられ、苦しむあの子を、私が骨の髄までしゃぶって慰めてやる」

バンガルド卿は舌なめずりをし、歪んだ愛を語り出す。

「そして、死ぬまで私の子を産み続けるんだ。愛しい、私のエリアス……」

ガシャッ!!

硬質な音が響き、鉄格子が激しく揺れた。
その直後。

ボトリ、ボトリ、と湿った床に肉塊が落ちる音がした。

「――ぁ、……あ゛?」

バンガルド卿は、何が起きたのか理解できていない様子で、自分の手元を見た。
鉄格子を掴んでいたはずの右手の指が、三本、根本から消失していた。
断面から鮮血が噴き出す。

「ぎ、ギャアアアアアアッ!!」

一拍遅れて、地下牢に絶叫が木霊した。
ヴォルフは、抜き放った剣についた血を振るうと、静かに鞘へと納めた。
その表情は、怒りを超越した氷のような無表情だった。

「……エリアスが負った痛みは、こんなものではない」

ヴォルフは冷ややかに、のたうち回る男を見下ろした。

「指だけでは到底足りない。今すぐこの首を刎ねてやりたいが……お前を裁くのは法だ。貴族として、その罪の重さを思い知らせてから地獄へ送ってやる」
「い、あ゛あッ、指が、私の指がァッ!」
「お前は二度とここを出ることも、エリアスに会うこともない。妄想は大概にしろ」

ヴォルフは踵を返し、最後に肩越しに言い捨てた。
「二度と、その汚い声で私の妻の名を口にするな」
鉄の扉の向こうから、狂ったように何かを喚き散らす叫び声が聞こえてきたが、ヴォルフは二度と振り返らなかった。

これ以上の会話は無意味だ。
ヴォルフとアルシードは、汚らわしいものを断ち切るように、足早にその場を後にした。
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